「ここどこ? ……暗いのやだ……ママとパパは?」
無事帰ってきた巣穴の中──そのヒトの子供は幾度となくぐずついては様々な事を聞いてきた。
しかしながらそのどれもにサケブシッポは応えること能わず、ただ目の前の子供の様子に翻弄されては慌て、困惑し……そして最後にはらしくもなく自己嫌悪に陥った。
どうしてこんなものを連れ帰ってしまったのだろう? ──そんな後悔が心へ重く圧し掛かる。
敵意が無いこと、そしてこの個体自体に戦闘能力は皆無であることは確認できたが、むしろ戦って終わりにすることの出来る手合いの方がよほど、サケブシッポにとって物事は単純かつ簡単であった。
そもそもがこのヒトの言葉もよく分からない。
元より自身が賢い個体ではないこともまた自覚するサケブシッポは最後には全てが面倒になり、ついには拘束するようにヒトの子供を正面から抱きしめると、そのまま横になってしまった。
「なにするの? やだ……はなしてぇ……」
当然の如くに腕の中で暴れてくる子供に対し、遂にサケブシッポは威嚇も込めた声を投げかける。
その内容は「静かにしろ」や「早く寝ろ」といった内容のものであったが、それを受けて子供の動きもまた徐々に沈静化していった。
掛けられるその声に畏怖や、あるいは委縮してしまったのだろうとサケブシッポは僅かな罪悪感もまた覚えたが、実際は彼女自身気付かぬこととして、その声自体に催眠効果があったのだ。
母と父を求める呟きを最後に、やがてはヒトの子供は眠りについた。
それを腕の中へと見下ろしながら……サケブシッポは明日からどうこれを扱ったものかを思いあぐね、更にため息を重くするのだった。
翌日──。
ヒトの子供は目を覚ますなり、昨日の就寝前に中断された問答の続きとばかりに両親のことを聞いてきた。
しかしながらこれまた昨晩同様に何も答えられないサケブシッポとのやりとりは何処までも重く不毛で……午前中をそれに費やして終わる頃には、ヒトの子供もそしてサケブシッポもすっかり疲弊しては、揃って横になるのだった。
サケブシッポは未知の疲労感に苛まれては気持ちを暗澹とさせる。
今までに、一日中山野を駆け回った時だってこんなにも疲れはしなかった。それがどうだろう……このヒトの子供と過ごしたのはまだ一日にも満たないというのに、既にサケブシッポは疲労困憊だ。
同時に空腹にも気付いて身を起こす。
そういえば今日は何も食べてない。
「どこにいくのぉ?」
やおら立ち上がっては餌を探しに巣穴を出ていくサケブシッポの後をヒトの子供もまた不安げについてきた。
しばし共だって歩いていると、やがて二人は一本の大河の前へと辿り着く。
茶に濁った濁流が波すら立てずに流れるばかりの光景は、さながら地続きの道のようにすら思えた。
それを前にどうするものかとヒトの子供が見守る中──サケブシッポはと言えば、そんな濁流も一向に気にする様子もなく入水していく。
やがては頭まで水に浸かってしまっては完全にその姿が皮の中へ消えてしまった状況を不安げに見守っていると……しばしして再び、サケブシッポは河の中から上がって来た。
まるで平坦な道でも往復するかのよう何気ない足取りではあったが、戻って来たサケブシッポには入水前にはなかった変化が見られた。
それこそはあの鬣然とした尻尾に、自分の体格とそう変わらないであろうバスラオを一匹噛みつかせては戻って来たのだった。
そうしてこれまた手慣れた様子でバスラオを払い落とし〆てしまうと、サケブシッポはその腹の肉を一噛み食いちぎってはヒトの子供の手の上に吐き出した。
見たところ顎も弱そうなのでなるべくに油の多く柔らかい部分を与えてみたがしかし……子供はそれを見下ろすばかりで一向に口にしようとはしなかった。
やがては意を決したようそこへ木の実のような小さい前歯を立てるも……
「食べられないよぉ……焼いて」
嚙み切るのことはおろか、その表面へ歯跡すら残せずに再び涙目でサケブシッポを見上げて来た。
これにはサケブシッポも面食らった──ひ弱な個体であることは薄々感づいていたがこうまでも貧弱とは予想外だ。
同時にヒトの食事を思い出した時、サケブシッポは依然サバンナの真ん中でキャンプをしていたヒトの一団が焚火を囲んでいた光景を思い出す。
おそらくは目の前の子供もそのことを訴えているのだろうが、それを知りまたしてもサケブシッポは眉元を強(こわ)め深く呻ってしまう。
当然のことながら火を必要としない自分に火起こしなどは皆目見当もつかない。
しかしながら『火を得る方法』には心当たりがあった。……もっともそれは自分からしても快くはない方法ではあるのだが、こうなってしまっては止むを得まい。
サケブシッポはヒトの子供を連れて『それ』の元を訪れるのであった。
そこから歩くことしばらく──。
土の大地が消え、岩盤の足場が連なるそこの一角において……サケブシッポと子供は、岩場の物陰からとあるポケモンを観察していた。
その視線の先に居た者は誰でもないリザードンであり、うつ伏せに身を丸めては重ねた両腕の上に横顔伏せて昼寝をしていた。
サケブシッポの作戦とは、このリザードンの尻尾の先に宿っている炎から火をくすね取ろうというものであった。
しかしながら今のこの段に至ってもなおサケブシッポは気が乗らない。
そもそもがこのリザードンからして、この界隈においては最強を誇るポケモンの一角であるからだ。
建前としては誰にも負けないつもりではいるサケブシッポであっても流石に相手が悪い。平素はその気配を察しするや身を隠す手合いであるのだから。
しかしながらもはやこれ以外に火を得る方法も無い以上、覚悟を決めるしかない。
サケブシッポは持参した枝の先端を、その背後からそっとリザードンの尻尾火へと差し入れた。
立ちどころに枝の先端が炙られては焦げ臭い臭気とともに白い煙が立ち上がる。あとはこのまま火を宿して立ち去れると思ったのも束の間──突如として頭上の陽が遮られた。
突然のそれに恐る恐る視線をあげれば……そこにはその鎌首をしならせてはサケブシッポを見下ろすリザードンの怒りに燃えた目があった。
その光景に瞬間呆けてしまうサケブシッポを前に咆哮一閃──リザードンは身を起こして上体を翻すや、虫でも叩き潰すかの要領で右前足を振り落とした。
寸でのところでその一撃を躱すも、打ち付けられた掌が岩盤の地表を打ち砕く膂力には血の気を引かせざるを得ない。
一方でリザードンもまた完全に立ち上がってサケブシッポへと向き直るや、今度は高く長い怒りの咆哮を轟かせた。
それを前にしてサケブシッポもまた覚悟を決める。
戦うにせよ逃げるにせよ、生半な気持ちでいればたちどころに狩り取られてしまう。
そうして緊張感を全身にみなぎらせるサケブシッポではあったが次の瞬間──予想外のものを正面に捉えては、思わず脱力を余儀なくされた。
立ちはだかり、翼を天に広げては威嚇をするリザードンのその足元で……背後から迫ったあのヒトの子供が、両手にした枝の先端をリザードンの尻尾火へと差し込んでいたからであった。
その蛮勇ともとられない子供の行動はしかし、同時にサケブシッポの闘志もまた励ました。
あんな非力な存在ですら身を張っているのだから負けてはいられない──ならば自分の果たすべき役割はあの子供が火を盗み、そして逃げおおせられるまでの時間を稼ぐことだ。
その状況判断を下した矢先、ヒトの子供は無事に枝へ火を宿しては後方へと立ち退いた。
後は自分が時間稼ぎをするだけである──サケブシッポもまた声の限りに吠えたてけてリザードンを挑発するや、後は存分に攻撃を誘ってはこの場からの離脱を図るのだった。
どうにか逃げおおせて巣穴に戻る頃には……サケブシッポは体の芯から疲労困憊であった。
結局リザードンを振り切るのには数時間を要し、周囲が暗くなる夜陰に紛れては逃走を果たしたのだ。
同時にあのヒトの子供が無事に逃げおおせたかが気がかりであった。
もしかしたら帰る途中にまた、別のポケモンと遭遇しては窮地に立たされてはいないだろうかと戦闘中も気が気でなかったが──巣穴へと近づくサケブシッポは、自分の我が家の前に暖かい灯火が炊かれている様子を見止めては目を見張った。
近づくにつれてその光景は鮮明となり、そこには大きな焚火の前でなにやら作業をしているあのヒトの子供の後ろ姿が窺えた。
やがてはそこへと辿り着き、先方もまたサケブシッポの帰還に気付くと──
「あ、おかえりなさい! ちゃんと火を大きくできたよ! 魚も焼いたよ!」
子供は木の枝の串に通したバスラオの切り身を差し出してくる。
戸惑いつつもそれを受け取り、そして子供と共にそれを頬張った瞬間──得も言えぬ旨味にサケブシッポは恍惚とした。
しかしながらその理由それはつい今しがたまでの疲労や空腹、そして未知の調理に関する味の目覚めだけではない──なによりもいま目の前にいるこの子供と食事を共にすることこそが、食べ慣れたバスラオを何よりもの御馳走としているのだった。
夢中になって二人でそれを貪っていると、ふいに視線が合いヒトの子供は初めての笑顔を見せた。
その表情が焚火の後光も受けてはまるで輝く様にサケブシッポには感じられる。
やがて頬張っていたバスラオの肉を飲み込むと、改めてヒトの子供はサケブシッポへと向き直る。
「あたしアメリっていうの。よろしくね」
アメリ…‥その子供の名前と思しき響きを、サケブシッポもまた真似るよう不器用に発音しては繰り返してみせる。
そんなサケブシッポの声は、
「『アネキ』? あなたの名前? じゃあよろしくね、アネキ!」
斯様にして二人の名前は交わされ──今ここに、種を越えた歪な『姉妹』が誕生したのだった。