結局教員たちの作業は恐ろしく長引き、憲拡と秋夫が二者面談に漕ぎ着けたのは、時間延長をしている部活動の部員と顧問を除くほぼ全ての関係者が帰宅し、下校時間すらもとうに過ぎた夕方5時頃になってからの事。
雪こそ降っていないものの、濃い灰色の曇空を窓から臨む教室に二人の姿はあり、その中の二つの席に座って互いに向かい合い、また決して穏やかではない気配を放っており、それは表情を見ずとも伝わって来るほどに強い。
とどのつまり、両者は真剣なのである。そして、十分以上にわたる睨み合いと沈黙を破り、まず切り出したのは秋夫であった。憲拡は背筋をぴんと伸ばし、改めて視線を向かいの席にいる男へと定める。
「きり……親御さんについて相談があるんだったな」
思わずきりたんぽと呉藍の名を出そうとしたところを咳払いでごまかし、目線を合わせて言葉を訂正する。憲拡はESOでの関係から抜けきれていない様子の秋夫に内心溜め息を吐くが、相談相手にあまり非礼な事は言うまいと昼休憩時の彼に対する言動を棚に上げつつ頷いて答える。
「単刀直入なんだけどさ、ウチの両親の説得手伝ってくれよ」
一応だがこの話の本題ではある。論この頼みだけでは内容は分からないのだが、この場にいる人間二人のうち一方は当事者であり、もう一方は当事者の身の周りの人物について把握している。
当然ながら両者はその人物らの人となりまで知っているため、秋夫は何故憲拡が自分に相談を持ち掛けたのかを、薄々ながら感づいていた。
「ホントに単刀直入だなオイ……」
はあ、と大きく息を吐きつつ両手で頭を抱え、その夫婦の情報を整理する。一人は恐ろしく欲望に忠実で、人前であろうと他人に対してであろうと躊躇いなく色事に及ぼうとする紅。
一人は紅のストッパーのような立場に見せかけ、人目に付かない場所であればいつでも彼女と情事に耽ようとする吉徽。
彼らはEVSON-THWOEサービス開始当初からの古参プレイヤーであり、現実での友人や同期のプレイヤーたちからも色ボケ夫婦として知られており、それが現実世界でも同じように振る舞っていると知った時には心底驚いたものだ。だが、二人のそれが周囲に及ぼしている精神的損害も凄まじく、その被害者の筆頭が目の前の憲拡という少年である。
ただでさえ色欲の塊のような二人を御するのは骨が折れると言うのに、日嗣がログインしていなかった三ヶ月の間は事ある毎に二人きりでどこかへ赴こうとする事が多々あり、ひどいと目の前で本当に性交渉をする事さえあったのだから、できれば思い出したくもない。
しかし、一生徒にここまで真剣に、それも自らと仲間たちも抱えていた悩みで「相談に乗って欲しい」と言われれば、たとえ向き合いたくない物事であろうと、教育者としても人間としても、何より友人としても、“嫌だから応じない”という無責任な選択をする訳にはいくまい。
「まァ分かった」
理解し切っている事情の愚痴を延々と聞かされても、何も面白くはない。うんざりした態度で掌を向け、憲拡の口から次から次へと吐き出される言葉に歯止めをかける。
「知り合い一人連れて同行してやっから」
ついさっきまでの態度はどこへ行ったのか、何の飾りっけもなくそう呟くや否や、早速その知り合いと思われる人物に連絡しようと、今やどこで誰が使っているのかすらも興味を持たれないほどに目にしなくなったフィーチャーフォンを鞄から取り出した。
(……一世紀も前の遺物じゃねーか…………)
憲拡は驚きを通り越して呆れた表情で見つめるが、秋夫は特に気にする様子もなく電話を開く。
開かれた携帯電話の上にはやはり電話画面があり、そして下には十字キーに囲まれた決定キー、数字五十音キーなどが規則正しく嵌め込まれており、その中で受話器のマークが描かれたキーに指がかけられている。
当然そのキーを押せば電話帳が現れ、十字キーを押せば三角印の頂点部分の方向にあわせて画面上の黒い部分が移動する。そして、その黒いアイコンが一つの文字列に到達した時、決定キーを押すと【佐々木安馬】という誰かの氏名と電話番号が表示された。
もちろん、秋夫のその親指に遠慮はない。照明が中を照らし、再び雪を降らせ始めた外の景色が見える教室に、無機質な呼び出し音が暫く鳴り響き────
『────ああ、久しぶり』
そしてその人物は、電話のスピーカー越しに、それはもう低音で単調な声色で、返答を放つ。
佐々木安馬。EVSON-THWOEでのプレイヤーネームはユングヴィと言い、北欧神話に現れるヴァナ神族の長、フレイの本名に由来している。
安馬本人は秋夫との文通で「中学時代に構想していて没にした漫画の設定資料からそのまま流用した事をメンバーに明かした時は、心臓が張り裂けそうなほど恥ずかしかった」と語っていた。しかしこれは中二病が抜け切っていなかったと言うよりは、なんとなくでアバター名に選んだだけではないかと考察できるからなんとも言えないが。
「おう。急で悪いけど、今暇か?」
ともかく両者は親しい間柄と言うこともあり、そこからは流れるように話が進み始める。秋夫が一言「暇なのか」と問えば、
『空いてるぞ』
と、余裕のある答えが即座に返って来る。ならばとばかりに要件の詳細を残さず伝えれば、彼は特に声色を変える事もなく二つ返事で了解し、すぐさま文谷家に出向く旨の返答が電話口から聞こえた。
そして一通り話を進めると、短く謝辞を口にして頭から電話を離し、ぱたりと閉じ、閉じた電話を手に持ったまま一言告げる。
「これでアポは取れた」
再度鞄の口を開き、携帯電話を片付けつつ憲拡を見遣れば、彼はほんの2、3分程度で同行を話を取り付けてしまったのを見て、信じられないとばかりに目を丸くしている。
対して秋夫はと言うと、既に鞄を手に持って椅子から立ち上がり、教室を出ようと出入口に向かっている。
「さっさとお前ん家に行くぞ」
振り返ると同時に告げられた一言ではっとした表情になり、自らも鞄を取って立ち上がった。窓から見える雪は本降り、教室内の時計が示す時刻は午後5時30分、今校舎内の廊下を歩く人影は二つ。
日付は、11月27日。