視点は暫し日嗣から外れ、また時間も進んで翌午前六時頃の郊外。寒空の下に広がる集合住宅の一室で、一組の男女が寄り添って眠っている。その二人は夕べの電車で日嗣と茅芽の斜向かいの席に座っていた人物たちである。
男は【文谷吉徽】、女は【文谷紅】。どちらもつい先日サービスを終了した〖EVSON-THWOE〗でのギルド、《やまとまほろば》に所属していたプレイヤーであり、吉徽はきりたんぽ、紅は兎鹿呉藍という名前で参加していた。
同一人物である事から当然と言うべきか、若者をからかう癖は現実でも健在であるようで、昨日の帰宅途中の電車の席で茅芽と日嗣のキスを眺めていた時も、付き合い立ての二人の初っぷりを楽しんでいたのである。
この他人が羞恥する姿を見て愉悦する性分は本人たちの性生活にもよく表れており、事実二人はEVSON-THWOEに戻って来たばかりの日嗣の目の前で性交渉をしようとしていたし、夕べもベッドが軋んでマットが歪みそうになるほどに激しく交わって現在に至る。
それも、隣部屋に思春期真っ只中の息子が居るのも構わず、一晩中に渡って繰り返しているのだから驚きだ。
「……雪か……」
ダブルベッドの部屋側に寝転がる吉徽はもう目を覚ましており、カーテンがずれた窓の外を見つめながらぽつりと呟く。空は分厚く積もった黒い雪雲に覆われ、しんしんと静かに地上に落ちる雪と相まって薄暗い様相を醸し出している。
とは言え部屋の中は当然ながら暖かく、ふと隣に目を向ければ、紅も静かに寝息を立てながら自分の腕に抱きついている。
もう少し寝ていようと布団を被り、目線を窓から我が妻紅に向けると同時に勢いよく扉が開けられた。
何事かと視線を音の聞こえた方へ向ければ、寝不足らしく目の下に真っ黒な隈を作った中高生程度の年頃の少年が仁王立ちしている。
「昨晩は随分お楽しみでしたね……」
少年は暢気に眠る母とやれやれと苦笑いを浮かべる父を睨み付けつつ、まだ筋肉の薄い体格の割にドスの効いた不機嫌極まる調子の声で迫る。ボサボサと言うべき髪の傷み具合も相まって鬼のようにも見える。
そして少年はその口からやれ一睡もできなかっただの時間帯を考えろだのとぐちぐちと小言を垂れ流し始める。だが吉徽は特に悪びれる訳でもなく言い訳をする。
「まあまあ落ち着けって【憲拡】。友達が彼氏彼女の関係になったから……」
「少し嫉妬したからだ」と続けようとすると、息子憲拡は今まで聞いたこともないほどに大きな声を響かせて怒鳴り着けてきた。
先ほどまでぐっすりと寝ていた紅も驚きのあまり飛び起きているが、吉徽は気付かず憲拡も遠慮はしない。
「お祝い代わりってか!?安い理由だなオイ!」
行き場のない怒りと不安定な精神状態に心身を任せ、これ以上ないほどの怒涛で再び文句を叫び始め、気付けば紅と口論になり……と、下らない理由から始まった親子喧嘩が暫く続き、それが終わる頃には時計の針は午前7時を示していた。
また時間を進めること同じ日の午後12時30分頃、場面はどこかの高等学校の教室。寝不足と今朝の一件が重なり、酷くイライラした様子でサンドイッチにかぶりつく憲拡を傍目に、【桐ヶ谷和人】は冷や汗交じりに苦笑いを浮かべながら言う。
「何と言うか……お盛んな親を持つと大変だな」
二人は同学年の同級生であり、EVSON-THWOEでは同じギルドに所属していて、また憲拡は和人にはいろいろと世話をかけているという、俗に言う腐れ縁である。
和人自身、恋人である明日菜との性交渉は何度か経験している身であるが、憲拡の両親ほど激しく行為をするようなことはしていないため、ぐちぐちと愚痴を駄弁る彼に対する答えも上のような「他人事」。
しかし両親の過激な性交渉に伴う騒音で睡眠時間が削られるのは死活問題であるため、憲拡にしてみれば誰かに相談するのは当然と言えよう。だが説得するにしても和人と二人だけでは心細く、今朝の親子喧嘩のような事態も起こりうる。
というわけで和人の不謹慎な発言に眉を顰めつつ、お前に言われたくないという趣旨の罵語を吐き捨て、後ろを向いた。
「會田先生よぉ」
そして次なる白羽の矢の的として視線を向けたのは、たまたま後ろを通りかかった【會田秋夫】。憲拡の両親である吉徽と紅がEVSON-THWOE内で所属していたギルド、《やまとまほろば》のメンバーであり、春夏秋冬というアバターでプレイしていた古参である。
しかし教え子に声をかけられて驚き、「どわっ!」という情けない声と共に転倒するというドジっぷりは現実でも健在であり、現実での彼の姿と仮想での秋冬の実態は見事にリンクしていると言えよう。
「何だよ急に!」
床にばらまいてしまった大量の印刷書類を慌ててかき集めながら、秋夫は憲拡を睨む。ただでさえ忙しい時間だと言うのに面倒事に巻き込まれるのは、過去に自分のドジが起こした問題や一昨日の一件を鑑みずとも御免被りたい所存らしい。
しかしこの場からさっさと離れるべく先ほど落としたプリントを集めて整えるのを、憲拡は実に面倒臭そうに手伝いながら続ける。
「一つ相談に乗って欲しいんだがよ」
憲拡は遠慮の欠片もなく単刀直入に一言を投げ掛け、和人は傲岸不遜にも程がある態度に呆れを隠すことなく、彼の頭をひっ叩きながら秋夫に謝罪を述べる。
「すみません!いつも注意するんですけど……」
いつも注意をしていても一向に態度が治らないのでは話にならない、と内心で愚痴を吐きつつプリントを集め直し、溜め息と共に立ち上がって二人へと視線を向ける。
無論、怒りの感情を隠していられるような状態ではないため、目は少しばかりつり上がっているが。
「人にものを頼む態度じゃねーな」
と、職員室へと急ぐのを妨げるように、憲拡は仁王立ちしてまた一言。
「話くらい聞けよ」
しかし秋夫は立ち上がると同時にいそいそと歩き出し、不機嫌な心境を隠しつつ背を向けたまま答える。
「放課後になったらな」
そして、ずかずかとその場を後にした。