マバセ郡は、遠く北の果てという偏見が付いて回る辺鄙な土地だ。
事実、『辺鄙な』というイメージが定着するほどに過酷なその場所は古くから北の流刑地として認知されており、実際にそこを題材とした刑務所関係のルポや創作物も数多い。
そんな場所へ流れに流れて辿り着いてしまった妹の──テセィのことに思いを馳せる時、いつも俺の胸は罪悪感で締め付けられた。
件の殺人事件前より、なぜに彼女をフォローしてやれなかったのかを悔やむ思いは今も俺の胸に燻り続けている。
兄妹仲がけっして悪かったわけではない。むしろのその関係性は異常なほどに親密ですらあった。……こともあろう当時の俺達は、近親相姦の関係へと陥っていたのだ。
最初は単なる兄妹愛の延長だった。
突如として両親を失ったことから、文字通りに支え合って生きて往かざるを得なかった俺達は、その環境の中で極端な共依存の関係性を構築させいった。
それはやがて兄妹という関係を超越し、そして家族という枠組みもまた取り去ってしまうと……いつしか俺達へ禁断の愛を育むのに最適最悪の環境を作り出すに至らしめてしまった。
そこに至る事の発端がどちらにあったのかはもう思い出せないが、その関係を終わらせたのはしかし俺であった。
ある時期から互いの在り方の歪さに疑問を持った俺は、やがては成長と共にそれが確信へ変わると──半ば一方的にテセィとの関係を断ち切ったのだ。
これには彼女にしても困惑したことだろう。
永らく続いた俺達の関係はもはや、チョウチンアンコウの番(つが)いの如く『俺とテセィ』という一個の生物的特性と言って良いほどに互いが依存しきった関係であったからだ。
それでもまだ自身の中にそれなりの納得と覚悟を以て断ち切れた俺はまだしも、半ば一方的にそれを告げられたテセィのショックはそれは計り知れなかったと思う。
幾度も彼女は関係の修復を求め、そしてその努力にも努めてくれたが……俺はその繰り返しを良しとはしなかった。
やがて彼女の信頼はその強さゆえの反動から激しい憎悪へと変わり、ようやくにテセィがこの仕打ちを受け入れた頃には──俺達の関係は他人以上に冷たく遠いものとなってしまっていた。
その矢先に出会ったのが件の被害者となるアイツであり、そしてその延長線上に起きてしまったのがあの殺人事件という訳である。
手持無沙汰にペンダントのメダルを胸の前で弄びながら流れる車窓を見遣っていると、いつしか景色からは緑が消え、目下には乾いた地表や剥きだされた岩肌という寒々とした景色が流れ始めるようになっていた。
徐々に近づきつつあるテセィの居る場所へ思いを馳せつつもしかし、はたして俺は彼女に会った時にどう対処してやるべきなのかを未だに悩んでいた。
今こうして救い手を差し伸べるのならば、あの日彼女を拒絶したことこそが全ての間違えであったということになってしまう──あれが無ければ、彼女がこんな過ちを犯すこともなかったのだから。
……結局その答えは出せないまま、俺は目的地へと到着してしまった。
駅のホームから外へ出ると──町は、予てから抱いていたイメージそのままに閑散としていた。
駅前ロータリーのあちこちには、路肩や歩道の隅に老若を問わぬ人間やポケモン達が座り込み、その場で戻りも進ませもしない時の砂をただ漫然と消費し続けていた。
その表情や気配が無表情でくすんでいるのは衣類が着古されているからでもポケモンウォッシュを為されていないからでもない……ここにいる住民には後も先も無いのだ。
過去を捨て未来も望めなくなった、あの日の妹のような者達がここに集まり、そし淀む場所こそがここだ。
こんな場所へと流れつき、そして今の俺と同じ光景を見てはおそらく同じことを考えたであろうテセィの気持ちを思うと、なおさらに俺の心は沈んだ。
しかしながら、此処へと足を運んだのはそんな感傷に浸る為ではない。
はやく彼女を見つけて保護してやらねばと思い、例の振り込みが行われていたコンビニを探そうと踏み出したその時である。
ロータリーの彼方から爆音が遠く鳴り響いた。
その衝撃と、遠いながらもけたたましい音階に場はにわかにざわめき立つ。しかし……純粋にその爆音に驚いたのは俺だけであった。
周囲に蹲る町の住民は皆一様にその方向を向いてはいるが、それこそはこの事態に驚いているのではなく、その原因へと注視しているといった様子であった。
そして爆音の方向に目を凝らせば……そこへと伸びる道路の彼方から徐々に黒煙が立ち上がる様子が見て取れた。
そしてそれを背に地平からせり上がってきたのは──こちらへと向かって歩いてくる一個の人影であった。
背へと流れるドレッドヘア然とした頭髪とタンクトップ型のベスト──素肌の上に羽織っているだろうその下には僅かに胸のふくらみも確認出来ることから、それが女であるのだと遠目にも分かった。
しかし何よりも俺の目を引いたのは──その下半身にこそあった。
カートゥーンキャラよろしくに誇張された巨大な腰から下には、極端にデフォルメされた腰のくびれと巨大な尻が備わっていた。
その臀部の両房を見せつけるようくねらせては柔らかげに弾ませて歩いてくるそれ……。
一見したならばヒトのフォルムを要しているもしかし、それが人間などではないことは遠目にも判断することが出来た。
頭髪から爪先に至るまで、身に着けているもの以外は全てが純金の輝きを放つそれは、間違いなくポケモン──サーフゴーそれに見間違えようも無かった。
腰元にバックパック然としたベルトを巻き付けて悠々とこちらへと……正確には駅前のコンビニへと歩み進んでくるサーフゴー。
そのバックパックには、無造作に詰め込まれた何枚何十枚もの紙幣がその裾を風にひらめかせていた。
そしてその接近に合わせて住人達もどよめきたち、いよいよ以て彼女がコミュニティの中へと歩んでくると──彼らは皆一斉にサーフゴーへと群がった。
その中心でサーフゴーは、皆がそれぞれに発する潮騒のような物乞いの声の中、落ち着いた様子でバックパックから取り出した紙幣を渡しては進んでいた。
そしてそんなサーフゴーを見た瞬間に俺もまた直感する──
それこそは、
──このサーフゴーこそ、テセィだ……!
この時、俺がそう確信したのはこのサーフゴーの全体を確認した時の直感に他ならなかった。
なぜなら彼女はあのテセィに酷似を──否、その姿は生き写しと言っても過言ではなかった。
思わぬその発見にただ茫然自失と立ち尽くすばかりの俺の前にも、やがては彼女は歩み進んでくる。
そして他の住人達へするよう無造作に数枚の紙幣を取り出してはそれを俺へ渡そうとしたその時、俺達の目が合った。
片側の口角を吊り上げ、笑顔に形を繕っていたサーフゴーの口元が弛緩しては表情を消す。
それは俺もまた同じであったろう。しばし俺達は見つめあったまま固まってしまった。
そうして無表情に互いを見つめ合ったまま、ふいにサーフゴーは首から下げていた自身のネックレスへと手を伸ばし、それを見せつけるよう弄ぶ。
それを目の前に、いよいよ以てこのポケモンの正体を確信した俺の心は激しくざわめき立ち……そして表面上は平静を装いながらも激しく動揺した。
その首から下げられていたペンダントは、観光地で見られるチープなメタルコインをリングに嵌め込んだ金色のそれであった。
そして同様のものとなる銀色のそれが俺の首から下にも吊らされている。
俺の首にはテセィの名が打刻されたメダルが、そして目の前のサーフゴーの首元で鈍い輝きを放つそこには──……見間違えようもない、俺の名が刻印されているのだった。