天井から降りてきたそれを最初──僕は件の『犯人』とは思えなかった。
その理由は存外にそれが小柄であったことにある。
重力など感じさせず、さながら綿帽子のようふわりと舞い降りた様子には、何かのぬいぐるみがそこに投下されたのかと思ったくらいだ。
しかしながらそれは台所の床へ下り立つや大きく伸びをして深いため息をつく。
毛量が多く、背中全体を包みこむ夏の雲のような白い鬣と黒檀の体に宿した小さな手足──カメラが捉えているそのポケモンはエルフーンに違いなかった。
そして僕は、
「あれ? コイツって……」
そのエルフーンには心当たりがあった。
他人の空似かもしれないが偶然にも一ヶ月ほど前、僕は職場の近くにおいて一匹のエルフーンを救出していた。
それは僕の職場があるビルのエアスポットに迷い込んだエルフーンで、彼女は終日そこに滞留する気流に翻弄されては抜け出せずにいた。
なにぶん体の軽いポケモンゆえに気流の渦巻くそこから自力で脱すること叶わず、遂には精魂尽き果てては建物の隅に打ち捨てられていたエルフーンを不憫に感じ、僕は近くの公園へと放してやったのだった。
その時には別段交流があった訳じゃなかったけど、タイミング的にいま目の前に映し出されているそれが無関係とは思えない。
一体どういった意図で彼女は僕の家に潜伏しているのか興味を以て観察を続けると、エルフーンは床へ降り立つなり慌てた様子で走り出した。
その後カメラ外へと出ていってはしまったが、直前にリビングもまた走り抜けたことから察するにトイレへと駆けこんだようだ。
なるほど……人知れずに借りぐらしをするとあれば深刻な問題だ。
その後も僕は彼女がこの部屋で過ごす様子を観察し続けた。
トイレから出てくると再び台所へと戻り、今度はシンクの上へ飛び乗っては蛇口のハンドルを上げて水を飲む。
水流を調整しながら垂れ落ちるそれを直に飲む様子に『コップでも使えばいい』と思ってから、ここにある食器や調度の類はみな彼女には大きすぎるのだと悟る。
やがて当初の疑惑の発端にもなった食パンも一枚くすねると、シンクの上に座り込んではそれを食べ始めるエルフーンをしかし、僕はどこか心和む気持ちで見つめていた。
まずは件の犯人が人畜無害そうなエルフーンであったことに安堵したところも大きい。
これがアーボやラッタといった、見るからに害獣といった容姿の輩であったのなら即座に駆除業者へと連絡を取ったことだろう。
しかしながら見目も愛らしいエルフーンとあってはそうした感情も起こりにくく、結局は留守宅で身勝手を振舞われているという事実もよそに、僕はそんな彼女の生活を微笑ましくも見守るのだった。
その後も彼女はリビングへと移るとテレビを点けてはそれに見入ったり、はたまた僕の部屋を訪れてはそこにあるベッドに埋もれてみたりと自由気ままに過ごしていた。
やがては僕のベッド上で寝落ち、以降は僕が帰宅する直前までそこで過ごした様子だった。
そうして午後5時──ベッドから起き上がり小さく伸びをすると、彼女は台所へと帰路を辿った。
そして降りてきた時と同じく無重力さながらにジャンプもすると、点検口へと戻って行くその途中で降ろしていた蓋もまた持ち上げて──……彼女は完全にカメラの視界から消えた。
元通りに天井の点検口は閉じられ、後は静寂が満ちるばかり。
その数分後に僕の寝室を映したカメラ映像には誰でもない僕自身が入り込んできては机上のノートパソコンを引き寄せる映像が映し出された。
斯様な一連の動画を見届けると、僕も小さく伸びをしては頭の後ろで両手を組む。
誰も映らなくなった監視カメラの映像をぼんやりと眺めていた僕は、ふいに自室のベッドへと視線を映した。
あの動画の中では、彼女は終日をこのベッドの上で過ごしていた。
数度の寝返りを打ちながら、このベッドシーツの上で身を捩じらせていたエルフーンの姿が脳内に再生されると、僕は無意識にそこへと移動していた。
その場に屈みこみ立ち膝になってベッドを観察すると、なるほどシーツの中央に彼女が寝ていたであろう小さなくぼみが窺えた。
思わずそこに鼻先など埋めてみて一息吸い込むと──鼻腔には花とも草ともつかない、仄かにハーブのような香りが充満する。
その香りに改めてエルフーンの存在を実感すると途端に胸には、彼女への愛しさが募った。
斯様な一件を皮切りに、僕はこの一室におけるエルフーンとの共同生活を意識するようになった。
あくまでも彼女には悟られてはいないという前提で、僕の生活は小さな変化を迎える。
まずは主食としていたパンを、食パンから小振りのロールパンが多く詰め込まれた物へと変えた。
これは、いつしか枚数の違和感に彼女が気付いた時に食パンを食べなくなるのではないかという心配からだ。
そしてスナック菓子然としたポケモンフードを、さも人が食するかのよう木ボールへ盛りつけてはそれもリビングに置く。
全ては彼女の盗み食いに対する気遣いを減らすための配慮ではあったが──思いのほかにこの作戦は功を奏した。
件のロールパンもそしてポケモンフードもエルフーンは気に入ってくれたらしく、その乱雑な置き方にも安堵したのか心置きなくつまみ食いをした。
さらにはあの飲みづらそうであった水の問題も解消すべく、僕は彼女専用に小さくて軽いプラスチック製のコップを買ってはさりげなくシンクの周りに置いた。
これにはエルフーンも大層気に入ってくれたようで、それで水を飲んでくれたのは元より、さらにはその日一日中そのコップを手にしては過ごしていた。
さらに元の天井裏へと帰るに際してもよほどあのコップに未練があるのか、こっそり持ち帰ろうかと葛藤する彼女をカメラで確認する僕は、それへの愛しさが募るあまり抱きしめてやりたくなる衝動に駆られる。
かくして僕は、斯様な天井裏の同居人との生活を楽しむようになった。
直接の触れ合いは無いものの、それでも他人を思いやることの出来る毎日は何とも僕の心を慰めてはまた、豊かにもしてくれた。
日々、一日の終わりに彼女がこの部屋で過ごしていた映像を確認する習慣は、僕にとって欠かすことの出来ない癒しのルーチンへと変化していったのだ。
しかし──……そんな数日を過ごしていたある日、その事件は起きた。
それを確認した瞬間、僕の抱いていたエルフーン像は粉々に破壊されると同時、僕の心までもそれは破壊してしまうこととなる。
斯様にして僕の価値観を一変させるようなその事件は、思いも掛けず唐突に……そしてどこでもない僕の寝室において行われたのだった。