遡ること千年と少し前──遠く東南の地において、イーユイは過去に討伐をされていた。
人やポケモンを問わぬ数多の犠牲の果てに打ち滅ぼされたと思われたイーユイではあったがしかし──まさに死に逝かんとするその瞬間において、彼女は賭けともいうべき悪あがきをする。
それこそは自身の遺伝子と魂の一部を、討伐に訪れたトレーナーの内部へと潜り込ませることだった。
そこから先は代を重ねて幾星霜──仇の肉体を渡り歩きながらイーユイは機が熟すのを待った。
表立ってはイーユイの討伐を完了させたことから、役割を終えた件の一族と眷属のポケモン達はその能力や作法の伝承も必要となくなり、そして千年後にはもう彼女イーユイを滅する術の全ては時の果てに忘却された。
その間もイーユイは雌伏して時の至るを待ち、それこそ天露を溜めるが如き根強さで復活の為の力を溜めた。
そして現代──封印からの復活を果たしたパオジアンがリンに調伏され、幼き子供の肉体に封じられたことを四災の感覚(シンパシー)において察知するや、イーユイはリン諸共にその力を取り込むべく今回の謀を画策し、そして世界実行へと移したのだった。
[……──しかしながら誤算であったのは、永らく人の体の中に在ったせいで精神の変節を果たしてしまっていたことに気付かなんだことじゃった]
「せいしんのへんせつ? もっと簡単に言ってよー」
[要は『神(ポケモン)』ではなくなり、『人』に成り下がってしまったということじゃよ]
後日──一連の騒動が『戦後の不発弾暴発事件』にすげ変わった後の話である。
イーユイが消滅したことにより、彼女が変身していた教師シオンと生徒レノの記憶は全ての生徒達の中から消えていた。
事件にあったレノとのバトルで生じてしまった生徒達の怪我は、その後にリンとイーユイの戦いによって崩壊した校舎の事案と結び付けられては、『不発弾の爆発によって生徒と校舎が被害を被った』という内容へと事実の擦り合わせが行われたのである。
……最も、前後に矛盾や不明な点が多く残るのは周囲にしても周知の事柄ではあったが、あの騒動の真相を知る者がリン達しかいない以上、他の関係各位もそれで納得せざるを得なかった訳ではあるが。
一方でリン達もまたあの一戦を経て、図らずもイーユイを取り込むことにより、かの厄災が辿って来た記憶から事件の真相を知ることとなる。
「イーユイがポケモンじゃなくて人になっちゃったってどういうことなの?」
学校からの帰路のながら、改めて今回の事件を整理する傍らでリンはパオジアンへと尋ねていた。
[奴自身は依然として神のままでいたつもりだろうが、その実情たるや奴は既に神性を失っていたのだ──]
その最たる行動こそが先の戦いの終盤において、ガーディを人質に逃亡を図ろうとした行動であるとパオジアンは断ずる。
[確かに他者を交渉の道工として使うことは妾とても憚らんさ。しかしながら、自身の命がかかったあの場面において、己よりも遥かに格下となる者に望みを託すあの考えだけはいただけない]
己ならば死を選ぶとパオジアンは断言する。
そうして同時にその工事が失われてしまったイーユイを……道具たるべき下等の他者を、己が命と等価交換にしようと結び付けた発想こそが『人の感覚』であるのだとパオジアンは結論付けた。
そうして手厳しくイーユイを批判する言葉はしかし、自身への想いの裏返しでもある。
人たるリンに手綱を握られては、主義と反する慈善活動に等に使役される今の自分は同じくに唾棄すべき存在であった。
故に同列であった他の四災が斯様に矮小化していた現実は、他人事ながら我が事のようにパオジアンの尊厳を傷つけるに至らしめたのである。
「そのイーユイってまだ私の体の中で生きてるの?」
斯様な物思いに耽っていたパオジアンは不意なリンの言葉に我に返る。
[はて、どうであろうなあ……その力と因子を残しているといえば『生きて』もいようし、反面その精神と意識が完全に消滅しているとあってはもう『死んでいる』に等しい……]
そんなパオジアンからの返事を聞きながらリンは目の前に掌を上にして翳すと──意識を集中させて念じた後、そこに火の粉を灯させた。
あの事件以降、リンはイーユイがもっていた炎系の技や術の使役もまた行えるようになっていたのだ。
「きっとこれってさ、神様が『今度こそこの力を良いことに使いなさい』って私達に言ってくれてるんだよ!」
[耳が腐る………]
無邪気に新たな力の獲得をそう結論付けるリンの真っすぐさに対し、知恵の輪の如くに曲がり曲がったひねくれ者は侮蔑にも近い相槌を打った。
しかしながら自身に彼女の行う世直しの拒否権が無いことは百も承知だ……どうせやらされるのであるのならば、いっそのこと楽しんでみようかともパオジアンはらしくも無くふとそんな考えに至った。
パオジアンもまた気付いてはいない……──永き年月の果て、人の中においてその性質を変貌させてしまったイーユイ同様に自身もまた変革の最中にあるということを。
しかしながらそんな僅かに芽生えた感情を吹き飛ばすかのよう、
「よぉーし! それじゃあ帰ったらイーユイ・フォームのコスチュームとポージングを決めようねパオジアン♪ 前よりももっと強くもっと可愛くなれるよ♡」
[んがああああああ! 前言撤回じゃ大うつけが! 帰り道で車に轢かれて死ね!]
「私は死にませ~ん」
謳うようなリンの可憐な声が響く空には既に、薄く雲の途切れた秋の気配が迫っていた。
かのパオジアン復活から始まったリンの一夏は、ようやくに終わりを迎えようとしていた。
【 饑渇の紅勾・完 】
復活の時は近い──人知れずパオジアンは思った。
それこそは自身がこのリンの肉体を食い破り、再び神として顕現する実感をこの時の彼女は確信していたのだ。
かの四災・イーユイを取り込んだ瞬間──パオジアンは自身にも、神の力の一部が蘇るのを感じた。
そしてそれはけっして希望的観測からくる誤想などではなく、確かな根拠を得ての実感であった。
その証拠こそが、今のこの思考である。
以前はパオジアンの思想のそのこと如くはリンへと筒抜けであった。しかしながらイーユイを取り込んだ瞬間に、パオジアンは自身の意識と力の一部をリンの制御から切り離す術を体得していた。
とはいえしかし、これもまだ微力に過ぎる。
もしこのことにリンが気付き、パオジアンを今以上に拘束しようと念ずればこの秘密の力とて取り上げられかねない。
今は待つ時なのだと自分に言い聞かせる。そう……イーユイが千年をそうして耐え忍んだように。
そして自分の場合はその本懐が遂げられるまでにそれほどの時間を有しないであろうことも分かっていた。
件のイーユイの力を手に入れたことにより、あえてパオジアンは彼女の記憶の一部を封じては、リンに伝えぬよう秘匿した情報があった。
それこそは、他の四災による干渉の事実だ──。
そもそもがこのイーユイがこの短期間にここまで事を進められたのには互いのシンパシーで窮状を確認し合った以外にも理由がある。
なんということは無い……イーユイを唆しては自分の元へと遣わせた者が居たのだ。
既に人の如き思考と感情に心を占められていたイーユイを言いくるめるのは、その者からしたら子供を誑かすのを同じほどに容易であったろう。
『再び四災の力を取り戻せる』・『神の座に返り咲ける』・『この世を再び手中に収めることが出来る』──その者は斯様に陳腐な言葉を用いてはイーユイの恨みと復讐心を煽っていた。
それを知りパオジアンは心底イーユイを憐れに思う。
神たるべき自分が『与えられる』事を欲してしまうという疑念をなぜ持てなかったか──つくづくあのイーユイは『人』に成り下がってしまったのだと実感する。
しかし自分(パオジアン)は違う──。
神たるべきは、欲するものは奪うこそが正しい。
それこそは天災の如き不条理を以て人やポケモン、森羅万象に遍く存在する有象無象を蹂躙してこそ『神』ではないか──。
斯様な自身の発想にパオジアンは満足げにほくそ笑む。
まだ己は神たる資格と矜持を失ってはいない。
そして更なる完全体へと戻る為にはまだまだ力が必要だ──
次なる四災をこの身に取り込む必要がある──
そして差し当たり、その対象をパオジアンは既に定めていた──
その者とはイーユイを唆せては自分へと差し向けた者──
その者とは恨みと怨嗟により他者を狂わせる神(ポケモン)──
その者とは呪詛の蝸牛──………
嗤いとも呪いともつかぬその声を、パオジアンは無限の牢獄たるリンの内なる秘所へとくぐもらせるのだった。