近所の公園の、しかも園内のそのルートをリットが散策していたのは偶然に他ならない。
駆け出しの植物学者であるリットは公園の植物を視て回るフィールドワークを日課にしており、そんないつもと変わらない日課の消化中にあの惨劇へと出くわしたのだった。
最初の違和感は風に乗って漂ってくる香りだった。腐敗したフルーツを思わせる甘く重い香りに首をかしげたのだ。
香りから察するに、明らかに亜熱帯系の植物が発するそれではあったが、この付近にそんな植物など確認したこともない。
そして同時にこの、どこか動物的な生理臭も含んだ香りの正体をリットは薄々気づき始めていた。
それこそはポケモンが発するものだ。
しかもこれは相当にレアなケースの香りであることもまた経験から察知し、この時のリットはまだ楽観的に胸を躍らせたものだった。
だからこそ軽い気持ちで周囲を捜索し始めたリットではあったがしかし……次いで聞こえてきた少年達の悲鳴に、事態がただ事ではないことを悟る。
そうして匂いの発生源であると思しき茂みの先で発見したのが──頭頂部の蕾冠を開花させたアマージョと、そしてそれを抱きしめている女の姿であった。
人である彼女を最初に見た時、リットはその性別を『女』と認識出来なかった。
頭髪は片側半分が完全に刈り取られており、残る半分の髪は金と緑に脱色されては毛先に向かってグラデーションを掛けられていた。
面相も病人然としたアイシャドウの隈取と黒い口紅、そして鼻や耳といった顔面の突出部には多種多様のピアスが通してあった。
服装も鉄鋲が多く打ち込まれた、おおよそ機能的ではない被服面積のメタリックレザー然とした上下にこれまた重厚な装飾の黒ブーツと──俗にいうパンクやデスメタル風といった装いに身を包んでいたのが彼女であった。
それでも彼女を『女性』と認識できたのは、こんな身なりでありながらもその整った目鼻立ちとまだ年若いであろうあどけなさをその面持ちへ感じたからに他ならない。
しかしながら、そんなことはどうでも良かった。
茂みをかき分けて望むそこには、先の女性とアマージョ。そして……おそらくは彼女によって介抱されていたであろう少年3人が仰向けに並べられていた。
「失礼するよ……」
リットは返事も待たずに歩み出ると、まずは彼女の腕にあるアマージョを観察した。
茫然自失としたその表情を確認し、そして頭上の蕾冠へと視線を移す。
発見した時には咲き誇っていたそれも今は8分方は閉じており、うっすらとその間口を覗かせるばかりであった。
ハンカチで口元を覆い、そんな蕾を覗き込んだリットはその中に鎮座するめしべが大量の精液の中で震えてる様に全ての合点がいった。
「どうやら……発情期だったみたいだね。それもかなりのレアケースだ」
依然として蕾の中を観察したまま独り言つるよう頷くリットにアマージョを抱いていた彼女もまた顔を上げては反応した。
「発情……期?」
「そうさ。その種類を問わずポケモンの繁殖は雌雄による生殖行為が基本だ。でも時に草系は原初の本能に還ることがある」
互いの自己紹介すら無いというのに、リットは熱中する分野への質問からかそんな彼女からの問いに対しても、まるで顔見知りのような気安さで応えていく。
「従来のセックスによる方法じゃなく、めしべへの『受粉』によって繁殖を為そうとするのさ」
白衣然としたパーカーのポケットからペンライトを取り出すと、リットは点灯させたそれをアマージョの動向にかざしては左右に振る。
以降リットの説明は以下のようなものであった。
花弁を持つ草系のポケモンは、ごく稀にそこへの受粉を求めることがある。
その際には催眠あるいは催淫効果のあるフェロモンを発生させ、それにて相手の脳内を混乱させては意のままに操るのだという。
その説明に彼女もまた口元を覆うように手を当てては俯き加減に視線を伏せた。おそらくは思い当たる節があったのだろう。
「……うん。まだ体の自由は上手く利かないみたいだけど、このアマージョも意識を取り戻してるね」
「えッ……本当にッ?」
「あぁ、語り掛けてごらん」
リットの言葉に彼女もその名を囁きかけると……アマージョもまた弱々しく彼女の手に手の平を重ねた。
それを受け、深くアマージョを抱きしめては感慨にむせび泣く彼女。
素性はおろか名前すらしない他人ではあるが、事ここに至るまでには実に複雑な事情があったのだろうとリットも察する。
そして元来がお人好しのリットもまた、
「何があったのか話してくれないか? もしかしたら君達の手助けができるかもしれない」
そう語り掛けてくれるリットに対し、彼女とアマージョは揃って彼を見上げた。
そうして事の始まりとなるコンサートでの一件をたどたどしくも語り始める彼女──彼女はその名をミトナと名乗った。
一連の事件の顛末を聞き終え──リットは腕組みのまま微動だに出来ずにいた。
あの頭の中にあった考えは斯様な犯罪へと走ってしまったミトナへの非難よりもむしろ、天文学的な確率の発情をしてしまったアマージョを擁した彼女への同情であった。
しかしながら話すうちに落ち着きを取り戻したのか、ミトナの顔には表情らしいものは消えていた。
むしろ表面的には我関せずといった気配さえうかがわせる無表情さもしかし、これこそが彼女の常態なのだとリットは察する。
本来は聡明で冷静な人物であるはずなのだ。それがアマージョのフェロモンに中てられていたとはいえ、自身のパートナーの為に身を張っていたという情に厚い一面もまたリットは知っている。
だからこそリットは事後処理を考えあぐねた。
どんな事情があろうと少年三人が被害に遭ってしまった事実に変わりは無いし、もしかしたらこの3人も後々このコンタクトがトラウマとして残る可能性もある。
しかるべき場所へこのことを通報し、彼らのケアもまたしてやらなければならないのだった。
そうして思い悩むリットへと、ふいに目の前のミトナがその名を呼んだ。
「お願いしたいことがあります……」
依然として表情を変えず、その視線すらリットから外して話すミトナにリットも大きく頷いては耳を傾ける。
そして彼女からの『提案』に……リットは我が耳を疑った。
「それは……たしかにそれが一番治まりは良いのかもしれないけど、だけど君はそれでいいのかい?」
「……っていうか、もうそれしかないでしょ。コイツらは無関係で、いわば俺達の身勝手に付き合わされただけですからね。だからこそ俺が責任を取らなければいけない」
「それはそうだけどね……」
「だからこそお願いしたいんです。俺には頼める義理も無いし、アンタにもそれを受ける義務もないのは承知です」
「その『頼み事』は俺は構わないよ。職業柄まったく問題はない。むしろ心配なのは君のことだよ」
リットの受け答えが意外だったらしく、初めてミトナはリットの目を見てはその表情をキョトンとあどけないものにさせた。
そして小さく、思いのほかあどけなくて愛らしい微笑み瞬間浮かべたかと思うと──
「俺のことなら気になさらずに。むしろ俺にとっては居心地がいいかもしれませんしね。……それよりも今のこと、よろしくお願いします」
その顔から再び表情を消し、さらに深々と頭を下げられて頼まれては……リットはもう『ミトナの願い』を無下にするなどできなくなってしまった。
かくしてミトナは自身で警察へと通報をし、駆け付けた警官達によって現行犯逮捕をされた。
その後の煩雑な取り調べに対してもミトナは素直に応じ、自身が欲求不満を募らせては少年達へと性的イタズラをしたのだと自白をした。
ちなみにではあるが被害者の少年達3人は施設関係者のスリーパーによって催眠ケアを受け、後に今日の惨事がトラウマとして残る心配はないとの診断も受ける。
そんな少年達の経過をリットの面接で聞き知ったミトナはやはり眉一つ動かさずに無表情も変えなかったものの、それでも安心はしたのだろう。
その数日後に申し渡された判決に対し、一切の不服申し立てをすることなくそれを受け入れると、ミトナの罪状が確定した。
初犯であることを考慮しても、3名のいたいけな少年を手に掛けたことの重大性を加味し──ミトナには執行猶予無しの、懲役3年の実刑判決が下される。
後に語り聞いた彼女の弁護士の弁によれば、性同一性障害に加え極度のコミュニケーション障害群の疾患を抱えていたことを主張すれば執行猶予は付けられたとの事であったが、それは彼女が良しとしなかったそうである。
かくして全ての手続きを終えたミトナは投獄前に面会へ来たリットへと再三『あの願い事』を頼むとそのまま下獄した。
以降3年間──彼女はリットが面会に訪れてもそれに応じることは無かった。