車窓から望む4月の山々は緑の中に山桜が疎らに散りばめられと、夏に見た時とはまた違った印象をアルカンに覚えさせた。
舗装されているとはいえ起伏に富んだ田舎道は小刻みに上下を繰り返し、そんな道を往くバスの座席から飽くなくそれを見つめていたアルカンは、流れる景色が街並みから木立の多くなる様子にいよいよ以て胸を高鳴らせた。
アルカンの居た街から幾線かの電車を乗り継ぎ、そしていま身を委ねるバスが向かう先は──忘れもしないあの思い出の農場であった。
やがて施設の前で止まるバスから降り、悪路に難儀しながら大型のキャリーケースを引きずっては農場の事務所を目指すアルカン。
四苦八苦しながらもそこまで辿り着き、挨拶ながらにそこへと入って行くアルカンに対し、農場の職員もそれに気付いてはデスクの向こうから片手を上げた。
『やあ、よく来てくれたね。本当に助かるよ』
「いえ、お役に立てるかどうかわかりませんが……」
喜色満面に迎え入れてくれたのはここの所長であり、思わぬ歓迎にアルカンはかしこまるばかりであった。
実にあの夏のバイトから8ヶ月の月日が流れている。
アルカンにとっては何とも長く感じた日々ではあったが、こうして久方ぶりに見遣る農場はあの夏とまったく変わってはいない。さながら最後にバイトを終えたあの日の翌日を迎えたが如き錯覚にとらわれていると、
『ガルーラにも会いたいんじゃないか? アイツも君が来るのを楽しみにしてたよ』
当時の二人の関係を知ってか否か、所長はあっけらかんとした様子で言いながら何やら内線の電話を何処かへと繋げた。
その後はしばし今回の入所の手続きに追われ、小一時間後にはアルカンも今後の寝起きの拠点となる部屋へと移動する。
粋な計らいか、アルカンの居室には前回彼が使っていた場所と同じ部屋が宛がわれた。
とりあえず今日は荷物の整理などをしてゆっくりする様にと気遣ってくれた所長の厚意に甘え、アルカンはまず自室に落ち着こうと考える。
──荷物を置いたらガルーラを捜そう。
そんなことなど考えながら、今となっては懐かしく見える寮の廊下を渡り切っては棟の端となる角部屋へ辿りつくアルカン。
そこから何気ない様子でドアを開いた彼ではあったが次の瞬間──目の前の光景に目を奪われては思わず手にしていたキャリーケースを倒してしまった。
目を見開き、唖然と口すらも開け放ったまま見つめるその先にあったものは……誰でもない愛しのガルーラであった。
あからさまな迄に驚愕の表情を浮かべるアルカンに対し、一方のガルーラは僅かに顎を引いては上目遣いに視線を送るという控えめなものであった。
しかしながらその口元には微笑みが浮かんでいて、アルカンに対し落ち着き払った様子ではあっても、その内面から溢れる喜びを抑えきれない様子はありありと見て取れるのだった。
そして次の瞬間には、二人は発火するかのよう床を蹴っては身を乗り出し互いを深く抱きしめ合うのであった。
「ただいまッ……あぁ、ただいま……ガルーラ!」
彼女のうなじへ深く鼻先を埋めたまま、感無量にアルカンは再会の喜びを伝える。
一方のガルーラもまた力加減など忘れてはアルカンを抱き締めていた。
やがてはその剛力にアルカンが咳き込むのを察知しては慌てて腕の中から解放する。
そうして再び顔を合わせるや今度は弾けあうかのように笑った。
互いにの胸中には再開の感動は元より惜別の悲哀もまた思いだしてと、今日に至るまでの様々な感情や記憶とがない交ぜとなっては、いつまでも二人を笑いの中で涙に暮れさせた。
「ただいま……ガルーラ」
そうして一頻り感情を発露させた後──改めて視線を交わすや、やがて二人はごく自然と惹き付け合い、やがては口付けを交わした。
互いの唇をはみ合い、口中を往復する舌先になつかしい体温と味わいを覚えていると不意に……そんな身を寄せ合う2人の境界において何かが蠢いた。
突然のそれに驚いては反射的に身を放すアルカンはそれが生じたであろう自身の腹部を見下ろすが、そこには何の変化も見られない。
思い違いなどではけっしてなかったその感触を訝しみながら依然として自分とガルーラの腹部を交互に見遣っていたアルカンは次の瞬間、思わぬ光景をそこに見つけてはさらに驚愕させられることとなる。
ポケット然としていたガルーラの下腹の表皮が──鋭角に波打った。
さながらSFホラーにおいて、寄生した怪物が宿主の腹を食い破って生まれ出る瞬間の光景さながらに、彼女の下腹では何かが身を捩らせていたのである。
思わず顔を寄せその光景に釘付けになっていると、やがてはその動きも止まり、場には静寂が訪れる。
そして次の瞬間、ポケットの開けた上端から顔を出したのは──一匹の新たなポケモンであった。
「え……──うゎあああッ!?」
予想外のその登場に対し、至近距離で鼻先を付き合わせたアルカンは驚愕のあまりに尻餅をついてバランスを崩す。
一方で驚いたのは先方も同様だったようで、そんなアルカンの反応に慄いては再びガルーラのポケットへと潜り込んでしまった。
かくして再び訪れた静寂の中においても依然、混乱しきりの双方の間でただ一人、ガルーラだけが朗らかにその様子を見守っていた。
やがては斯様に落ち着き払ったガルーラが皮膚越しにピケットの表皮を撫ぜると……その愛撫に促されてか、件の子ポケモンもまた再びポケットから頭を出しては上目遣いの視界ギリギリでアルカンを捉える。
再度として相まみえるヒトとポケモンの光景──しかし再び二人の視線が絡んでも、もはやアルカンもその子ポケモンも取り乱すことはなかった。
それどころかこの時の二人には名状しがたいある種の『シンパシー』のようなものが生じては、互いの興味を惹き付けあってもいた。
──触れてみたい……
ふとそう思うアルカンに呼応するよう、ポケットの中の子ポケモンがアルカンへと左手を伸ばした。
熱い物へ触れようとするかのよう指先を立てては伸ばした上体を小刻みに震わせるその様子に、アルカンもまたそこへ鼻先など突き出しては互いの接触を試みる。
やがて──子ポケモンの指先がアルカンの頬へ触れた。
最初は指先で表面をなぞる遠慮がちな触れ合いも、やがては手の平を押し付けて頬を掌の中に掴み取ると、もはや子ポケモンは両手で以てアルカンの頬へ触れることに躍起となっていた。
夢中になり過ぎるあまりに身を乗り出し過ぎてはガルラのポケットから零れ落ちる子ポケモンを──とっさにアルカンも抱きとめる。
子ポケモンが初対面の他人に身を預けてしまった緊張に身を固くしたのも一時で、むしろアルカンの匂いや温もりを鼻先で感じるや、子ポケモンは自身からその胸元へしがみ付いてはアルカンからの愛撫をねだるのだった。
そんな彼女の背を撫ぜながらあやすアルカンはこの時、既に確信に近い仮定を胸の中に生じさせていた。
そしてそれを確認するかの様、顔を上げてガルーラと視線を絡ませると──……
「僕達の、子供なのかい?」
訊ねるアルカンに対し──一連の触れ合いを見守っていたガルーラもまた、感無量といった体でゆっくりと頷いた。
その事実を知り、改めてアルカンは胸元の我が子を見下ろす。
既に安堵もしきりの子ガルーラは、アルカンの胸元に横顔を着けては微睡んですらいた。
それを起こしてしまわぬようゆっくりと傍らのベッドへ腰かけると、アルカンは飽くなくそんな我が子を見下ろし続けた。
やがて隣にガルーラもまた静かに腰かけてくると、アルカンは自分よりも二回りは大きい彼女を見遣る。
こうして二人で過ごすことこそが今日までの望みであったが、神様は望外の幸せもまたそこに加えてくれたのだった。
「あのねガルーラ……僕、この農場に就職したんだ」
近況報告も兼ねてそう伝えてくるアルカンの言葉を理解してか、ガルーラの目に僅かな輝きが灯る。
言葉の意味は分からずとも、そこに込められたアルカンの想いを察したからだ。
そして、
「これからはもう、ずっといっしょだよ」
次いで告げられるその言葉の意味は完璧に理解することが出来た。
そしてそれを胸の奥へと染み渡らせたガルーラもまた、感極まってはアルカンを胸の中へと抱き込むのだった。
誰でもない愛しいガルーラに包まれる腕の中には、これまた愛しき子ガルーラを抱き包む幸運をアルカンは見えない何かに感謝した。
そして願わくば、この幸福がいつまでも続いてくれることもまた、アルカンは強く願わずにはいられなかった。
【 農場物語・完 】