日嗣と茅芽が連絡先の交換をしたのは昨日の夜、《磯城心安明津大殿宮》での《やまとまほろば》の宴の席でのこと。
ゲームの中でメモをしても現実の世界には持ってこれないのだが、連絡先の一切を奇跡的に記憶していたために今のような連絡ができている。文明の利器の恩恵とは少し違うが、この携帯電話には感謝しなければなるまい。
(……10時ちょうど。待ち合わせ場所は須平駅の駅喫茶の入り口)
腕時計を見て時刻を確かめた後、まだ人の多い駅前の通りを早足で渡り、駅舎の中へと駆け込んで駅内の喫茶店へと急ぐ様には誰も見向きもしない。そのまま靴音や話し声、音声案内の喧騒が響く駅舎の中を走り抜けること数十秒。
天井近くの壁に書き連ねられた多数の看板の中のひとつに、《Coffee And Liqueur AGUOTH》という洒落たカフェテリアの看板が見え、その入り口で手を振る二人の男女の姿もある。
茶髪の少女は言わずもがな新笠茅芽であり、彼女の隣に立つ同じ髪色で、なぜか仏頂面の青年は【軽川旦至】。ワイシャツとデニムのエプロンという服装からも分かる通り、あのAGUOTHという喫茶店のスタッフであるようだ。
自然な微笑みを浮かべ、同じように手を振りながら彼らの元へ歩み寄れば、旦至は仏頂面を少し和らげて同じように微笑む。
直接面識はなくとも、茅芽ととても親しげにしていてその近くに見覚えのある言葉があるのであれば、警戒心が解けるのは普通のこと。プレイヤーとしての名の由来は、プレイヤー自身の勤務先の名前だったと言うことだ。
「現実で会うのは初めてですね。こんばんは、日嗣さん」
旦至は軽く会釈をし、短めに切り揃えた茶髪を片手で整えながら挨拶する。
「うん。はじめまして」
日嗣もお辞儀をしながら挨拶を返し、彼に視線を向ける。しかしすぐに茅芽も旦至に短く礼を伝えると、待ちきれないとばかりに日嗣の手を引っ張って昇降場へと急ぎ駆け出す。
旦至はその様子を楽しげに眺め、二人の後ろ姿が見えなくなるまで駅舎の通路に立ち止まり、その後閉店作業を再開する。彼以外のスタッフはほぼ全員が帰宅を終えているようで、カウンターの中では喫茶店の店主らしき老齢の男が戸棚やコースターの清掃作業をし、もう一人のポニーテール状に髪を結ぶ年若い女性は客席のテーブルや椅子を布巾で拭いている。
閉店作業を続ける二人に挨拶をしながらワイシャツの袖を捲り、そのまま迷いなく厨房を目指して足を進める。そしてカーテンを潜り抜けて調理場の掃除を始めようと、掃除用具入れの取っ手に手をかけたその時に店主から声をかけられた。
「今女の子に連れて行かれた男もお前の友達か?」
箒と塵取りを手に後ろを振り返ると、厨房とカウンターを隔てる覗き窓越しに、穏やかな笑みを浮かべる店主と女性従業員の顔が見える。
旦至は先ほどまでの笑顔を苦笑いの表情に変え、無言のままごまかすように掃除を始める。もちろん目は口ほどに物を言うのことわざ通り、二人の視線から発せられる圧は重苦しく彼にのし掛かってくるので、箒を掃く手には力がない。
別に話をしながらでも掃除は進められるのだが、噂話のような乗りで日嗣と茅芽の関係を他人に告げ口できるほど口が軽いという訳でもないし、かと言ってこの場の二人に睨まれたままでは掃除に集中できない。
(あんたがたには変な噂を広められたら困るんですよ……)
だがここで二人の関係にせよ、二人との関係にせよ、どちらかを下手に口外してしまえばあることないことを詳細を何も知らない客にくっ喋る可能性があり、そこから尾鰭羽鰭がついてめちゃくちゃになってしまうかも知れない、と身を震わせる。
とにかく何がなんでも、このカフェテリアの店主である老人とその孫娘からの質問に答える訳にはいかないのだ。
「「じ~」」
思いの外口の堅い様子の旦至にとうとう業を煮やしたようで、二人して自分の口で効果音を発し始める。対して旦至も精神的圧が更に数倍増しとなり、後ろから角を生やした二人がゆっくりと迫って来る幻覚まで見え始めている。
ここまで来ればもう逃れようがなく、完全にお手上げである。観念したように溜め息を吐き、片手間に掃除を続けながら詳細の説明を始めた。
「あの人は日嗣さんって言うんですけど、私の年上の友達なんです」
店主と孫娘は「「おお~」」と同時に口を開ける。
旦至は興味津々な二人に呆れつつ、日嗣と茅芽について語るのであった。
アグオスこと旦至が勤務先の上司二人による質問責めに遭っている頃、日嗣と茅芽の二人は客数の少ない夜の電車の座席で寄り添い合うように座っていた。出発時刻はとうに過ぎて電車は動き出しており、二人の自宅がある町に位置する駅まではまだ1時間程度かかる。
普段の電車での往来は到着まで待つ時間が退屈であるのだが、今回は恋人どうし二人一緒であり、寂しくもつまらなくもない。互いの体温を確かめ合うようにひしと身を寄せ合い、手を確と握って電車の揺れに身を任せ、二人の心を満たしている。
(現実だと不自然だけど……本当に綺麗な髪……)
日嗣の肩に寄りかかりうっとりとした様子で彼の横顔を見つめる茅芽は、艶がなく傷みの目立つ黒髪の房と透き通った白髪の房が交じる独特な髪に感動を覚えており、知らず知らずのうちに頬を紅潮させて息も荒くしていた。
彼の髪を指で梳かしてみたいという抗い難い衝動に耐えつつ、少しを身を離して肩から上の部分を観察していく。
(……良いにおいもする)
睡眠時間が短く食事量も少なく、長時間の勤務で疲れとストレスも溜め込んでいるであろうにも関わらず、せめて衛生状態は保とうと努めていることが感じられる。
くたびれてはいるが汚れのない服、色白で血の気は少ないが温かな体、頼りない女性的な目鼻立ちだが愛嬌のある顔。相手がその人であるという理由だけで、その全てが魅力的に見えるのはまさしく恋の魔法と呼ぶべきであろうか。
茅芽は電車の窓に写る自分の目と、窓から夜空を見つていめる日嗣の目が合うのを確かめる。彼が窓を介して自分の顔に向けられる気付き、少し微笑みを浮かべるのを見るや否や、嬉しそうに頷き少し離れていた腰どうしをもう一度くっつけるようにして姿勢を正す。
「…………好きです」
そのまま肩を寄せて腕を抱きしめ、自らの柔らかな頬を日嗣の肩に擦り付けるような動きをし始める。これに対し面倒な子供を見るような困り顔で、だが嬉しさを隠さない笑顔で彼女を見つめつつ頭を撫で、自分の髪とは違い傷みのない滑らかな茶髪に指を通す。
「僕も好きだよ」
走る電車に揺られ、繊月の浮かぶ夜空に見守られながら、二人は人の目などないかのように寄り添っている。
この和やかな雰囲気に包まれた時間は、もう暫く続くことだろう。