※この作品はR-18です。

(仮題)サ終から始まる人間関係   作:御代川辰

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No.00-1.1A 鬱

 ここは“無人駅”という言葉で表(あらわ)される通り、全くと言っていいほどに人の気配(けはい)の感じられない駅。その待合室の壁際に佇む振り子時計は、現在の時刻である午後10時30分を示(しめ)している。

 

 駅の待合室の天井にあるのは、長年に渡って交換もされず使い古されたことでフィラメントが弱り、その劣化具合を表すように不規則に点滅する電灯。改札への出入口にあるのは、やはり手入れらしい手入れもなく、日に焼け、破られて、虫に食われた跡が目立つ本ばかりが無造作に並ぶ小さな棚。

 

 そして何より、天井にも窓にも本棚にも軒下に至るまで、あらゆる場所にクモの巣が張り巡らされたこの待合室そのものが、この駅がいかに老朽化し、寂(さび)れているのかを見せつけている。

 だがこの駅を利用する者がいない訳でもない。

 

「……はぁ……」

 

 待合室の中心に置かれた背もたれのないベンチに、ちょうど昇降場(しょうこうば)と昇降場に停(と)まる電車に背を向けて俯(うつむ)いた姿勢で座り、憂鬱(ゆううつ)と哀愁(あいしゅう)に満ちた心中(しんちゅう)を纏(まと)っているかのような態度のこの男が、今日最後にこの駅を利用する客だ。

 

 彼……【磐櫻(いわざくら)日嗣(ひつぎ)】は何かしらの思案に耽(ふけ)っているようだが、不意に痛みが走るこめかみを撫でるように抑(おさ)え、待合室の床に向かって静かに呟(つぶや)く。

 

「……何もしたくない……」

 

 先に述(の)べた通り見るからに鬱(うつ)に満ちた様子と言動から見てとれるのは、恐らく常人には耐(た)え難(がた)いであろう精神的な圧(あつ)が日嗣(ひつぎ)という男を襲っていることである。具体的に記(しる)してしまえば虐待と嫌がらせの二つに絞(しぼ)られるが、それらの内容は常軌を逸している。

 

 彼の勤務先は所謂(いわゆる)ブラック企業に分類される悪徳株式会社であり、しかも経営陣は極めて強欲かつ抑圧的な人間で占められている。そして従業員は言わずもがな、消費者に取引相手、果ては出資者からすら金を搾取することしか考えていない経営者が牛耳を執る以上、企業の経営状況は常に赤字ぎりぎりとなっている有り様。

 

 その上逃げ場もなく溜まりに溜まった鬱憤(うっぷん)は当然ながら組織の内側、それも身近にいる人間に向けられ、上述した嫌がらせやいじめに繋がり、その隙を見た経営陣らによる給与の中抜きや天引(あまび)きが発生し、その責任の押し付け合いが起き……と完全な悪循環に陥(おちい)って行く。

 

 日嗣(ひつぎ)もまたブラック体質な企業とその構成員から受ける攻撃の被害者の一人であり、さらにネガティブな思考回路と内向的な性格、ある種の呪(のろ)いにも似た不幸不運を寄せ付けやすい性質を併(あわ)せ持っている。まさに最底辺と呼ばれる人間の特徴を背負(せお)う人物である。

 

「……っ痛(た)……」

 

 無論彼が普段被(こうむ)っている害は多く、それも一つや二つどころではない。今日のような超過勤務に始まり、残留業務、業務妨害、薄給、無休、虐待、脅迫、暴行などなど、例を挙げればその数にきりはない。

 

 増(ま)して、幼(おさな)い頃から理由もなく人に嫌われていたのだ。何をしても親は関心を示(しめ)すことはなく、些細(ささい)な切欠(きっかけ)でも罵声を浴(あ)びせられ、暇(ひま)さえあれば子供相手に暴行を繰り返す。そのような人間性の欠片(かけら)もない両親と生活を送っていたこともあり、特に上半身と顔には今(いま)でも痣(あざ)がそこかしこに残(のこ)っている始末。

 

 当然ながら同年代の子供からは痣(あざ)や傷痕を気味悪がられ、いじめの対象として扱われるのは日常であったほどに酷い半生を生きて来たのだ。日嗣(ひつぎ)は過去二十数年分の記憶を思い出すほどに強さが増して行き、治(おさ)まる様子のない痛みを和(やわ)らげることを諦(あきら)め、自(みずか)らの頭から手を離す。

 

 手か頭から離れると同時に、電車が揺れながら駅に近付く音が耳に入る。振り子時計が示(しめ)す時刻は、ちょうど午後10時40分。

 線路の方へ振り返れば、電車の蛍光灯が放つ光がガラス窓を挟(はさ)んだ先の遠くに見える。

 

「終電か……急(いそ)がなきゃ」

 

 電車の車輪と線路が奏(かな)でる金属音に導(みちび)かれるようにゆっくりと立ち上がり、ベンチに置いたまま忘れかけていた鞄(かばん)を手に持って昇降場へと足を進めれば、数秒ほどで電車が到着した。自動扉が開(ひら)くと、どこかの学校制服を着た少女が扉と向かい合うように座っていた。

 

「失礼します……」

 

 日嗣(ひつぎ)が客車に入ったことで、乗客が二人に増える。それでもなお閑古鳥(かんこどり)の鳴く声が聞こえそうな電車の、何となく出入口(でいりぐち)に近い座席に座ったその時、まるで何(なに)かを悟(さと)っているかのように見えたのは心(こころ)なしか。星(ほし)が瞬(またた)く空を窓から眺める日嗣(ひつぎ)は、深(ふか)く暗(くら)い物憂(ものう)げな微笑(ほほえ)みを浮かべていた。

 

(……明日は休み……)

 

 目を閉(と)じて静(しず)かに溜め息を吐(つ)くと同時に、自動扉が閉まる音が聞こえる。腕時計の時刻を確認し、出発を知らせる車内音声を聞き流(なが)しながら、ごそごそと鞄(かばん)をいじり中からタブレットを取り出す。

 

(……電車って……本当にやることないもんなぁ……)

 

 心(こころ)の中でぼやきながらタブレットに表示されているアプリの一(ひと)つを開(ひら)くと、多数の項目に別(わか)れた画面が現(あらわ)れる。

 項目には短(みじか)い文と番号が振られており、番号は上から下へ下がるに従って桁(けた)が増えているのが分かる。そして、それらの数字は軽(かる)く三桁に届(とど)いているようで、一番下の項目には“400”と書かれている。

 

(この小説も書き始めて8年か……)

 

 電車に揺られながら記憶に耽(ふけ)りつつ“400”と書かれた項目に“OVER DOSE”と書き加(くわ)え、次の画面を開(ひら)いて編集を始めようとした時だった。

 

「ねえ、お兄さん」

 

 正面から声をかけられ、画面から目を離して視線を上に上げて見れば、向かいの席に座っていたはずの女学生が日嗣(ひつぎ)の目の前に立ってこちらを見つめている。

 早朝からこき使われ、今になって帰宅中のブラック企業勤(づと)めの冴(さ)えない会社員に用などあるものだろうかと首を傾(かし)げるが、女学生の目には妙な気迫と力(ちから)がこめられており、とても無視できるような相手ではないことを感じ取れる。

 もう一度溜め息を吐(つ)いてタブレットを手から放(はな)し、改(あらた)めて顔を上げて女学生の目へと視線を合わせる。その時に襲って来た痛みに耐えるように歯を食い縛(しば)りつつ、日嗣(ひつぎ)は自身を見下ろす彼女に問いかけた。

 

「……僕に何か御用?」

 

 問われた女学生は、迷いを含(ふく)んだ表情で一言。

 

「…………少しだけ、話し相手になってくれませんか?」

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