知らないシーツが見えた。
鉄格子の隙間から青白い光が漏れて……と言うか諸に差し込んで来て冷たい床や壁や天井で光が乱反射する。そんな明るさの中では嫌でも目が冴える。
簪はシーツを押し除けて起き上がり、近くの壁掛け台に置いてあった眼鏡を手に取って掛ける。自分が居る部屋の全貌が明らかとなった。
無機質な単色の床と壁と天井。壁にあるハンガーラックとベッドのみと言う簡素極まれりと言った光景。そして1箇所のみ壁の代わりに鉄格子と格子扉。
誰が如何見ても其処は独房だと分かる部屋だった。その独房で簪は目覚めた。
「んんっ……」
——ああ、そうだった。
『学年留学』の2日目の朝だ。
簪にとってもはや、牢屋の中で目覚めるのは日常的な事であった為に然程、気にはならない。IS学園でも神楽のお膳立てにより寮部屋では無くIS学園地下の懲罰房に幽閉されて寝ていたし『ストラトス・デザイア』でも独房に宿泊していた。
最も他のIS学園の生徒達は批難囂々だろうが、早めに慣れないと気が休まらない事だろう。……簪にとっては関係は無かろうか。
ハンガーラックに掛けてある学院の囚人服に手を伸ばして支給されていた寝間着から着替える。首にある首輪はずっと着けっぱなしである。
この囚人服は構造上、割と着替えるのに時間が掛かる。革ベルトや鎖の存在が理由だ。そして、何と言うか下着の類が無い、素肌の上に囚人服を着ると言うスタイルは言い方はアレだがかなり扇状的だった……。
気にするだけ無駄な気がして来た。安全性には五月蝿い癖に変な所でズボラだ。最後に胸ベルトと首に嵌められた首輪かは垂れている鎖を繋いで着替え終えてから、格子扉から外の大廊下へ出た。
IS学園の生徒達は初日から忌避感を抱いているが、囚人服だろうが拘束衣だろうが制服である事に変わりは無い。……気崩す者も現れるだろうが、その辺は如何なっているのかは知らないし、余り興味が湧かなかった。
「聞いた? 別の収監棟で男性操縦者が和奏君に宣戦布告したんだって」
「無知って怖いわね……。例のイベントでウィキちゃんに傀儡にされたんでしょ?」
「その人、後でリデアさんに殺されませんか?」
「その前にフィウちゃんに暗殺されるかも」
「いずれにせよ医療関係の囚徒達がまーた胃薬をトン単位で発注するんじゃない?」
朝の収監棟。
目覚めて着替え終えた囚徒達が次々と大廊下へと出て来る。大廊下を歩く傍らでそんな会話が簪の耳に飛び込んで来る。
——男性操縦者……。織斑 一夏が、和奏さんに宣戦布告……ああ、突っかかったんだ。
男性操縦者と言えば織斑 一夏を示す言葉に他ならない。そして、和奏と言えば宵咲 和奏以外存在しない。話を噛み砕くと一夏が和奏に喧嘩を売った様である。……何か、IS学園でも1組のクラス代表を巡って似た様な構図があったなと、適当な記憶を引き出して思い出す。……割と如何でも良かったが。
「他にもシャルロットさんが男性操縦者を血祭りにしようとしたんだって」
「ははぁ、痴情の絡れ?」
「さぁ? 理由はどうでも良くない?」
「お昼頃に大浴場でやるんだって」
「他に場所ないしね〜」
「和奏君のアレ、久しぶりじゃない?」
「唯一、ガイア様から
「あー……Dr.との最終決戦の時は本当にヤバかったもんね〜」
噂話は枚挙に暇が無い。その大半が浮かんでは消える内容だった。囚徒達では『男性操縦者が和奏に宣戦布告した』と言う話題で持ち切りになっている中、簪は校舎棟へと足を踏み入れる。
五稜監獄学院では朝食を取るかどうか各自の判断に任せられている。……と言うのも五稜監獄学院は日中は寝ている夜型人間も居るわと朝食を取らない者も居るわと足並みはまぁ揃わない為に、適当に摂れと言う形に落ち着いた。
大食堂は昼にならないと無料定食は受け取れないが、厨房を借りて自分で朝食は作れる(有料だが)。
「…………」
——五稜監獄学院のシステムは理解した。授業を受けるか、刑務作業をするか……。
『学年留学』が終われば自分は公では死亡扱いの末に編入する予定だ。ならば、早めに適応するべきだ。
——差し当たってCPは余裕がある……まさか、『ストラトス・デザイア』のアレが此方にも影響があるとは思わなかった。
昨日の夜。簪は突如現れた乙音に『8月のストラトス・デザイアでの電脳空間のテスター報酬を渡しに来たで〜』との事で5,000CPを渡されたのだ。
金額としては多いのか少ないのかはまだ把握し切れていないが初日でそれだけのスタートを切るとタダでさえ他の生徒達から当たりがキツいのにバレると面倒なので秘密にしていた。
そう言う訳で、午前中は授業を受ける事にした。IS学園は辞める算段なのでリモート授業は受ける気はさらさら無かった。
得てして『そう言うモノ』は自分で培う他に無いと簪は考えていたからだ。
五稜監獄学院の授業は大学と同じ様な完全選択制だ。自分で学びたい学科を選び受講する……得手不得手の開きが非常に大きくなりがちではあるのだが、得意分野を伸ばした方が良いと言う意見も少なからず存在している。
そして、何とまぁ良い加減な所は本当に良い加減な学院。授業とは名ばかりで大半がBDを使用した自習であった。教師や講師なんてモノは居ないし必要なかった。
完全に本人のやる気でやるしか無いと言う独学ストレートスタイル。
授業に参加すると科目問わず共通してCPを100ほど支給される。但し授業開始して30分以降に途中参加者には支給されないし、途中離脱した場合も支給はされない。
数学の授業が行われる講義堂に入室する。既に何人かの囚徒達が居て各自、好きな場所を陣取っている。
その一角にて見覚えのある後ろ姿が見えた。気配に気付いたのかその人物が簪の方へと視線を向けた。
「お久しぶりですわね、簪さん」
「神楽。うん、久しぶり」
大和撫子の様な風貌の少女。四十院 神楽その人であった。お互い別のクラスであり尚且つ夏休み期間中は彼女は四十院グループの会合の為に実家に帰っていた為に会う事は無かった。実に1ヶ月ぶりと言える。
「……ふふ、囚人服姿も様になっていますわよ」
「そう言う神楽こそ」
当然、神楽も首輪に胸ベルトと言った物が存在している囚人服姿であった。腕にも革ベルトが着けられている。
正直に言って彼女の場合は純和風な雰囲気なので独房よりも座敷牢で荒縄の方が似合うんじゃないかな〜と言う邪推的な考えが脳裏に過ぎったのは余談。
「積もる話は他所に、現在の噂話はご存知でしょうか?」
授業開始まで少し時間がある。時間にして4、5分程度だ。そして神楽が振って来た話題は収監棟で囁かれていた内容だった。
「何でも織斑さんが和奏さんに宣戦布告をしたのだとか……」
「神楽。その、宵咲さんって強いの……?」
『ストラトス・デザイア』で代表を務めており、尚且つイロモノ軍団を率いていた彼。
しかし、彼は表向きは男性操縦者として認知されていない。完全に裏社会の人間。だからこそ、その実力は未知数。
「……でなければ、毎分何処かで」
その時、大廊下を挟んで反対側に位置している講義堂から爆発音が聞こえてくる。しかし、誰一人としてそんな非常事態に対して反応は示さない。
「乱戦、乱闘騒ぎが起こるこの学院の囚徒達の纏める役は務まりませんわ」
「…………」
早い話が神楽も分からないの一言だ。
と言うのもこの学院ではISの使用は拡張領域を除いて制限されている。つまりIS学園の様に模擬戦や試合は出来ないのだ。
「お昼頃、この校舎棟の上にある大浴場にて行われるようですわ。……それに伴い大食堂の、その……メイド囚徒達も其方に行ってしまうそうですわ」
大食堂も囚徒達が運営している。その者達も見物に行ってしまって機能しないと言う事だろう。そのタイミングで、丁度5分が経過して『授業』が開始された。
時間が過ぎて決戦の時刻である午後12時頃となった。
噂話の波及は早く誰もがその様子を見届けようと大浴場へと向かった。IS学園の生徒達もISの試合が行われると考えて我先にへと向かう。
「……他に広い場所が無いからと言ってまさか大浴場で戦り合うとは、つくづく常識の埒外だな」
名刀達、3組の面々もその戦闘に興味を抱いた為に大浴場を訪れていた。と言うのも、一夏と和奏の論争が行われた収監棟に自分達も居た為に、その様子を少し遠目から見ていたし聞いてもいたのだ。
経緯はどうあれ『五稜監獄学院』での情報収集と言う目的も兼ねて物見としてやって来たのだ。
「しっかし、大浴場つーか……もはやプールに近いなぁ」
大浴場と聞けば旅館や銭湯の様な光景をイメージするのだが、五稜監獄学院の大浴場はその規模を優に上回っていた。広い、かなり広い。その一言に尽きた。もう一面、大規模な水槽か貯水湖なんじゃないかと思う程の広さだ。浴槽には既に水が入っており、手を突っ込んで見ると分かるが今は水風呂状態だ。
「既に、学院側や学園側の囚徒達が見物や物見の様に集まっている様だな」
視線をズラせば浴槽の外の場所では多数の囚人服を纏った囚徒達が見受けられた。双方共に同じ囚人服な為、何方が何方か分からない。
ただ、分かるのはその戦闘を待ち侘びている事だけだった。
「賭けや賭けやで〜‼︎ CP使ってのギャンブルや〜‼︎ 賭けるんやったら早めにせんと締め切っで〜‼︎」
人集りの一角では堂々と賭博が行われていた。ノリノリな様子で金髪ツインテールの娘が元締めをしていた。
「……乱戦や内乱もそうだが、あんな堂々と賭けまでやっているのか、信じられん光景だな」
「あ、あはは……取り敢えず内容を見てみる?」
「賭け金は無いけどね」
名刀達は充分なCPは持ち合わせていない。取り敢えず今日の午前中は『授業』に参加した為に100CP程はあるが、賭け金にしては安い額だろう。
——えーと、内容は……うわぁ……。
『
織斑 一夏の損壊オッズ
両腕 1.2倍
両脚 1.3倍
両手両脚 2倍
髪の毛 3.5倍
上記全て 5倍
損壊無し 1.5倍
』
何とも酷い内容が掲示されていた。どうやら学院側はどう足掻いても一夏が勝てるビジョンを持たれていないらしい。然も肉体欠損の予想とはこれまた物騒な内容と言える。
「お? アンタらもやるかい? 手数料として1,000CP貰うんやけど?」
「ごめんなさい。100しか無いから……」
「あー、IS学園の囚徒やったか。それならしゃーないな〜」
金髪娘は仕方ないと言わんばかりの表情で気を取り直して賭け金の締切をして戦闘が始まるまで待つ態勢に入った。
「彼方では……メイド服の方達が居ますね」
槐が指示した先では大食堂で見かけたメイド服に身を包んだ囚徒達の姿が見えた。水気の多いこの場所でも重厚なメイド服姿なのはある意味、尊敬する。
其処では簡易的な机や簡素な調理道具を持ち込んでまるで縁日の屋台通りみたいなブースを形成していた。屋台にメイド服、何とも凄い組み合わせだ。
「りんご飴は1本、300CPです〜」
「シェイクジュースは200CPです」
「チョコバナナは400だ。む? 既に完売だと? え、彼方の屋台に回ってくれ?うむ、分かった」
しかも盛況しており、多数の囚徒達が屋台前に集まってCPを支払って出し物の食品を購入していた。……何処かで見た銀髪の眼帯娘がメイド服姿で接客している光景が見えたが気の所為だと信じたい。
「何つーか……もはや、祭りかイベントみたいな扱いやな」
流石にIS学園でのイベントでも屋台とかは出て来ない。もしかしたら五稜監獄学院の囚徒達はイベント好きなのだろうか?
この事態に発展した経緯は余り前向きでは無いのだが、何とも認識にズレを感じる瞬間であった。
以降も人集りが集まり続けて、いよいよその刻が訪れた。
賭けるなら?【茶番】
-
両腕
-
両脚
-
両手両脚
-
髪の毛
-
全部
-
損壊無し