「──君のインテレオンについて聞かせてもらえないだろうか?」
あの島での年越しも無事に終えた帰りの話である。
フェリー内で再び声を掛けてきたのは、初めてこの船に乗り込んだ時にバーカウンタで語らったあの中年紳士であった。
もはや一連の祭りも終わり、帰路につく船内の乗客達は自分も目の前の紳士も始め、皆が服を着ていた。同時にその姿にラクルは、再びに人のしがらみを纏ったような気がしてなんだか少し寂しい思いにも駆られる。
そんな想いに囚われてはしばし呆然としてしまうラクルではあったが、再度その名を呼び掛けられては我に返る。
「えっとぉ……彼女に何かあったんですか?」
そして再び現世の人に戻ると同時、意味ありげにそんなことを尋ねて来た紳士の意図を測りかねては途端に不安に駆られるラクル。
あの島でインテレオンに何かあったのだろうか? あるいは何か騒動の発端になるようなトラブルに巻き込まれたのかと心配するラクルをよそに、紳士は新たな人物を紹介してきた。
「こちらはマーシュ博士。……大きな声では言えないが、今回のイベント主催者の一人だ」
紳士の紹介に歩み出してきたその人物は、簡単な名乗りと共に挨拶をしながら握手を求めてくる。
マーシュは年の頃は50代と思しき女性であった。
しかしながらベージュのタイトスカートに包みこんだ体躯はメリハリが利いて肉感的で、その上に纏った白衣が無ければ、さぞかし官能的な印象を周囲に与えることだろう。
半面、肩ほどまでのウェーブ掛かった髪型にやや垂れがちの目元から覚える柔和な雰囲気は、その肉感的な体躯とは対照的に母性に満ちた印象を抱かせた。
それゆえに彼女もまた今回のイベントに参加していたのかなどと不謹慎なことを想像しては、必要以上にラクルをドギマギとさせてしまうのだった。
「別にあなたのインテレオンが何か起こしたわけじゃないの。私達が不思議に思っているのは、なぜラクル君も含めた『あなた達』がこの船乗っているかの方なのよ」
鹿爪らしいマーシュ女史の言葉にラクルは状況が飲み込めず困惑する。
つい今しがたまでインテレオンの話をしていたはずが、なぜ急に自分へもの話題の矛先が向いたものか……しかし女史はそのことも含め、順を追って説明をしてくれた。
「今回あなたは『モントベクター』に参加してくれた訳だけど、御存じの通りこの催しに部外者は一切参加できないようになってるの。参加者はそのポケモンに至るまでコンピューターチェックされて、作為的に侵入しようとしても排除されるようセキュリティされているわ」
当初ラクルは乗船手続きの手違いからこの船に乗り込んだと思い込んでいた。
しかしながらそうした乗船はどんな天文学的な確率の偶然を以てしても、それこそ意図して侵入を画策しようとも、イベントは鉄壁のセキュリティにより守られ、外部へも一連の内容が流出されることはない。
よしんば船への潜入までは出来ても、その後の調査において侵入者は即座に排除されるという仕組みだ。
そしてそのセキュリティを成立させるための鍵こそが──
「参加者のDNA 登録……それが為されたポケモンとトレーナーしかこのイベントには参加できないの」
マーシュはそう纏めた。
故に今回、なし崩し的に参加をしてしまったラクルとインテレオンに彼女は興味を持ったのだ。
二人がこの船に乗り込めた理由こそは、
「あなた達は過去に、私達が組する組織にDNA登録をしている……その経緯を知りたいの」
ようやくに要領を得たマーシュの質問にもしかし、新たに生じた疑問にラクルは困惑するばかりだった。
組織? DNA登録? ──そんなスパイ映画の中でしか聞いたことのないような単語の登場に、しがない一般人たるラクルはただ振り回されるばかりだ。
当然ながらマーシュを納得させられるであろう答えも持ち合わせていないラクルはゆえに、自身の家庭環境や生い立ちについて語り聞かせることにした。
「このインテレオンは、母さんの形見なんです」
ラクルのとっては取るに足らない昔話のつもりではあったが、それを聞くマーシュ女史の表情は緊張を孕んだ険しい物へと変化した。
母子家庭のラクルは1年前まで母と共に暮らしていた。
彼女の詳しい仕事までは知らなかったが、確か薬剤師を名乗っていたように思う。それゆえに収入は安定していたようで、幼少期にラクルが貧困にあえぐようなことは無かった。
別段、記憶に残る母の面影や仕草にも怪しい印象のものは思い起こされず、唯一不可解な点はと言えば、ラクル達一家は頻繁に引っ越しを繰り返していたということだけだった。
それだって仕事の都合なのだと幼くして理解していたし、そもそもそれが常態であったラクルにはそこに疑問を持つことさえ、今に至るまで抱きはしなかった。
そしてラクルが10歳の頃、母は一匹のポケモンを彼に与えることとなる。
それこそがジメレオンであり、後のインテレオンであるわけだ。
しかしながらと……このこと一点だけについては、ラクルもまた疑問に感じることが確かにあった。
なぜ母は第一進化形態のメッソンではなく、中間進化であるジメレオンを与えて来たのかということ……。
それでもしかし初のパートナーということもあり、また当時は幼さも手伝ってかラクルはそんなことなど一切、意には介さなかった。
事実インテレオンは公私に渡る最高のパートナーとなり、更に今回のイベントを経てからはより親密な存在とすらなっていた。
「……失礼だけど、お母様のお名前を窺ってもいいかしら?」
一方でその話を聞いていたマーシュ女史の表情はどんどんと暗いものへとなっていた。
話し始めこそは目を合わせていたその顔も今では何か物思いに耽っているのか、視線を伏しては独り言のように尋ねてくる有り様ですらある。
「えっとぉ……エヂンです。エヂン・サイモンと言いますが」
その瞬間──伏されていたマーシュ女史の顔がバネ仕掛けに跳ね上がる。
同時にラクルへと向けられるその表情は目を皿のように剝く驚愕を宿したものへと変わっていた。
その表情に、なにやら今の状況がきな臭いものに代わってきたことを流石のラクルも感じずにはいられない。
いつしか鳴り始めていた不整脈は一呼吸ごとに大きくなっていくのが感じられる。
「そのインテレオンは形見とおっしゃられたけど……お母様はいつお亡くなりに」
「い、一年前です。膵臓の病気でした」
「あなた以外に付き添われた方はいたのかしら?」
「いえ、身内は僕とインテレオンだけでしたから特には。……あの、いったい何なんですか?」
繰り返される質問とざわつく心中に煽られては、そこに覚える恐怖ゆえにラクルは苛立ちを混じらせた強い口調で聞き返してしまう。
そんなラルクの返事に対し、
「あなた達は、そうプログラムされたのね……」
僅かに顎を引き、観察するよう一点に見つめてくるマーシュ女史の視線に──ラクルは途端に意気を挫かれては言いようのない不安と恐怖とを再認識する。
そしてそれは背後に控えるインテレオンもまた同様で彼女は守る様に、しかし反面ではすがる様に不安げにその背中からラクルを抱きしめていた。
この時二人が感じた恐怖の正体……それこそは、いま目の前のマーシュが見せたその表情を、二人は以前から記憶していたということに他ならなかった。
言わずもがな初対面のはずである。
それにも拘らず、二人は彼女のことを知っている──その意味するところを知ることが、今の二人には何よりも恐ろしいことのように思えた。
そしてそれを知ってか知らずか……
「この『モントベクター』は数回限りの限られたイベントなんかじゃないの……それこそその始まりは、25年にも前に遡る『大きなプロジェクト』の一部なのよ」
マーシュはその真相を──
そして、ラクルとインテレオンに科された役割と、その『正体』について語り出すのであった。