夜中の帰りの電車に揺られながら互いの温もりを確かめ合うように身を寄せ合い、過ぎ去る短い時間と走り去る夜の景色に、互いの心境に刹那の思いを馳せつつ二人だけの空間を共有する日嗣と茅芽。
二人は今確かに恋人として、互いを敬い愛する者どうしとしてこの場におり、二人の男女としての関わりを、性別の異なる者どうしとしての秘め事を持つ一組一対の存在として並び、ここにいる。
自然かつ平和な佇まいは絶妙に幸福感が充足しているような雰囲気を醸し出しており、斜向かいの席で向かい合うように座っていた若いカップルも真似をして、向かって手前の席に座っていた男が女の隣に座り直す。
その様子を見ていた茅芽は、緊張からか未だに自分の頭を撫でながら窓の外を眺める日嗣の腕に、自分の腕を絡ませてきゅっと抱き締める。
(……どうしよう……こっち見てる……)
茅芽はちらりとこちらに向けられる斜向かいの二人からの視線に少し体を震わせ、未知の場所に怯える子供のように目蓋をきつく瞑り、日嗣の腕を抱き締める力をより強くして、「この人は私の男性」であること、同時に「私はこの男性の恋人」であることをアピールするように身体をぴっとりと付ける。
これはちょうど昨日の昼時のように、二の腕に当たる彼女の胸の柔らかな感触が隣に座る彼に伝わっていることに他ならない。日嗣は窓に向けていた目線をまず正面に移すと、正面には誰もいないことを確めると隣に座る想い人へと戻す。
しかし日嗣には彼女の行動が理解できない。何かを恐れての行動であることは分かるが、特に怪しい素振りを見せる乗客がいる訳でもなく、分かりやすい過剰反応であることもあって気にすることでもないと判断し、掴まれていない手で軽く頭を撫でると、再び外の月へと目を向ける。
「……日嗣さん」
抱き締められる腕にかかる圧力が更に増し、また決して大きくない自分の掌がきゅっと温かい手で握られたことで、手のかかる子供のようだと頬を緩めてしまう。
もう一度茅芽の居る場所、とは言ってもすぐ隣の席に目を向けると、彼女はまた潤んだ瞳で自分を見上げている。腰を浮かせているのか顔は息がかかるほどに近付いていて、今にも額と唇が直に触れてしまいそうで、艶のある表情をしていることもあって思わず顔全体を朱色に染めて動きを固めた。
一方の斜向かいの席に腰を据えて日嗣と茅芽を見守る男女は、二人がまるっきり初な態度で大胆な行いをしている事実に失笑しており、どうやら人前で似たような事をした経験が少なからずあると見える。
「……茅芽ちゃん、顔近い……」
一筋の汗が喉を流れ伝う極度の緊張の中、小さく震えた声でこの一言を絞り出し、体を離すよう促す。しかし茅芽は聞く耳を持たず、心の奥底からせり上がる衝動に任せて日嗣の頭に手を回し、互いの身に距離を置くように告げる口を塞ぐように力強い口吸いを仕掛ける。
驚いて再び動きが止まる日嗣に構わず、そのまま抱きついて口吸いを続けるのは、誰かに馬鹿にされたら女としての負けだと自分に言い聞かせた結果であり、何も車内の利用客たちに見せ付けるためのパフォーマンスという意図があるわけではない。
彼女の行動にはさしもの男女二人組も少し動揺しているようで、小動物にも似たおとなしい印象とは裏腹に積極性のある行動を見せるとは予想できなかったのだろう。日嗣は人前ということもあり何とか身を離そうとするが、茅芽はどれだけ強く押し返されてもしっかりと抱き付き、口吸いをやめようとしない。
見れば二人揃って心身の昂りで頭に血が昇り、羞恥のあまり顔に火が着いたように真っ赤になっているものの、その様相は両者で全く異なっている。
日嗣は何とか口吸いをやめさせようと確と肩を摑んで唇を離そうとし、対して茅芽は引き離されまいと更に強く体を抱きしめ、より深く舌を捩じ込んで口吸いを続けており、それは瞬き一つの間に激しくなりつつある。
(……ちょっとからかっただけですげー強情なとこ見せるな……)
斜向かいの席のカップルのうち男の方は、すぐに落ち着きを取り戻して余裕のある笑みを浮かべながら、自分たちに見せつけるように夢中で口吸いを続ける二人を見守り続けており、女の方は力ずくで離れようと暴れる日嗣と、逃すまいと抱き締める力を増し続ける茅芽に魅入ったかのように、驚愕に満ちた表情のまま釘付けになっている。
茅芽と日嗣の人目も憚からない豪胆な口吸いは、始まってから既に10分程度が経過しており、次の停車駅を知らせる音声案内が流れたことでやっと止まった。
日嗣は長く口を塞がれていたことで呼吸困難に陥ったようで、息使いは荒く意識も朦朧としている。さすがの茅芽もやり過ぎたことには自覚があるようで、呼吸を整える彼の背中を優しく撫でつつ、顔全体を朱色に染めたまま電車のドアへと視線を向けて乗る者がいないかを確認していく。
一通り客車内を見回し、乗り降りする客の姿がないことを確かめると、ほっと息を吐いて落ち着きを取り戻した日嗣に寄りかかり、再び甘えるように頬擦りをし、離れようとしない。
「……もう……」
日嗣は自分に甘える恋人の様子に呆れたように、苦笑いを浮かべたまま頭を撫でながら、斜向かいのカップルに向けて軽く会釈をし、また窓の外に視線を戻して月を眺め始める。
今夜からの帰宅の時間は、いろいろと考え事が減りそうだと笑いながら。
「……と、まあなんと言うか……」
その頃、最終電車の一つ前の電車が出発してすっかり利用客も居なくなった駅から、電話越しに誰かと談笑する旦至が出て来る。
カフェテリアの店長とその孫に長時間に渡って拘束されていた割には随分と機嫌が良く、顔色には疲れも見えない。
「本当に良いカップルって感じです」
現実で初めて顔を合わせた日嗣と茅芽の率直な印象を口にすれば、電話の相手もくすくすと笑いながら肯定の意を示す。
『当たり前じゃろ?みんな予想はしてたけんな』
そして、声の主の話す言葉は広島方言である。己もまた分かりきったこととばかりに、旦至は月の照らす夜空に向けて手をかざし、からかうように一言。
「じゃ、今後とも宜しく頼みますよ。安藤教授」
プレイヤーネーム摩訶魂GUN.D、本名【安藤耕一】は旦至の挨拶にはさすがに参ったらしく、受話器越しに苦笑いを浮かべつつやんわりと答える。
それはどうしようもなく腕白で、同時に途方もなく幼気な悪戯坊主を相手にしているかのような、言い聞かせるような声で。
『えっとは御免被りたいがのお……まあ、ほどほどにな』