カズマがクレアと結婚する話 作:てつろう
約6500字あります。
私はアイリス様を裏切れない。彼女を裏切る事は私にとっては死と同義だ。
アイリス様と一悶着あった翌日。今日は彼女の部屋で家庭教師としての仕事がある。だが、私は中々アイリス様の部屋のドアを開けられないでいた。
「昨日、あんな事があったからアイリス様に嫌われていないだろうか……」
昨晩、私とカズマが交際関係にある事を言ってしまった。そのせいでアイリス様は失恋したのだ。昨日の出来事を気にするなという方が無理だろう。
「よし……今日の家庭教師の仕事はお休みにしよう」
私はドアに背を向け、その場を後にしようとする。だが、私が帰ろうとした瞬間アイリス様の部屋のドアが開けられた。
「……あら、クレア、そこに居たのですか。ずっと来ないので今日の授業はおしまいかと思いましたよ。……どうしたのですか、そんなに驚いた顔をして」
急にドアが開けられたことにびっくりして口をパクパクと動かす。アイリス様は私を見るとドアを大きく開けて私を招き入れた。先程まで帰ろうとしていた私も為す術なく中に入る。
「今日は何の授業をするのですか?」
アイリス様は平然と今日の授業についての話をする。その姿はとても昨日カズマを私に取られて泣いていた人とは思えない。私も彼女の態度に合わせるようにいつもの態度で接することにした。
「今日は礼儀作法について教えます。……ですが、アイリス様が嫌なら今日の授業はお休みにしてもいいですよ?」
私は探りを入れてみる。昨日の事をまだ引きずっているならアイリス様は何かしら反応するはずだ。だが、私の予想とは裏腹に彼女はあっけらかんとした顔で小首を傾げる。
「……?別に嫌じゃありませんよ?」
「そ、そうですか……、では授業を始めますね」
彼女の反応からおかしな所は見当たらない。やはり昨日の事はアイリス様の中で何も無かったことになっているのだろうか。彼女も王女として自分の気持ちに折り合いをつけているのかもしれない。
それから私は約三十分ほど、アイリス様に礼儀作法を教えていた。作法を教える傍ら無理をしていないか何度か尋ねてみるが、いつもと違う所は見られない。それどころか何故そんな事を聞いてくるのか質問されるだけだった。
「─── このように、作法と言えどその種類は多種多様で、相手によって使い分けなければならないのです」
一通り授業が終わり、話も一段落つく。アイリス様は一生懸命今まで教えた作法を繰り返し、忘れないように頑張っていた。やはり私の杞憂だったようだ。アイリス様も15歳と言えどたくましい少女、失恋を一度したくらい大丈夫だろう。
「ここまでで何か分からない事はありますか?」
礼儀作法についてアイリス様に尋ねる。彼女は少し考える素振りを見せたあと、口を開いた。
「……では、一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい、なんなりと」
「クレアはお兄様と結婚するつもりなのですか?」
それはあまりにも唐突で、突拍子もない質問だった。先程まで教えていた授業とはまるで関係ない、カズマのこと。てっきりカズマの事はもう忘れていたのかと思ったが、そんな事はなかったようだ。
「……アイリス様、今は授業の時間です。そう言った話はまた別の機会に」
彼女の前でカズマの話は禁物だろう。だから私は少しでも話を逸らそうとする。だが、アイリス様はしつこく食い下がってきた。
「いえ、これは大事な事なのです。クレアが答えてくれないなら私はもう授業を受けません」
アイリス様は半ば強引に話を押し通す。今までならこんなわがままを言うことは無かったのに。彼女が変わってしまったのはカズマの悪影響だろうか。彼女が頑として譲らないので私は仕方なく答えることにした。
「……け、結婚なんてまだ早いですよ。私達はまだ付き合って一年しか経っていないのに。……で、でも結婚ですか……。結婚……!悪くない響きですね……!」
カズマとの結婚生活を想像したら顔が熱くなってしまった。将来的には私達にも子供が出来るのだろうか。結婚式ではみんなに祝福されながらウェディングドレスを着たりして……!想像しただけで顔がニヤけてしまう。
「本当にお兄様の事が好きなのですね……」
お花畑だった私の頭はアイリス様の言葉で一気に現実に引き戻された。不味い、アイリス様の前だ。彼女にこの話はタブーなのに。
「も、申し訳ありませんアイリス様!見苦しい所を見せてしまいました……」
「別にいいですよ、クレアがお兄様と何をしようが私は文句を言えません」
アイリス様は顔を俯かせて口を一文字に結んでいる。彼女が強がりを言っているのは私にも分かった。アイリス様を悲しませてしまった。私は護衛失格だ。彼女を慰めてやりたいが、慰めれば慰めるほどアイリス様を傷つけてしまいそうで。私はただアイリス様を見守るしかなかった。
「……でも、それでも私はお兄さまのことが諦めきれません……!」
彼女は強く決心したのか震える顔で私を見詰める。じんわりと目に涙が浮かんでおり、簡単に傷つけてしまいそうだ。彼女を応援してやりたい。本当なら私が彼女の一番の味方になるはずだったのに。やはり私は黙ったまま彼女を見守っていた。
「……一度お兄様に、私とクレアのどちらを選ぶか聞いてもいいですか?」
アイリス様が苦しそうな声で私に聞く。あくまでカズマに決めてもらいたいようだ。私に許可を取るのも彼女なりの気遣いなのだろう。
「……ええ、良いですよ」
本当はそんな事を聞いて欲しくない。万が一、カズマがアイリス様を選ぶのではと思うと胸がキツく締まる感覚に陥る。それでも私は本音を言えなかった。アイリス様に正直に言えたらこんな苦しい思いはしていない。
「今日の授業はここまでにしましょうか」
「え?でも、まだ授業の時間は余ってますよ」
「今日は特別です。アイリス様もリフレッシュしたいでしょう」
辛い時にまで授業を受けさせる程私は鬼ではない。アイリス様も肩の荷がおりたのか柔和な笑みを浮かべた。
「あの……もし良ければクレアと一緒に街に遊びに行きたいです。」
「なっ!?」
アイリス様が私を遊びに誘う。彼女の上目遣いに翻弄されるが、私はぐっと堪えた。
「誘拐事件の後、国王様がアイリス様を外に出さないように厳命されてますから難しいかと……、お気持ちは嬉しいのですが」
アイリス様が誘拐されてから国王様は益々過保護になっている。もしまたアイリス様が誘拐されたら今度こそ私の首が飛ぶだろう。彼女の誘いは断るしかない。
「……ダメですか?」
アイリス様の目がうるうるとしている。私が何を返すかは、既に決まりきっていた。膝をたたみ目線をアイリス様に合わせて───そして、私は言う。正直な想いを、端的に。
「ダメな訳ありません」
と。
アイリス様は私の返事を聞くとパアッと顔を輝かせたのだった。
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それから私は王様の部屋に謁見しに行く。アイリス様を外に出すのにも許可がいるのだ。彼女の願いを叶える為にも、私は上手く王様を説得しなくてはならない。
私はドアを開け、王様の部屋へと入った。
「失礼致します」
国王様は椅子に座りデスクに山のように積まれている書類に目を通していた。私の事をチラリと見たあと、再び紙に目を落とす。忙しそうだ。この状況でアイリス様の外出の許可を取るのは至難の業だろう。
「お忙しい中恐れ入りますが、アイリス様の外出の許可を頂けないでしょうか?」
私の発言に王様は暫く固まる。そしてゆっくりと目線を私に向けた。彼はジロジロと私を見てくる。内心怯えるが顔には出さないように気をつけた。
「……ダメだ、もし娘がまた誘拐されたらどうするのだ」
断られてしまった。取り付く島もない。ここからどうにか挽回できるだろうか。
「もうアイリス様を外出させるのを禁止してから一年ですよね?アイリス様も中々外に出れなくて退屈していますよ。たまには気分転換をさせて貰えないでしょうか」
「……ほう、あくまで娘の為だと言うのかね?娘の為を思うなら君に出来ることが一つあるだろう。まずはそれをやってみたらどうだ?」
王様が何を言いたいのか分からない。どこか雲行きの怪しい話に私は不安になってくる。
「……何の話でしょう」
「アイリスから聞いたよ。君はカズマくんと付き合っているそうじゃないか。だが、娘はカズマくんに恋心を抱いている。この事についてどう思う?」
王様の言わんとしている事が分かってきた。つまり、カズマをアイリス様に譲れという事だろう。
「私はアイリス様に仕える兵士です。主君を裏切るような真似はできません」
これは私の本心だった。何があってもアイリス様を裏切ることは許されない。私の言葉に王様は暫く考える素振りを見せた後口を開く。
「……つまり、カズマくんとの交際はもう諦めるということか?」
「も、もちろん───」
"もちろん諦めます"と言おうとしたが、口が動かなかった。今になってカズマとの思い出が脳裏に蘇ってくる。そう、私はもうカズマに恋をしてしまっている。恋を前にしては何もかもが無力なのだ。
「どうした?ハッキリ言いなさい!」
私が隙を見せたので王様が追及してくる。私は何も答えることが出来なかった。カズマを選んでアイリス様を見捨てる事も、アイリス様を選んでカズマを諦める事も、どちらも嫌で仕方ない。
王様は椅子から立ち上がり、だんまりを決め込んだ私の元へと近寄ってくる。彼の筋骨隆々な体が左右に揺れている。彼からすれば私など一捻りだろう。気がつけば私の足が震えている。私はギュッと目をつぶった。と、その時
「クレアー、いますか〜?」
間延びした呑気そうな声。声の主はアイリス様だ。私達が返事する間もなく部屋の扉が開かれる。
「クレア、いるなら返事してくださいよ」
とたとたとアイリス様が私の元に近寄ってくる。先程まで怯えていた私も彼女を見てしまえば、不思議と落ち着いてしまった。むしろ愛おしい気持ちが込み上げて、温かい気分になる。
「あ、アイリス!今、お父さん達は大事な話をしているんだ。遊びに来たなら後で……」
「今からクレアと街へ遊びに行くのです!良いでしょうお父様」
「し、しかしだな……」
私を威圧していた王様もアイリス様を前にしてペースを乱されている。彼女は存在するだけで場を和やかにしてくれるのだ。私は心の中でアイリス様に深く感謝する。
「もう一年近く城から出ていないのです。このままだと私はおかしくなってしまいますよ」
「う、うむ……確かにそうだな」
「じゃあ決まりですね!クレア、一緒に行きましょう!」
アイリス様は矢継ぎ早に言葉を並べ立て話を進めていく。いつの間にか私と一緒に遊びに行くことになっており、王様もアイリス様を止める機会を失ったようだ。
「それではお父様、また後で!」
私はアイリス様に手を引かれて部屋から出て行く。王様は私の姿をじっと見つめている。その目は私に決してアイリス様を裏切るなと訴えかけていた。
+
私とアイリス様はとある料理店へ来ていた。今は彼女の大好物であるチャーハンというものを食べている。
「あ、アイリス様……この食べ物は中々美味しいですね……!」
「そうでしょうクレア、ぜひ王城でも食べたいのです」
チャーハンは初めて食べたが、焼豚や刻みネギ、醤油などあらゆる食材がハーモニーを奏でている。私はこのチャーハンに心酔してしまった。
「こんな美味しい物をアイリス様が知っていたなんて……!一体どこで食べたのですか?」
「これはお兄様が教えてくださったのです」
自然な流れで聞いたつもりだったが、カズマの名前が出てしまった。折角の気分転換なのだからその話はしないように努めていたのに。私が苦々しい顔になっていると、
「クレア」
アイリス様は一度ご飯を食べる手を止め、スプーンをテーブルの上に置く。彼女が真面目な話をするように見えたので私も食べるのを中断した。
「いいですか、私に気を遣う必要などありません。クレアが私の前でお兄様の話をしないように気をつけているのは分かっています。ハッキリ言ってそんな態度を取られるのは不愉快です」
アイリス様は私の考えなど全てお見通しだったようだ。むしろ遠慮したせいで彼女を傷つけてしまった。私は自分の浅はかな行動を反省する。
「今まで通り普通に接してくれれば良いのです。たとえ私とクレアのどちらがお兄様に振られようと私達の関係は変わりません。そうでしょう?」
アイリス様は何があっても私達の関係は変わらないと言うが、私にはそうは思えなかった。もし私じゃなくてアイリス様がカズマの婚約者に選ばれたら……。私はアイリス様に醜い嫉妬を抱くだろう。きっと彼女が憎くてしょうがなくなると思う。
「クレア……?」
アイリス様が不安そうな顔で私の事を覗き込んでいる。その顔で私は我に返った。今、私は一体何を考えていただろう。主君を侮辱するような考えだったのではないか。私は歯を食いしばって自分の中に巻き上がる負の感情に蓋をする。
「先程もお父様に何か言われたのではないですか?正直に答えてください」
国王様にはカズマをアイリス様に譲るように言われている。果たしてこの事を彼女に言ってもいいのだろうか。アイリス様は遠慮しないでいいと言っているが、私は嘘をついた。
「……いえ、何も言われておりません」
アイリス様は何でもお見通しだ。だから私が今嘘をついてる事も多分分かっていると思う。それでも、私は本音を言う訳にはいかなかった。もしこれ以上自分の気持ちを認めてしまったら歯止めが効かなくなるから。
「……クレア、私が最も恐れている事はお兄様に振られることではありません。クレアとの関係が壊れてしまう事が嫌なのです……!」
アイリス様はカズマに振られるから悲しんでいるのだと思っていた。でも、違ったらしい。恋によって私達の関係が崩壊するのが耐えられない。それは奇しくも私と同じ気持ちだった。
「私だって本当は分かっています……!このままだとお兄様はクレアの事を選んでしまう。私はもう振られるのだと……!」
「アイリス様、もうお止めになってください」
「それでも私は自分の気持ちを抑えられないのです……!お兄様がクレアに取られるのが嫌で嫌でしょうがない……!恋のせいで大切な友達を失いたくありません……!私はどうすれば……どうすればいいのですか……!」
アイリス様は泣き出してしまった。どうやら彼女はずっと無理をしていたらしい。カズマと私のどちらを選ぶかずっと迷っていたのだろう。
「アイリス様」
私は泣きじゃくる彼女を正面から抱きしめた。私の想いも彼女の想いも同じだ。恋心のせいで友達を失うのが怖い。ただそれだけの事に心をかき乱されている。
「もう大丈夫です。アイリス様は報われなければなりません。カズマ"殿"はアイリス様に差し上げます」
アイリス様の泣き顔をもう見たくなかった。私は主君の護衛として常に彼女の味方でなければならない。
「ひぐっ……そんな……!それではクレアが……ぐずっ……我慢することになるじゃ……ありませんか」
「大丈夫です、私はアイリス様さえ幸せならそれでもう充分なのです。これ以上の幸せは求めません」
もう彼女を悲しませたくない。王女として様々な事に耐えているアイリス様にこれ以上我慢しろとはとても言えない。私は慈愛を込めて優しく彼女の頭を撫でた。
「ひぐっ……すみません……情けない所ばかり見せて……。私は王女失格です……」
アイリス様を抱きしめたのは効果てきめんだったのか、次第に彼女の泣き声は治まってきた。レストランにいる周囲の人も私達の動行を見守っている。
「明日、カズマ"殿"に想いを伝えましょう。私もお手伝いします」
「ま、待ってください!クレアはお兄様の事が好きなのでは……!」
そう、私だってカズマの事が好きだ、大好きだ。この気持ちならアイリス様にも負けない自信がある。
「いえ、もうカズマ"殿"はどうでもいいです。アイリス様が一番ですから」
私は自分に嘘をつく。
「本当に宜しいのですか?私に遠慮なんてしたらダメですよ」
一度決心したのにアイリス様は何度も尋ねてくる。そのせいで私の心は大きく揺れていた。今ならさっきの発言を取り消せる。早く訂正しろと警鐘を鳴らしている。
「ええ、これは本心です。アイリス様が幸せなら他には何もいりません」
私はまた自分に嘘をついた。
ちゃんと感情移入発生してるかな……