ピアノの音で目が覚めた。
音楽に詳しくない私でも、この音はわかる。あの人が奏でる、ピアノの音だ。
ベッドの中でもぞりと寝がえりを打ち、ピアノの方に顔を向けた。やはりピアノを奏でていた彼は、いくらかフレーズを弾いては楽譜に書き込むのを繰り返している。
「……ああごめん、起こしたかい?」
「いえ……」
ピアノの音で起こされるのは嫌な気分じゃない。むしろ、彼が奏でる素敵な音で目が覚めるのは心地よかった。響輔さんはピアノの前に座ったまま、優しいまなざしをこちらに向けてくれる。
「響輔さんの、ピアノ……すきですから」
そう言うと彼は少し照れた顔をして嬉しいことを言ってくれるね、と微笑んだ。
お世辞でなく本心だった。音の違いはわからないけど、彼の奏でる音は心地いい。音楽に触れている時の彼の背中を見るのも好きだった。
「君といると、音楽が次から次へと溢れてきてね。……不思議なくらいだ」
「不思議、ですか……?」
「作曲家としてはとっても助かることなんだけどね」
でもどの音も幸せすぎて、気に入りすぎて、他に聴かせたくない。そうおどける彼にシーツにくるまったままふふ、と小さく笑う。
「よし、起こしてしまったお詫びに一曲弾こうか。そういえば柚希の好みは聞いたことなかったな、好きな曲とかあるかい?」
彼の生演奏を聴けるうえに、リクエストまで許されるなんて。何て贅沢なことだろうと思いつつ、好きな曲と聞いてぱっと思いついたものを口に出す。
「……きらきら星」
「……へえ」
「こ、子どもっぽいですが、……好き、なんです……」
「子どもっぽいだなんて。モーツァルトの名曲だよ、それじゃ軽く」
響輔さんの両手が鍵盤を踊る。音の粒がちらちらと降りそそぐ。軽やかで、可愛らしくて、あたたかくて、やさしい。音の粒はきらきらと輝き、本当に星のようだ。
輝いていた星々の音の雨が止むと、自然と拍手が零れ落ちる。響輔さんは改めて顔をこちらに向け、ちょっと意地悪そうに口元をゆがめた。
「ところで、知ってるかい? 柚希」
「え……?」
きらきら星って、もともとは可愛い恋の歌なんだよ。
そう楽しそうに言う響輔さんに一瞬きょとんとして、すぐにかっと頬が熱くなった。
「恋人に恋の歌をねだられるって、なかなかいいね」
響輔さんはそっと立ち上がり、ベッド脇に腰かける。真っ赤なままの私の頭をやさしくなでた。
「柚希の好きな曲ならもっと練習しようかな」
「ほ、んとに、もう……からかうの、やめてください……!」
「柚希が可愛いから、だめ」
愛し気なまなざしに堪え切れなくなって、私は頭からシーツをかぶる。くつくつと笑う彼の声に、ますます恥ずかしさがこみ上げた。
このとき、私はまだ知らなかった。
彼がピアノの演奏をリクエストされるたびに、決まってこの曲を選ぶことを。その理由を尋ねられると、笑顔で「妻が好きな曲だから」と惚気るようになるということを。
そんな幸せな未来が自分のもと訪れることを、まだ。
お付き合いありがとうございました。
始めて本にした物語なので、とても思い入れがあります。