「ログイン完了、っと」
現実の日嗣の姿とほとんど差異の見られない姿のアバター、眞穹が降り立ったのは何もかもが緑と茶色の世界。太く高く、鬱蒼と茂る木々で覆い尽くされた大森林のど真ん中に、少年のような外見をした男一人がぽつんと立っている様は、そよ風すら吹かない静寂な空間にあって絶妙に神秘的な雰囲気を漂わせている。
「……みんな怒ってるかな……」
胸中に不安を抱えながら周囲を見回し、ミニマップのアイコンを見通し、近くに人も獣も存在しないことを確かめ、目に見える限り広大な森を横切るように歩き出そうとする。が、一歩目を踏み出した瞬間にその足を止め、視線をゆっくりと足元に落とす。
「本当に凄いなぁ」
眞穹は地面を踏みしめる自分の足を見つめ、思わず感想を漏らした。多量の水分を含んで湿った豊かな土は、青々とした草と落ちたばかりの木の葉に覆われている。少し視線を動かせば地面を這うように根を広げ、丈夫な外皮に覆われた幹を持つ巨木の森があり、コンピューターで作られた仮想の世界であると分かっていても壮観な光景だと思い知らされる。
「10時か……急がなきゃ」
だが森の景色に感動している暇はない。メニュー画面から時刻を確認すると、改めて目的地を目指し足を前へと動かし始める。
「着くまで15分くらいかな」
始めはゆっくりと歩いていたが少しずつ速度を増して行き、段々と風を切る音が聞こえ始め、気付けば木々の間を縫うように、稲妻のごとき速さで疾走していた。一歩進む度に草と葉が潰され、足で踏み込む力で土の形が変わる音が耳を打ち、目に映る景色は振り返る間もなく飛び去ってゆく。
現実世界ではあり得ない、ゲームだからこそ出来る芸当である。
「今日が最終日……なんだよね」
だが眞穹は視界いっぱいに広がる景色には興味を示さず、その心の内にあるのは後悔と失意のみ。本来であればギルドマスターである自分が続けなければならないはずのギルドホームの管理を、あろうことかメンバーたちに押し付けて自身は仕事に逃げるという責任放棄そのものな行為を犯したのだ。
EVSON-THWOEに長期に渡ってログインしない旨を伝えた時、チャットに参加していたメンバーたち……とは言ってもGUN.D一人だけだが、彼からは恨み言や不満の言葉を一つとして聞いていないが、それは恐らく本心では思い切り罵りたいところを自制していたからだと解釈できる。
2ヶ月と25日もの間留守にしていたからには、ギルドホームはもう解体なり放棄なりなどされているであろうし、メンバーも自分に見切りをつけて全員ギルドから脱退している頃だろう。
(……自業自得だけど……仕方ないか)
凄まじい勢いで走っているにも関わらず、一雫の涙が頬を伝うのが感じられる。胸中に広がった悲哀の感情はすぐに全身へと巡り、走るスピードが少しずつ落ち、視線もだんだんと下へと下がっていく。
気を落としたまま進んで行き、気付いた時には、とぼとぼと力無げに獣道を歩いていた。
「迷っちゃった……」
獣道とは人の膝より高い位置まで伸びる背の高い草の根元に、四足獣が往来を繰り返すことでできるとても狭い隙間を言う。
目に見える木の数が少なくなっていることから森の外れまで進んだことは確かだが、2ヶ月以上もの間EVSON-THWOEから離れていた眞穹は、もはやゲーム内のフィールドやエリアの正確な地形を殆ど覚えていないため、道に迷うのは自然な運びである。
闇雲に進もうが目的地は見えないし、しかも前回のログアウト時にほぼ全ての装備をギルドホームに置いて来てしまっている。眞穹は徒手空拳での戦闘を前提とする、所謂武闘家や格闘家系列の技能を一切持っていない。当然武装がない状態でモンスターに襲われても抵抗する手段はなく、スタミナ切れになってモンスターに殺されるか、モンスターが追跡を諦めるまで逃げ続けるしかない。
間の悪いことにフレンドリストに登録している人物は全てブロックアカウントであり、メンバーと連絡を取る勇気もない。結果、移動系の魔法でギルドホームの入り口に転移するという方法を試す以外に、目的地に辿り着く手段を思い付かなかった。
「仕方ない……ダメ元で使ってみよう」
物は試し、やってみなければ始まらない。眞穹は森と草原の境目の辺りで立ち止まり、コマンド画面を開いて[支援魔法]の項目を選ぶ。
次に[支援魔法]の項目の中から[移動系魔法]を選び、視界に現れたもう一つの画面に浮かぶ三つの選択肢から[急速旅行]と書かれたアイコンを触り、別の画面を呼び出す。
「〔気儘なる風〕は違う……〔瞬間跳躍〕でもなくて……あった!〔己が城への帰還〕!」
似たり寄ったりな効果を持つ十種類以上の魔法の中から目当ての効果を発揮する魔法を見つけたらしく、早速アイコンをタップして待機画面を表示させる。準備時間は10秒、MPは充分、周囲に脅威となるモンスターの姿もなく、この上ない好条件である。
だがやはり不安は拭い切れないらしく、発動の待機時間を見つめながらぽつりと呟く。
「……せめて……跡地の石碑ぐらいは残ってたらいいな」
高望みだと分かっていると自身に言い聞かせると、両手を前に出して掌を広げ、魔法発動の前準備として静かに呪文を唱える。
「﴾《dare imperareo maioris potestatis.cum tua potestate,corpus meum et anima mea ut ubi vis ire portare eam.》﴿〔己が城への帰還〕」
有り余る不安を抱えつつも深く息を吸って心を落ち着かせ、待機時間がゼロになると同時に〔己が城への帰還〕を発動しその場を後にする。
眞穹が去った森と草原には、彼が刻み付けた足跡の他には何もなかった。
時刻は眞穹がログインする数分前にまで遡り、視点はギルド《やまとまほろば》の拠点であるギルドホームに変わる。だが彼らの拠点となるそれは家を大きく通り越し、巨大な城、あるいは宮殿を中心とした都。そう、都としか言い表し様のない立派な建造物の群れとして、擂り鉢に抉られた窪地に存在している。
その場所の名は《磯城心安明津大殿宮》と言い、EVSON-THWOEをプレイし始めて間もない頃の眞穹が一人で築き、《やまとまほろば》を立ち上げてからも増改築を繰り返して来たのだ。
必要とされて増築された部分や改築された部屋、あるいは不要と判断されて解体された建物の名残は随所に残されており、例えば現在ギルドメンバー総勢49名が集まっているこの会議室はもともと小さな東屋だった場所を改造し、内部構造を加えて規模の拡張を施したものである。
「久しぶりに《やまとまほろば》メンバーが勢揃いかと思いきや……日嗣さんがまだ復帰していないな」
そしてその会議室にて、人型、獣人型、妖精型、モンスター型など様々な容姿のアバターを持つプレイヤーたち全員が席に座って最後のギルド会議の開始を待つ中、真っ赤に塗られた怒り顔の仮面を被り、青いタキシードを着込む長身の男性プレイヤー、【ヴラグツェン】が呟く。
「チャットも繋がらんか……まあ、気にせん方がいい。どのみちギルマスが戻って来るかどうかなど分からんのじゃ」
白い死装束のような衣装を纏う髭と禿頭が目立つ仙人風の男性、GUN.Dはヴラグツェンに答えるように心中を発した。
「いいーえ☆あたしの妹が昨日の夜リアルのギルマスと会って確認したから間違いなく来るわ♪ね!【カヤメ】ちゃん♡」
今度は牛のような体躯と乳牛を思わせる白黒模様の毛皮、そしてこれでもかと豊満な体を揺らし、マイクロビキニ・ハーレムパンツという露出度の高い衣服を着込む女性プレイヤー【かななめなめなめ】が、GUN.Dの言葉を否定するように勢いよく席から立ち上がって叫ぶ。そしてちらりと自身の隣に視線を移したかと思えば、その隣の席に座る長く尖った耳を持つ女性プレイヤーに親しげに、あるいは愛おしげに抱きついた。
「う、うん……来てくれる……はず……」
一方姉であるかななに抱きつかれたカヤメは、牛だけに四つ存在する爆乳を顔から肩にかけて押し付けられて赤面し、小さく首肯しながら小声で答える。
「なに夢みたいなこと言ってんだよ。平日の昼間だぞ?」
かななとカヤメの発言をやれやれと両手の平を上に向けて訂正するのは、体のあらゆる部分が見事な焼き物で形作られた男性【陶焼がちゃ丸】。
彼は他のメンバーの中でも頭一つ抜けて悲観的な意見を掲げ、わざとらしくがちゃがちゃと体を鳴らしながら「真面目な人だから今さら顔合わせになど来ない」ときっぱり否定する。
「明るいうちにギルマスを出迎えるためだけにみんな公休とか有給とか取ったんだろーがよ。ていうかさかなな、アンタお姉さんなら自分の妹ぐらい迎えに行ってやりなよ……」
分厚い本を片手に会話を傍聴していた、見るからに不良少女然とした服装の女性が本を閉じた。【水生】は、心底呆れながらがちゃ丸に突っ込みを入れ、そして不機嫌そうに睨み付けながらかななに注意を促す。
「おねーちゃんだよ?ぺたんこ水生ちゃん♡」
だがかななはその不機嫌な表情をした瞬間を目の当たりにするや、水生を挑発する好機とみたらしい。大きさの違いを見せつけるように乳房を持ち上げる動きをし、甘ったるささえ覚える猫なで声で水生の不愉快な気分を煽る発言をする。
「当て付けか!?男と交ってる動画で金貰ってるアンタにバカにされると余計腹立つんだけど!?」
例に漏れずと言うべきか、かななのあからさまな貧乳弄り発言に反応し、現実での職業を引き合いに出して揚げ足を取ろうとする。
しかし全く響いていないらしく、当の本人は余裕な表情を崩さない。
「私のゲーム歴16年の経験則からして、眞穹殿がこの《磯城心安明津大殿宮》に現れない確率は98.88パーセントだ」
興奮の余り太く長い尾と尖った耳を出現させて肉食獣の如く歯をむき出しにして威嚇する水生と、水生の態度に機嫌を良くして更に怒りを刺激する行動を取るかななを無視して発言するのは、水のように透き通る全身にキトンを身に付ける男性【アグオス】。
そしてアグオスの言葉を聞いて彼の両隣に座る鬼のような角を生やす男女、【愛善】と【厄止】は互いの顔を見つめ合わせ、
「だったらオレは98.88パーセントの[ギルマスは戻って来ない]に所持金全額賭けるぞ。覚悟はいいな?」
「良いでしょう。私は一分一厘二毫の[帰って来てくれる]に所持金全額を賭けます」
と、互いを睨み付けて賭博を宣言した。ここまでも各々が意見を主張しあっているが、彼らに共通していることはただ一つ。
「今回はさすがに有給取ってるだろ。気長に待とうぜ」
上半身が人間、下半身が馬といういかにもなケンタウロスの姿をした男、【ケイローン】が頭に手を回しながら言う通り、《やまとまほろば》ギルドマスターたる聖宮眞穹日嗣の復帰を待っていることである。