※この作品はR-18です。

NTRれは、引かれて足したら、倍になる   作:ジャンボ田西

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    ※胸糞注意※

今回はあらすじにも書いていた通り、BAD ENDルートです。
第3話以降とは世界線が異なりますので、HAPPY ENDルートが読みたい方は今回を読まずに飛ばして下さい。





第2.5話

一週間強に渡って出ていた出張から帰って来た谷条(たにすじ)は、家に帰って来てすぐに妙な違和感を覚えた。小さな家具の配置が変わっていたり、以前よりも多少部屋が散らかっていたりしていることもそうだが、何よりも家中で変な匂いが漂っていた。

 

「ここで……何か、あったのかな……?」

 

彼は、誰もいない家で小さく呟いた。

帰省する二日か三日前くらいから歴島(れきしま)との通話が途絶え、彼からかけても繋がらなくなっていた。そのあたりから彼は「身律(みのり)さんの身に何か起きたのだろうか」と不安で仕方無かったが、会社で働いているはずの同僚数人に訊ねても「一時は体調がおかしかったけど、今は元気になった」という大雑把な話しか聞けなかったのだ。

いつ帰るかを伝えておいたのだから、彼女の性格を考えれば彼が家の扉を開けた瞬間に嬉しそうな声色で「おかえり」と言いに来てくれるはずなのだ。

しかし家の中は人っ子一人おらず、もぬけの殻だった。

 

(約束……守れなかったから、なのかな……)

 

電波越しで何度も誤りはしたが、やはり心の奥底では自分に対する怒りがあったのではないかと谷条は悔やむ。こんな事ならば無理な約束などするべきではなかった、と——。

 

「……ん? これは、……」

 

家の中を彷徨(さまよ)い歩いていると、彼は机の上にCDが一枚だけ置かれてある事に気づいた。そのCDには付箋(ふせん)が付いており、『谷条クンへ』とだけ書かれてある。不思議に思いながらも、彼女について何か分かるかもしれないと期待を籠めてプレイヤーに読み込ませて、映像を再生して見ることにした。

——そこに映っていたのは、あまりにも衝撃的な光景だった。

 

「…お、映ったな。おかえり~、壱(はじめ)く~ん。残念ながらキミの恋人は俺の身律ちゃんになったんだ、ごめんねぇ~~」

 

「んはぁっ、あんっ、はあっ、ふぁっ」

 

画面の向こうでは彼の恋人であるはずの歴島 身律が、同僚の狭間(はざま)と汗だくになりながらセックスを励んでいた。それも、その場所はこの家にある二人の寝室で違い無かった。

ロケーションもシチュエーションも悪夢のような景色に、彼は言葉を失う。

 

「ほら、お前からも言ってやれって。画面の向こう側で元恋人さんが困惑してるぜ」

 

「あぁんっ、はぁっ、あぁっ、…たにっ、すじっ…さぁんっ。…このっ、ひとのぉっ、おちんぽがぁっ、きもちっ…よくてぇっ……、あにゃた…を、んほぉっ! うら……ぎっちゃい、まひたぁ……。はぁぁっん!」

 

谷条は己が耳を疑った。ほんの数日前までは自分への愛をアピールしていた彼女が、別人になってしまったかのようで言いたい言葉が見つからない。

彼がどうにか理解出来たのは、経緯はどうあれ彼女の心は既に狭間の方へ向いているという事、そしてそうなった要素にあるイチモツが彼と自分とで決定的に違うらしいという事だけだった。彼が知らない間に、彼女の愛情は男のイチモツ基準になっていた。

 

(…………、そうか……)

 

大きなショックを受けながらも、彼は画面の中で広がっている悪夢のような現実に大きな疑問を持つことは無かった。頭の片隅で、彼は何となく気づいていたのだ。社会人になって初めて恋人が出来たような人間に、彼女のような人を満足させるというのはとても難しい事だったのだ——と。

相手も初めての恋愛だったから技術なんて物は気にしなくて良いし、交際しながら徐々に学んでいけば良いと。たとえセックスがたどたどしくても、それだけで交際しているわけじゃないからそのままで良いと。

自分はどこか理想を夢見過ぎていたのだと、彼はこれまでの自分を顧みた。

男性よりも女性の方が性に疎く、性に対して関心が少ない清廉な存在だという偶像染みた理想を掲げ過ぎていたのかもしれない。相手も同じ生物であり、動物であり、人間なのだからある程度の性欲があることくらい当然なのだという事を、彼は今更になって気づくことが出来た。

 

(……でも、もう遅い…………)

 

しかし、それはあまりにも遅すぎた。その時には既に、大切な存在は自分ではない別の人間のもとへ去ってしまっている。どれだけ願っても遠く離れた物には手が届かず、どれだけ悔やんでも過去をやり直すことは叶わない。

——彼女の事をもっと知ろうとするべきだった。不平や不満をもっと聞いておくべきだった。何より、彼女に相応しい人であれるように色々な努力をするべきだった。——

数えきれない後悔が重く圧(の)し掛かり、彼はガックリと膝を折る。

 

「っ…………。僕は……、どうしようもない馬鹿だ……」

 

彼女に対する愛さえあれば何でも乗り越えられる。

そんな風に考えていた自分を、谷条は全力で殴りたくなった。拳を強く握りしめ、何度も床を叩く。全てが終わってから自分の愚かさに気づく鈍感さが、この世の何よりも憎くて憎くて仕方ない。

恋人を奪って行った狭間よりも、彼女を護りきれなかった——否、彼女を護ろうとすらしなかった過去の自分が数億倍と恨めしく許せなかった。

 

「ようし、挨拶はこんなもんにして……終幕(フィナーレ)の大量膣内射精(なかだし)を決めてやるぞ。元カレとのお別れの印に、壱くんへ最高のガチ絶頂(アクメ)を見せつけてやりなあっ」

 

「んひゅぅっ、はっ、はっ、はっ、はぁっ! はげひぃっ…。こりぇっ…あげひ、ひゅぎりゅうぅっっ! いっひゃう、いっひゃうぅっ。もどりぇにゃくにゃるほどぉっ、あひゃまっ…ぶっとんじゃうぅっ!!」

 

「オラッ、絶頂(イ)けぇっ。このまま天国までぶっ飛んじまいなあっ!!」

 

「っ、んはぁぁっ!! ばかににゃりゅっ、ばかにっ…なっひゃうぅっ。おかっ、ひくにゃるほどぉっっ、イッ…くぅぅぅっっっんっっ!」

 

垂れ流しにしてある映像の中で、恋人だった頃の面影を全く感じられないような恍惚とした歴島が、だらしなく口元を緩めながら激しく仰け反って痙攣する。二人の結合部からは粘り気のある透明な液体が噴き出した後、白濁の粘液が狭間の陰茎や睾丸を伝ってベッドの上に垂れ落ちていた。

天にも昇りそうな心地で悦びに打ち震えている彼女の表情は、谷条と交際している間には一度も見せたことが無いような猥(みだ)らでいやらしいものだった。だが、項垂(うなだ)れて床を叩き続けている谷条がその表情を見ることは無く、彼の頭上で映像の再生が停止した。

プレイヤーが映像の再生を終了させ、だだっ広い家の中には貧弱な力で床を叩き続ける音だけが響いている。

 

「っ、…………っ、…………っ、…………っ、——」

 

どれだけの時間をそうしていたのか、カーテンから差していた夕焼けの紅い光が弱まっていき、気が付けば電気の点いていない室内はすっかり真っ暗になっていた。

 

「……………………?」

 

蹲(うずくま)るように膝を地面にくっつけていた彼は、背後から感じる気配に意識が向く。その気配は怪しい風を吹いているようであり、妙なオーラを放っているようであり、禍々(まがまが)しい寒気を纏っているようでもあった。

不気味としか言葉で形容のしようが無いソレに気づいた彼は、恐る恐るといった様子で徐(おもむろ)に振り向いて確認する。

——そこにあったのは、紫色の淡い光を放って浮かぶ魔法陣のようなものだった。

 

「ぅ、うわぁぁぁっっ!!??」

 

非科学的かつ、悍(おぞ)ましい雰囲気を醸し出しているそれを目にした谷条は本能的に飛び上がって後退(あとずさ)った。得体の知れない恐怖に怯える彼は、底知れない生命の危機を感じ取ってガタガタと震えていた。

 

「ひぃぃぃっ!」

 

すると、突如としてその魔法陣が強烈な光を放ち始めたため谷条は反射的に顔の前を両腕で庇った。一,二分近くは眩いばかりの光を発していたが、段々とその輝きが衰えていって、やがて消える。

瞼越しに白く輝いていた世界がその明るさを無くし、暫くして闇に染まったことを理解した彼は怯えながらもそっと目を開けた。

 

「驚いたかの?」

 

「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「ちょっ——」

 

ビクビク震えつつ何が起きたかを確認しようとした彼の真っ暗な視界の中央に、ぼんやりと小柄なシルエットが見えた。そして、彼の顔のすぐ前あたりから声が聞こえて恐怖心が爆発した彼は暴れ狂いながら大きく飛び退(の)く。

その際に彼の目の前にいた何(・)か(・)が頭突きをもろに喰らい、その何かがマヌケな声色で発した「んがっ」という声が谷条の耳にも届いた。が、彼がそれを気にする事無く暴れた結果背中を壁で強打する。

 

「いっ、つぅぅ……」

 

鈍い痛覚が走る背中を擦(さす)りながら、谷条は声のした方を注視した。そこにはやはり何かがいて、小さな声で唸(うな)っていた。

 

「くぅぅ~……、痛かったのはこっちの方よ…もう。……オッホン、……こんな時間なのだから、電灯ぐらい点けたらどうなのだ?」

 

それは谷条の頭突きを喰らった部分を撫でながら、片方の手を掲げる。すると、スイッチを押していないにも拘らず勝手に部屋の電気が周囲を照らした。

充分な明るさに照らされた部屋の中央で、彼の目にもその姿がはっきりと視認できる。

 

「ひぃっ…………、って……子ども?」

 

「子ども違(ちゃ)うわいっ!」

 

そこにいたのは中高生くらいの体格で、異様に肌面積の大きい服装をした人型の生物が立っていた。髪は服装と同じの明るめな紫色で短く、指の爪が鋭く長い。それだけであれば人間だと思い込めたのだが、それは頭部に小さな角を二つ生やしていた上に背中から蝙蝠(コウモリ)のような翼を一対羽ばたかせていた。つまり、人ではない。

思わず口から漏らした谷条の感想に訂正を入れて、それが咳払いを一つした。

 

「ハッハッハッハッ、妾(わらわ)は世にも恐ろしき悪魔——ケリスである。今宵は貴公と『魂の契約』を結ぶため、魔界より遠路遙々(はるばる)馳せ参じた。感謝せよっ!」

 

「……………………ぇ? ……悪魔? ……えっと、呼んだ覚えが無い……ですけど。間違いとかでは…………ないでしょうか?」

 

「うむ、正確には貴公の先祖……高祖父より更に前の代にあたる人間によって妾は召喚され、その家系の者と代々契約を結んできた」

 

腕を組んで胸を張りながらケリスと名乗った悪魔(仮)は彼の質問に答える。

 

「どういう…ことでしょうか? 僕の先祖はどうして……、と言うよりも悪魔って実在してたんですか!?」

 

「驚くのが遅いのう。…………む? 暫し待て、貴公。ひょっとして妾のことを母親や祖父から聞かされておらんのか?」

 

「…………? えぇ、はい……」

 

「……かぁーーーーーっ」

 

谷条が戸惑いながら答えると、ケリスは天井を仰ぎ見つつ痰(たん)が絡まっていそうな溜め息を吐いた。この二人の間では何かしらのすれ違いが生じているらしく、それを彼女(?)は今ちょうど理解する。

顔を谷条の方へ戻したケリスの表情は面倒くさいという感情を剥き出しにしていた。しかしそれでも、彼に説明をし始める。

 

「致し方無い、知らねば契約もへったくれもあるまい。では、まずは貴公の先祖が妾を召喚した経緯について説明する必要があろう」

 

一息置いてケリスは語り出す。

 

「貴公の家系は代々、恋人を他人に盗られやすい性質を有しておるのだ。そして、その性質を知った貴公の高祖父の祖父が海を渡り、妾のような悪魔を召喚し契約を結ぶ術である黒魔術を会得した。だが、普通の契約では契約の効果を己一人にしか及ぼせない。そこで彼奴(きゃつ)は特殊な契約法を用いり、血筋そのものに影響を及ぼせるよう妾を専属の悪魔として子孫代々が妾と契約出来るようにしたのだ。——己が魂を代償に、な」

 

数多いツッコミどころを口にしかけた谷条は、ケリスが冷ややかな声色で説明を締め括ると背筋に悪寒が走り何も言えなくなる。悪魔らしい威圧感を受けて身震いした後、彼は固唾を飲んで縮こまった。

 

「……おっとすまん、怖がらせてしまったか? 彼奴のことを思い出すと、妾はついつい感情的になってしまう所があるようでな。……質問があるならば、気軽に訊ねてくれて良いのだぞ」

 

だが、ケリスはハッとなって表情を緩めると彼に笑いかける。恐ろしい雰囲気から一転、見た目相応の可愛らしい笑顔に彼は不意にも少しだけ心がざわついた。

 

「では、あの……訊きたい事があるのですが——」

 

彼は頭を左右にブンブンと振って右手を上げると、必死に言葉を選びながらケリスに問いかける。目の前の悪魔は「気軽に訊ねて良い」と許可したものの、祖先の事を直接的に訊ねようものなら再びあの威圧感を受ける事になるのだ。慎重にならざるを得ない。

 

「僕の血筋は恋人を他人に盗られやすい性質を有している、という話なのですが……どうしてそんな事になっているのでしょうか? 何か原因があれば、その解決を優先させた方が合理的だと僕は思うのですが……」

 

怯えながら問う谷条に、ケリスは複雑そうな表情をしてトーンの下がった口調で答えた。

 

「ああ、…………それは簡潔に言えば神の気まぐれという奴だな。根本から解決するというのは不可能だから、あまり深く考えぬ方が身の為であろう」

 

「…………そう、ですか……」

 

少しばかり雰囲気が怖くなった彼女の表情を見て、谷条は右手を下ろすと押し黙る。彼は自分の祖先に根本的な原因があるのだと、彼女の変化を見て何となく把握した。他にも訊ねたい事はあるものの、思いついた質問は全て自分の高祖父の祖父が起こした行動に関係しているので、伏せておくことにした。

彼が質問しない事を確認したケリスが、次に『魂の契約』について説明する。

 

「そして、本題であり妾の目的でもある『魂の契約』とはその名の通り、貴公たち人間と妾たち悪魔の間で交わされる絶対の盟約のことでな。悪魔が契約した人間の欲望を叶えてやる代わりに、人間は契約した悪魔へ血液と貢物(みつぎもの)を譲渡することで結ばれるのだ。人間の叶えたい願望が大きく困難になればなるほど、必要となる血液の量は多くなり、悪魔に譲渡するべき貢物の価値は高価になる。また、当然のことであるが契約出来るのは一人一回だけ。契りの解約も不可能であるし、途中で内容の変更も許されぬ。でなければ世界の均衡が崩壊しかねないからな」

 

「なるほど……」

 

「理解出来たか? ここまでの内容で訊きたい事は何でも訊ねるが良い。勿論、ここまでで説明してない話があれば、それを訊ねてくれても構わんぞ」

 

そう促されて谷条は再び右手を上げて質問をする。

 

「えっと……。もし仮に僕がその『魂の契約』を結ぶと仮定して、僕の願いに応じた血液の量が出血多量で死亡するレベルだった場合はどうなるのでしょうか? そのまま死ぬしか無いのですか」

 

「ふむ…、貴公は大人しそうな見た目をしておきながら案外に強欲なのか?」

 

「うぁ……、えっと…………。あくまで、仮の話です……」

 

「ハッハッハッハ、すまぬ。ちょっとした冗談のつもりだったのだ。一度きりしか無い契約であるのに相場が分からぬのでは、不安で仕方あるまい」

 

高らかに笑ってみせると、ケリスは彼の質問に答えてやる。

 

「だが、たとえ死に至る量を要求されようとも不安に駆られる必要は無い。血液は一度で全てを妾たち悪魔に捧げる必要は無く、健康状態へ害を成さぬよう適度な頻度に分割される。ただし、契約を結んだ以上は必要な量を全て捧げるまで死ぬ事は許されぬがな」

 

「それなら良かったです。……では、次の質問ですが宜しいでしょうか?」

 

「うむ、構わん」

 

「どうして悪魔はそのような契約を結ぶのですか? 人間側にしかメリットが無いように思うのですが……」

 

「ふむ、そういう質問か…。……否、当然だが悪魔にもメリットはある——と言うよりも実は悪魔側の方がメリットは大きいのだ」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「一言に悪魔と言っても階級が存在しておるのだ。より安定した地位を求め、上の階級を目指そうと力を付けるならば、より多くの人間と契約を結ぶ必要がある」

 

「……つまり、上の階級に行けることがメリットなんですね。契約自体はその手段に過ぎないと言いますか…」

 

「まぁ、有り体に言うならばそうなるな。……それで、他にはあるか?」

 

「それじゃあ、はい。今更と言えば今更なのですが、……僕とケリスさんはどうして言葉が通じているのでしょうか?」

 

「……………………」

 

そう彼が質問した瞬間、ケリスは口を開けて唖然とした。至極当然の質問をしたつもりになっていた彼は、どうして自分が呆れられているような視線を向けられているのか不思議に思った。

 

「どうして、とな……。少し考えれば分かるであろうに、本気で申しておるのか? これはどうしたことか、随分と阿呆(あほう)な人間が彼奴の子孫におるものだな」

 

あんまりの言われ様にムッとした谷条だが、それを表にはせず黙ったままでいる。

 

「悪魔は人間と、——それこそ多くの者と契約を結ぶ目的があるのだぞ。老若男女を問わず、国境やら人種やらといった隔たりも関係無く。それなのに人間の用いる言葉を全て使いこなせずにいて、出来る限り多くの契約を結ぶなど不可能であろう」

 

「…………確かに……、そうですね」

 

ケリスの返答を聞いて、どうして呆れていたのかを彼は理解した。言われてみれば、しっかりと考えればわざわざ質問するまでもないような事だと納得は出来る。ただ、それでも言い方は少し優しくしてくれても良いのではないかと彼は思った。が、それを口にする事は控えて更に質問を投げかけることにした。

 

「それでは、最後の質問なのですが……。悪魔に性別があるのかは分からないですけど、男ですか? それとも女ですか?」

 

「……、そんな事が気になっておるのか? もしや貴公、妾のことが——」

 

「ち、違います違いますっ。そんなんじゃないです!」

 

ケリスが言わんとすることを先読みした谷条は両手を振って否定する。その反応を見た目の前の悪魔はつまらなさそうに舌打ちをして不満を漏らす。

 

「そんなに強く否定する必要もあるまいに。流石の妾でも、傷付くことはあるのだぞ」

 

「それは申し訳無いです。ただ、僕が愛しているのは——」

 

と、そこまで言いかけて彼の気持ちが落ち込んでいく。そのたった一人の恋人は、もう彼の傍にはいないのだ。悪魔の存在によって軽く忘れかけていた“現実(あくむ)”が、彼の背中へ重く圧(の)し掛かってきた。

 

「……妾は、人間で言うところの女にあたる。が、頑張れば男にもなれる。つまり妾にとって容姿というのは人間から視認さえして貰えれば何でも良い、魂のパッケージに過ぎないというわけでな」

 

「…………そう、なんですね……」

 

「……こら、貴公。己から訊ねてきておいてその反応は無かろうに。せめて、もう多少くらいは興味を持った風に装(よそお)ってみせんか」

 

「すみません、少々……色々とありまして…………」

 

「……ここまでの説明を聞いて、妾がここにおる理由がわかったであろう?」

 

「それは…まぁ、はい。何となくは……」

 

谷条の家系は代々、恋人を寝取られる性質を有していて、それをどうにかしようと彼の高祖父の祖父が目の前にいる悪魔、“ケリス”と契約を交わした。その彼女が、ビデオレターを見たその日に召喚されたということは——、

 

「僕と、『魂の契約』を結びに来た。……そういう事、ですよね」

 

言わずもがな、血液と何かしらの貢物を代償にして彼の願望を一つだけ叶えに来た。そして彼の願望の内容は十中八九、失った恋人に関することになる。

 

「然り。妾はここへ来る前に、貴公の事情をある程度までは把握しておる。……して、貴公は妾と契約を結んで何を願う? 貴公が望めば、何(・)で(・)も(・)も叶うのだぞ」

 

「…………、何でも……ですか?」

 

彼が問い返すと、ケリスはゆっくりと頷いて答える。

 

「ああ、本当に何でも叶う。……ただし、あまりに無茶な願いや度を過ぎた望みを要求すれば、死ぬことは無くとも手痛い出費を支払うことになるが…、どうする?」

 

念を押すように改めて答えを迫る悪魔、ケリス。

彼女の甘く蕩けるような声が谷条の脳に浸透し、彼の内側からどす黒い欲望が湧き上がってくる。

 

(……………………、でも……これは違うな……)

 

口から出かけた言葉を飲み込んで、奥から湧き上がる欲求に蓋をする。彼の脳裏には、先程まで見ていたビデオレターの内容が鮮明に焼き付いていた。

——あれは僕が引き起こした事なんだ。彼女の愛情の上で、暢気に胡坐をかいていた、僕に対する罰なんだ。血筋とか、そんなの関係無い……僕への戒めだ。——

落ち着きを取り戻しつつあった彼の頭には、そういう考えが止め処なく浮かんでくる。ここで悪魔とやらに頼るのは間違っている、と自分に言い聞かせる。

 

(……それに——)

 

彼は再びテレビの方へ顔を向けて、映像の中の彼女を想起する。あの動画の中で彼女は、これまで見たことの無いような恍惚として気持ち良さそうな表情を浮かべていた。谷条との行為中では見ることの無かった、幸せの絶頂にある顔。

彼には、その邪魔をすることが憚(はばか)られたのだ。

 

「……それで、どうなのだ? 妾と契約を——」

 

「結びません」

 

ケリスの問いかけに、谷条がきっぱりと断りを入れる。

彼の心の奥底から顔を見せていたはずの、どす黒い欲望はすっかりと影も形も無くなっていた。寧ろ、どこまでも晴れ渡っているような感情が広がっている。

 

「……今、何と?」

 

「諄(くど)いですよ、何度も同じことを言わせないでください。僕には契約を結ぶ気がありません」

 

ちょっとした苛つきを見せながら、彼は躊躇いも無く答える。

 

(これは僕への試練……、僕が越えなくちゃいけない事なんだ)

 

その表情には悲壮感や焦燥感も感じられ、彼の心中には自分を責めるように戒める感情や思考が渦巻いていた。確固とした意志で答えた、その心の裏にはどこか諦観があったのかもしれない。

 

「……………………」

 

入り込む余地の無さそうな彼の表情を見て、ケリスは溜め息を一つ吐いて断念する。これ以上の説得は無意味だろうと、彼女は判断したのだ。

 

「わかった、妾は貴公の意思を尊重しよう。…………だが、気が変わった時や辛くなった時は迷わず妾の名を呼んでくれ。すぐにでも駆け付けるから——」

 

「その必要は無いです」

 

食い気味に言葉を遮った彼にケリスは返す言葉も無く、哀し気な表情を浮かべて魔法陣を展開した。そして、瞬く間に部屋から姿を消す。

誰もいなくなったリビングの電気を消して谷条は寝室へ向かう。

 

◆◆◆

 

翌朝、出社した彼に待ち受けていたのは想像を絶する精神的苦痛の連続であった。

 

「……おはよう、ございます」

 

「おはよう」

 

朝、会社で歴島を見かけた彼は少し気まずそうにしながらも挨拶をする。そして彼女は普通に挨拶を返してくれた。——友達よりも離れた関係の、淡泊な声色で。

その声を聞いた瞬間に彼は彼女との心の距離を感じられて、胸を締め付けれられる錯覚に襲われ眩暈がした。二言目も無く歩き去っていく彼女の背中を見つめながら、彼は大きく息を吐き出して気持ちを切り替える。

 

(この程度で挫けてたまるか。……僕は——)

 

「おっはよ~、壱く~ん」

 

背筋を正して歩き出そうとした刹那、彼の背後から本能的に嫌悪感を抱かせる声が聞こえてきた。背中に脂汗をかきつつ彼が振り返ると、そこには何気ない笑顔で手を振りながら歩いてくる狭間の姿があった。

 

「おはようございます、狭間さん」

 

だが、そこで抱いてしまった嫌悪感を表には出さず、彼はいつも通りの挨拶を返す。

——いますぐ殴り掛かりたい、自白させたい。どうして彼女を奪って行ったんだ、って問い詰めたい。——

 

「今日は随分と早い出勤ですね。何かあったんですか?」

 

底から湧いてくる怒りや憎しみを感じながらも谷条の口から出て来たのは、そんな言葉だった。あんな事があろうとも、彼はどこまでも気丈に振舞って見せる。

 

「……。まあ少しだけ、な」

 

いつも通りで何の変化も無い彼の態度に、訝し気な視線を向けつつ狭間が歯切れの悪い答えを返した。その眼は、どこか谷条を試しているようでもあり、何かを企んでいるようでもあった。

 

「……まあ、お互いに頑張っていこーや」

 

暫く彼を見定めていた狭間が彼に背を向けて声を投げかける。

 

「……………………」

 

醜い自分へ蓋をしながら明るく振舞う谷条。だが、彼への苦しみはこんなもので済まされるはずが無かった。

 

一日中、悲しみや憎しみに苛まれる感情を押し込めつつ仕事をこなした彼が帰宅すると、携帯電話に一本の電話がかけられた。何気なくその電話に出た彼の鼓膜を震わせたのは、彼が愛していた女性の変わり果てた嬌声だった。

 

「ああぁぁっっっ、んはぁっ、あんっ…そこぉぉ、いっ、いいぃぃっ」

 

「っ」

 

彼は咄嗟に通話終了のボタンへ指を運ぶ。——が、それを押すことが出来なかった。

 

(……これも、僕への試練なんだ。罰なんだ)

 

そう思い直すことで自分自身を支える。今にも崩壊しそうな心を、懸命に抑えつけて保ち続けている彼に、朝も聞いた下衆な声が響いて来た。

 

「壱くん、キミの恋人は本当に良い女だねぇ。……あっ、元(・)恋人だったっけ?」

 

「…………」

 

「いやあ、前々から想い焦がれてはいたけどこんなに素晴らしい女性(ヒト)だとはねえ。性格も良いし、スタイルも抜群だし、努力家だしねえ。何よりエロいんだよなあ、本当に。こんなの毎晩ヤってても飽きなんかこねぇって」

 

「…………」

 

挑発してくるような電話主の声にも一切反応は示さず、彼はただ黙って受け入れていた。言い返したい言葉も全て飲み込み、あるがままの現実に耳を傾ける。

 

「こんな何しても反応してくれる恋人なんて、そういないぜ? 一体どんな営みを毎晩していたんだろうねえ。彼女が可哀そうだわぁ」

 

「——っ!」

 

痛いところを突かれ、彼は歯を食いしばる。テクニックの無さを愛情でカバーしきれると考えていた昔の彼を指摘されたようで、喉まで上がっていた恨み辛みが自然と下がっていった。

 

「んっ、んはぁっ、あぁっ。…そんな電話ぁ、はやく切ってぇっ、…あぁんっ。もっと私にしゅうちゅうしてぇぇっ」

 

「ああ、悪ぃ。そんじゃ、また明日な~」

 

それだけ言って狭間が電話を切ってしまう。

何も言い返さなかった彼は携帯電話を握り締めたまま、両膝を床にくっつけた。離れて行ってしまった幸せを悔やみながら、そのまま彼は寝室へ向かった。

 

(…………、これも……耐えなくちゃ…………、いけないんだ。……だって、僕は——)

 

食事も風呂も後回しにして、精神的に疲弊した彼はすぐにでも休みたかったのだ。

着替えもせず、スーツ姿のままで谷条は床に就いた。

 

◆◆◆

 

谷条自身が試練と信じてやまない苦痛が始まって三週間という時間が過ぎた。その間、これといって精神的に参っているような反応を見せない彼を見ていた狭間の嫌がらせは、日に日にエスカレートしていった。

 

「……………………」

 

彼が家を空けている間に狭間たちは歴島の持っている合鍵を使い、彼の寝室でよりハードなプレイを楽しんでは録画した動画をそのまま置いて行ったり、毎晩のように行為中の様子を通話越しに聞かせたり、態々その際に彼の心を抉るような言葉を歴島に言わせたりと様々な手段を使って彼の精神を徹底的に追い詰めていった。

そんなにも彼に対して憎しみを抱いていたのか、それとも単純に楽しくなっていっただけなのか、その両方ともなのか。やり過ぎと思えるような彼への執拗な悪戯が過激になっていくにつれて彼の精神は段々と擦り減っていく。

それでも彼は辛そうな様子を断固として周りに見せなかった。もしかすると、自分へ「これは戒めなのだ」と言い聞かせている内に彼は自分の感情に対して鈍くなっていたのかもしれない。

 

「……………………」

 

今日は狭間と歴島の二人が休日で、会社には来ていない。つまり、こういう日は彼の家で何かしらしていることが彼にも予想出来る。

しかし、彼はその事を考えはしても特別気にすることは無く黙々と仕事を済ませる。

 

「……………………はぁ」

 

そうして何も起きる事無く昼頃になり、彼はコンビニで購入した弁当を片手に休憩室へと向かおうと立ち上がる。その時、彼の携帯電話が震えてメールの受信を伝えた。

 

「…………」

 

画面を確認するとメールの送り主は狭間であった。ある程度予想していた出来事に多少は辟易していた彼だったが、ここで無視をするのは彼自身が許せなかった。開いてみると件名には「お昼のオカズにどうぞ」と書かれてあり、いつもの如く一本の動画ファイルが添付されてあった。

ここ最近のことで慣れつつあった彼は何の気なしに動画を再生して見た。そこに映し出されていたのは、これまた見慣れた彼女と狭間の裸がくっついている光景だった。

 

「見えてるかーい、壱くーん。今日は玄関からお送りしておりまーす」

 

狭間は彼女を背後から抱きかかえており、背面駅弁スタイルで交わっていた。揶揄(からか)うような語り出しで始めた男の声には聞き飽きていた谷条は再生を止めようとする。

——ただ、その瞬間に彼の視界の端である物が映った。

 

「っ……」

 

それは彼が交際して一年経った時に彼女へ送った、初めてのプレゼントでもある花瓶だった。それには二人で花屋から買ってきた季節の華を飾っている。彼女が彼のもとから離れてしまってから枯れてしまってはいるが、花瓶そのものは大切にしていた。

 

「それじゃあ、今日は身律ちゃんのお洩(も)らしがどんな感じか見てもらいまーす」

 

「んほぉぉぁぁっ!!」

 

彼にとっての思い出の品を見て感傷に浸る暇も無く、画面の中で狭間が力強く彼女の臀部へと自身の腰を打ち付けた。ドロドロに濡れていた彼女の割れ目から勢いよく愛液が噴き出してレンズに飛沫がかかる。

それから何度も粘膜へ男が肉棒を擦り付けて、その度に噴水の如き勢いでピュッピュッと透明な水滴が周囲へ撒き散らされる。

 

「はぁんっ、あっ、こりぇっ、りゃめぇっ……ひぅぅっ、んはっ、あぁぁっ」

 

パンパンと小気味良いリズムで破裂音が鳴っては、彼女の口から呂律の回らない喘ぎ声が漏れ出ている。

普段送られている動画とそこまで変わりの無い内容だったが、どうしたことか彼の目はその映像に釘付けだった。興奮していたとか、そういう理由ではない。

 

「んあぁっ、らめっ…らめらめぇぇぇっ。っ、んいっ…くぅぅぅぅぅぅっっ!!」

 

男が腰を打ち付け始めて数分、彼女は盛大に絶頂した。そして、彼女の股間から黄色い液体——尿が飛び出す。腰が少し浮いていた為か、その尿は放物線を描いて飛ぶ。

 

「……あ…………」

 

そうして小便が二人にとっての思い出の品だったはずの花瓶へ引っ掛けられた。下品な音を立てて花瓶を汚しながら、その内部へ排泄液は少しずつ溜まっていく。

その光景を見て、彼の耳に罅(ひび)が入るような音が響いた気がした。何よりも思い出深い物を穢されたという現実が、谷条にとって衝撃的な事この上なかったのだ。

 

(……………………)

 

ここで彼は気づいた、彼が信じてきた試練に終わりが無いことを。——罰を受け続けることに意味も目的も無いことを。

大切にしていたはずの物を踏み躙られ、二人きりの思い出を貶され、それを何とも思わない表情で恋人だった女性が嬉しそうな声を上げている。

この時はっきりと彼は全てを諦めた。

 

◆◆◆

 

「…………辛くなった時は妾の名を呼べ、と……言ったはずであろう」

 

久し振りに人間界へ現れたケリスが足元の人間に話しかける。ボロボロに汚れた服装と、ガリガリに痩せ細った身体に、ボサボサの髪で横たわるその身体からは返事が無く、——そして呼吸も無い。

物言わぬ肉塊と化した谷条の亡骸を見下ろしながら彼女は唯々静かに問い掛ける。曇り空が段々と暗くなっていき、ポツリと水滴が降り落ちた。

 

「……どうして呼ばなかったのだ。こうなる前に、……どうして…………」

 

どれだけ言葉を投げかけようとも、息絶えた人間が答えることは無い。

彼は心が折れた日から家には帰らず、フラフラと彷徨い歩き、気が付くと住んでいた街から離れた雑木林(ぞうきばやし)で倒れた。元々食事もまともに取っていなかった彼が栄養失調になるまでに、そう長い日数はかからなかった。衰弱し切った彼は、誰かに助けを求める事も無く孤独のまま先日息を引き取った。

ケリスは跪(ひざまず)いて骨と皮だけのような状態になった彼の手を取り、更に言葉を投げかける。

 

「…………妾はどうすれば良かったのだ? 強引にでも貴公と契約を交わそうと迫るべきだったのか? それで貴公は頷いてくれたのか? …………っ、ねぇ……何か答えてよ」

 

弱々しく声を震わせながらも、ケリスは必死に声を掛け続ける。

 

「……あなたの恋人を奪った男、…………狭間は悪魔と契約を交わしていたわ。契約によってあなたの恋人を奪い去ったのよ。……、どうしてやり返さなかったの? 争いは何も生まない、って…………そう言いたかったの? それとも償いか何かのつもりだったの? 意味も無い、不必要な無理をして……。どうして、こんな事になる前に……信用できなかったなら別に私でなくても良い、身近な誰かに助けを求めなかったの…………」

 

言葉を途切れさせて暫く俯き、とうに温かさを失った手をゆっくりと放してケリスは立ち上がった。こうなってしまった以上、彼女に出来る事は何も無い。

彼の先祖から続いていた専属契約はこれで終了した。谷条 壱という人間が亡くなったことで血筋は途絶え、彼女はまた他の人間と契約を結ばなくてはならなくなった。

 

「…………、ではな。……出来ればもう少し、貴公と共にいたかったぞ」

 

寂しそうな視線を向けた彼女は振り返り、その場を去って行った。彼女の背中が悲しさを纏(まと)っているのは、契約を結べる相手を失ったことによるものなのか。それとも——。

その真意は不明のまま、小さな悪魔の姿は忽然(こつぜん)と消え失せた。

 

誰にも気づかれない骸(むくろ)は唯一、野生の害鳥カラスにだけ見つけてもらえた。数羽の黒い翼が彼の傍らに舞い降りては、その死肉を啄(ついば)んでいく。内臓を食す彼らの嘴(くちばし)が赤黒い水滴を地面に滴らせる。

引かれて何かを足そうともしなかった彼が、遺体となって警察に発見されたのは失踪から一週間以上が過ぎた冬の朝であった。カラスによって喰い散らかされた遺体は見るも無惨な有り様で、持ち物からでしか身元を判別出来ない程だった。

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