翌朝──共にベッド上での目覚めを迎えた二人は、しばし抱き合っては見つめ合うなどして過ごした。
会話らしい会話も無く、ただ互いの表情を確認し合いながら時に微笑み合うそんな一時は存外にピークの心を慰めてやまなかった。
今となっては最愛の人となったジュナイパーとこの瞬間を分かち合えることを幸福に思うと同時……しかし今の状況はピークの心もまた苛んでやまなかった。
『どうかしましたか、ピーク?』
そんな心の機微に気付いては尋ねてくるジュナイパーにピークも我に返る。
その瞬間なんだかジュナイパーの視線が居た堪れなくなり、そして同時に一抹の寂しさもまた感じたピークは半ばしがみ付くかのようジュナイパーを抱きしめた。
深く抱き寄せて彼女のうなじへと鼻先を潜らせると、
「………怖いんだ」
ピークは呟くようにそれを伝える。
当然のようにその理由を尋ねてくるジュナイパーに対し、しばしの逡巡の後──ぎこちなくもピークは今の心境をたどたどしくも伝えた。
「僕は、キミと違うってことが不安になる……」
今ピークを苦しめるものの正体こそは、自分とジュナイパーという種の差異に対する不安であった。
どんなに気持ちを通じ合わせようとも、やがては肉体の違いからくる歪みによって自分達は引き離されてしまうのではないかと危惧する。
それは食べ物であり、考え方であり、そして時間であったり──そうしたものがやがては決定的な別れを互いの間にもたらせてしまうことを、今のピークは何よりも恐ろしく思うのだ。
それを告げ、再び強く抱きしめてくるピークにもしかし……打ち明けられたジュナイパーはどこか不思議そうにその腕の中から想い人を見上げた。
そして半ばあっけらかんとすらした様子で、
『ピーク……もしかしてあなたは、気付いていないのですか?』
鹿爪らしくジュナイパーは問い訊ねる。
煙に巻くつもりはないのだが、それでも斯様に温度差のある問答に今度はピークがその表情を呆けさせた。
「ど、どういうこと?」
そうして改めて見つめ直しては困惑した様子で尋ねてくるピークと視線を交わした後、ジュナイパーは僅かに身を起こすとピークから離れ、一人ベッドを降りた。
ベッド上からも一望できるその室内をジュナイパーは進んでいくと、出入口すぐ脇の壁面に取り付けられた何かを手にして再びこちらへと戻ってくる。
切り取られた窓の様に四方を木枠で囲った平面のそれ──訳も分からずに差し出してくるそれを受け取り、そしてその中を覗き込んだピークは生唾を飲み下した。
両掌の中に置いたそこに視線を落としたその先には──紛う方も無い一匹のポケモンがこちらを覗き込んでいたからである。
「こ、これは……──」
ピークがいま手にし、そして覗き込んでいたものは一枚の鏡であった。
そしてそこの鏡面には赤の折笠と思しき羽毛を頭部に被った鳥ポケモンが精悍な間差しをこちらへと向けている……毛並みの質感に多少の違いは見られたが、そこに居た者はジュナイパーと同種の鳥ポケモンであった。
そして全ての真実を擦り合わせるよう、
『それが、あなたですよ』
ジュナイパーは告げた。
同時にピークは今日に至るまで『自分自身』というものを顧みたことが無かったことを改めて知る。
今よりもさらにか弱かった幼少期には既に、ピークはただ一人で狩りをしていた。
誰に教わるでもなく弓を覚え、そうして孤独に生きて来たピークに対し、彼がヒスイジュナイパーであることを教えてくれる者は周囲に一人としていなかったのだ。
故に彼の閉じられた世界は今日この瞬間まで守られてしまうこととなる。
比べられる対象がいない以上、周囲のポケモンやヒトに対する自身の在り方の違いを知る機会に恵まれなかったのだ。
それに気付いた時、目の前のジュナイパーにまつわる一連の関係性にもピークは全ての納得がついた。
曰くそれは、初対面であるにも関わらず彼女に対し強い好意と執着を持てた事──曰くそれは、彼女の作る食事が遺伝子に共鳴するレベルで美味に感じられたこと──曰くそれは、彼女に対し強い性的欲求を抑えられなかったこと──……それら符合の理由こそは、多少の差異こそはあれど自分達が『同じ種のポケモン』であるからに他ならなかったからだったのだ。
それに気付き、そして茫然自失と見上げてくるこんな自分へと再びジュナイパーが微笑みかけてくれた瞬間──ピークの双眸からは滂沱の如くに熱い涙が溢れ出した。
そんなピークを労わるよう、そして新たに迎え入れるようにジュナイパーは胸の中へと抱き寄せる。
『おかえりなさい……ピーク』
そんなジュナイパーへとピークもまた強く抱き着き、今度は声を上げて泣いた。
朝の静寂にこだまするそんな物悲しくも美しいヒスイジュナイパーの声に、森の誰もが聴き惚れたことだろう。
それこそは喜びの歌であるのだ。
孤独の内に生きて来た一人のポケモンが今、最愛の人の元へと帰ることが出来た──そして森の中でこの出会いを待ち続けた一人のポケモンもまた、そんな最愛の人を離さじと負けないくらいに力強く抱き返してみせるのだった。
数年後──同じ森の中にピークはあった。
狩りの最中にあったピークは右翼の中に仕込まれた矢羽根を解いて、今しがた仕留めた獲物の元へと近づいていく。
そんなピークの跡を追うように、辿りない足つきで転がるように駆け寄るポケモンの姿もあった。
「気を付けろナイル、まだ残心は解くな」
『はい!』
ようやくにピークの足元に辿り着いては、真剣過ぎるほどの強い返事を返してくるモクローに思わずピークの表情もほころぶ。
そうして件のモクローを抱き上げると、ピークは仕留めたウサギの状態を確認してはその視線を再び周囲へと転じる。
この時のピークにはもう一人、気に掛けるべき相手がいた。
それこそは……
「ナイル、お姉ちゃんはどこだ?」
今回の狩りに同伴させたナイルの双子の姉であるジュピターの行方であった。
『さっきまでいっしょにいました!』
「そうだろうな。父さんも見かけた。とはいえ見失ったな……」
まだ幼い二人を同伴させる以上、比較的に安全な狩場を選んだつもりではあるが油断は禁物だ。
注意深く周囲を観察するピークの視界は、その端に数メートル先で蠢く何かの影を発見した。
そしてその影がいる場所を確認しては小さく鼻を鳴らす。
その場所とは、この森でも一際大きいブナの木の根元──そこ根元において、探し人である娘のジュピターが屈みこんでいた。
その名を呼んで近づくも、見つめる先にあるものがよほど興味を引くのかジュピターは返事すらもしない。
ようやくにその元へと辿り着き、再び呼びかける傍ら同じくそこを覗き込んだピークは驚きに息を飲んだ。
娘が不思議そうに労わっていたものは──雑に産着にくるまれた人間(ヒト)の赤ん坊であったからだ。
『パパ! これなにッ?』
ようやくに振り返っては聞いてくる娘に生返事を返しながらピークもその元へと蹲る。
腕に抱いていたナイルを左肩の上へ移動させると、次いでジュピターもまた残る右肩の上に飛び乗った。
そうして三人の視線の先、ピークは割れ物でも扱うかのような慎重さでその赤ん坊を抱き上げる。
物欲しげに自身の親指をしゃぶりながら寝入る赤ん坊に不穏な気配は感じられない。怪我も無く健康そうだ。
『ねー、パパ。なんなのそれ?』
『ちちうえ! おしえてください!』
左右から尋ねてくる姉妹達の声をステレオで聞きながらも、この時のピークに意識はここよりも遠い所にあった。
それは自身の過去と今とが直結したかのような感覚に見舞われてからである。
あの日、幼い子供が一人──この森において誕生した。
その子供はやがて孤独の内に成長し、それでも最愛の人と巡り会えては新たな家族を得ることが出来た。
そして今、そんな自分の元へと遣わされたのは一人のか弱き赤ん坊だ。
この子は今日、ピーク達に巡り合う為にこの場所に現れ、そして自分達もまたこの子と巡り会う為に今日、この場所を訪れたのだとピークは確信していた。
だからこそ……
「この子は、お前達の新しい兄弟だぞ」
ピークはそう答えると、腕の中に抱き上げた赤ん坊を改めて愛しき娘達の前へと抱き寄せてみせる。
そのことを知らされ、期せずして驚きの声を揃ってあげる姉妹に反応し──腕の中の赤ん坊が大きな泣き声を上げた。
元気なその声に慌てふためく姉妹をよそに、ピークは得も言えぬ幸福を感じては微笑まずにいられない。
あの日、この森の一際大きいブナの木の下で二人のジュナイパーが出会いを果たした。
そしてそこから紡がれる大きな物語は今──新たな命をここに加え、更なる広がりをこの世界へと紡いでいくのだった。
【 迷いの森の梟・完 】