※この作品はR-18です。

(仮題)サ終から始まる人間関係   作:御代川辰

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No.00-1.6B 小休憩

 夢精(むしょう)によって汚(よご)れた体を清め、風呂を出てから少し時間が経(た)ち、時計が指す時刻は午後3時。日嗣(ひつぎ)は今(いま)、遅い昼餉(ひるげ)を終えて胎場(やどりば)を設置してある部屋におり、やはり薄暗い中で本体の掃除をしていた。

 

 今日この日になるまでのおよそ3ヶ月もの間、全(まった)く見向きもしていなかったため、部屋中そこかしこにたまった埃(ほこり)を少し被(かぶ)っている。それを水で濡(ぬ)らした布巾で丁寧に拭(ふ)きながら、つい数時間前の出来事を思い出す。

 

「…………みんな、元気そうでよかった」

 

 ギルドホームにして自分の城である《磯城心安(しきうらやすの)明津大殿宮(あきつおおとのみや)》。その場所はその存在を奪(うば)われることも失うこともなく、未(いま)だに完璧な形で健在していた。

 

 そしてギルド《やまとまほろば》のメンバーたち。形だけの仲間として薄っぺらい名簿に名を列(つら)ねる50名全員が、ただの一人として欠けることなくあの場で自分を信じて帰りを待ってくれていた。

 

 今(いま)胸中に広がるのは、疑(うたが)いようのない純粋な嬉(うれ)しさである。実に喜(よろこ)ばしいこと果てしなく、実に幸(さいわ)いなること限りない、至福の感情が心中(しんちゅう)の一切を満たし尽くし、日嗣(ひつぎ)の心中(しんちゅう)を明々(あかあか)と照らしている。

 

(特にカヤメ…………違う、茅芽(かやめ)ちゃんには改(あらた)めて感謝しなくちゃ……)

 

 感謝と言うのは何も童貞卒業の相手という意味ではなく、現実で自分が生きていたことを認知し、それを周知してくれたこと。EVSON-THWOEのプレイヤーの中に現実世界で面識のある人物など一人としておらず、外見をほとんど変えていないとはいえ一目見ただけでは同一人物だと気付けないほどに、ゲームの眞穹(まそら)と現実の日嗣(ひつぎ)とでは纏(まと)っている雰囲気が全(まった)く違う。

 

 今(いま)ここで棺(ひつぎ)のような形をしたゲーム機を掃除している日嗣(ひつぎ)は、顔から腰にかけての上半身に多くの痣(あざ)と傷痕(きずあと)が残(のこ)る幸(さち)の薄(うす)い印象で、平均的な身長である割には細すぎる体型である。

 

 更(さら)に中性的という言葉すら無関係な女顔(おんながお)に、目元の隈や血色の悪(わる)く弱々しい陰鬱な表情も重(かさ)なり、完全にDVの被害者そのものな容姿をしている。

 

 ゲーム中ではアバターのキャラメイク機能で容姿を設定できるため、外観をそのままに顔回りの肌色を変え、全身の傷・痣(あざ)を消して一応は健康な見た目にしているため、現実・ゲームの両者が上(・)半(・)身(・)裸(・)で並んで立てば当然違いはすぐに分かる。

 

「よし……次は部屋全体の掃除っと」

 

 手を上に上げて背中を伸ばし、凝(こ)った体が少し軟(やわ)らかくなるのを確(たし)かめると、埃(ほこり)まみれの布巾を水入りのバケツに放(ほう)りこんだ。

 ぽちゃん、という音が部屋に広がると、日嗣(ひつぎ)の目の力(ちから)が弱まり、項垂(うなだ)れてその場に座り込む。

 

(…………寂(さび)しい……)

 

 隣(となり)に置かれている胎場(やどりば)の蓋(ふた)を軽く撫でながら、寂(さび)しさ、哀(かな)しさを背負ったような目付きで少し欠伸(あくび)をし、再(ふたた)び立ち上がる。

 

(やっぱり、あの世界は……)

 

 汚(よご)れきった水が湛(たた)えられたバケツを片手で持ち、肩と腕を震(ふる)わせてよろけながら部屋の扉(とびら)を開(ひら)く。日当たりのいい南側の窓から入(はい)る暖(あたた)かな日光が照らす廊下は、むき出しの床板をきらきらと輝(かが)かせて眩(まぶ)しくも感じる。

 

(ESOは……なくさないで欲しいな……)

 

 しかし、日光の温(ぬく)もりに身を包まれてなおその表情には悲哀が宿っている。それこそ光あるところに影あり、己(おのれ)こそ不幸なる者と言わんばかりの暗い目で、埃(ほこり)で濁(にご)りきったバケツの水を見下ろしている。

 

 思い出、憩(いこ)い、自由、冒険、友情など、少なくとも日嗣(ひつぎ)という男が現実(リアル)の世界で得られないものの多くは、EVSON-THWOEというゲームを通じて手に入れていた。

 

 元を辿(たど)れば「周囲の人間がもたらす理不尽から逃(のが)れ、安全に過ごせる場所が欲しい」という安直な理由から始めたが、すぐゲームの素晴らしさに感化されて暇(ひま)さえあれば没頭するようになって行き、現在に至る。

 

 このゲームが永久に失われることを惜しみ恐れているのも、ただの逃げ場、ストレスの捌け口とするつもりであったのが、ゲームの楽しさに心(こころ)を奪(うば)われたから。そして14年にもなる長い時間で得たものが、かけがえのない宝であることに気付いたからだ。

 

(……僕もまだまだ子供だな)

 

 顔を横に振って意識を向(む)ける方角を変えると、床に下ろしていたバケツの持ち手を握りなおし、階段を下りて風呂場へと向(む)かった。

 

 

 

 

 

 時間が経過し、すっかり日が沈み、弓形(ゆみなり)の細い朔月(さくづき)が南の空の頂(いただき)に昇る頃。夕食と入浴を終えてパジャマに着替えた日嗣(ひつぎ)は、昨日(きのう)書き損(そこ)ねた小説に文章を書き綴(つづ)っている。

 

 素人(しろうと)なりに推敲を重(かさ)ね、手元にある辞書にも頼(たよ)りつつ、ひたすら文章を創作している様は、試験に向(む)けて必死にノートに向(む)かう学生とはまた違う印象だ。

 

 そして、推敲の結果できた最後の一文が以下のものである。

 

 “八千代(やちよ)八千歳(やちとせ)の悠(はる)かなる刻(とき)、其(そ)の千万(ちよろず)の御霊(みたま)安(やす)んずるべし。然(さ)れば御主(みぬし)の御力(おちから)の原(もと)成(な)りて、此(こ)れ御神(みかみ)の御意(みこころ)に候(さぶら)うぞ”。

 

「……ダメだ……やっぱり古文は難(むずか)しいや」

 

 誰が読んでも文章として成立していないと分かる出来であるが、もう修正や添削をする気力は残(のこ)っていない。溜め息を一つ、大きく長く諦(あきら)めたように息を吐(は)き、タブレット端末の画面を操作する。

 

「最終話投稿完了っと……」

 

 画面の表示を確認し、端末の電源を切って机に置き、寝室出入口にある電灯のスイッチを切り、一階の全ての部屋の電灯が明かりを灯(とも)していないことを確(たし)かめると、階段を上がって胎場(やどりば)を置いている部屋へと足を進める。

 

 今朝(けさ)とは違い、ついさっきまでの落胆した様子とは違い、その足取りは軽(かる)い。当たり前だ。仲間たちと会えた。仲間が皆己(おのれ)のわがままを赦(ゆる)してくれた。誰一人として己(おのれ)を見限らずにあの《殿宮(とのみや)》で帰りを待っていてくれた。

 

 彼らとまた会えるのが、会って話(はなし)をすることができるのが嬉(うれ)しいのだ。もう、ただの一つとして不安などない。

 

(待ってて。すぐに会いに行くから)

 

 日嗣(ひつぎ)は少し勢(いきお)いをつけ、部屋の扉(とびら)を開(ひら)く。仮想(バーチャル)の世界ではあるが、自分の人生の支(ささ)えであったゲームの、その最後の瞬間を、最後の時間を、永遠の決別を、仲間たちと共有するために。

 

 深呼吸とともに、開(あ)けた扉(とびら)を閉(し)める。バタンという音だけが、遮(さえぎ)るものない月明かりが照らす廊下へ響(ひび)く。

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