今より84年前となる西暦255年10月20日──手記の執筆者であるガレン・ビザールはこの島へと流れ着いた。
商業船の航海士であった彼はニエ同様にラプラス海峡で難破し、生きて此処へと漂着したのである。
当時25才であった彼はラプラス達から歓迎されて島の一員になるも、ガレンはこの島からの脱出と、そして海峡からの生還を諦めなかった。
その決意こそが、今ニエが居るこの小屋を建てたことに現れている。
全てを諦め、安寧の内に此処で生涯を終えるつもりなら寝起きの場所などは何処であっても構わなかっただろう。
しかしながら帰還を望むからこそ、ガレンは外界の様式をこの楽園に取り込むことでその決意と、さらには『人間』としての矜持を示したのである。
当時ガレンの仲間として、同じくに船から生還したポケモン達が何匹かいた。
そんな彼らの助けも借りて此処での生活基盤を固める傍ら、ガレンは脱出の準備も着々と進めていく。
しかしながらその計画の大きな障害として、ガレンの頭を悩ませた問題が二点あった。
ひとつは脱出のための『船』である。
大前提としてこの海域の構成は、終日嵐が吹き荒れる『ラプラス海峡』と、そしてその中央でドーナツの穴のごとく通年して穏やかな気候に恵まれた『ラプラス島』の、二重構造となっていた。
これは後述にも記するが、嵐の繋ぎ目を縫って脱出するこの計画においては精密な操舵技術とそれに応えられる高性能な船が必須であり、高々が木材を組み上げた程度の筏では前進すら難しいと言えた。
そして第二の問題は、天候を見極めることにあった。
明けても暮れても暴風雨が渦巻き続ける海峡ではあるが、その実この嵐はさらに巨大な気流の中にあって、反時計回りに循環していることが分かった。
そしてその嵐には比較的風雨の緩やかなポイントが点在しており、この点同士を渡り歩くことが出来れば海峡からの脱出は理論上『可能』と言えた。
とはいえその点同士の距離はまちまちで、極端な例では数㎞に及ぶ海路を辿らねばならないポイントもあったりと、その踏破は現実的に不可能と見て等しかった。
だがしかし──ガレンはこの一見攻略不可能な天候において唯一の脱出路を見出だしていた。
そもそもがこの海峡の嵐とは、大小無数の嵐同士がひとつの気流の中で循環しているというものであった。
そしてその中においてただ数日間だけ、弱い嵐がほぼ直線上に並ぶ瞬間があることを、ガレンは観察と計算によって導きだしていた。
ガレンはこれを『0時路』と名付ける──この瞬間こそが人生最後のチャンスであった。
……がしかし、その奇跡が起きる為には実に50年の周期を必要とした。
これら全ての観測を終えた時、ガレンはすでに43歳となっており、この時点での0時路の周期は丁度33年が経過した頃であった。
その年月の中で苦楽を共にしたポケモンやラプラス達をガレンは多く見送った。
やがては最後の仲間もまた看取り、とうとう一人きりとなってしまった時……ガレンは60歳となっていた。
しかしながら、そんな人生の総決算となると決行の日はいよいよ明日と迫る。
西暦289年……奇しくも自分が漂着した日と同じ10月20日に、ガレンは0時路の50年周期が満ちたのを見極めてこの島を去った。
そして──彼の手記はそこで終わっていた。
そこまでを読み終えたニエはその続きが無いものかと、部屋中の家捜しをした。
それでもしかしこれの続きとなる手記は見つけること能わず、諦めて思考を宙へ投げ出すとその後のガレンを想像してみたりする。
よくよく考えてみれば、もしガレンが無事に海峡を抜けたのなら続きの手記がこの島に残されているはずはないし、失敗して海の藻屑と消えたのなら執筆のしようがない。
「………ガレンは、あの海を抜けられたんだろうか」
椅子の後ろ足を傾けながら天井を望み、思わずニエが声を漏らしたその時──突如としてそんな視界を遮るようラプラスがその顔を覗きこんできた。
「うわぁ!?」
その予期せぬ登場に椅子もろとも背後にもんどりうつニエを、ラプラス自身もまた驚いては鼻先を近づける。
そうしてその先端でニエの顔をなぞり、申し訳なさげにか細い声を上げるラプラスにニエもまた苦笑いで応えた。
「ははは、大丈夫だよ。考え事してたらバランス崩しちゃった」
そう言ってラプラスの頬に手を添えてやると、彼女も愛おし気にそこへ横顔を押し付けてはニエの愛撫を感慨深げに受ける。
しばしそうして俯き加減にしていた視線をニエへと定めると、ラプラスはつと鼻先を寄せてはニエの唇をふさいだ。
そうして口中に進入してくるラプラスの舌先にニエも応じながらゆっくりと立ち上がる。
依然としてディープキスを続けたまま二人が向かった先は、部屋の隅に設けられたキングサイズのベッドだった。
この部屋を訪れた当初このあまりの巨大さに、ニエはこれがベッドだとは気付けずにいた。
しばしして古ぼけたシーツが掛けられていることと埃っぽい枕を確認するにこれがベッドだと気付くわけだが……そんなベッドの巨大さの理由もすぐにニエは気付くこととなる。
彼のベッドはラプラスと寝そべってもまだ余裕があった。おそらくは彼女や自分が完全に成長し切ってもここで添い寝することに問題はないだろう。
つまりはそういうことだった──誰であろうガレンもまた、この島において添い寝をしてくれる恋人(ラプラス)が居たのだ。
その時である──ニエの脳裏に、かのガレンがどのようにして『船』の問題を解決したのかが閃いた。
思わずラプラスを正面から見つめ返してしまう。
それ受け、小首をかしげる彼女を前にニエの予測は確信へと変わった。
『船は最初からもうあったんだ……ガレンは、0時路をラプラスの背に乗って渡ったんだ!』
それに気付いた時、同時に別の思惑もまたニエの頭には閃いていた。
それを確認すべく、ニエはラプラスもそっちのけで再び机へと戻りガレンの手記を再確認する。
彼がこの島に漂着したのが84年前の西暦255年──この時『0時路』の周期は16年目であったと推測される。
そしてガレンが17年の歳月を費やし43歳の時に発覚した周期が33年目……そこからさらに17年後となるガレン60歳の西暦289年に、0時路は50年周期の完成を見たのだ。
もし彼の観測が正しいのであれば、今より『84』年前という数字から、ガレンが直近の0時路の完成までに費やした年数『34』年を差し引いた時………
幾度となくそれを計算しては、その事実をただ茫然とニエは受け入れるだった。
プリンス・マーチェ号が難破したのが9月8日──
おそらくは翌日の9月9日にニエは目を覚まし、それから既に一ヶ月ほどをこの島で過ごしている──
ならば現在は10月10日前後ということになる。
奇しくも自分は今50年周期の10月──0時路の完成するすぐ間近にいることを、ニエはこの時に確信するに至ったのだった。