アブソルに引きずられ続けること数分──俺は来た道を顧みながら暗澹とした気持ちでいた。
その理由は餌としてコイツに持ち帰られている事だけではない。
長く俺が引きずられてきた跡に続く血糊の筋を確認しては、そのことに気持ちを重くさせていたのだ。
我が身を見下ろせば右足のズボン裾が徐々に赤く染まりつつあるのが確認できた。
その出血の量たるや、もはやかすり傷程度の物では済まない。これではこの全身を包み込む痺れが取れたところで、以前のように歩いたり登ったりは叶わないだろう。
元より無いに等しかった俺の生存の可能性は、この時完全に費えたといって過言ではなかった。
そうして渓谷の底を辿ることさらに数分……ようやくにアブソルの動きが止まった。
巣に辿り着いたものかと待ち受けていると、アブソルは存外に高く美しい声で一鳴きした。
それから再び俺の顔を覗き込んでくるアブソルを俺もまた所在なげに見返していると、そこへ予想だにしなかった展開が訪れる。
ふいに、覗き込んでいたアブソルの隣にもう一体、別のアブソルが現れたのだ。
その登場に思わず俺も眼を剥いては両肩をすくめる。
その新たなアブソルは、ここまで俺を運んできた個体よりも更に一回りその体も顔の輪郭もまた大きかった。
すなわち俺を発見したアブソルは子供で、今新たに表れたこれはその親であったという訳である。
しばし二匹で俺を見降ろした後、その視線を振り切るとアブソル同士は互いに鼻を突き合わせては何か打ち合わせでもするかのよう低い声を喉の奥から鳴らしていた。
その直後二匹の顔が視界から消えるや再び俺は背後へと引きずられ始める。
同時に親と思しき個体がそんな俺達を追い抜いて何処かへと歩き去る後ろ姿を見送った。
尻尾の裏から見え隠れする腹部には背後からでも分かるほどに肥大化した乳房が連なっており、あの個体が母親であったことと、そして俺を運んできたアブソルはまだ離乳直後の子供であることが察せられる。
ということは俺こそがこの子供の最初の肉になるとうことかとも考えると、不思議に死への恐怖は和らぐのだった。
もうここまで来たならば成るように成れだ。
依然として引きずられ続けていると、突如として視界が暗転する。
同時に背に感じる摩擦の感触にも多く砂を含んだ気配が生じたことから、どうやら巣穴の中へと引き込まれたらしい。
そして寝床と思しき枯れた植物や薪の重なる一角へ上げられたかと思うと、今度は正面から回り込んできては、アブソルは俺の体に乗り上げてくるのだった。
胸板の上に両前足を掛けて鼻頭を近づけてくるアブソルを前に、改めて俺はその顔を観察する。
透明感のある大きな光彩の瞳と長くバランスの良いまつ毛の面相は、俺達人間の感覚からしたならばそこそこの美人とも見受けられた。
おそらくはメスであろうこともまた直感した俺は、生涯初となる『女性に乗り上げられる』体験が捕食者(ポケモン)であるという状況に思わず吹き出してしまう。
しばし視線を合わせ、それを振り切った後も俺の体の隅々を観察していたであろう彼女はやがて──俺の腹部に牙を突き立てた。
ついに始まるのだな、とそれを見守りながら漠然と思う。
まるで穴でも掘り穿つかのよう忙しなく前足で俺の腹部を掻きながら、剥ぎ取った衣類の端切れや綿を外部へと掻き出す彼女──今はまだ幾重にも着込んだ防寒着で留まってはいるが、あの鋭い歯牙が肉体に到達するのも時間の問題だろう。
やがては胸元から腹部にかけての衣類を全て剥ぎ取ってしまうと……途端に血の香りが深く立ち込めては俺も表情を曇らせる。
同時に鈍い痛みもまた頭を貫いたが、それは今しがたのアブソルの牙によって与えられたものではなかった。
首を起こし辛うじて自分の体を見下ろせば、そこにはどす黒い血糊をこびり付かせた右わき腹の惨状が確認できた。
おそらくはあの落下の際に負った傷だ。
それを視認するや、たちどころに鋭い痛みがわき腹に生じては緩やかな出血まで始まる。
その傍らで一方のアブソルはと言えば、今度は俺の下半身においてズボン下を食いちぎる行為に夢中となっていた。
見守り続ける中、瞬く間に下半身の衣類は全て剥ぎ取られ──俺はそこに生殖器すら露としたあられもない姿をアブソルの前に晒す羽目となった。
とはいえその光景を前にしてもしかし、俺の心は羞恥心をさらに上回る恐怖と驚愕とに包まれていた。
見下ろす下半身のその先……一際鮮血の赤が目立つ俺の右足は、さながら脛に新たな関節でも増えたかのよう内側へ直角に折り曲がっていた。
歪な花の蕾よろしく褐色に腫れ上がったその個所からは、骨折の際に分離したであろう骨の一部が皮膚を突き破っては体外へと露出してもいた。
その他も含め、改めて確認する俺の体には大小を問わぬ無数の傷や痣が見受けられ、それらを確認するや俺の脳は途端に従来の感覚を取り戻しては、それらが発生させる熱や痛みで俺を苛ませ始めるのだった。
情けなく呻きを上げては反らせた身を硬直させる俺であったが、同時にこの痛みの中であれば、彼女達に噛み裂かれることも大差はないなと楽観的に考えてしまう。
そう考えるならばこの痛みこそが死の恐怖を和らげてくれる最高の麻酔という訳だ。
そうして気付けば……いつの間に戻って来たのか、あの母親のアブソルもまた娘と一緒に俺を見降ろしていた。
不安げに俺と母親とを交互に見遣るアブソルをよそに、母親は値踏みでもするかのよう冷静に俺の体を隅まで観察する。
やがては何かを合図するかのよう小さな呻りを一つ発すると、二匹はその鼻先を俺の体へと降ろしていく。
依然として痛みに苛まれながらその様子を見守り続ける俺の視界には、脇腹の傷へと揃って鼻先を寄せる二匹の姿が写っていた。
やがて母親の顎が大きく開け放たれた次の瞬間──
「うぐあッ……あ、あぁ…………ッ!」
その牙は容赦なくその傷へと突き立てられ、鮮血をすすりあげながら俺の肉を噛み裂き始めたのだった。