一線を越え、これ以上に侵すべき禁忌も無い存在と成り果ててしまった私達の関係は、当然の如くにその常軌を逸していった。
言うまでもなく私は毎日のようあの店へと足繁く通い、場合によってはそのまま店にて一夜を過ごすことさえあった。
ゾロアークもまた激しく私を求め、別れの際には切なさが募るのか私を抱きしめたまま数時間も拘束することすらあった。
また非日常性はこの店自体にもあり、この場所は来店のたびにその姿を変えた。
ある時には植物と原色の国旗然とした飾り付けが為された南アジアを彷彿とさせる店内でカレーを提供され、またある時は赤一色に統一された店内の丸テーブルの上で飲茶などを供されたこともあった。
またそうした店の雰囲気に合わせてゾロアークもその都度に装いを変え、南アジア風の時には煌びやかな原色の布地を体に巻いた衣装にて場をし、中華風の際にはその恵体をぴっちりと包み込んだチャイナドレスで現れては存分に私の目も楽しませてくれた。
そしてそうした彼女とこの場所において……私達は我を忘れて求め合ったのだ。
不思議と私以外の客が訪れたことは一度としてない。
あの空間はまさに神が私とゾロアークの為に用意してくれたような隔絶された空間であり、そこにて繰り広げられる彼女との関係は未来永劫に続くものだと私達は信じてやまなかった。
「……一緒に暮らさないか? 君がこっちに居てもいいし、私が君達の世界に行ってもいい」
そして遂に私は、彼女を生涯のパートナーとして受け入れる覚悟とその想いを直接に伝えた。
燃えるような情事の後──その熱を帯びたまま、私はそれを告げたのだ。
決して勢い任せの無責任なピロートークなどではなかった。
その想いはかなり以前から既に抱き続けていたもので、いつそれを告白しようかとそのタイミングを見計らっていたのだった。
そして今それを伝えられ、一方で受け止めたゾロアークはと言えば──ただ私一点を凝視したまま丸く目を剥いた。
そこの表情に満ちているものは当然の如く強い驚きのそれではあったが、そこに嫌悪や煩わしさを見ることは無い。
証拠に、見る間にその表情が解かされるや──そこには半分泣き出したように眉元が歪んでは、そこに声以上にない歪な笑みを万面に湛えた。
次の瞬間には想像通りに強く抱きしめられていた。もはや、こうした彼女の行動原理すら読めるほどに私達は通じ合っていたのだ。
「返事はOKと取っていいのかな?」
一方の私もまた抱き返して彼女の背をさすってやると、それに応えるよう激しく、再びにゾロアークは私の唇を奪っては以降も激しいキスの嵐を顔面のいたる所へお構いなしに浴びせてくるのだった。
かくして彼女の『パートナー』となれることの了承を受けた私ではあったが──……この出会いの時と同じよう唐突に、そして今度は不条理に私達の関係は終焉を迎えた。
その日、いつもの通りにそこを訪れた私は店の鍵が開いていないことに気付いた。
しばし握りしめたハンドルを上下させては固まったドアラッチが解けないかどうかを試みたものの、鍵はしっかりと内側から施錠されており外からこれを解くことは叶わなかった。
声を掛けるたりするなどしてしばしその場に佇んではいたが、一向に中からのレスポンスは無い。
この時、私は不吉な胸騒ぎもまた感じていた。
時を経るごとにその想いは強まり、私はドアに設けられた格子のガラス窓から店内の様子を窺うに──頭から血の気が引いた。
切り取られた視界から伺えるその店内の様子が信じられなかったからだ。
そんな激しい焦燥と不安に駆られたことから私は、普段の自分からは信じられないような暴挙に出る。
こともあろう私は、周囲を見渡して朽ちかけたブロックのひとつを見つけて手に取るや──それにて格子窓の一角を破砕したのである。
そこから手を差し込んで内鍵の開錠をする。
その際に、枠に残るガラスの破片で甲を切ったがそんな痛みも流血も私は意に介さなかった。
ドアを開き、たった一歩を駆けこむようにして店内に入ると──改めて確認する目の前の光景に私は愕然とした。
店内は、もぬけの殻であったからだ。
壁面に備え付けられた飾りつけはもとよりテーブルとイスすらも無い……ただあの縦長8畳の空間のそこには、風化して所々が割れたタイルの床が広がるばかりであった。
「そんな……そんな、まさか……ッ」
強い眩暈と動悸に襲われながら、私はふらつく足で店内を往く。
キッチンカウンターを越え、その奥のキッチンへと至るとそこもまたコンロはおろか食器棚すらもないがらんどうの空間が広がるばかりであった。
さらに進み、勝手口と思しきそこを開くもしかし……目の前には入り口とは反対の路地に店内を貫通して出てしまうばかりだった。
再び店内へと戻り、元の客間であったホールまで歩む。
執筆業の性かそれとも性格ゆえか、強い喪失感とそのショックに打ちのめされているにもしかし、私の頭は既に冷静さを取り戻していた。
そしてそんな私の目は同時に、店内の『異変』にもまた気付く。
しかし私は大きくかぶりを振った。
この段においてもまだ信じたくはなかったのだ。
『それ』を受け入れてしまうということは彼女も……ゾロアークもまた失うことに他ならなかったからだ。
斯様にして往生際の悪い私は、その空回りする行動力を集結しては次なる行動へと出る。
ネットや周辺の不動産を駆使しては、この建物の所有者を探し出そうとしたのだ。
そして数時間後にはそれも特定し、私はその足で件の人物の元を訊ねた。
突然の来訪に加え、あの喫茶店のことを唐突に聞いてくる私に対し、70代程と思しき禿頭の老人・間宮氏は──私があの店内で気付いた『異変』の答え合わせをハッキリと告げてきた。
『あの店はもう、何十年と開いてはいないよ。おそらく人が入ったとするならば、今日のアンタだけだろう』
その分かり言っていた答えにもしかし──私は衝撃を覚えずにはいられなかった。
数時間前、あの店内で私が気付いたのはその端が捲れて垂れた壁紙の存在だった。
日焼けしたそれはすっかり風化していていて、僅かな衝撃でもその端が千切れては地に残骸をまき散らせてしまう状態だったのである。
事実、無遠慮に入店してはキッチンまでの直線を駆け抜けた私の空気の対流に巻き込まれては、剥がれ落ちたそれらが地に散乱していた。
もし昨日までここに彼女がいて、突貫で店を畳んで片づけをしたというのなら、あれら壁紙を傷つけずに退出することは不可能だろう。
それに気付いた時──すでに私はもう、彼女がこの世界線から消えてしまった事を理解していたのだ。
それら事実を受け入れては消沈する私を前に、オーナーの間宮氏はただ狼狽えるばかりだった。
しかし次の瞬間には、私は我に返っていた。──……否、もしかしたらその時に完全に狂ってしまったのかもしれない。
その時、諦めきれなかった私は最後の悪あがきを画策する。
「間宮さん……お願いがあります」
それから私は、『とある』交渉を彼へと願い出た。
訪問も急であったなら、その願い出もまた常軌を逸した申し出であり、間宮氏はただただ狼狽えるばかりではあったが、その後に第三者を加えた煩雑な手続きの果て──私のその『願い』は聞き入れられることとなったのだった。
私はあの喫茶店を買い取った──。
シャッター街とはいえ腐ってもそこは駅前商店街の一角であり、なおかつ他の不動産とも連結した土地柄故にそれの取得には実に膨大な時間と費用を要したが……あの事件から数か月後、晴れて私はあの店のオーナーとなったのだった。
店内は床や壁、そして天井といった内装クロスを張り替えてはキッチンもまた調理場として機能出来るように整えた。
かと言ってそこで商売を始めるつもりもない。
しかし客間ホールとなるあの空間には斜となるようにテーブル一基と椅子二脚の2席を設け……その入り口側のそこに私はいつも陣取る。
この場所こそが私の新たな仕事場となった。
未練といえば女々しいのかもしれないが、この時の私には妙な確信があったのだ。
彼女とは、あのゾロアークとはまた再会できる──そんな確信が私の中にはあった。
それが数年後か数十年後かは分からない。それでもしかし、彼女と再び出会う場所として、この店以上にふさわしい場所は無いように思えた。
そして今日もまた、私はあの店へと通う──。
盗まれるものなどは何一つ置いてないので、この店には施錠やセキュリティの類は一切しなかった。
それこそあの頃、店に通っていた時のように私はいつだって気軽にそのドアを開いて入店を果たす。
僅かにドアを開くと、カウベルの乾いた音が響き渡る。そうして気持ちゆっくりとドア押し開きながら──……
そこから徐々に開いていくドアと店内の狭間へ視線と想いとを投じては、
またあのゾロアークの居る喫茶店が現れないかと今日も私は入店を果たすのだった。
【 ♡ 開店 ♡ PPP(ポチャポケパラダイス)♡・完 】