3年後──
入所時に着て来た衣類一式を返されると、俺はそれに袖を通し建物の外へと出た。
辺鄙な場所に建つここにはその前を横断する道路と、そしてその対岸に建つバス停の停留所(バラック)しか確認できない。
3年の月日が思いのほか短く感じられたのは、規則正しい刑務所内での生活が存外に俺の性に合っていたということもあった。
しばし施設の門前に立ち尽くしたまま今後の思案に暮れる。
刑務所内に居た頃には何も考える必要はなかった。しかしながらいざ外に出されるにあたり、今後自分が成すべき雑事の煩雑さに不安もまた加味されると……そのけっして明るくは思えない自分の未来に俺は深くため息をつかざるを得ないのだった。
「……どっちの方が刑期なんだか」
独り言ち、とりあえず向かいのバス停で次回の時刻表を確認しようと一歩を踏み出した時である。
ふいに──視線を感じた。
俺もまた顔を上げて前方を確認すると、そこには数人の人影が立ち尽くしては、同じくにこちらを見つめていた。どうやらバラックの中に居た連中らしい。
トレーナーと思しき男を中心に数匹の人型ポケモンがそれに寄り添っている。
最初こそはそんな一同を無感動に眺めていた俺であったが、そこにとあるポケモンの姿を確認するに……俺の目もまた見開かれた。
そして俺がそれを再度確認するよりも早く、そのポケモンは地を蹴り駆け出しては道路を横断した。
美しい両足を飛ぶようにしならせて向かってくるそのポケモンは俺が声を掛けるよりも先に──俺の胸へと飛び込んできた。
軽いその体を受け止め、一方的に抱き着かれては鳴き声とも──はたまた泣き声ともつかぬ声を上げるそのポケモンを、
「ただいま……アマージョ」
ようやく俺も抱きしめたのだった。
俺の声に反応して顔を上げてくるアマージョの顔は涙に泣き濡れていた。
3年前と何ら変わらないその綺麗な目鼻立ちと瞳に、俺は長らく離れていた二人の時間が夢のように消えるのを感じた。まるで最後に分かれたのが昨日のことのようだ。
そんなアマージョに続く様、バス停に控えていた連中もまた道路を渡って俺へと近づいてくる。
その一行が何者なのかは、既にこのアマージョの存在が教えてくれていた。
「お勤めご苦労さん。元気そうだね」
そう語り掛けてきたのは、3年前にあの公園で俺が頼みごとをしたリットだった。
撫でつけるような短髪とメガネの面相は3年前の印象とまったく変わってなく、そんなリットの姿にも俺は時間の経過を忘れては眩暈を覚える。
同時にリットの傍らには偉くキレイなエンニュートが寄り添っていた。
瞬間一瞥した俺ではあったが、その美しさに気付いては思わず二度見をしてしまう。
人型に近い妖艶さはエンニュートの特徴でもあるが、それにしてもこの個体はオーラからして違う。さながらにそれは、アマージョが嗅覚を通じたフェロモンをまき散らしたのに対し、このエンニュートは視覚からそれを覚えさせるかのようだった。
そんなともすれば無礼ともとられかねない俺の視線にもエンニュートは一向に気にする素振りも見せず、そしてそれに気付いたリットもまた……
「あぁ、紹介するよ。僕の恋人のエンニュートだ」
臆面もなく、そう紹介しては傍らのエンニュートをリットは抱き寄せる。そしてそれに対し、エンニュートもまた俺の視線など気にすることなくリットの抱擁に応えてはキスなどする様に俺は胸やけすら覚えた。
ともあれ──
「約束……ありがとうございました」
俺は改めて礼を言っては会釈めいて頭を下げた。
我ながら恩人に対して軽薄ではあるとは思うのだが、如何せん精神的な疾患もまた抱える俺にはこれが精いっぱいの礼でもあった。
3年前のあの日──自首を決めた俺は、このリットにある願い事を申し出ていた。
それこそは自分が服役している間──このアマージョをリットのポケモンということにして世話して欲しいというものだった。
そんな回りくどい頼み事をしたのには、過去にポケモンに関する性犯罪を犯して、そのパートナーと引き離された友人を俺は知っていたからに他ならない。
家族同然のサーナイトと引き離された友人のその後を知る俺は、今度はそれが自身の身に及ぶことを恐れての頼みであった。
そして事は上手く運び、一連の事件は俺の単独によるものと判断されてはその罪や罰がアマージョに及ぶことは無かった。……もっとも、どこへの届け出もしていないアマージョと俺の関係などは、この世のどこにも記録されていないという事も幸いしたのだが。
ともあれ様々な出来事を内包した全ての事件は、ようやくここに全ての解決を見た──……とその時は思っていた。
しかしながらこの物語には、更なる衝撃のラストが待ち受けていることをこの時の俺はまだ知らない。
泣きじゃくるアマージョを宥め、ようやく場に落ち着きが戻ったかと思われたその時──別な視線もまた自分へと向けられていることに俺は気付いた。
それは足元の、あのエンニュートの影からこちらを熱心に観察してくる視線だった。
俺もまたそれに気付きふと視軸を定めたそこに居た者は……一匹のアママイコであった。
その時には別段その存在に何も感じなかった。
見ず知らずのエンニュートが居たのだから、そこにこれまた見ず知らずのアママイコが居たところで俺が驚くこともない。
しかしながらそれに気付いたリットからの説明に……次の瞬間には心臓が飛び出さんばかりの衝撃に俺は見舞われる。
「あぁ、ついでに紹介するよ。このアママイコはね……アマージョの子供なんだ」
それを知らされても、おそらくその時の俺は無感動に無表情のままだったと思う。
しかしそんな鉄面皮の下では、驚きから叫び出さんがばかりの衝撃に俺は見舞われていたのだ。
アマージョの子供だって? ──3年という月日が無かったかのように感じられていた俺は、一瞬にして3年の月日の重みを実感するに至った。
そしてようやくにその事実を受け取めると、次に興味は……
「……で、父親は?」
当然のことながらそこへと帰結した。
この時はもう冷静さを取り戻したと思っていた。しかしながらそれに応えるリットの言葉にまたしても俺は言葉を失うこととなる。
「しいていうなら、あの日アマージョが手に掛けてしまった3人の少年の誰かかな? あるいは3人が全員その資格を持ってるかもね」
この答えには、さすがに俺も怪訝な表情をリットへと向けた。
人間とポケモンの間に子供だって? 今日日そんなこと露悪趣味のカストリ雑誌でだって扱わないだろうゴシップにもしかし、続けて説明をしてくれるリットの態度はどこまでも真摯で、かつ真剣なものだった。
「確率こそは天文学的なものなんだけどね、僕達『ヒト』の遺伝子というか『卵グループ』はポケモンと一緒なんだ。つまりは理論上では交配が可能なんだよ」
加えてあの日のアマージョは従来の交配ではなく、『受粉』というもっとも原始的な方法で人の精を受け入れていた。
そのこともまた彼女の懐妊を高めた可能性が高いとリットは持論を述べたのだ。
そしてその話の最後に、一連のこれを研究として記録したり、はたまた他言はしていないとも付け加えた。
「終わったことだよ」
素人でも分かるこの重大事項をそんな一言で片づけてしまうあたり、このリットもまた相当に肝が据わっているというか……俺に劣らず頭がイカれている。
そう思うと俺はたまらなく愉快な気持ちになるのだった。
やがてリットはアママイコの元へと屈みこむと、なにやら語り掛けては再びそこから俺を見上げる。
同時に、その視線につられるようにしてあのアママイコまた俺を見上げた。
そうして改めて俺達は視線を交わす。
戸惑いや僅かな恐怖をその瞳に湛えつつも、それ以上の期待もまた輝かせた好奇心旺盛な瞳はなるほどアマージョの小さい頃にそっくりだ。
そんなアママイコを前に屈みこむと、俺からも視線の高さを合わせてはその顔を覗き込んでやった。
彼女アママイコにしてみればそんな俺の行動は突飛で驚くものだったのだろうが、しばし同じ目線で見つめ合っていると不意に──アママイコが笑った。
それに釣られて思わず俺も吹き出した瞬間、アママイコは飛びつくように抱き着いてきては俺の首にぶら下がる。それを受け、俺もまた彼女の背を抱き寄せてやった。
アママイコから醸されるほのかに甘い香りは不思議というかやはりというか、アマージョと同じ匂いがした。
こうして初めての邂逅にも拘らず、俺達の間には不思議なシンパシーがあった。
一目にして互いを姉妹や親子のように感じられた不思議な感覚は、きっとアマージョに由来するものだろう。
そうしてアママイコを抱いていると、傍らにはそのアマージョもまた寄り添ってきて、俺は貪欲にもそんな彼女もまた抱き寄せては、両腕に収めたこの親子の存在をこれ以上になく五感で感じ、そして堪能するのだった。
「そういえば……これから先はどうするんだい?」
しばしの抱擁の後、俺が立ち上がるのを見計らってリットがそんなことを尋ねて来た。
その問いに表情こそは変えぬものの俺の心は深く沈みこむ。
言われてみればそこら辺の問題がまだ何も解決していないことを思い出したからだ。
加えて今後はこのアママイコもまた生活に加えるとなると、より一層に生活は厳しいものとなるだろう。
無言のままあらぬ方向を遠く見つめたまま思案に暮れる俺へと、この日何度目かのサプライズがリットの口から語り出される。
「もう一回、アイドルプロデュースとかやってみないかい?」
最初こそその提案に怪訝な顔もしたものだったが、続くリットの話はあながち適当に口から出されたものではないことが分かった。
聞くにあのエンニュートの前のトレーナー……二人がいう『バァルさん』なる人物は、その地元で大きな劇場を運営する立場から、芸能関係に対する係わりも大きいとのことであった。
そのバァルさんとやらの口利きにより新規設立された某アイドル事務所への所属を俺は提案されたのだ。
「っていうか、実はもうアマージョもアママイコもそこのレッスンには通ってて、立場的には『訓練生』ってことになってるんだ。余計なこととは思ったんだけど、キミが居なくなってからアマージョがふさぎ込んじゃって、少しでもそれを慰められればと思ってね」
元よりこうしたアイドル活動やレッスンが好きであったことに加え、俺が居ない寂しさを紛らわせられることもあってか、アマージョは寝食を忘れてそれに打ち込んでいたそうな。
さらにはそんな母親の才能もまた受け継いだアママイコもまた自ずからレッスンを志願するようになり、今となってはそんな二人による『デュオ』という新しい形態もまた確立されつつあるということであった。
もう一度アマージョとアイドル家業が出来る──それだけではない。今度はこのアママイコも一緒なのだ。
俺は、家族でその道が邁進できることを実感してはらしくもない感動に身を震わせた。
にも拘らず、
「……よろしくお願いします」
さして感銘を受けた様子もなく淡々と返事をしてしまう自分は、我ながらに歯痒くも情けない思いがした。
それでもしかしそれを受けたリットは持ち前の賢明さで……あるいはそれすら意に介さない鈍感さで嬉しげに頷くと、俺達の今後についてをさらに詳しく詰め始めた。
「バスが来たらこのままアローラまで行こう。そこでバァルさんと話をまとめるといいよ。それから……──」
バス停のバラックへと入り、粗末な上に年季物のベンチに腰かけては、日に数本のバスを待つ間──俺達は色々な未来の話をした。
もちろんそれら全てが順風満帆にいくはずがないことなど百も承知だ。
もしかしたらまたあの、アマージョの発情のようなトラフルや、あるいは今度はアママイコもまた巻き込んでの騒動だって起きるやも知れない。
それでもしかし……そんな未来への不安はいつしか俺の中からは消えて、彼女達と迎える明日を心待にしている自分がいた。
妹のようなアマージョを隣に、そして娘のようなアママイコを膝の上に抱いて夢想する俺たちの明日は──
「大丈夫………きっと上手くいくよ」
どこまでも晴れ渡っては、明るく楽しげな気がするのだった。
【 アマージョの密かな嗜み・完 】