高く澄んだリンの声──……
その名を呼んで額を撫ぜてくれているその感覚にガーディは緩やかに覚醒を果たした。
それでもしばし目を瞑ったままリンからの愛撫をガーディは受け続ける。
心地良いそれに徐々に意識もまた鮮明になってくると、脳裏にはあのパオジアンと死闘を繰り広げた地獄のような光景が蘇ってはガーディを身震いさせた。
しかしながら、それにも拘らず依然ガーディを優しく呼び起こしてくれるリンの声に変わりはない。
さては一連の出来事は夢だったのかと、ようやくにガーディも納得をする。
よりにもよって酷い夢を見たものだと半ば呆れ、そして深く安堵してはゆっくりと瞼を開く。
それでもリンの顔が見られるのならばこれ以上に幸福なこともないと思った。
今日はたっぷりと甘えそして遊んでもらおうと、淡い期待を抱きながら瞳を開いたガーディはしかし──幸福から急転直下の絶望を味わう事となる。
目の前にはポケモンが一匹いた。
痩躯の長い首としなやかな肢体、そしてその体表のいたる所へ氷の結晶を斑模様に纏ったその姿は──紛う方なき四災・パオジアンの姿そのものであった。
瞬時に肉体が緊張で強張る──同時にガーディは体を横たえたままに身を跳ね上がらせては後ずさり、着地と共に前傾姿勢へ構えを取って尻尾を上げた。
見れば場所もまだ、意識を失う前まで居たあの地下である。
……夢などではなかった。そして同時に戦いはまだ終わっていなかったのだと再認識をする。
低く呻り、強い警戒を発しながら相手の出方を見守るガーディではあったがしかし……事態はそんなガーディのさらに斜め上を往く方向へと展開していくこととなる。
『待って待って、落ち着いてー。わたしだってばぁ』
そんな目の間のパオジアンから発せられたその声に一瞬ガーディは毒気を抜かれた。
その喉から発せられたものは間違いなくリンの声であったからだ。
それでもしかしすぐに我へ返ると、先ほど以上の警戒態勢を取る。
相手はあのパオジアンであるのだ。
対象をいかに弄んではその心をかき乱そうかを狡猾に実行する性根を知るからこそ、今のリンの声音もその企みではないのかと疑る。
しかし……
『本当にわたしなんだってばあ! パオジアンが気絶した時に入れ替わっちゃったの』
後ろ足で立ち上がり、器用に前足で空を掻きながら人さながらのジェスチャーを見せてくるパオジアンからは、先ほどまでの緊迫感や邪悪さは感じられない。
むしろ斯様なパオジアンの仕草はガーディが普段よく知る、リンの姿そのものであった。
にわかには信じ難い思いで構えを解くと、それでもガーディは警戒しながらパオジアンを観察する。
その両眼は幼さを感じさせるほどにあどけなく、上顎からもこの厄災を象徴する剣の存在もまた消え失せていた。
そうして恐る恐るに近づいては鼻先をその体に触れさせるや、
『もー、やっと信じてくれたー?♡』
パオジアンは──もとい、リンは前足でガーディを抱きしめて幾度となくその横顔を舐めて愛撫した。
その時である。
[ みだりにこの体へ触れさせるな小娘! ]
禍々しいその声もまたガーディは確かに聞いた。今度こそは聞き間違えようもないパオジアンの物である。
再び背筋を跳ね上がらせては飛び退り距離をとるガーディを前に、
『んあ~、違う違う! もー、ややこしいな~』
リンは前足の肉球で自身の頬を挟み込むと、苛立たし気にそこを揉み挟む動作をしてみせる。
そんな緊張感など微塵も見られないリンとは裏腹に……
[ 返せ! 返せェッ! 妾の躯を、返せェェェェッッ! ]
怒気を含んだ……というよりは悲壮なパオジアンの声はなおもガーディの頭の中に響き渡っていた。
パオジアンの体と入れ替わってしまったリン、脳内に響くパオジアンの声、そして瀕死であったはずの自分が戦う前と変わらずに壮健でいることの理由……それら何一つ理解の及ばぬ状況をリンはたどたどしく説明していく。
『なんかね、わたしがパオジアンになっちゃったみたい』
荒唐無稽なリンの説明は以下の通りであった。
あの死闘の末にパオジアンの意識が消え失せると同時、リンも自身のコントロールを取り戻した。
しかしながら肉体は人間(ヒト)ではなくポケモンのものであり、そのことに途方もくれたがしかし──目の前で死にかけているガーディを見つけるとそれどころではなくなってしまった。
どうにかしてガーディを助けられないかと混乱しきりのリンではあったがその時──不思議とリンは自身の生命力を他者へ与える方法を思い付く。
そもそもこれは、元来の持ち主であるパオジアンが他者の生命を奪う際に用いる法ではあるのだが、そんなことはリンの知ったことではない。
奇跡よ起これとばかりにリンは、ありたけの自身の生命力を瀕死のガーディへと注いだのであった。
それを受けガーディの治療が進む傍ら、本来の肉体の所有者であるパオジオンもまたリンの中へと発生した。否、目覚めたというべきか。
当然のことながら自分の生命力が勝手に他者へと注がれていること、さらにはこの状況でありながら一切の肉体の支配権が自分には無いことにもまた気付き、先ほどからパオジオンは取り乱し続けているという訳であった。
……皮肉にも自分がリンへとした仕打ちが今、入れ替わる形で己へと還ってきてしまっているのだった。
その説明を受け、改めて自分の体を見下ろすガーディ。
なるほど確かに肉体の疵はすべてふさがっているが、同時に以前には無かった変化もまた現れていた。
赤かったはずの体毛は残らず、青み掛かった純白のそれへと色が変わってしまっていた。
とはいえそれも些細なことだ。
そんな自分の変化など意にも返さず──
『あは、あははは♪ ガーディ、くすぐった~い♡』
ガーディは改めてリンへと抱き着くや、顔や体の境も無しに彼女を舐めては抱擁をした。
多少の状況の変化こそあれ、心の底からリンが無事であったことをガーディは喜ぶのだった。
『ガーディ……一生懸命に戦ってくれて、ありがとね』
そんなガーディからの愛撫を受けていたリンもまた、ふいに鼻先を寄せて舐め返した。
丁寧に気持ちを込めて舐めてくる愛撫には、普段のフレンドシップを確認するものには無い親密さがあった。
やがて頬を舐めていた舌先はガーディの鼻先を愛撫し、遂には人が交わすような口づけを以てその口を塞いだ。
それから互いの口角を噛み合わせるように小首を傾げては、舌同士を絡めるようなキスが展開されていく。
そんなリンからのいつにない愛撫に戸惑いも覚えたが……ガーディもまたそれを心地よく感じては、施されるキスをなぞっては同じように返していく。
しばしそんな包容が行われた後、改めて二人は見つめ合う。
『ガーディ……あなたのこと好きだよ。友達とかトレーナーとかじゃなくて、男の子としてあなたが好き』
語りかけながらリンはガーディの両肩の上に前足をかける。
そして体をもたらせては組敷くように押し倒してしまうと、
『もう一回……アレ、しよ? 今度はさ、いっぱいイチャイチャしようよ』
もはや返事など待つこともなく、リンは再びにガーディの唇を奪ってしまうのだった。