EVSON-THWOEにおける自身の家である《磯城心安明津大殿宮》へ向かうべく、移動系魔法の一つである〔我が城への帰還〕を行使し瞬間移動した眞穹。
数秒前まで森と草原の境目にいた彼は、確かに今までいた場所とは異なる場所、それも大きく盛り上がった山の頂に転移している。
「……魔法は問題なく動いたみたい」
そもそものシステム上当たり前のことだが、バグなどの不具合が起きない限りにおいて、魔法や技能と言ったものが正常に働かないことはまずあり得ない。よって、眞穹の懸念は的外れであり、全くの杞憂に過ぎない。
だからこそそれまでの不安を吐き出し、代わりに安心感で心を満たすかのように、大きく空気を吸い込んでゆっくりと安堵の溜め息を吐き、空を仰ぐ。
「夕べの天の川も綺麗だったなぁ……」
限りなく澄みきった空を照らす真っ白に輝く太陽、風に身を任せて空を流れつつ地上に影を落とす雲、今自らが立つ山の頂から見下ろす、視界を遮るものが殆ど存在しない森の果てに見える水平線、そして水平線の手前にぽつりと見える噴煙を天高く靡かせる活火山。
仮想空間の中に存在するまやかしの産物とは言え、目に写る環境、目に見える景色の全てが美しく感じられる作りであり、とても人の手で生み出されたものとは思えない。
暫し目を閉じて呼吸を整え、名残惜しげに緑と青で彩られる美しい幻に背を向ける。体を動かし、顔を内陸の方へと向けてもう一度瞳を露にすれば、ここから見えるほどに巨大な壁が、遥か遠くに見える。
「うわあ……懐かしい」
さらに眞穹が立つ場所から5kmほど降りた場所と門が立つ場所との間には、底が全く見えないほどに深く両端が見えないほどに広い谷がある。
谷にはまだ侵食の影響が少ない頑丈そうなものから、侵食と風化によって既に崩れ、尖っているものまで、あらゆる形をした岩の柱が無数に乱立している。さらにその上には石煉瓦やコンクリートで作られた建築物の跡、雨風に晒されて傷みきった船、岩の柱同士を繋ぎ止めていた橋の基礎など、様々なものが残っている。
(ここを直すのが一番楽しかったなぁ)
目下に広がる巨大な谷を見下ろして、背中に巨大な翼を出現させた。しなやかで丈夫な骨、鍛え上げられた頑強な筋肉、柔らかくも鋭利な羽で構成されるそれは、明らかに猛禽類が持つ翼をイメージして作られているようだ。
眞穹は翼の様子を確かめるように何度か上下に動かすと、そのまま片足を後ろに退いて翼を畳む。
「ほっ」
軽い掛け声とともに地面を蹴り、下り坂に向かって走り出す。力強く拳を握りしめ、前傾姿勢で傾斜の深い急斜面を駆け降りる途中で、加速の勢いそのままに翼を広げて再び坂を蹴った。
この時に坂から足が離れたが、なんと疾走の勢いは衰えずにそのまま風に乗り、坂の斜面すれすれの高さを保って滑空を始める。
だがこのままでは坂の表面から離れる前に地面とぶつかってしまうため、眞穹は急速な対応を迫られた。
「〔飛翔の両翼〕」
そこで、翼の周辺に揚力を発生させて空気抵抗を調整する魔法を用いることにした。ミニマップ画面上で自身を表す矢印の周りには、[支援魔法発動中]という説明と発動時間、そして円形が表示されている。
残り時間は9分30秒、まだ余裕はある。
(あの時はみんなで大騒ぎしながら……ふふ)
空を飛んで岩の柱を眺めながら思い出すのは、《やまとまほろば》のメンバー構成が現在の50名になって間もない頃に、珍しくメンバー全員で拠点の管理作業をしていた時に起きた騒動である。
まず最初に騒ぎを起こしたのは、創設メンバーの一人でありギルド随一のトラブルメーカーとして度々事件の中心となっている【春夏秋冬】。
彼が管理を担当していたのは錆た鉄と腐敗が目立つ材木で組まれた物見櫓跡だったのだが、点検中に唐突に吹いた風で体が冷え込み、くしゃみをする際に慌てて口元を押さえたことで手から点検用の金槌を離してしまう。
この時落とした金槌を慌てて追いかける途中、特に腐敗が激しかった木材に頭をぶつけて物見櫓そのものを壊し、さらに櫓の一番上に設置されていた吊り鐘が別の岩の柱の中腹に横付けされていた建物を貫通して岩にぶつかり、あり得ないことにその衝撃で岩そのものが崩れた。
もちろんこの予想外の事故で作業は一時中断され、木っ端微塵に崩れた岩を積み直し、倒壊した建物を作り直す作業を全員で終わらせてから再開した。そこまでは良かったのだが、今度は愛善が厄止にちょっかいを出して喧嘩が始まり、喧嘩の最中に愛善が放った太刀の一閃が別の岩を斬り倒し、二人が作業をしていた岩に倒れ込む事態が起こる。
無論愛善と厄止は無事だったが、またも管理作業を中断して岩の柱と建物の作り直しを強いられた。
その後もメンバー同士の小競り合いに喧嘩、作業中のうっかりミスや想定外の事故などに見舞われ、その度に建物と岩が崩れ落ち、崩れては一切の作業を残らず中止してまた一から直す作業をし、暫くするとまたまた誰かが起こすトラブルで崩れ、また直すのに時間を取られるという悪循環そのものな一連の作業を何度も何度も繰り返し、最後はメンバー全員に「もう限界だ」と泣きつかれ、結局眞穹一人で管理点検の作業を終わらせたのである。
「本当、懐かしい」
今となっては懐かしい記憶に浸りながら空を飛び続け、気付けば飛行可能時間は残り30秒、銀色に磨かれ見事な輝きを放つ門扉も目と鼻の先に近付いて来る。
眞穹が入り口である門の前に降り立って門扉にかかる鍵に手を掛けた頃には、ログインした時点で抱えていた不安は欠片も残さず消え去っていた。
「お帰りなさいませ!」
外付けされた門の鍵を外し、高さ8mはあろうかという大きな扉を力いっぱい引っ張って開けると、薄花桜色の忍装束を着こんでバインダーを持つ青年が、門扉と門扉の隙間からひょっこりと姿を見せる。
「うん、ただいま。【小松田秀作】」
眞穹は笑顔で挨拶に答える。彼は所謂NPCだが版権キャラクターである小松田秀作と同じ名前と姿を与えられており、さらに原典〖落第忍者乱太郎〗の小松田が持つ警備員としての才能をも再現されている。
故にギルドホームへの侵入を妨害し、そして侵入者の敵味方を識別する“正門監視員”という役割を担っている。
「お手数ですが、入門者確認表に署名をお願いします。他の“諸御主”の皆様もお待ちかねですよ」
小松田は眞穹に筆を手渡すと、バインダーに挟まれた入門者名簿を見せて署名を促す。城へ入らんとする者は何人たりとも、例え“創造主”であろうとも例外なく通らなければならない関門であり、全ての侵入者が経験する洗礼でもある。
「聖宮眞穹日嗣……字は合ってる?」
無論無視する理由もなく、メンバー49人分の名前が列記された入門者名簿の最後の署名欄に自身の名前を書き込んで筆を返し、小松田の返答を待つ。
「お名前確認しました。では、改めまして……」
目の前に立つ男の姿と名前をしっかり確かめると、手に持っていた筆とバインダーを小脇に抱え、
「《やまとまほろば》が大王、聖宮眞穹日嗣様!《磯城心安明津大殿宮》に、歓んでお迎え致します!」
頭を深く下げる恭しい最敬礼で迎えた。