※この作品はR-18です。

ぼくのミューズ   作:ふみどり

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舞台に響く

 始まりは、吟遊詩人役の前口上から。

 他とは少し違う舞台だから説明役は必要と言うことで、軽やかな声の役者が物語の紡ぎ手として舞台を用意する。

 プレの今日は、短編の舞台をひとつだけ。短編とはいえ、もちろん油断はしない。どんな舞台もすべて、私にとっては「自分じゃない誰か」になれる大切な場所。

「さあ、今日はどんな物語を紡ぎましょうか。……ああ、これがいい。誰もが知っている、美しくも不遇の少女が、幸せになるためのストーリー。だが、ただ主役の話をするのじゃあ面白くない。物語の中の端役……そうだ、彼女を呼ぶとしましょう」

 出番が近い。いつもと同じように、舞台の袖できゅ、と両手を握る。

 背後に誰かが近づいたのがわかった。

「……羽賀さん」

「ごめん、集中を乱したかな」

 バイオリンを片手にそっと微笑んだ彼に、首を振った。

「大丈夫です」

「それなら良かった。……初舞台だ、全力で楽しもう」

「……はい」

 よろしく、お願いします。

 そう言うと、羽賀さんは悪戯っぽくウインクをひとつ返してくれた。

 

 *

 

 舞台上には、シンプルな椅子がひとつ。スポットライトはその椅子を照らし、舞台の反対側にもうひとつ光の筋を示す。

 椅子の前には私が立ち、もう片方で羽賀さんがバイオリンを構えた。

「──ああ、私の可愛いシンデレラ! 貴方をおいて旅立って本当にごめんなさい……貴方が大きくなるのをずっと傍で見ていたかった……ごめんね、可愛い私の子」

 今の私は、物語には直接登場しないシンデレラの母親。

 彼女は物語の始まった時点ですでに亡くなっている。描かれることはないが、彼女はどれだけ哀しかっただろう、どれだけ悔しかっただろう。我が子の成長を見守ることを許されなかった母の悲痛が、羽賀さんのバイオリンから奏でられる。

 弱く、か細く、しかし次第に高まり、落ち着いたメロディに変わっていく。

「……せめて、ここからちゃんと見守らせてね……夫もいるのだもの、きっと貴方は、幸せでいてくれるわよね……?」

 ああ、何て演じやすい舞台だろう。胸の昂ぶりが抑えられない。

 難しいはずの場面展開も、感情表現も、バイオリンが手伝ってくれる。奏でられるメロディに導かれるように、私は「シンデレラの母」として言葉を紡いでいく。

「あの人、何故、どうして……? 再婚はいいわ、そんなことはどうでもいい! けれど、どうして……どうして、シンデレラを大切にしてくれる人を選ばなかったの!」

 どうして、どうして! 知らず頬を流れる涙を拭うこともない。

 継母や義理の姉たちに日々虐げられるシンデレラ。ぼろをまとい、家事に明け暮れ、粗末なものを食べて屋根裏で過ごす。父親が亡くなってからはもっとひどくなった。

 そんな娘を空から見守っていた彼女の心中たるや、考える必要もない。

「何てこと……何てことなの……あんなに優しい子に育ってくれたのに、どうしてあの子が……神様、どうしてです! あの子が何をしたというのですか!」

 激しくかき鳴らされるバイオリン。

 すごい、たったそれだけで空気が作られる。

「このままでは……あの子が……っ!」

 崩れ落ちたその時、奏でられていたメロディが一瞬で止まり、間を作ってからゆっくりとした音が広がり始めた。それは「彼女」が決意したその心を示すように、力強く。

「……神様、私は何もいりません。この先あの子を見守る時間も、何もかも。ですからどうか、私に力をください。全てを思い通りにする力とは言いません、せめてあの子が幸せになる、きっかけを作るための力を」

 私のすべてと引き換えに、あの子にチャンスをあげたいの。

 先ほどまでとは全く違う、凪いだ心を感じる。本当なら、あの子が一生を過ごしてこちらに来るまでずっと、見守っていたかった。けれど、いいの。あの子の不遇を見ていることしかできないのなら、そんなものいらない。

 私は、あの子に幸せになってほしい。──私の可愛い、シンデレラ。

「お城の、舞踏会……? あら、素敵じゃない、きっと……」

 王子様なら、あの子を助けてくれるかしら。

 弾むような、楽し気な音が響く。

「神様がね、一日だけの魔法を貸してくれたの。魔法の効果は十二時の鐘が鳴り終わるそのときまで。でもきっと、貴方なら大丈夫。誰よりも美しい心根をもった私の可愛い子、さあ王子様を虜にしちゃいなさい」

 その身を飾る美しいドレス。ガラスの靴は特にいい出来。かぼちゃは馬車に、ねずみは馬に、さあお城まで急いでね。私が手を貸せるのはここまで、後は自分の手で幸せをつかんでほしい。

 魔法が手から零れ落ちるように、ぽろぽろと音の粒が弾けて広がっていく。まるで光のようなそれは、真っ暗な客席までも広がっていく。

 メロディがワルツに切り替わる。あら、お城の舞踏会が始まったわ。

「あら、うふふ、上手に踊れているじゃない、シンデレラ。そう、貴方にはやっぱり笑顔が似合うわ。──そんな幸せそうな顔、どれだけぶりに見たかしら」

 椅子に腰かけて、娘の様子を見守るように床を覗き込む。

 思わず耳に入るワルツに合わせて鼻歌を歌った。バイオリンの音色も楽しそうに応えてくれる。楽しい、嬉しい、そう、私はその笑顔が見たかった。

 ワルツの曲が終わり、音楽が途切れた。ふっと舞台に静寂が落ちる。

「……あら、もうこんな時間。あらあら、あの子ったら、王子様に自分の名前を伝えることもしないで。このままじゃ二度と会えないかもしれないじゃない。もう、お母さんは一夜の夢を見せたかったんじゃないのよ?」

 仕方ないわね、と指をひとつ鳴らしてもうひとつだけシンデレラに魔法を。

 ワンフレーズ、軽やかなバイオリンの音が響く。

「ごめんね、転びそうになって痛かったかしら。だけどこれで、ガラスの靴を城に残すことができたわね」

 あの靴はシンデレラの足にだけぴったり合う特別なもの。あれだけは十二時が過ぎても残るように魔法を強めたから、きっと王子さまはあの靴を頼りにシンデレラを探し出す。顔を見ればわかるもの、王子様ったらシンデレラに一目惚れね? そしてシンデレラも──あの子、恋する乙女の顔をしていたわ、可愛いったらもう。

 ふふ、と笑って、椅子から立ち上がった。

「ありがとうございました、神様。あの子があの生活から抜け出せるきっかけを作れただけで十分……あとはあの子が自分自身で幸せを作っていくことでしょう。もう何も思い残すことはありません」

 低いバイオリンの音が染み渡る。それは穏やかなようで、どこか不吉な気配を孕んでいた。音色に同調するように、私は笑顔を見せる。穏やかだけど、見たものを怯えさせるような昏い色を添えて。

「お慈悲は有り難く存じますが、私は天国へは参りません。仰ったでしょう? 心に曇りのない者こそ天国に相応しいと。……私はもう、相応しくないのです」

 私は知ってしまったのだから。生前は全覚えたことのない、この激情を。

 雷のような激しいフレーズが空気を切り裂いた。

「──憎いのです。あの子に不遇を強いたあの女もその娘たちも、その状況を許したかつての夫も! 叶うのならばこの手で引き裂いて、あの子の苦しみを何倍にもして返してやりたい!」

 こんな感情をもった者が、どうして天国になど行けましょう。

 ひとつ呼吸をして、またそっと微笑む。

「ですから私は地獄へと参ります。最後のお慈悲に心から感謝いたしますわ」

 飾り気のない白いワンピースの裾を掴み、目を伏せる。それからああ、と思い出したように顔をあげた。

「かつての夫も地獄にいるのでしょうね? あの子に不遇を許したのだもの。そしてあの女や姉たちも、死後は同じく? ……ええ、良かった、安心いたしました」

 それなら私も、安心して地獄に行けます。

 ごきげんようと笑顔を残し、私はスポットライトの外へ足を踏み出した。穏やかなのに不吉で不穏なメロディが後悔の欠片もないことを雄弁に語る。

 これで、良かったのだ。あの子に幸せになるチャンスをあげられたなら、それ以外は何もいらない。

 長く響いた最後の旋律が途切れたとき、二つのスポットライトが同時に消えた。

 

 *

 

「すっっっごい、良かった! 本当に面白かったよ柚希!」

 舞台が終わったあと楽屋に来てくれた梓は、開口一番にそう言った。ばっと私に飛びつき、両手を掴んでぶんぶんと振る。わりといつものことだったりする。

「それなら、良かった。来てくれてありがとう……安室さんも、ありがとうございました……」

「いえいえ。僕も本当に来てよかったです、とても面白かったですよ」

 簡単ですが差し入れです、と渡されたのはポアロの軽食だろうか。あとで皆で頂こうと笑顔でお礼を伝える。

「柚希のお芝居もすごかったけど羽賀さんの生演奏もすごかったね! 場面にも合ってたし、柚希との息もぴったりで!」

「それは嬉しいな」

 ひょいっと後ろから飛んできた声に、思わずびくっと肩を震わせた。あ、と梓も私の後ろを見て口を開けている。

「ごめん、驚かせた?」

「羽賀さん……お疲れ様です……」

「お疲れ。そちらが君の招待した?」

「は、い……」

「柚希の幼馴染の榎本梓です。今日はご招待いただいてありがとうございました」

「その付き添いの安室透と申します。本当に素晴らしい舞台でした」

 ありがとうと羽賀さんは私の隣で微笑んだ。

 何だかいつもより距離が近い気がして気づかれないように身体をそらすが、同じだけ彼が近づいたような。え、と瞬きをした私を見て、安室さんが苦笑して口を開く。

「ご心配なさらずとも僕は本当にただの付き添いです。梓さんの仕事の同僚でして、今日は梓さんがひとりにならないようにと誘っていただきました」

「おっと、そんなに顔に出てたかな?」

「いえ、佐倉さんが『いつもより距離が近いような……?』という顔をされていたので」

 くすりと笑いつつそう指摘され、顔が熱くなるのを感じた。ああそういうこと、と羽賀さんがずいっと私の顔を覗き込む。ついきゅっと唇に力が入った。

「安室くんと特別に親しいわけじゃないんだ?」

「お、お会いするの、今日で、二度目です……! は、羽賀さ、近い……!」

 ごめんね、と羽賀さんがすっと身を引き、思わず安堵の息をつく。

 そしてはっと気づいた。楽屋にいたスタッフの皆さんがにやにやしながらこちらを見ている。梓は目をキラキラさせているし、安室さんもにっこりといい笑顔だ。

「あ、あの……っ」

「はい撤収準備続けてー! 気持ちはわかるけど佐倉さん照れちゃうからねー!」

 スタッフさんの一人の声が飛んで、皆にやにや笑顔のまま「はーい」と返事をして作業に戻った。今のは完全にわざとだ。さらに顔が熱くなるのがわかる。

「は、羽賀さん……っ!」

「んー? ああそうだ佐倉さん、今日は打ち上げなしで解散だって」

「え……ないんですか……?」

 たいてい舞台の後には打ち上げがつきものだ。明日も公演が続くならともかく、今回は一回限りのお試し公演。明日は稽古も休みだし、てっきり打ち上げだと思っていた。もしくはスポンサー関係の接待も付き合わされるものと。

「スタッフさんたちは今日の公演の感想やアドバイスを急いでまとめて形にしないといけないし、お偉いさんたちの接待はプロデューサーが上手いことしてくれるって」

「じゃあ、私もスタッフさんたちの、お手伝いを……」

「いやいやそれはいーですよ佐倉さん」

「そうそう、こういうのは私たちの仕事!」

 近くにいたスタッフさんたちが軽く声をかけてくれるが、今日の公演では観客全員にアンケートを取っている。集計にはかなり手間がかかるはずだし、疲れているのは皆同じだ。やっぱり私も、と言おうとするとまた周囲から声が飛ぶ。

「ほら羽賀さん、誘い方が回りくどいから!」

「え……」

「ははは、そうだね、話す順番を間違えたよ。だから食事に誘われてくれないかなと思ってね。もちろん、榎本さんや安室くんも一緒に」

「え、私たちもいいんですか?」

「もちろん」

 さっと梓が食いついたのを見逃さず、羽賀さんは話を進めていく。頼みの綱の安室さんに目をやると、にっこりと微笑まれて「僕も是非」と乗っかってきた。

 別に食事が嫌なわけではないが、この空間に味方がいないことに愕然とする。安室さんすらも助けてくれるつもりはないらしい。

「佐倉さん、何が食べたい? 前はイタリアンだったね」

「う、あ、……なるべく、軽いもので……」

 とんとんと話が進んでいき、皆が乗り気となればもう白旗を上げるほかなく。

 こういうとき本当に自己主張が出来るようになりたいと思う。だが、少なくとも羽賀さんの前でそれをできた試しがなかった。

「じゃあ中華はどうかな、中華粥が美味しい店があるよ。安室くんなんかには物足りないかもしれないけど、がっつりしたメニューもあるところだから」

「お気遣いありがとうございます」

 にこにこと安室さんは羽賀さんと同じ笑顔をしている。

 ふと、実はこの二人って結構似てるところあるんじゃないだろうかと直感した。ひょっとして私は、出会わせてはいけない二人を出会わせてしまったのでは。そんなことをぐるぐると考えているうちに、結局私はいつも通り羽賀さんおすすめのお店に連行されるのだった。

 嫌ではないが釈然としない。

 

 *

 

 食事の間の話題は、ほとんど今日の舞台の感想だった。

 興奮気味の梓と、丁寧に感想を表現してくれる安室さんの言葉、どちらも演者としては貴重な意見だ。羽賀さんと一緒に、ふんふんと頷きながら話を聞く。

「えっあの鼻歌のところアドリブなの?」

「アドリブと言うか……ノリで……? まさか羽賀さんも合わせてくださるとは思わなかったけれど……」

「可愛い鼻歌だったから、ついね」

 またこの人はそういうことをサラリと。む、と黙る私を羽賀さんは楽しそうに眺めている。

「もしかして今日の舞台、結構アドリブ多かったんですか?」

 安室さんにそう言われて、思わず羽賀さんと顔を合わせる。

「……結構、脚本、無視しちゃいましたね……?」

「僕も結構フレーズ変えたかな。監督に怒られなくて良かったね」

 えっという顔で梓と安室さんは固まった。

 最初からかなり自由度の高い脚本だったので、今更と言えば今更なのだけれど。

「稽古より……ずっと動きやすくて……」

「うん、いい感じに展開できたね」

「羽賀さんのメロディは……とても演じやすかったです……」

「それなら良かった。僕も君の芝居を見ているといくつもフレーズが浮かんだよ」

 この分なら、今後も上手くいきそうだね。

 羽賀さんがそう言って微笑んでくれたのが嬉しくて、私も思わず口元が綻ぶ。

「……ああ、やっぱり」

「え?」

「君の笑顔は本当に可愛いね」

 数秒、沈黙が流れた。

 言われたことを理解した瞬間、ばっと顔が熱くなる。顔だけじゃない、耳も、首も。

「あ、あ、あの、わ、私、お手洗い、し、失礼します……っ」

「あっ柚希!」

 思わずポーチを手に席を立つと、梓が追いかけてくるのを背に感じた。

 

 *

 

「……行っちゃいましたね」

「行っちゃったね」

 恥ずかしさに堪え切れなくなったのだろう、佐倉さんは真っ赤な顔で席を立った。そのあまりの慌てぶりに念のためと思ったのか、ちょっと見てきますと一言残して梓さんもその背を追う。

「この隙に会計済ませちゃおうかな。安室くん、どうする?」

「では僕は自分の分と梓さんの分を持ちましょう」

「了解、そうしよう」

 平然と羽賀さんは店員を呼び止める。

 この様子からして、佐倉さんの行動は予測の範囲内というわけか。というより、照れるのを分かったうえで言葉を選んでいるのだろう。なるほど、確かに腹黒いし、確かに本気で佐倉さんを落とすつもりらしい。

「なかなか彼女は奢らせてくれないんだけど、今日くらいは大目に見てくれるだろ」

「ええ、ご本人も仰ってましたよ。食事の誘いを遠慮する理由をことごとく潰されているようだと」

「はは、やっぱり彼女は賢いね。……安室くん、本業は私立探偵だって言ったよね。もしかして僕は彼女にストーカーだと思われているのかな」

 一応気を付けてたんだけど、と苦笑する羽賀さんに、僕も笑顔を返した。

「ご心配なく。彼女から依頼を受けているわけではありません」

「そっか、それを聞いて安心したよ」

 本当に安心した様子の彼を見て、やはり本気なのだと改めて思う。先ほどの佐倉さんの様子を見ても、彼の努力が報われるのは時間の問題かもしれない。

「ところで、話は全然違うんだけど」

「何ですか?」

「これも何かの縁だ。君の名刺が欲しいんだけど、いいかな?」

 一瞬で羽賀さんの表情が変わった。

 先ほどまでの愛しい相手を想う表情は掻き消え、真剣な表情と声色が彼の本気を伝えてくる。探偵である僕の名刺を欲しがるということは、つまり。

「……ご依頼でも?」

 すっと名刺を彼に差し出し、短く尋ねた。

「……無茶を承知で、調べてほしいことがあるんだ。できれば改めて話をさせてくれないか。彼女たちに聞かせたい話じゃないしね」

「わかりました。いつでもそちらにご連絡ください」

 ありがとう、と羽賀さんは僕の名刺を大事そうにしまう。「本当の本業」は別にあるにしても、探偵業も行っていないわけではない。この流れで依頼を断るのも変な話だし、とりあえず話だけでも聞くことにしよう。正直なところ「無茶を承知」と言われて自前の負けず嫌いが発動したことは否定しない。

「ところで羽賀さん」

「ん? 何だい?」

「ここまで来たら聞くのも野暮ですが、佐倉さんには本気なんですよね?」

 梓さんも心配してたんですよ、と言葉を続けると、羽賀さんはまた笑顔に戻り、とろり瞳を溶かした。

「──本気だよ。彼女は僕の救い主で、唯一無二のミューズだからね」

 だから早く全部にケリをつけて、彼女に告白したいんだ。

 そう答えた羽賀さんの声に、嘘や迷いは感じられなかった。

 

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