彼女達の元で保護されること数か月──狭い巣穴はちょっとしたベビーラッシュに沸いた。
娘アブソルから一人、そして母アブソルからは二人となる計三人の子宝に恵まれたのだ。
言わずもがな、この子達の父親は俺に相違ない……。
雪深いこの山において、右足の骨折を始め全身のケガで身動きのとれぬ俺は元より、このアブソル母娘達もまた互いの身を寄せ合ってはこの狭い巣穴での生活を余儀なくされた。
その間、俺達は巣籠りの余暇のことごとくをまぐわい続けることで消費した。
斯様な生活の中においても時折りエサの調達に外へと出ていた母は別として、娘アブソルに関してはそれこそ文字通りに四六時中を俺と共にしていたことからも、もはや彼女の産む子の父親が誰であるのかは疑いようも無かった。
しかしながらこの状況を受け入れる俺に禁忌を犯したという心の重荷は一切無かった。
そもそもが現世ともいうべき人間社会に辟易しての登山行こそが今回の事件の始まりであった俺には、もはやそこへの回帰などという意識は元より薄かった。
そんな逃避行めいた今回の登山の目的こそは、とある人物の捜索に端を発する。
俺にとってその人は、登山家の師匠筋に当たる人だった。
高名なアルピニストでもある彼に師事をして数々の山に随行した俺は同時、そんな師匠の娘に恋慕することとなる。
彼女は名をリリナと言い、俺とは同年代となる女(ひと)だった。
とはいえ俺がその想いを告げるよりも先に、彼女は別な男の元へと嫁いでしまう。
それでもしかし生来の不器用さから俺は彼女への気持ちを断ち切ることが出来ず、密かにその想いを焦がし続けていたところに、師匠がこの山で遭難したとの一報を受けた。
捜索は難航し、彼が携帯していたであろう食料のリミットである1週間が経過しても戻らなかったことから、その死亡は確実なものとされた。
当時は俺もまたその捜索活動に参加し協力も惜しまなかったが、如何せん時期が悪かった。
師匠がこの山の冬季無酸素登攀に挑戦していたその時期は例年にない大雪が観測されたこともあり、後に続く捜索隊は皆、前後の雪に阻まれては足止めを余儀なくされた。
その死が確定的となると自然、捜索隊もまた解体されることとなり……誰が命じるともなく、一連の騒動は収束へと向かった。
後日、近親者のみで行われた当人不在の葬儀に際し、涙に暮れるリリナを目の当たりにしては、密かに師匠の遺体を彼女の元へ持ち帰ることを俺は決意したのである。
しかしながら今度は、対外的な問題が立ち上がってきては俺の邪魔をする。
著名なアルピニストの事故──さらにはこの山が国境間にあったことも手伝い、一連の遭難事件は当時ちょっとした国際問題となった。
それぞれに山を有する両国は当面の入山禁止を打ち出し、再度この山への入山が叶ったのは事故から実に4年の時間を有してからとなった。
師匠の死から時間が止まってしまった俺とは裏腹にリリナには子供が生まれ、周囲もまた既に師匠の死を過去のものとして前へ進み続ける中……不器用な俺だけが様々な思いを胸に停滞を続けていた。
斯様にして誰に告げるでもなく師匠捜索の為に山へと入った俺の行動はもはや、その後追い自殺にも近い行動であったのかもしれない。
あのクレバスへと落ちる雪庇を見落としていたのも無意識化にそれを望んでいたが故だったのかもしれないと、今になって俺は思うのだ。
それゆえに……今こうしてアブソル達に囲まれて、歪ながらも家族を得られた俺の心は皮肉にも、人の世界にあった頃よりも落ち着いてはようやくに人並みの幸福を享受出来たという状況であった。
かくして今となっては妻となった彼女達母娘と、そして三人の子供達と過ごすうちに冬は終わり──全てを凍り付かせていた雪が解け始めると、山にはようやく春の兆しが訪れた。
その頃には俺の体の傷もその大半が癒えており、右足もまた多少の変形は見られたものの不器用ながら立って歩けるほどにまで回復した。
そんな矢先、ある時俺は母アブソルに誘われてはとある場所へと導かれた。
今いる巣からさらに数キロを進んだ先にある別の洞窟の中において、俺は『それ』との対面を果たす。
そこにおいて眠るように蹲っていたものは人の死体──それこそは見違えようもない、師匠のそれであった。
岩窟の壁面に背を預けては眠るように俯く彼の死体には両足が存在しなかった。その切断面から想像するに、おそらくは獣の類によってそれらは食べ尽くされてしまったのであろう。
そしてそんな師匠の横顔へ愛おし気に舌を這わせる母アブソルの仕草に俺は全ての真相を悟る。
人間と子を生したアブソル──すなわち俺と番(つがい)になったあの娘アブソルは、師匠とこの母アブソルとの子であったのだ。
彼女の中に想い人『リリナ』の面影を感じたのは、誰でもない彼女の父がこの師匠であったからに他ならない。
おそらくは彼もまた、生まれてきた娘アブソルに対し『リリナ』の名を付けてはそう呼んでいたのではないだろうか……それこそがあの娘アブソルに纏わる全ての違和感の答えであった。
今となっては物言わなくなった師匠の前に膝まづいては俺も黙祷を捧げる。
全ての真相を知った俺には、もはやこの人に対する感謝以外の念は抱けなかった。
思えばこの人は、生前から今に至るまで全てにおける俺の『命の恩人』であったのだ。
もはやこの山において、人間(ヒト)ならざる存在に身を窶した俺にとってはその事実がなおさらに深い意味合いを帯びては、在りし日の彼への想いをいっそうに焦がせるのだった。
しばし3人だけの時を過ごし、俺達はその霊廟を後にした。
妻アブソルの役に立てればと食料を胸に抱いて、俺達は本来の家へと帰路を辿る。
そこからふと見上げた空は、数か月に望んだものと同じよう聳える左右の絶壁に切り取られた狭い眺めではあったが──その彼方には透き通るような空の青さもまた望めた。
ようやくに冬の暗雲が取り払われ、季節は春となる。そして人のしがらみを捨てた俺もまた、この場所において新たな生活を始めることとなる。
人でも無ければポケモンでもない俺は、きっと生き物というよりももはやこの山の一部であるのだろう。
それもまた良いと思った。
この厳しい山の自然こそが俺の血肉であり、そしてポケモン達が家族であるのならばむしろこれ以上に望むべきものも無い。
そんな俺の心を思い図ったかのよう傍らの妻が身を寄せてはその首筋を擦り付けて来た。
それを嬉しく思い立ち止まると、俺もまた屈みこんではそれを抱きしめて感慨に耽る。
そんな全ての命と想いを包み込んではなおも──アブソルの山は悠久と在り続けるのだった。
【 アブソルの山・完 】