遂に念願の彼女——
新人研修会で一目見た時から夢中になっていた彼は、積極的にアプローチしてきたのだ。彼女が困っていそうなら颯爽と駆け付けて助けてやり、悩んでいる素振りを見たらすぐに話を聞いてやり、そうして関わる内に彼女の内面にも強く惹かれていった。そんな彼女の為に開いた飲み会、——それが全ての元凶だった。そこで彼女は、自分の同期である
——ふざけるな! そんな事が許されるものか!——
それまではそんな素振りを見せた事も無いくせに。積極的な接触も無かったくせに。その男は横から急に現れては想い人を奪って行った。彼が先に彼女を好きになったのにも
二人が付き合うという話を聞いた日の晩には激しく憤慨し、ルームシェアをしている事も忘れて荒れ狂ったものだった。
(……だが、今となってはもう昔の事だな…………)
そうした経緯から
そこから歴島を取り戻す為の計画を綿密に練って、出来る事を彼は本当に何でも実行していった。ある日には異性の友達や知人を呼び出して言葉巧みに誘導しては行為に持ち込んでセックスの経験を高め、またある日には
そんな日々を過ごすこと凡そ四ヶ月前後。ほぼ全ての準備が完了して、あとは計画を実行する日を決めるだけだった彼に朗報が入る。なんと一週間近くの出張が近々予定されている事を知り、誰が適任かと上司に相談されたのだ。そこで彼は迷わず谷条の名を挙げた。あの男を彼女から遠ざける、千載一遇の好機をその手に掴み取った彼は遂に計画を完遂する為の準備が完璧に整った。
(しっかし今日は身律ちゃんが休みかぁ。寂しいなぁー…………)
谷条が上司と出張する為に旅立ったその日から彼は、悪魔と交渉して手に入れた“嗅いだ異性の性的興奮を高める香水”である『
その効果は予想以上であり、厳格とまではいかないにしても真面目で責任感の強い彼女が日に日に様子を変化させていき、三日目にして会社の屋上で自慰行為を始めた。まさかその勢いで屋上から放尿するとは彼は夢にも思わなかったが、どちらにせよ脅しの手段は無事に入手出来た。
だがそこからが中々に大変で、最先端技術を用いた貞操帯を以てしても彼女の心を
彼女の交際宣言を聞いた瞬間から、それまで彼の胸中を支配していた真っ黒い感情が溶けるように消え去り、今度は蕩けるような甘い幸福感が段々と満ち溢れていく。
(今日は帰ってからどんなプレイをしようか。もう、大体の事はしてきたからなあ。他にしてないものは…………)
彼女と付き合ってからというもの、狭間は毎晩のように彼女とのセックスを楽しんだ。会社で見せるような凛々しくて格好いい彼女も魅力的ではあったが、淫らに肉悦を貪る彼女の姿もまた斬新な魅力を放ってどこまでも彼の情欲を煽り、何度抱いても飽きることが無かった。経験したプレイの内容も非常に多岐へ渡り、ソフトなSMから首絞めに青姦、果ては疑似痴漢に全裸散歩等、ヤリたいことはほぼほぼ全てヤッた。
色んなプレイを楽しんできた彼が何よりも興奮したのは、やはり谷条へ送ったビデオレターの撮影時だった。最愛の女性を横取りした極悪人に対して天誅を下す為、相手が絶望するであろう内容を思いつく限り実行する。その間で相手の反応を想像した彼は優越感に浸され、清々しい気分で満たされる感覚を得て胸が躍った。
(……クッ、クハハハッ。ハッハッハッハッ…………)
一年近く前、出張から帰って来て最初に出社して来た谷条のやつれた姿を不意に思い出した狭間は心の中で笑い転げた。たった一日の休日を挟んで会社に来た彼は生気を感じられず絶望しきっていることが明白で、思い通り以上の反応を見せたことが狭間にとってこれ以上無い喜びを覚え、その日は彼女と祝勝会まで開いた。
それから一年の間、その男の彼女を見る目がどこか無様で情けなく、まだ諦めきれていなさそうな雰囲気を纏っていたのだから、彼は毎日笑いを堪えるので必死だった。
(…………はぁ…、笑いすぎた……。ただ、それにしても俺を見ても特に何も思ってなさそうだったのが癪だなあ。もっと怒り狂うかと思ったが……)
彼の見立てでは、恋人を取り戻された谷条が逆上してきて社内で乱闘騒ぎになり解雇されるところまで行くつもりだった。しかし、実際には乱闘騒ぎどころか恨み言の一つすら吐き出されることが無かった。
その一点のみが、狭間にとって残念で仕方無かった。折角、色々な上司と親密になれた彼はその権力を振り
(まあ、あいつが何をどうしたところで身律ちゃんは俺のモノだ。精々彼女との思い出を振り返りながら、独りで虚しくマス掻いてりゃあいいさ)
一頻り大笑いした彼は、すぐに谷条から興味を無くしてトイレから出た。既に彼の脳内では、歴島と今晩をどんなプレイで楽しむのかということでいっぱいになっていた。だが、彼はこの時想像すらしていなかった。
——相手が同じ手段を使えるかもしれない、ということを。
「…………、あん?」
彼の携帯電話が短く震え、一件のメールを受信したことを知らせた。反射的にポケットから取り出して確認すると、その差出人は“谷条”だった。一瞬だけ身体を
そこで彼は、信じられない光景を目にして驚きつつ、得も言われぬ既視感を覚えた。
「んはぁっ! ひょこっ、ひょこきもひいぃぃっっ! あぁっ、らめぇっっ——」
彼の携帯電話のスクリーンに映し出されたのは、四つん這いバックで犯されている歴島の姿。——だが、彼女の表情はとても犯されているようには見えず、狂ったようによがり散らして淫らな笑顔をその顔に張り付けていた。
そして何よりも彼が信じられなかったのは、彼女を犯している人物が谷条だったことだ。
「…………これは、どういうこと……だ…………」
快感で全身を痙攣させながら絶頂している彼女を見て、彼は一言呟く。
二人は撮影している方を気にしている様子も無く、獣のようなセックスを楽しんでいる。そして、二人を横から撮影しているというアングルから察するに、これはハメ撮りというやつだろう。だが、肝心な事が彼には理解出来ない。
(どうやってこれを撮った!? これは合成か? そうだ、そうに違い無い! だってこんな……まさか、こんな——)
——こんな事、あるはずが無い。——
そう信じたかった狭間。
——俺以外の男とこんな風にアヘ顔を晒して身律ちゃんがセックスに励むはずが無い。これは良く出来た合成、もしくは偶然見つけた顔の似た別人とハメている。そしてそれを、当て付けのように俺へと送り動揺する様を想像して楽しんでいるに違いない。——
自分を強く保とうとするも、膝が笑って身体を支えられない。
——あんな大人しそうな顔して、随分な仕返しをして来やがる。目には目を、ってつもりかよあの野郎! ふざけやがって!——
絶望は怒りに変わり、彼は谷条への殺意で満たされていく。幸せな気持ちから一転して、再びどす黒い感情に支配されていき手が震える。絶対的な正義が自分にあると信じ込んでいる彼は、すぐさま谷条へと電話をかけようとした。——が、
「っ!?」
その直前に再生していた動画が中断されて、彼の携帯電話から着信音が鳴り響く。相手は勿論、谷条 壱だった。一も二も無く通話に出た狭間が怒りの限り怒鳴り上げる。
「てめぇっ、あの動画はどういうつもりだっ! どうしてお前がっ、…………お前なんかが身律ちゃんを抱いてるんだっっ! 誰の許可を得てそんな事っ——」
「そうですか。僕が彼女と交際している間に、狭間さんから彼女と性行為に及んでも良いかという旨の許可を貰った覚えが無いんですが。どうでしょうか?」
「……っ、それがどうした!? そもそもはお前がっ——」
「そちらは今、会社にいるはずですよね。そんな大声で叫んでいたら迷惑になるでしょうし、話も長くなりそうですから後で時間を頂けませんか? あぁ、勿論ですが暴力は無しでお願いします」
「ふざけっ…………おいっ、この野郎! おいっ!」
逐一狭間の癪に障る言い方で一方的に伝えた谷条が、そのまま通話を切ってしまう。そして、その直後にメールで時間と場所だけを指定してきた。時間は退勤後になる六時半頃、場所は——狭間が初めて歴島と行為に及んだラブホテルの一室だった。
挑発しているような彼の行動で、遂に堪忍袋の緒が切れた狭間が再度電話を掛け直す。とにかく怒声をあげていなければ頭がおかしくなりそうだったのだ。
「…………っ、クソォっ!!」
しかし何度掛け直しても相手には繋がらない。恐らくは電源を切っているのだろう。
携帯電話が役に立たないとわかった瞬間にそれを握り締めると、力の限り壁へ向かって投げつけた。こんなにも狭間が怒り荒ぶったのは、谷条と歴島が付き合い始めたことを知った夜の日以来だろう。
画面が粉々に割れた携帯電話を更に踏みつけて蹴り飛ばす。これでも彼の怒りはまだまだ収まりそうにない。否、収まるわけが無い。
「……どうしたのかねっ、狭間君! 何か、あったのかい?」
だが、彼の怒号を聞きつけた長谷部係長が現れては怯えた声色で訊ねる。人当たりの良かった彼が、突然に社内で大声を出したかと思うと恐ろしい様子で暴れ出したのだから当然だろう。
親しい上司の前で壁を睨みながら呼吸を整え、少しばかりの落ち着きを取り戻した狭間は深く息を吐いて背を向けた。
「…………すみません。早退させて貰います」
「早退って、急に言われても。何か説明を、…………狭間君? 狭間君っ!?」
突然の事態に混乱している長谷部係長にそれ以上の事を伝える事も無く、狭間は駆け足気味に歩き出して会社を出て行く。舌打ちを何度も鳴らしながら足早に歩く彼は、取り敢えず自分の家へと向かった。
「…………オイッ、悪魔! 見てんだろっ、ちょっと面出せやっ!!」
家の扉を乱暴に開け、開口一番に彼は叫ぶ。彼とルームシェアしている友人は会社に出ていて不在であり、誰もいない空間に彼の怒声が響き渡った。靴を脱ぎ捨ててズカズカと音を鳴らしながら奥へと進み、もう一度呼ぼうとした瞬間に彼の背後から淡い光が発生し始めた。
彼が勢いよく振り返ると、そこには灰色の輝きを放つ魔法陣が浮かんでおり、程なくしてその魔法陣が強く輝き出す。怒りで瞬きすらも忘れて見守ると、何もなかったはずの空間から長身の悪魔が姿を現した。
「御機嫌よう、狭間殿。……どうされましたかな? 血液は先週捧げて頂いたばかりですので、まだもう暫くは——」
「俺の血のことじゃあねえっ! 契約はどうなったんだっ、オイっ!」
恭しく頭を下げて挨拶する悪魔の頭頂部目掛けて、彼は食って掛かるように怒鳴り散らした。そうして簡潔に今日起きた出来事の内容を簡潔にまとめ、捲し立てるように悪魔へと伝える。
彼の話をしっかりと聞いていた悪魔は、何度も頷いて答える。
「成程、そういう話でしたか。……それでしたら、狭間殿の契約はしっかりと成立していますよ」
「どこかだっ! 俺は確かに言ったよなっ、『身律ちゃんを俺の恋人にさせてくれ』ってお前にっ!」
「ええ、ええ覚えていますとも。それでしたら確かに叶ったではないですか、一年間も恋人関係になれたではないですか?」
「はぁっ!? お前、何を言って——」
「契約の内容に期限は決めてありませんでしたし、何でしたら私は狭間殿に提案を致しましたよ。『彼女の精神を操った方が確実ですし、他の人間に盗られる心配も無くなるので安全ですよ』と、確かに言いましたよね? そして、狭間殿はご自身が何と言って私の提案を拒否したのかは覚えていらっしゃるでしょうか?」
「っ! そ、れは…………」
「…………覚えていらっしゃらないようでしたら、私が教えて差し上げましょう。『そんなつまらない方法では俺が満足できない。俺の手でモノにしなければ意味が無い』、と。狭間殿は確か、そう仰られたはずですよ。いやぁ~、あの威勢は格好良かったですね」
悪魔に事実を述べられた狭間は何も言い返せなくなる。それでも尚、悪魔の口は止まらない。徹底的に彼を追い詰めていく。
「ですからその為に、私は
「……………………っ、クソォ! もういいっ」
口論で勝てないと諦めた彼は悪魔に背を向けて家から出て行く。とにかく誰かしらに怒りの矛先を向けていなければ、狭間は自分を保っていられそうになかったのだ。
壊しそうな勢いで扉を閉め、誰もいなくなった家の中で悪魔はヤレヤレと肩を落としながら呟く。
「まったく、狭間殿は少し精神的に幼過ぎますね。だからこそ契約を結びやすかった、というのはありますが……対応がかなり面倒です。あんな人間からでも血を貰わなければならないのですから、悪魔というのは非常に面白くない存在ですね…………」
呆れたように溜め息を吐き、悪魔が灰色の魔法陣を展開すると一瞬にして姿を消す。誰もいなくなった屋内で、台所にあった一つの入れ物が独りでに倒れる。その中身は、精神安定剤——狭間が定期的に服用しているものだった。
一方で、怒りに任せて家を出て行った狭間は近くの薬局に入店した。そこで普段使いしている薬の補充、そして苛ついた時によく飲むコーヒーを購入する。
彼にとっては愛しの女性を再び盗られたという事実もかなり衝撃的で許せないことだったのだが、谷条が本当に諦めていなかったというのが何よりも彼の頭にきていた。
(それにしてもアイツ、いったいどうやって…………)
彼が一番気になっている事。それは、谷条がどうやって歴島と行為に及べたのか、そしてあんなにもよがらせる事が出来るようになったのか、という話だった。彼が計画を始める前ではそんなテクニックは無かったであろう。あれば取り返せていないのだから。
足早に帰宅している最中、彼は
「…………っ!? まさか、アイツも——」
そう、悪魔と交わす『魂の契約』。それがあれば狭間のように、確実な手段で谷条は彼から歴島を奪い取れる。だが、それは一般的に知られることが殆ど無い秘密の儀式。狭間と契約を交わした悪魔は『私以外にも悪魔は数多く存在している』と話していたのだから、可能性として無くはないもののかなり小さい。それこそ、余程の偶然でも起こらない限り実現し得ないこと。
一刻でも早く真相を確かめたかった彼だが唯一の方法であった携帯電話は手元に無く、そもそもとしてそれすら役に立たない。
再度帰宅した彼は空になったコーヒーの容器をゴミ箱へ投げ捨てて台所に向かい、コップへ水を注いで椅子に座る。そしてビニール袋から買ったばかりの精神安定剤を取り出すと乱雑に箱を開封し、錠剤を何粒か掌の上に落とす。
「んんっ、んんっ、んんっ……ぷはぁっ。…………はぁ、クソッ」
用法,用量を気にする事無く適当な匙加減で服用し、狭間は一息ついた。会社から家、そして家から近くの薬局までを往復すると時刻は五時頃。谷条が指定した時間まで一時間半はあるが、彼はまだもう少しだけ気持ちを落ち着かせたかった。このまま指定の場所に行ってしまうと、殺人衝動に駆られて事件を起こしてしまいそうだったのだ。
(それに…………アイツに訊きたい事は山ほどある)
暴力は無し、などと宣った谷条の事は気に入らなかったが、それでも事件を起こす前に知りたいことは訊いておかなければならない。それをまとめる時間が、今の彼には必要不可欠だった。
(まずは、『魂の契約』を知っているかどうか。そして、もし知っているならどこで知ったのかということ、それから契約を交わした悪魔の名前も一応訊いておくか。後で絶対にぶちのめしてやる……。もし教えた野郎もいるなら、一緒にブチ殺すっ。アイツに関わった奴ら全員まとめて殺してやる——)
所々で抑えきれない怒りを漏らしながらも、質問内容を考えていく狭間。ただ、訊ねたい事柄よりも私恨の割合の方が大きかったのだが——。
そうこうしている内に、時刻はいつの間にか七時前。谷条への怒りを抑えきれずに罵詈雑言を心の中で浴びせていたら、約束の時間を越えてしまっていたようだった。
(…………そろそろ行くか……)
ただ、二時間という時間は彼にとってかなり大きく心には多少のゆとりが生まれていた。相手の態度次第ではあるものの、今のコンディションならば一発殴るくらいで——否、三発殴るくらいで彼は相手を許せそうな気がしている。
ゆっくりとした動作で腰を上げると、狭間は家を出て行く。
(頼むから俺を挑発すんなよ。マジで殺すからな…………)
念の為に家の鍵以外は何も持たずに出て来た彼だったが、その鍵すら挑発されようものならば鍵穴と間違えて眼孔に突き刺してしまうかもしれない。そうなっては訊きたい事も聞けなくなってしまいかねない。
相手が丁寧な言葉遣いで下手に出ることを祈りつつ歩き続け、気が付くと彼は指定されたラブホテルのカウンターにいた。そこで部屋の番号を伝え、自分の名前を出してその部屋にいる人物のツレであることを教えると、受付の人に案内される。
そうして部屋の前に立った狭間は軽く深呼吸すると、ノックもせずにドアノブを捻って中に入る。
「……待っていましたよ、狭間さん」
部屋の中で、谷条は二人分のお茶を用意して椅子に座っていた。ご丁寧なことに、机の中央にはお茶請けまで用意されている。余裕綽々な姿勢を見せつけられた狭間は既に苛つき始めたが、必死に殺意を押し込めつつ谷条と対面する位置にある椅子へ腰を下ろした。
「本来なら顔も見たくなけりゃあ、声も聞きたくねえ。だからさっさと終わらせるぞ。まず、お前は契約を結んだのか?」
谷条の胸倉を掴みかかろうとする自分の心と両手を抑えて、相手を睨みつけながら話し合いを始める狭間。単刀直入にそう訊ねられた谷条は少しだけ萎縮すると、真っ直ぐな眼で相手を見つめながら簡潔に答える。
「…はい、結びました。やはり、狭間さんも『魂の契約』を知っているんですね」
「今、俺の事は関係無ぇだろ。今俺が訊きてぇのはお前の事だ、黙ってろボケナス」
「……………………」
とても話し合いをしに来たという風ではない狭間の態度に、谷条は残念そうに息を吐く。
それもそのはずで、まず互いの認識から相違が生じているのだ。谷条としては互いに非がある件だったと考えていて、お互いがどのような思いで行動を起こしたのかを把握しようとこの場を設けている。対する狭間は、この件において全ての非があるのは谷条であると考えていて、自分から二度も想い人を横取りした経緯と思考を尋問しに来ている。
前提から目的まで、この二人の全てが噛み合っていなかった。
「……それで、どこから契約の事を知った? 一体、どこのどいつがお前にアレを教えやがった?」
「…………? それを訊いて——」
「俺の質問に答えろ、っつてんだ。殺すぞ」
ここで初めて、谷条は相手と自分の目的が違っていることを理解した。相手は本当に話し合いをするつもりなど一切無く、ただただ自分が歴島を取り戻した方法やその経緯が知りたいだけなのだと、——と。
「……僕に『魂の契約』を教えてくれたのは、僕と契約を結んでくれた悪魔です。出張から帰って来てあのビデオレターを見た、その晩のことでした」
「…………で? そいつの名前は?」
「だからそれを訊いて——」
「っ」
谷条が再度訊ね直した瞬間に、狭間の怒りが爆発した。机から乗り上げて相手の胸倉を掴み上げ、高圧的に怒鳴り散らす。
「二度も同じことを言わせるんじゃあねぇっ! お前はただ俺の訊いたことについて、大人しく答えてりゃあいいんだよっ! いい加減に理解しろっ」
「……………………」
異常なほどの興奮状態にある狭間の怒声を至近距離で聞かされた谷条は黙り込む。
人の恋人を寝取り、わざわざその動画をCDにして送り付けてきたことから怒らせると
そんなことを考えて何も言葉を発さなくなった谷条を突き放すように解放して、狭間は自分の席に腰かける。
「次は無ぇぞ、わかったな」
「…………はい」
——道を踏み外してしまったのはお互い様だから、きっと話し合えば分かり合える。——
そう思っていた谷条だったが、早くもこの場を設けたことを後悔し始めていた。彼が思っていた以上に狭間の自分へ向けてくる敵意が強く、どうにも話し合いをする雰囲気には到底なれなかった。
ただ、狭間がここまでの興奮状態にあるのはロケーションにも問題があった。部屋番号自体は異なっているもののこのホテルは狭間が歴島を脅す際に使用し、そのまま初めての性行為に及んだ場所。二人で話すなら他にも場所は考えられるのにも拘らず、彼にとって思い入れのある場所へ呼び出したことが気に入らないのだ。
しかし、谷条はそのことを知らない。どちらかの自宅というのはいざという時に人目が全く無く、最悪の場合殺人事件が起こることまで予想した彼は公共施設の中から選択しようと思い至ったのだ。だが、お洒落な喫茶店で話し合えるような内容ではなく、悩んだ末にラブホテルを話し合いの場に指定した。
(こんな事でしたら、狭間さんの家で話し合うようにしていれば良かったでしょうか。そうすればきっと、もう少し落ち着いて話をしてくれていたのでしょうか……)
相手が興奮している事は谷条も予想出来た。それならば、相手の家を指定することで多少でも冷静な話し合いが出来るのではないか、という風に考えたりもした。もしも騒動が起きた場合には最悪の事態になりかねないが、それでも唯一まともに話し合える環境だ。
だがしかし、彼は狭間がルームシェアをして暮らしていることを知っている。知っているからこそ、その住人にこんな言い争いを聞かせてしまう上に巻き込んでしまうかもしれないことを申し訳なく思った。そして選択肢から一番に除外したのだ。
(…………もう、話し合いは無理そう……なんですね…………)
谷条は心の中でひどく落胆した。
「最後にもう一回だけ訊くぞ。…………その悪魔の名前を教えろ、お前からの質問は一切受け付けねえ」
「…………、ケリス様。……ケリス様…………です」
——あまり、こういう手段には出たくなかったんですけどね。——
そう心の中で呟きながら谷条はその悪魔の名前を口にした。とても心の落ち着く、呼び慣れたその名前は——彼にとって唯一の
「……ケリス…………だな——」
念のために持ってきていたメモ帳に狭間はその名を書き記す。そのメモ帳は、帰宅後に自分と契約した悪魔に伝えて処罰を与えて貰うための物。いわば、彼にとっての『デスノート』代わりだった。
しかし、そのメモ帳に名前を記して次の質問を投げかけようとしたその瞬間——。
「…………? あ、れ…………」
狭間は自分の身体が傾き、深い眠りに
◆◆◆
「……………………? …………っ!」
だが、それを知って安心するのも束の間のこと。直後に彼は自分が縛り上げられている事に気づく。
「……起きましたか?」
どうやら彼は何者かに眠らされた上で、ロープによって両手首や両足首などを厳重に拘束されてベッドの上に寝転がされているようだった。谷条は彼の目の前で膝を付き、さっきまで座っていた椅子には見知らない女の子が大人しい様子で腰かけている。
その大まかな容姿は人と変わらぬソレは、角や尻尾が生えていて見るからに人とは違う存在であることを彼は理解する。そして、眠らされる前に谷条から訊き出した名前を思い出して彼は口にした。
「……お前が、ケリスか……………………」
「…………妾の名を呼んだか? 貴様が妾に、何か用でもあったのか?」
「っ、用しか無いんだよ……。お前がこいつに契約を教えやがったのかっ! ふざけた事してんじゃねえよっ! それからっ——」
「もう良い、黙れ」
溜まりに溜まっていた怒りが遂に爆発し、狭間は吠えるように視線の先の悪魔へ怒声を吐き出した。しかし、悪魔が彼の言葉を遮ると指を鳴らす。そして喉が絞められるような苦しみに襲われ、一言も言葉を発せなくなる。
「ケリス様、威圧し過ぎないでください。僕は話し合いを——」
「それが不可能であると判断したから妾を呼んだのであろう。ならばその様な綺麗ごとは必要無い、さっさと尋問をせぬか。やり方は教えたはずであろう」
「……ですが——」
「妾は貴公の意見を尊重したくはある。だが、このような茶番に付き合わされた上でその様な御託は聞きたくない。訊きたい事があるのなら、一方的に問い詰めれば良かろうて。そこの男のようにな」
「っ!!」
明らかな敵意と殺意を向けられた狭間の背筋が震える。冷たい汗が流れ、本能的な生命の危機を感じ取る。思えば、彼が悪魔という存在から威圧を受けたのはこれが初めてのことだった。
「無論、貴公にはそこの男のような人間になって欲しくはない。だが話が進まんと言うのならば致し方あるまい。……それに、いつまでも下手に出ておるから話し合いに取り付いて貰えぬのだ」
「それは、…………」
「優しい性格なのは貴公の長所であるが、同時に短所でもある。時には心を鬼にする事も必要なことであろう」
「……………………」
ケリスにそう諭された谷条は心を入れ替える。
感情的にはならないように、気を付けつつも出来る限り語気を強めて話を訊く。彼にとっては中々に難しいことだが、決して不可能なことでは無い。彼がこの一年で学んだのは、性に関するコントロールだけではない。
萎縮している狭間に向き直り、今度は谷条から質問し始める。
「……どうして狭間さんが、あんな事をしたんですか? 会社で、とても優しくしてくれた狭間さんが……彼女を……」
「…………お前、どの立場から物言ってんだよ。…………っ、早くこれを外しやがれって言ってんだ! 俺はお前を許さねぇ!」
身体を縛ったくらいでは狭間の態度は変わらず、未だに谷条へ高圧的に命令する。
「狭間さんが落ち着くまでは縄を解けません。それよりも、僕の質問に答えて下さい。どうして狭間さんが——」
「うるせえっ! 俺から身律ちゃんを二度も奪った挙句にこんな真似しやがって、お前は何様のつもりだよっ! いいから早く解きやがれっ!」
「っ、…………ですから——」
「もう黙れよお前っ、俺に指図すんじゃねえっつってんだろ! いいからっ、この縄を早く解きやがれっ!」
落ち着いて言葉を投げかけ続ける谷条に食って掛かる勢いで怒鳴り散らしている。一向に冷静さを取り戻す様子を見せない彼を見て、二人から離れた位置で静かに座っているケリスは分析する。
(…………、
そう結論付けた彼女は谷条を挑発しようと口を開いた。
気が強くなっているだけなのならば、相手よりも強い威圧感を与えることによって怯えさせ話を聞きやすくなると考えたのだ。勿論、この手段が逆効果になる場合もあるのだが彼女自身から殺気を向けた際に相手は怯えた様子を見せたので効果はあるはずだ。
しかし、彼女が声を発する前に谷条が叫んだ。
「もう黙れ、はこっちの台詞だよこのボケがっ! いい加減に僕も飽き飽きしてんだよ、その馬鹿みたいな遠吠えを聞き続けるのもさっ! そもそも、先に仕掛けたのはあんただろうが。これ以上そんな風に意味の無い事叫び続けるつもりなら、その喉を潰してやろうか!」
温厚な谷条が、ドスの効いた声色で思いの丈を吐き出しながら狭間の髪を片手で引っ掴んむと持ち上げた。初めて感情的な叫び声をあげる彼だが、全て言い終えた後の両肩は激しく上下に動いて叫び慣れていない様子が見て取れる。
その声を聞いた狭間とケリスが呆然としていると、荒げた口調のまま谷条は相手の髪を投げ捨てるように離すと狭間に向かって再び問い
「人が出張に行って、帰って来たらあんな趣味も胸糞も悪い物を用意してやがって。…早く何か答えろよ。何の悪ふざけで
走って来たかのように息を切らして怒声を上げていた彼だったが、思っていた事を全て吐き出したおかげか少しずつ呼吸を落ち着かせていく。
「…………、先に仕掛けたのはお前の方なんだよ」
本音を曝け出した彼に触発されて、狭間はそう言って事の発端を話し始める。
「お前は知らねぇだろうがなあ、俺は新人研修してた頃から身律ちゃんの事が好きで好きで仕方無かったんだよ。だから俺はその日から彼女にアプローチをずっとずぅっっと掛けてきたんだ。それなのに…………っ、それなのにお前がいきなり横からしゃしゃり出てきて俺から彼女を奪って行ったんだ! 全てはあの日、彼女の為に飲み会を開いた時にお前さえ呼ばなけりゃあっ……」
「…………狭間、さん……」
「俺が先にすきになったんだっ! お前よりも、確実にっ! なのに、……それなのにお前は…………、お前がっ…………」
数年にも及んで狭間が周囲には隠し続けてきた想いを口にして、室内に静寂が訪れる。
お門違いと言われればそれまでだが、狭間が歴島に向けていた感情も本物だった。長らく想い続けていれば必ず叶うなどという都合の良い話は無いが、それでも片想いしていた異性を目の前で他の人間に奪われた苦しみとして見れば、彼のそれは真っ当な感情だった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁ——」
目の前で呼吸を整えている狭間を見て、谷条の胸の内からある感情が湧いてくる。
それは本気の恋故に拗れた感情を八つ当たりされた事に対する呆れか、それとも本気であったが故に失恋した感情が爆発してしまった事に対する憐れみか——。
(……いや、違う…………)
狭間の反抗的な眼、怒りで震えている唇、呼吸が乱れて激しく動いている胸。
彼はそんな光景を目にすると、どうしようもなく胸が高鳴って息が速くなるのだった。その反応はまるで——、
「狭間、さんが…………可愛い……」
「はぁぁっ!!??」
愛しい者を見ているような気持ちだった。
今、彼の目の前にいる狭間がどうしようもなく可愛らしく映っていたのだ。高圧的な態度を崩さない姿勢に感じていた怒りは反転し、寧ろ一人の女性へ一途な想いを抱えて暴走していた事が谷条から見ると無様であり、愛しくもあった。
そんな感情を自覚した瞬間に彼は身体の内から燃え盛るような熱の広がりを感じ、全身の血液が股間の一部分に集まっていく実感を得る。大きな体格の内に秘めている、小さくて乙女のような繊細さを持つ心を見出したことで、彼は性的に興奮してくるのだ。
(なんだろう、これ…………。すごく……ムラムラする…………)
「……………………」
狭間に対して性欲が高まっていく彼が、全身からそのオーラを放っているのを半分淫魔となったケリスだけが感知し、そしてその理由を知っていた。
この室内で唯一、事情を全て理解している彼女は心の中で彼に謝罪する。
(……本当にごめんなさい、
『魂の契約』によって悪魔へ捧げなければならない物には二種類あり、欲望の大きさに比例した量の血液,そして何か大切な物を一つ。血液は契約後にある程度の期間をかけて捧げるものだが、もう一つは契約直後で強制的に捧げられる。
谷条が例の契約で失われた物——それは、『性欲に対する
『性欲に対する自制心』が失われたことによって彼の
また、契約を結んだ事によって人間が捧げた大切な物は契約を結んだ悪魔に直接譲渡される。つまり彼が失った『性欲に対する自制心』はケリスへと受け渡され、これのおかげで彼女は今でも半分は悪魔として存在していられるのだ。——それはどういう事なのか。
契約によって一人の女性の為に改造するはずであった彼のイチモツは、性癖の拡大に伴ってあらゆる種族にも通用するフェロモンを放つようになってしまった。それにより悪魔を淫魔に堕とし得る力を彼の陰茎は持ってしまったが、彼から譲渡された自制心のおかげで彼女が快楽へと完全に呑まれること無く済んだのだ。
もしもこの事情を知る者がいれば「これは契約違反だ」と思うかもしれない。だが、これでも契約の内容は違反していない。何故ならば彼が結んだ契約の内容とは『貴公が自分自身の努力でイチモツを、恋人の膣に最適なモノへ作り変える』であり、実際に彼の陰茎は恋人である歴島の女性器を他の誰よりも強い快楽に導ける、世界で唯一のイチモツとなっている。つまり、彼女が他の誰でもない谷条の陰茎で最も感じられるようになった時点で契約の効果は寸分の狂いも無く果たされていることになるのだ。
また、自制心が失われたからと言って彼は別に常時発情しているわけでもない。三大欲求に含まれているからと言って、常に眠たい,腹が減っているということが無いように興奮していない時間もしっかりある。ただ、一度興奮すると発散させない限りは時間が経つ毎に高まり続けるようになっただけである。
「はぁ…、はぁ…、はぁ…」
ケリスが責任を感じている眼前で、彼の性的興奮は最高潮になっていた。納まりのつかない昂りから獲物を見つけた狩人のような眼で狭間を見つめ、その視線の異様さに怖気づいた狭間が身動ぎしながら彼から距離を取ろうとする。
息を荒げたまま少しずつ遠ざかって行く狭間を見つめながら、離れた分だけジリジリと詰めていく。
「逃がさ…ない、ですから……」
「ひぃぃっ! こっちに、来るなあっ!」
「そんな……怖がらなくても、いいんですよ? 大丈夫です、男にも……アナはあるんですから」
「うるせえっ、来るな! 来るんじゃねぇぇっっ!」
両手をワキワキさせながら距離を縮める谷条。
それに対して芋虫のような動きで必死に逃げていた狭間だったが、彼の背中がついに壁と接触した。——もう、彼に逃げ場は無い。
「さぁ、さぁ……僕を受け入れて下さい。狭間さん……」
荒ぶる欲求に流された谷条の双眸は充血する程にガン決まっていた。そんな彼の様子は、縛られて満足に動けない狭間へトラウマ級の恐怖を植え付けるのに充分過ぎた。
「……お願いだ、頼むから俺を解放してくれ。もう身律ちゃんからは手を引くしお前にも何もしないと誓うから……、俺を見逃してくれ……」
「そんなに怖がることは無いんですよ? ほら、ここにローションもありますし、感染症のリスクが気になるのでしたらゴムもありますよ。これで準備は万全です」
「そういう事を言ってるんじゃあねぇよっ、……おいっ、触るなっ! なあそこの悪魔、俺を助けてくれっ! 頼むよっ」
性欲が暴走している所為か、テンションがおかしくなっている谷条からどうにか逃げ惑っている狭間は視界に映ったケリスに助けを求めた。しかし彼女に彼を助ける義理も無ければ道理も無く、そもそも谷条がこうなった発端として彼も関わっているのだから、言ってしまえば自業自得なのである。
助けを求められたケリスは魔法陣を展開し、その場から姿を眩ませた。
「畜生っ、逃げやがった! こうなったら、どうにかしてフロントに——」
「もういい加減に諦めて下さいよ、狭間さん。そうして逃げ回っている姿を見せられると余計に興奮してくるので、大人しくしてて下さいね」
懸命に谷条から逃げていた狭間だったが、遂にその足首に彼の右手が届いた。
「ひぃぃっ!」
足首を掴まれた狭間は顔を青ざめさせて呻き、ジタバタと藻掻いて振り解こうとする。
だが、その抵抗も空しく終わりズボンが引き摺り下ろされてしまった。我武者羅にこの場から逃げ出したくとも時すでに遅く、菊門へローションが塗り込まれる。
「お願いだ…………。謝るっ……謝るからっ……、それだけは勘弁してくれ…………」
「大丈夫ですって。男への責め方もばっちり教わったので、すぐにでも気持ち良くなれるはずですから。僕に任せて下さい」
「安心できねえって言ってんだろ、…………やめろ……っ、やめてくれぇ……」
恐怖に顔を歪ませて首を横に振り続ける狭間。そんな彼のアナルへ谷条の指がゆっくりと侵入していき、部屋中に悲鳴のような彼の
そんな彼の叫び声はいつしか甘く蕩けた嬌声に変わり、翌日の明け方近くまで響き渡ることとなった。
◆◆◆
谷条の出張後から一年近くにまで渡って揉めた、通称『寝取られ騒動』は狭間の貞操という犠牲が出ながらも無事に幕を閉じた。
一度は狭間の恋人となった歴島は谷条の努力の甲斐もあって、再び彼の恋人という関係に落ち着いた。最初は裏切ってしまったことに対する罪悪感からチグハグな関係となってしまっていたが、それから一ヶ月,二ヶ月,半年と月日が過ぎていく内に周囲からの手厚いフォローを受けて段々と修復されていった。今では元通り——否、様々な苦難を共に乗り越えた二人は以前以上に良好な関係を築いている。
「壱さん……。その…………今夜もどう……、かな?」
とある日の夕食後、歴島は谷条へ問いかける。
「えっ!? 今日も、ですか……?」
テレビをぼんやりと見ていた彼はそんな誘いを受けて驚いた声をあげる。それは連日のことだったから、という理由からであった。そしてもう一つ、大きな理由がある。
「その……大丈夫なんでしょうか? お腹に負担、とか……色々と…………」
そう、彼女は妊娠しているのだ。まだそこまでお腹が膨らんでいるわけではないが、それでもその中には新たな命が宿っている。彼は母子両方の心配をせずにはいられなかった。
「フフッ、壱さんは心配症ね……」
「心配症にもなりますよ、こういう経験は初めてなんですから。身律さんのこともそうですし、赤ちゃんのことも大切にしたいです」
「…………それもそうですよね。わかりました、今日は止めておきます」
「っ……、ですが…………その……、……明日なら…………良いと思います。明後日は二人とも仕事が休みですし、ゆっくりできるはずですから……」
「あぁ、確かにそうですね。……ではそうしましょう」
相手の意思を尊重しつつ、折衷案を提案して考える。
騒動前には彼がしてこなかった事だ。そういう気遣いをしてこなかったが為に、彼女へ負担をかけてしまっていたのではないか、という反省を踏まえて彼は積極的に相手の考えを
「……貴公、妾に血を捧げる日であるぞ。腕を出せい」
夜の営みをする日を決めた二人がテレビに顔を戻そうとした時、リビングで淡い紫色の光が放たれたかと思うと聞き覚えのある声が耳に届いた。
「ケリス様っ」
「……敬われることに悪い気はせんが、様付けはそろそろ止めんか? 妾と貴公の仲なのだから、もう少しフレンドリーな呼び方をしてくれといつも言っておるだろうに」
「それを言うならケリス様だって、その威厳を見せようと取り繕っている口調を中々戻そうとしないじゃないですか」
「それとこれとは話が違うのだ」
半淫魔となった悪魔——ケリスは、今でも定期的に『魂の契約』で提示した量の血液を彼から受け取りに人間界へ来ている。また、そのついでといってはなんだが彼の様子を確認する目的もある。やはり自身との契約による責任を感じているようで、彼の性欲が暴走してしまいそうになった時はいつでも欲求の増幅を抑える薬——『
ちなみに、契約によって失った物について彼女は彼に教えている。狭間を襲ったことについて疑問を抱いた彼が問いかけ、それに答える形で彼女はその詳細を話した。全てを話し終えて今まで黙っていたこと、そしてこんな事になってしまったことを謝罪した彼女を彼は笑って許した。見方によっては契約前に彼が危惧していたような代償となってしまったのだが、それでも彼は——、
「そもそもとしてこんなズルをして願いを叶えているのですから、それくらいの罰はあって当然の事です。それに、僕の気持ち次第で興奮そのものを抑えれば良いだけですので、ケリス様が気に病むようなことはありません」
と言ってのけた。あまりにも聖人のような返答をした彼に、彼女は更に罪悪感が膨れ上がり暫くの間は彼と顔が合わせづらくなったのは別のお話である。
「…………、特に変わり無くやっていけてるみたいね……」
「……え? 何か言いました?」
「オッホン。……幸せそうで何よりだ、と言っただけである。それよりも、早く腕を差し出せと言っておるのだ」
安心したように微笑んで思わず呟いたことを谷条に聞かれそうになった彼女だったが、素早く話題を変えてしまった。そして彼は「そうでした」と言って、すぐに袖を捲って彼女に腕を差し出す。
もうすっかり見慣れた容器を腕に刺されて小さく呻いている彼を見ながら、歴島は笑顔で話しかける。
「相変わらず凄く太い注射器ですね。『魂の契約』を結ぶと、こんな物で血を抜かれるんですか?」
「……えぇ、そうですね」
騒動が終わって暫くした後に、彼女にも『魂の契約』については説明してある。極秘の儀式ではあるが、口外厳禁という程に隠さなければならないものでもなく、その上彼女は関係者だ。事情を説明する為に、この話題は避けて通れない。
「だから身律さんは結ばない方が良いですよ。助けては貰いましたが、そう
「オイこら、よりにもよって悪魔の前でそれを言うか。否定のし難い事実を伝えるでないぞ、一回の採血量を倍にするぞ」
「すみません、許してください」
「フフッ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。悪魔にも神様にも助けて貰う必要が無いくらい、私は今とても幸せなので」
「身律さん…………」
眩しい彼女の笑顔と言葉を聞いて谷条は胸が高鳴り、全身の血液が下半身の一部分へと集まっていくのが感じられた。ズボンの中にある海綿体で出来た肉の芽が急激に成長していき、立派な茎へと変貌を遂げていく。
「っ、おい貴公! 血を採っている最中に興奮するでない、早く萎えさせろ」
「……身律さん、僕…………もう——」
必死に呼び止めるケリスの声は既に彼の耳には届いておらず、期待するような目線で歴島の顔を見つめている。その表情は言うまでも無く、興奮していた。
「お、
「行かせぬわーーっ!」
彼の腕から針を抜いてケリスはしがみ付く。血を抜いた直後に激しい運動など、彼の健康的にさせられたものではない。それに、『明日の晩に』という約束を彼女はしっかりと聞いていたのだ。
「折角良い雰囲気で纏まろうとしておったのに、どうしてそうなる。取り敢えず今晩は止めておかぬか、…………貴公っ!?」
「放してください、ケリス様。男にはやらねばならない時があるのです、それは——」
「今ではない! 断じて今ではないぞ、貴公っ! 確かに自制の心は失ったが、理性は残っておるだろう? 自分をコントロールするのではなかったのか?」
「…………ケリス様、良いですか。相手は僕の恋人で、そして誘っているのは彼女なのですよ。これのどこに問題があると言うのですか?」
「…………それは、そうかもしれぬが——」
「よし。身律さん、ベッドに行きましょう」
「はいっ」
「行くでない! 貴公の身体に良くないのだっ。だから言う事を聞かぬかぁっ!」
三人ですったもんだしていると、突然インターホンが鳴った。騒ぎすぎて近所迷惑になっただろうか、と少しだけ冷静さを取り戻した谷条が玄関に向かう。——イチモツを屹立させたままで。
「…………はい、どちら様でしょうか」
彼がガチャリと扉を開けて訪問者を確認すると、そこにいたのは狭間だった。
「……夜分遅くに悪いな」
狭間は申し訳なさそうに言うと、彼にローションを差し出した。
「こんな時間からですまないが、俺の疼きを止めてくれっ!」
あのラブホテルで貞操を失った彼は、尻の穴を彼のイチモツで穿られる快楽に目覚め、今となっては数週間に一回は彼のモノで絶頂しなくてはならない身体となってしまった。
そんな狭間を快く受け入れて、彼は家の中へ通した。
「よし、それじゃあ皆で仲良く楽しもうっ」
「「おーーっ!」」
三人があの騒動で失った大切な物は“落ち着き”なのではないかと思えるほどに、性格とかその他諸々が大きく変わってしまっていた。危ない薬でもキメているようにしか見えないテンションで、三人は寝室へ向かって行く。
「コラ、貴公っ! いい加減にせぬか! 血を抜いたばかりは身体の為に大人しくしておらんかっ——」
「ケリス様は来ないんですか?」
「……、何をっ」
彼を呼び止めようとした彼女が予想外のカウンターを喰らう。彼から『性欲に対する自制心』を捧げられた彼女ではあるが、半分は淫魔となっているのだ。その誘惑はあまりにも魅力的過ぎた。
「ケリス様もどうですか、久しぶりに」
「そ……っ、それは…………」
「えぇ~、来ないんですか? 来ないならケリスさんの分だけ、私が壱さんの精液を貰いますね」
いつまでも渋っているケリスに歴島が挑発するような口調でそう言った。『プリン要らないなら貰うね~』的な雰囲気で精液の独占宣言をする彼女に、ケリスは溜め息を吐くと呆れた声色で誘いを受ける。
「…………全く、止まりそうにないなら妾が監視しておくしかあるまい。貴公、死ぬことはなくとも体調は崩れるのだから程々にしなければならぬぞ?」
「わかってますよ。それじゃあ、皆でベッドに行きましょう」
性欲が暴走している所為か、わけのわからないテンションで寝室に向かう谷条を見て、ケリスは再度深い溜め息を一つ吐いた。しかし、平和な雰囲気にあてられて彼女は自然と幸せそうに微笑む。
そんな彼女の明るい表情を見て、谷条も自然と笑みが零れる。彼の幸福は、一年前と比べて三倍になり、そしてこれから四倍に増えるだろう。周囲にいる人が増えるだけ、彼の幸せは倍々に増えていく。これまでも、——そしてこれから先もずっと。