第1話・パン泥棒
この部屋には自分以外の誰かがいる──違和感程度だったそれが確信へと変わったのは食パンの枚数にあった。
僕はいつも8枚切り一斤の食パンを主食としている。
食べる時には必ず2枚──食べないことはあっても、食事をする際には必ず2枚を食べるのが習慣だった。
それにも拘らず、いま僕が確認するパンの袋には3枚の食パンが残されている。
先に述べた習慣があるからこそ、食パンの枚数が奇数で残ることなどあり得えない。
仮に一枚だけしか食べなかったにしても、斯様なルーチンを繰り返しているのならば印象にも残って然るべきである。
それでも最初は気のせいだと思った。
なにせ朝は忙しい。『食べたつもり』で一枚しか消費しなかったのだと考える方が自然だろう。
しかしながらそれが二度三度と続き、ようやくにそのことへ違和感を覚えては今朝、僕は改めてパンの枚数をチェックした。
そして帰宅後──それが明らかに奇数となっている現状に、これが自分の勘違いではないことを確信しては戦慄を覚えるのだった。
この部屋には僕以外の誰かがいる。
ただ単に食料が食べ荒らされていただけならば、どこかから忍び込んだポケモンや動物がくすねていったとも思うところだが、例の食パンはご丁寧にも袋のバッククロージャーが嵌め直されているのだ。
その行為こそは明らかに何者かが犯しているであろう『食パン泥棒』を秘匿する行為に他ならない。
誰が、どこに、そしてその理由も分からず──その日は眠れぬ夜を過ごした。
そしてその日以降、僕は今まで以上に生活の変化へと目を凝らすようになった。
案の定というか、斯様な『犯人』の足跡は件の食パン以外にも散見された。
蛇口のハンドルの戻し位置やシンクの水汚れ、マットやソファクッションの位置のずれや、はたまたTVリモコンの向きに至るまで……どうやら犯人が僕の留守中に、この部屋において生活をしていることは明らかだった。
使用後には何事も無かったかのようそれらを元に戻そうと心掛けていることからも、犯人から僕に危害を加えようなどといった意思は感じられない。
それでもやはり生理的な嫌悪を払拭できない僕は、そんな犯人を突き止めてやろうと思い立つ。
今にして考えれば自力で解決するのではなく、警察なり大家なり然るべき第三者へと相談するべきだったのだろうが、その時の僕は自分のテリトリー内で身勝手を働く犯人への僅かな憤慨と、そしてそれを直接自分の目で確認してやろうというゲーム感覚めいた興味に心駆られてもいた。
かくして監視カメラ数台を購入すると、僕はそれらを部屋の要所へと設置して回る。
観察地点は全部で4か所──気付きの発端となった台所を始め、リビング、洗面水回りにそして僕の寝室だ。
それらを設置した翌日、果たしてそのカメラに何が映っているものやらと考えると僕は気もそぞろになってまったく仕事が手につかなかった。
件のカメラはスマホロトムとも連動していて出先からでも確認は可能であったが、それでもリアルタイムでそれを視聴するのはあえて我慢した。
帰宅後にそれの検証をしてやろうと考えるこの時の僕にとってはもはや、一連の犯人探しは一つの娯楽へと昇華していたのだ。
今日まで趣味らしい趣味も無ければ恋人も無く友人も少ない僕にとって、この降って湧いたが如きトラブルはむしろ、思いも掛けないエンターテイメントと化していたのだった。
終業後──小走りに駅から自宅までを駆け戻ると、僕は自室に籠るなりパソコンの電源を立ち上げる。
本来ならば嫌悪と恐怖の対象でしかないその映像を確認するはずの行為をしかし、僕は胸弾む思いで行った。
監視カメラ専用のアプリを起動すると、ブラウザには確認用の動画ソフトが立ち上がる。
一つの画面の中はカメラの台数分に四分割されており、左上から順に台所・リビング・洗面所、そして右下に寝室で構成されていた。
僕が出勤した直後にはまだ、それら映像に変化はない。
しばし見守り続けていても何も起こらないことから、僕は動画のシークバーをドラックするや少しづつ時間を早めていった。
そして撮影開始から1時間後──ついにその変化が現れた。
最初のそれは左上に表示されていた台所を撮影していたカメラが反応したものである。
カメラの正面左手にコンロとそして反対の壁面に冷蔵庫を挟んだその空間は、天井に点検口と思しきアルミ枠の外蓋が設置されているわけだが、それが突如として開いてぶら下がるや──天井には30センチ四方の穴が穿たれた。
詳しくはないものの、こういった設備は何らかの方法で施錠されていてそれが自然と開くなんてことはあり得ない。
事実、この部屋に限らず僕が今まで生活をしてきた空間においてこんなことが起きたなんてことは皆無だった。
そしてそんな自然ではあり得ない状況が今、目の前に展開されている……。
斯様にして天井の開口が解放されてもなお、しばらくはそこに何の動きも見受けられなかった。
おそらくは相手側もまた警戒しているのであろう。
先ほどの派手に扉を開ける行為も先方の不注意というか故意によるものだ。
それなりの音も出た今の開錠を聞きつければ、もし誰かしらが家に残っていた場合なら必ずこれの確認に訪れることだろう。
いわばこれは犯人側からの周到な安全確認であるのだ。……こいつ、中々に小賢しい。
覗き込む映像はしばし点検口の開け放たれたキッチンの様子を映していた。
この段に至っては、僕も緊張のあまりマウスに右手を預けた状態のまま固まっては映像に見入っている。
一体この先には何が映っているのだろうか?
犯人はいったい何者で、奴は日中この部屋で何をして過ごすしているのか──いつしかそれを心待ちに観察している自分こそが何か過ちを犯しているような気がしてゾクゾクした。
そして斯様に見守り続ける映像の中、遂に決定的な変化が現れる。
開口の間口から僅かに何者かの爪先がのぞいた。
あの天井から外へと出るに際しては飛び降りる他に方法がない以上、その着地点を見定める為の所作であるのだろう。
同時にそれを見守る僕の興奮もまた最高潮へと達せられる。
早くその姿を見せろ……お前の目的を明かしてみせろ──いつしか画面に見入る僕はそんな犯人へと語り掛けるかのよう呟いていた。
そして遂にそれは安全を確認したのか、天井から台所へと飛び降りてみせる。
それこそは僕の与り知らぬ同居人の存在を今──確定した瞬間であった。