教会の奥、その小部屋の扉が開くと、一人の少女が顔を覗かせた
日焼けを知らない白い肌、木漏れ日を透かせた様な金糸の髪。翠色の宝石の様な瞳を彷徨わせながら、少女はこっそりと中の様子を伺っていた
「だれも、居ないよね?」
部屋の中を見回した後、振り返って誰にも見られていない事を確認した少女は、おずおずと部屋の中へと入り込むと、後ろ手に扉を閉めた
1歩、2歩、奥へと進み、その中ほど、自分を見下ろす石像の前で足を止める
何の石像だろうか?
七色に輝くステンドグラスの光を浴びた石像は、いかにも神々しくて、その由来が分からずとも、思わず見惚れてしまいそうにはなる
十字架と、それに纏わる女神の像なんだろうと言うことは分かるけど、あいにくと、樹人(エルフ)である少女は人の信仰には疎かった
「おじゃまします…」
誰に断ったものなのか、誰もいない部屋に一人つぶやいた少女は、石像が見下ろすその位置で膝を折り、教会の人たちの真似をして両手を組む
「えっと、神様、仏様、精霊…様?」
しかし、こうして畏まったまでは良いものの、一体誰に祈れば良いのだろうと悩んでしまう
祈るとは自分に向き合うことだと、よく遊んでくれるシスターさんは教えてくれた。神様はただ、私達が素直になれるお手伝いをしてくれるだけなのだと
「素直に…か」
人には言えない自分の悩みを、けれども誰かには聞いて欲しい
だからって、わざわざ人の神様に祈る事も無いとは思うけど、村のご神木に話すのは、身内に話をするみたいで何処か気が引けてしまう
悪いこと、なんだとは思う
自分が何をしたわけでもないけれど、育ってきた環境はそれを許さない
分かっていても諦めきれず、相談する相手も選べない
両親にも、村の誰かにも、まして慣れ親しんだご神木にも話せない悩みは、ごくごくありふれたものでしか無かった
「ごめんなさい。だけど、私は…」
好きになってしまった男の子の事を忘れられない
生まれた時も一緒で、一緒に暮らしていて、一緒に遊んで、ケンカもして、仲直りもして、多分、あの子の事なら私はなんでも知っていて
ずっと傍にいてくれた男の子を、どうしたら気にならないでいられるのか
「好きなんです…フーリアの事が、ずっと一緒にいたい…だけなのに」
実の兄、まして双子の兄に恋をする。果たしてそれが許されるものなのか
幼いうちは仲のいい兄妹で済んでいた。けれど、そのうちになって、仲の良すぎる私達を見る目が少し変わってきているのに気づく
お父さんやお母さんでさえ、遠回しにでも別の子と遊ぶように言ってくるし、最近はもう、一緒のベッドで寝るだけで怒られてしまっていた
そんなにいけないことなの?
他の誰でもない、ただ兄さんというだけで、一緒には居られないっていうのなら
「お父さんもお母さんも…みんな、みんななんか、だいっきらい…」
悪い子だ。こんな私を知ったら兄さんはなんて言うだろうか
村が魔物に襲われたって、今の私は毛ほどにも感じない自信があった
誰にも言えない、言えるわけがない
それを口にした途端に、フーリアと離れ離れになるのは確実だった
いつの頃からか、もやもやとした感情が、ずぅっと胸の内で澱を作っていた。日に、月に、年にと、淀んだ感情は、ちょっと吐き出した程度で無くなるわけもなく、むしろ口を滑らせた途端に、余計なことまで口に出してしまいそうだった
「いーけないんだ?」
「へ?」
唐突な呼びかけ。誰もいなかったはずの小部屋の中には、いつの間にか赤い髪の少女が立っていた
「アカネ、お姉ちゃん…」
急に現れたことに驚きこそすれ、ここにいること自体は、不思議と不思議に思わない
だって、どこにでもいる気がするんだもの
危ない時には颯爽と、困った時にはひょっこりと、見られたくない失敗をした時にはこっそりと。付き纏われてる訳ではないのに、見計らったように顔をだす人
「みんな死んじゃえだなんて、悪い子だなぁ」
「そこまでは、言ってないよ…」
でも、言ってないだけだ。それもまだってだけだ
聞いてしまったんだ。次の誕生日には、私は別の村にお嫁に出されるって
知らない誰かと結婚させられる
そんなの絶対嫌だった
それだけは嫌なのに、まだ子供の私に何が出来るわけでもなく、近づいてくる誕生日が、今ほど疎ましいと思ったことはない
「どこから、聞いてたの?」
「ん? アカネお姉ちゃん大好きって言ってたあたり」
「言ってないし…。最初からってならそう言って」
見計らっていたんだろう。可愛い女の子がこそこそと、人には言えない自分の悩みを口にする。ここはそういう場所らしいから、盗み聞きにはもってこいだと思う
「もう、ノリが悪いなぁ」
アカネが笑ってる。綺麗な綺麗な赤い髪を揺らしながら笑っている
ステンドグラスの七光りを背に受けて、笑う姿は何処か太陽のようでいて、私にはそれが眩しかった
「そんな気分じゃないだけだよ…。まあ、好きだよ、お姉ちゃんのことは」
お世辞なんかじゃない。下手をすれば両親よりも頼りにしてしまってはいる
兄さんの事が好きだと気づかれても、変わらないでいてくれた人
むしろ、積極的に引っ付けようとしてくる当たり、面白がられている節はあるんだけど、内心それを望んでいた私にとっては心強くもあった
「アカネってさ、悩みとかないの?」
ふと、聞いてみたくなった。いつも快活に笑っているこの人が、一体何に思い悩むのか、どうして何時もそんなに笑っていられるのか
それが分かれば、私の悩みも少しは軽くなるかもしれないと
「あるよ? どうしたらフーリエが笑顔になってくれるかな、とか?」
「…」
石像の前で膝を付けていた私の隣に寄り添って、アカネが肩を寄せてくる
不意に頬ずりをされれば気恥ずかしくもあり、私は堪らず顔を背けてしまった
「知ってるんだよ。アカネってば、そういうの誰にでも言ってるって…」
「誰にもは言ってない。可愛い女の子にだけ言ってるの、フーリエみたいにね」
「同じことじゃない…。いけないんだよ、好きな人は…」
「一人じゃないとダメって誰が決めたの? 実の兄を好きになっちゃいけないって決めた人だって何処にいたもんか」
あっけらかんと言う。その言葉には何の疑いもなくって、だからだろうか? 妹が兄の事を好きだと知っても、何ひとつ顔色を変えなかったのは
でも、と考えて、しかし答えは出てくれない
誰がと言われれば、誰なのだろう? 身近な人達がそうだった、たとえばお父さんやお母さん。お姫様と王子様、絵本の中ですらそうだった。昔から言われていたことを、それが正しいなんて当たり前で、疑おうにも、それを否定することさえ難しい
「それは…お天道様、とか?」
私の答えに、アカネが にっと笑顔を作る
結局、答えに迷った私は、一番身近なお空の上へと答えを委ねてしまっていた
「なら、今から私がフーリエの太陽さ」
「なにそれ? え、ちょっ…きゃっ!?」
お日様の光を横から掠め取るような図々しさで、アカネの手が私に触れる
抱きつかれ、頬ずりをされたまま体重を掛けられると、支えきれずに私は床に押し倒されてしまっていた
お天道様に見下されている
アカネは何も言わなかったけれど、私が言うのを待つように、笑顔を浮かべてくれていた
「じゃあ…お天道様。私ね? 兄さんの事が好きなの…」
「良いと思うよ?」
「ずっと一緒にいたいって、お嫁さんになりたいって思うの…」
「素敵なお話だね」
「ねぇ、お天道様…。どうしよう、私、嫌な子になっちゃうよ…」
「そんなこと。フーリエはただ、皆より少し素直なだけだよ」
目尻に溜まった涙が拭われると、私はそのままアカネにキスをされていた