第1話・運命のヒト
その日のエイジスは──鏡・ショーウィンドウのガラス・果ては車のボディの反射に至るまで、自身の姿を確認できる物の前に立ち止まってはその身だしなみを確かめた。
今もトイレの手水場において、鏡に映し出される自身の前髪が気になって仕方がない。
というのもこの日、彼は生涯で初めてのデートに赴こうとしていたのである。
相手はネットにて知り合った女性(ひと)だった。
出会いのきっかけは巷で有名なネットゲームをプレイした際に、初心者のエイジスを気に掛け彼女がゲーム内で世話をしてくれたことから始まる。
当初は彼女の性別すらも知らず、純粋にゲームへ興じていたエイジスではあったが、次第に仲が深まるにつれては自身のことを話し合ううちに、恩人が女性であることが発覚した。
とはいえその時は軽く感嘆した程度で、そもそもが視覚や聴覚に訴える情報が無い彼女の実像など、エイジスにとってはその事実を伝えられてもなお現実感が薄かった。
だからその後も二人はゲーム世界を恙無く堪能しては信頼を深めていくわけではあるが……こうしたゲーム内での交流は徐々に二人の意識を変えていくこととなる。
ゲームとはしかし仮想現実だ。
ましてやネット環境によりCPUなどではない血肉の通った相手が通信の先に居る実感と、そしてそんな相手と共同作業して助け合う日々は、リアルな人間関係と何ら変わらない信頼を……さらには愛情とを双方へごく自然と芽生えさせた。
そして遂に感極まったエイジスは、ゲームのキャラクター越しではあるが彼女へと告白をする。
さらには強く会いたいことも伝えると、後は彼女の返事を待った。
実にこの時、二人は既に5年の月日を共に過ごしていた。
それこそ仕事や外すに外せない用事以外には常時二人きりでいるような関係性であり、時にはゲームにログインはしても、本来のクエストなどそっちのけで何時間も話し込むこともざらであった。
そしてそんなエイジスからの告白を先方もまた好意的に受け止めてくれた。
彼女にしてもエイジスのことは憎からず思っていたようで、もはや今日の告白が無くともいずれは自分からこの気持ちを伝えるつもりであったことも明かしてくれた。
斯様にして晴れて互いが恋人であることを宣言し、二人はここに交際をスタートさせる。
その関係性は依然と同様に親密であると同時、そこに互いの愛を語り合うことでより一層に二人の距離感は濃密さを増した。
時に性にまつわる赤裸々な話をすることもあり、その際には彼女からの要望に応じエイジスは自身の顔写真や、はたまた半裸に近い体を写したものを求められるままに送ったりもした。
しかしこの交際にはいくつかのミステリーもまた存在した。
まず第一に彼女は、いつ如何なる時もネット上に存在していたという事……。
仕事柄もあって帰宅が深夜へと及ぶ時、とりあえずは日課的にゲームへログインを果たすエイジスへも、彼女は必ず同じ時間帯に存在しては接触してきた。
それはどんな深夜や早朝、そして日中の僅かな時間でおいてでさえも変わらなかった。
さらに、交際を始めてから自身の顔写真を公開したエイジスに対し、彼女は自分のそれをひたすらに秘匿した。
理由としては、容姿に自身が無く嫌われるのが怖いからという事ではあったが、『そんなことは気にしない』というエイジスの訴えにもしかし、自身の姿を明かすものは何一つとして彼女は公開を拒否するのだった。
その反応に当初は、彼女がAIである可能性も訝しんだ。
しかしながら何の根拠もない理由ではあるが、ゲーム内において交わす彼女との会話には確かな感情が存在しており、そこからもたらされる愛しさに都度エイジスは彼女が実在することを確信するのだった。
そうして多少の疑問はあるものの、それでも激しく愛し合う二人はその程度のことなど何ら問題にすることも無く付き合いを続ける。
その熱量はエイジスは元より、彼女にしても身を焦がすものであったようで、いつしか二人はコンピューター越しではない直での対面を望むようになる。
かくして幾度となく対話を果たした末、二人は直接会うことを決意した。
そしてこの日──エイジスは彼女との待ち合わせ場所へと向かっているのである。
交通機関の乱れから、5分ほどエイジスが遅れる形となった。
コミュニケーションアプリでのやり取りで、既に彼女が待ち合わせ場所へ到着した事を知るやエイジスも慌てに慌てる。
──『ゆっくり待っているから、気を付けて来てね』
そう彼女からの返事を見ていよいよエイジスは今日、実際に会えるのだという実感を強くした。
その返信を確認してから数分もかからず、エイジスもまた待ち合わせ場所へと到着する。
今日は共に水族館を見て回ることを約束していたエイジスは、チケット売り場の正面に設けられた広場を待ち合わせ場所としていた。
イルカの像を中央に置いた円形の巨大な噴水の回りには男女を問わず多くの人々の姿があった。
その中をエイジスは……
「えっと……たしか『黄色い服に黒髪のポニーテール』だったな」
事前に教えてもらったコーディネイトの女性をその中に探す。
今日の待ち合わせに際し、互いを発見しやすいよう身形や服の色などを二人は教え合っていた。
それを反芻しながら広場を端から見渡したエイジスであったが、その目は目当ての人を探しだすこと叶わずに通りすぎてしまった。
一度目はその事について疑問も感じなかった。てっきり見落としたのだと思った。
二度目にも発見できなかった時は、その状況に訝しんでは『もしかして彼女もまだ到着していないのでは?』と疑った。
そして三度目となるその時──エイジスの胸中には、得も言えぬ不審と不安とが広がる。
見渡すそこには確かに指定通りの『人』などはいなかった……しかし、彼女から聞いていた通りの色合いと身形の者は確かにいたのだ
四度目の確認で、エイジスの視線はその者へと固定される。
視線の先には袈裟にポーチを肩掛けにしたポケモンが一匹──……
遠目にも分かるほどに目鼻立ちの整った愛らしいクチートが──手持無沙汰に立ち尽くしては、その視線を何処ともなく遠くへと投げていた。
「まさか………」
困惑は思わず言葉となって口から漏れ、エイジスもまた心ここにあらずといった体で件のクチートへと近づいていく。
そしてそんなエイジスの接近に気付いたクチートもまたこちらへと視線を向けると、その先に彼を見止めては息を飲んでは両肩をすくめさせた。
やがて二人は対面を果たし──しばし見つめ合ったまま固まる。
互いに緊張した面持ちではあったが、じっとエイジスを見上げていたクチートの頬が穏やかに微笑んだ。
その表情に魔法が解かれたようエイジスも我に返ると、なんとファーストコンタクトを図ったものか必死に言葉を繕ろうとする。
そんなエイジスに先んじて、クチートはポーチの中からタブレットを一台取り出すと何やらそこを忙しなくタップし始めた。
そうして向けられるその画面をエイジスは目の当たりにし、
『初めまして、エイジス。私がマチルナです』
ようやくに会えた運命の人との邂逅に感動を覚えてはもう──相手が人かポケモンかなど、どうでもよくなってしまうのだった。