ステージ上での交尾の後──改めてエンニュートの部屋へと連れ去られたリットは、更にそこにてめくるめく一夜を経験した。
考えつく限りの快感を試し、そして思い付く限りの快感を互いに享受した。
いつしか一体化したまま眠りに落ち、そして先に目覚めたリットは彼女を起こさぬよう退室しては帰路についたのだった。
すっかり快楽に溶かされて霞のかかった頭と、疲労甚だしい肉体ゆえに千鳥足で通路を往く。
どうやらここは先のエンニュートをはじめとするポケモンや、従業員が寝泊まりをする一角らしい。
外へ出るにはどう辿ったものかと思案に暮れていると、
「──あ、見つけた! おい、リット!」
背後からの急な声──振り返ればそこには、必死の形相でこちらへと走り寄ってくるエルの姿が見えた。
「やあ、エル。どうしたんだい、そんな慌てて?」
「やあ、じゃねーっての! 呑気なこと言ってねーでズラかるぞ、急げ!」
我ながら互いの温度差を滑稽に感じながらも、すっかり行為後の多幸感で満たされているリットには緊張感というものが無い。
「でもその前に支払いしないと。エンニュートのキャンディ代をまだ清算してないよ」
「もうそれどころの話じゃねーんだ……下手したら命まで取られちまうぞ」
「え……どういうことだい?」
ようやくにリットもその不穏な空気を察した。
「いいか? あのエンニュートはこの店の商品でありながら、絶対に売れない・売らないことが前提のポケモンだったんだ。それをどこの馬の骨とも知れないお前なんかが落としちまった……」
いわばエンニュートはこの店の象徴そのものだとエルは説明する。
常連の中には彼女を落とそう──その初物を手にしようと通い詰めては大金を積み重ねていた者達もいるのだ。
そのエンニュートが処女性を失うということは、そう言った上客達がこの店を見限って離れることもまた意味していた。
そしてプライド高い連中の中には、自分が成し得なかった偉業を達成したリットに嫉妬から報復を画策する者だって出るかもしれない。
しかし今において最も身近な危険性としては……
「この店のオーナーが、お前に落とし前を着けさせるってことだ」
注意深く周囲を警戒しながら、エルはそう断言した。
「店側が客に手を下すのか? あり得ないだろそんなの」
「さっき言った金持ち達の機嫌取りに、自分で手を下すって言うのは十分にあり得るぞ? 『俺達も被害者なんです。だから報復しておきました』っておもねりゃ、やつらの溜飲も下がるし、今後だって贔屓にしてもらえる可能性もある」
ここは表社会の正規店などではない、裏社会の非正規店なのだ──それを実感した時、さすがの世間知らずもまた顔色を失わずにはいられなかった。
その矢先、
不意なその声──振り返るとそこには、背後に黒スーツの屈強なボディガード達を従えた初老の男が立っていた。
毛一本の乱れも無くオールバックに撫でつけられた頭髪と蝶ネクタイで着飾った正装姿にはリットにも見覚えがあった。
そしてそれが、あのストリップホールにおいて前口上のアナウンスをしていた男だと気付くと──彼こそがこの劇場の支配人であるケンヂントン・バァルその人であることにリットも気付くのだった。
「くッ──、走れリットぉ!」
その出現に誰よりも反応したのは、むしろ裏社会に通じるエルの方だった。
叫ぶよりも先にリットの手を取って駆けだそうとするエルではあったが──そのバァルとは反対側となる進行方向にも数人のボディーガードが現れては道を塞いだことで、二人の退路は完全に断たれてしまった。
前後から挟まれ徐々にその距離が縮まるとやがて、先に辿り着いた進行方向側のボディガード二人がリットとエルの両腕を背後からねじ上げた。
その理不尽な暴力と痛みに呻きを上げる二人の前にゆっくりとした足取りでバァルが進んでくる。
そうして品定めでもするようリットの顔をしげしげと観察した後、
「貴方のことは調べさせてもらいましたよ。なんでも新進気鋭の植物学者さんだそうで」
場違いな世間話をバァルは始める。
さては精神的にも追い詰めようという拷問の一端かと身構えたリットではあったが──
「先に言っておきますが、私は商売人という自分の身の程はわきまえているつもりですし、カタギの方に手を出すつもりもありませんよ? 今の措置だってあなた方が逃げようとするから止む無しの手段でした。……──おい」
バァルの合図にボディーガードはエルとリットの拘束を解いた。
とはいえ、この四面楚歌の状況ではわざわざ拘束などしていなくてもリット達が逃げおおせられる可能性は皆無に等しいのだが。
「選んだのはエンニュートであり、そしてあなただ。この店のルールに則った正当な取引であった以上、私を始め誰の口出しもさせませんよ。……とはいえ、それも建前ではあるのですが」
「僕に……どうしろとおっしゃられるのですか?」
「簡単な話です。代金の支払いを請求したい。その上で落とし前のひとつもつけてもらいたい。……いや、二つか」
『落とし前』の言葉にエルが機敏に反応を示した。
声にこそは出さなかったが、気遣わしげにリットを見つめるまなざしと、内心では怯えつつも気丈にバァルを威嚇する交互のエルの視線が滑稽なほどに、この後の不条理な展開を予想させるようでもあった。
そんなエルをよそにバァルは背後のボディガードから電卓を受け取ると、そこに何桁かの数字を打ち込んではリットの前に提示する。
それを覗き込んで──リットとエルは驚愕に眉を釣り上げた。
「ッ……僕の年収の何十年分だろう……」
「バカ……これでも破格だ。これの何百倍って値段出した奴だっているんだからな」
期せずしてそんな会話が交わされてしまった。
エルの言う通りその金額は一般人にしては大金であっても、今日までのエンニュートの価値を考えたのならば良心的ですらある金額と言えた。
しかし事態はこれだけで終わらなかった。
「さて……今度は『落とし前』を着けてもらいましょうか? リットさん、あなたにはうちのエンニュートを買い取っていただきたい」
その一瞬、リットはバァルの言っている言葉の意味が分からなかった。
事実それを聞き返そうとするリットを制し、バァルは新たな金額を先のキャンディ代に加算して再びリットの前へと提示した。
それを覗き込み──むしろ今度は完全に表情が消えた。
そこに提示されている額は、既に一般人では一生涯を掛けても到底払い切れるような額ではなかった。
こうなってくるともはやバァルの正気を疑うレベルである。
しかもさらに畳み掛けるよう、
「加えてさらに二つの契約も結ばせていただきます。ひとつにエンニュートはあなたにお譲りしますが、彼女には今後ともこの劇場の踊り子として働いてもらうこと」
この期に及んでなおも、バァルはエンニュートを手放す気は無いことを明言した。
これでは実質的に不条理な金額を一方的に恐喝されているのと変わらない。所詮はこういう事なのかと一夜の火遊びを悔いるリットではあったが──話はこの後に、思わぬ急転を見せることとなる。
「……そして彼女の稼いだの報酬の半分は、これの買い取り金額の返済に充てても良いものとします」
バァルのその提案に一瞬リットは考えが及ばなかった。
しかしながらそれが温情以外の何者でもない救済措置であることに気付くとむしろ──リットはその訝しさを表情に出してしまうのだった。
それを目ざとく見つけてはバァルも鼻で笑う。
「リットさん、我々だって霞を食って生きてる訳じゃないんだ。商売である以上は採算を考えないといけない。そう考えると、この方法が一番取りっぱぐれが無くていい」
一見したならば公明正大かつ人情のある提案だ。しかし……
「いや、バァルさん……それだとアンタだけが泥をかぶることにならねぇか?」
思わずそう口にしたのは身内であるはずのエルであった。
「結局は売った金額をアンタのとこの儲けから払わせてることになる。そもそもエンニュートをリットに買い取らせること自体にも意味が無い」
エルの言葉はこの取引の矛盾を整理したものであった。
今回、リットはエンニュートのキャンディ代も含め彼女の見受け金諸々の負債を背負ったことになるが、それを今後エンニュートが働いて帰すということになれば実質リットは『無料』で全てを手に入れることとなる。
むしろエンニュートの権利をバァルだけが失う結果は、誰の目から見ても彼の間尺には合わない取引と言えた。
しかしながらバァルはその事に気付かぬ愚か者でもなければ、また勘違いの慈善家でもなかった。
この取引にはしかとバァルの思惑と、そして打算とが織り込まれたものであった。
それこそは……──
『───パパッ!』
その時、突如として第三者の声が場に響いた。
否、それは人の言葉というよりはよりもっと有機的で本能的な響きを宿した動物の声に近かった。
さながらに一部の鳥類が人の声を真似て発するようなそれこそは──新たにこの場へと駆けつけたエンニュートから発せられたものだった。
突如として現れたエンニュートに騒然とする一同を傍らに、当の彼女はバァルを見つけると、何度も『パパ』の単語を繰り返しては抱きついて頬を擦り寄せたりと仔犬のように甘える。
一方でバァルもまた慣れたもので、
「こらこら、今は仕事の話をしてるんだ。こっちのお兄ちゃんに遊んでもらいなさい」
言いながらリットへと押しやった。
一方でリットの顔もそこに認めると──エンニュートはより笑顔を明るくさせては抱き込み、存分にその巨乳の中に彼を押し込んでは愛情の限りに揉みくちゃにする。
同時にリットは一連のバァルとエンニュートとのやり取りに、今回の一件の真相をみたような気もした。
「エンニュートを……娘さんを僕に託そうとしてるんですね?」
リットの発言に意図が分からず怪訝に見やってくるエルと、一方で頷くともうつむくともつかない仕草で目蓋を閉じるバァルの態度は対照的だった。
「この稼業は、身を浴するほどに抜け出せなくなる因果な商売だ……」
やがては自身の半生を噛み締めるようにバァルは語りだす。
「金と女と暴力を商品にするこの商売は、端から見れば景気良くも見えようが……所詮は更なる暴力に支配されて搾取される循環の中にいる」
弱者を虐げて利潤を追求する仕組みは、やがては巡りめぐって自分へと返る。道徳的な話なのではなく、これは一個の力が永劫に強者のままではいられないことの真理であった。
そして力を失った時こそ、それまでに権勢を誇っていた者ほど手痛い報いを受けるのだ。
それは人間も、その下で使役されていたポケモンもまた変わらずに受けざるを得ない仕打ちなのだった。
そこまでの話を聞いて、リットはようやくにこの劇場のシステムの真意を知るのだった。
「キャンディタイムは、彼女達に相応しい引き取り手を見つける為の方便なのですね?」
所属するポケモンを解放するにも、既にバックにある組織の目を盗む為の抜け道が必要となる。
そこで名目上は『高額で売り付ける』という形をとるのだ。
その後は変わらずにポケモン達には働いて貰い、彼女達が疲弊する頃合いを見つけては、契約上の購入主へと引き渡しては恙無く足抜けをさせるのだった。
またこの手の引き取り先も、相手は『誰でもいい』わけではない。
例え経済的に裕福な者であってもポケモンを物と断じてしまうような手合いでは話にならない。
必要最低限の経済力と人間性、そして何よりも当人同士が惹かれ合っていることを条件に考えた時、この『キャンディタイム』は相手の品定めにはこれ以上にない判断基準として機能していた。
「さて……これ以上に説明は必要ですかな?」
もはや語るべきことも聞くべきことも無いと思われた会見ではあったが、最後にとリットは手を上げた。
「もうひとつ、まだ聞いていないことがあります。先ほどあなたが言っていた『ふたつの契約』ですが、ひとつは『今後もエンニュートはこの劇場で働き続ける』として、もうひとつは何ですか?」
リットの質問に対し、バァルもまた思い出したように嘆息した。
そして『一番大切なことだった』と前置きをひとつすると、
「今後は、最低でも一週間に一度はエンニュートに会いに来て彼女を愛してやること──……必ず守ってやってくださいね」
そう付け加えるとこの日初めて人間らしく、そして少し寂しげにバァルは微笑んでみせるのだった。
後日談とはなるが、後にリットとエルの二人はエルの父親よりバァルの来歴を知ることとなる。
一介のポケモン育て屋であったバァルはある時、貧窮が極まったことからとあるマフィアの仕事を手伝ってしまった。
とはいえその仕事は実入りも良く、バァルも直接に犯罪にはタッチしなかったこともあり、さして罪の意識も感じることなく彼はその後も組織の手伝いを続けてしまったのだ。
しかしある時、ひょんな事から自分が極めて悪質な犯罪の一端を担っていることを知ったバァルは、組織の手伝いをすることを止め、彼等とも縁を切ることを伝えた。
そしてその年の暮れ──バァルの妻と子供達、更には我が子も同然に育てていたポケモン達が不幸の事故により早世した。
結局その事故に件のマフィアが関わっていたのかすらも分からずに、一連の事件は原因究明の為されないまま終わりを迎えた。
それ以来、バァルは組織のやり方に逆らうことはしなくなった。
しかしながらリットとエルはその続きを知っている。
その後のバァルは身寄りをなくしたポケモンを集めては芸や学を仕込み、自身の店でショーへ参加させる傍らで彼女達をいかに幸せにしてやれるかに尽力していたのだ。
件の組織を恨むからこそ──否、自分自身が許せないからこそバァルはあえて残留し、その中で搾取されるべき者達を救い出す道を選んだ。
それこそがバアルの贖罪であり、そして今の生き甲斐でもあった。
閑話休題──
二人がシアター・アローラから外へ出た時には既に正午に近い時間となっていた。
灼熱地獄と化した自身のタクシーに乗り込んで悪態のひとつも突くと、その車を発進させながらエルはリットに尋ねた。
「んで……今日はどうすんだ? とりあえず本来泊まる予定だったホテルまでは送ってってやるけど……仕事すんのか?」
尋ねてくる反面、その顔にはありありと疲労の色が浮かんでおり、こんな自分の有り様から忖度して欲しいという気持ちがエルからは滲んでいた。
それを察してリットも小さく微笑むと、
「いや、今日は休みだ。それどころじゃないしね」
「よっしゃ! ……じゃなくて、まあ懸命だな。とりあえずはぐっすり寝て夕飯ごろにまた落ち合うか?」
「それもいいけど、その前に寄ってもらいたいところがあるんだ」
鹿爪らしいリットの物言いにエルも小首をかしげる。
そして続いてリットから出された言葉は、
「ここに永住しようと思う。とりあえずは当面の生活拠点となる物件を探したいんだ」
思わぬリットからの申し出にエルは目を丸くした。
しかしながら考えても見ればそれは理に適った行動でもある。
今後はあのエンニュートの元へも通わなければならないだろうし、それを考えたのならばわざわざ島外に住む必要はない。
そしてようやくにリットの覚悟を頭の中で反芻し、エルもまた機転を利かせると、
「だったらよ、俺ん家に泊まれよ。もとより弟妹は多いし、一人増えたところで構いやしねぇ。敷金礼金無しで安くしておくぜ?」
「そりゃいい考えだ。じゃあ当面はよろしく頼むよ、相棒」
改めてパートナーとなったエルと一頻りリットは笑いあった後、突如としてリットは神妙な顔をして思案に暮れた。
「それにしても驚きだったな……」
「何がだ? 今の後じゃ、色々あり過ぎて見当もつかねぇぞ」
「いや……セックスが、あんなに気持ちいいものだなんて思ってもみなかった。なにせ初めてだったからね」
「はぁ? じゃあお前、あれジョークじゃなかったのか?」
「あぁ、おかげでいい思いをさせてもらった。オマケに彼女までできるなんて、僕の人生もようやくに華の時代がやってきたみたいだ」
「冬の到来の間違いじゃねぇのか?」
「それはないだろ。ここはアローラだ」
ちげぇねとエルが応えると、その後は弾けたように二人して笑った。
夏の最盛期を迎えたハイウェイの丘陵を真っすぐにタクシーが走っていく──視界いっぱいの地平には、エンニュートによく似た入道雲が二人を迎え入れるかのよう立ち上がっていた。
【 シアター・アローラの仇花・完 】