第1話・師の仇
この日、ひとつの戦いに決着がついた──
長年にわたる因縁に終止符を打った瞬間、しかしウーラオスの胸中に去来したものは達成感でも無ければましてや喜びとは程遠い、苛立ちに似たそれであった。
いま足元に伏している連撃型のウーラオスは、自分とはダクマの頃より技を競い合ってきたポケモンである。
拳を重ねること幾星霜……そして今日、連撃の隙をついた自身の一撃はクリーンヒットし、遂に彼を討ち果たすこととなった。
しかしながら勝利の実感こそはあれ、彼女の胸は依然として晴れぬままである。
闘いこそが我が人生であり、討ち果たしたウーラオスはその目標ともいうべき相手であったはずだ。
にも拘らず勝利を達成した胸に去来するものが空しさであっては、自分は何の為に生きてきたのか分からない。
不可解なのはそれだけではない。
足元にうつ伏せとなった敗者の顔には、満足げな微笑みが浮かんでいた。
生来深く考えることのないウーラオスは、そこへ尚更に困惑を覚えるのだ。
勝利して生き延びた自分が戸惑いを胸に抱き、そして死して敗れたる者が何故に微笑むのか……。
胸に不快さを残している理由はそれだけではない。
先ほどから耳に届く人の子供の鳴き声もそうだ。
死合を果たした自分達以外にもこの場には、横たわるウーラオスにしがみ付いては必死に声掛けなどして蘇生を試みている人間の子供がいた。
この子供の存在は知っていた。
いつ頃からかあのウーラオスが拾ってきては世話をしていた子供だ。
いつも自分達の対決を影ながら見守っては親代わりであったウーラオスへ声援を飛ばす姿を疎ましく感じていた。
とはいえその子の心中も理解できた。同時、一抹の申し訳なさすらも覚えてはいる。
別段、戦っていたからと言って双方の間に憎しみの感情やこれに由来する凄惨な過去があった訳ではない。
ウーラオスとはそのような生物(ポケモン)であるのだから、今日のような結末も仕方がないと彼女は理解していたが……その理も人には通じないようであった。
一頻り師へと縋り、そしてその死をもはや覆しようのない事実として受け入れた少年は次の瞬間──それを果たしたウーラオスへと向き直っては憎悪の目を向けた。
額が大きく見えるよう短く刈りこんだ髪型には目鼻立ちのあどけなさも手伝い、何とも彼が愛らしく感じられた。
そんな子供が今、ありたけの憎しみを視線に込めては自分を睨(ね)め付けている。
しかしながらその視線に晒された瞬間──以外にもウーラオスの中に蟠っていた不快感の一部が払しょくされた。
今度はその事に困惑を覚える。
他者からの恨みに愉悦を覚えるほど外道であるつもりはない。
自分なりにこの時の、半ばときめきにも近い感情を判断するにそれは──依然睨め付けながらに立ち上がった少年が、一端にも師の構えを真似たことにあった。
文字通りの児戯ではあるがしかし、その佇まいは堂に入っていた。
とはいえそれは師から教授されたものではなく、少年が見様見真似で模したものであろうことは明らかだ。
構えの足元において、少年はつま先の向きがまるで出鱈目であった。
左足を前に置き、半身を引いて後方にて右足を踏み込ませるこの構えは、左のつま先は上半身と水平になるよう直線に相手を向いていなければならない。
見れば少年のそれは内側にそれが向いてしまっている。
これでは攻撃の際に標準がズレ、さらにはそれに体が引かれて体幹すらも崩しかねない。
そのことは後方に引いた右足もまた然りであり、やはり正しい踏み位置を踏襲していないその構えでは、今度は受けに徹した際に、避けるには体移動がままならず、防御にしてもこのままでは踏みとどまれずに大きくバランスを崩すことだろう。
そんな型ばかりを真似ただけの少年の滑稽さと、そしてそれを振りかざしては師の仇へと立ち向かってくる勇気に幾ばくかの感動すらもウーラオスは感じたのであった。
そうして彼女は一歩、少年へ近づくや──前に踏み出されていた少年の左足を軽く蹴り払った。
もはや攻撃と呼べるような力などは一切込めず、さながら砂山でも蹴り散らすよう外から内へと少年の左足を打ち払う。
しかし次の瞬間──少年の体は大きく弧を描いては回転し、左側頭部をしたたかに地へと打ちすえては撃沈した。
誤った構えの恐ろしさはここにある。
そもそもが生物にとって、何気なく立った時の自然体こそが最も安定した姿勢であるのだ。
構えとは、あえてそれを崩す不安定な形と言える。
だからこそ正しい立ち居が求められ、今の少年は出鱈目にそれを取ってしまったが故に不安定となり、さらには必要以上の力みが悪く作用しては、転倒に際し己の膂力を以て地へと自身を叩きつける結果となってしまった。
その様にウーラオスは勝負ありを確信する。
いかに非力で体重の軽い少年とはいえ、あれだけの勢いをつけて頭部を打撲すれば失心は免れない。
しばし地に付した彼を見遣ってはそこを去ろうとしたその時──思いも掛けぬことが目の前で起きた。
事もあろう少年は、その身を震わせながら立ち上がってきたのだ。
これには驚愕を覚えざるを得ない。
しかしながらそれとても再戦の為の復帰などではなく、無意識に体を引き起こしているであろうことは、視点すらも定められずただ震えるばかりの体でバランスをとっている様子からも明らかだ。
ならばそこまでこの少年を突き動かすものは何であろう?
言うまでもなく師を失った事への悲哀と、そしてその仇たる自分への憎悪だ。
それを理解した時、ウーラオスの胸中には熱く滾るものが感じられた。
斯様な少年を前にウーラオスもまた構えを取る。
それこそは先に少年が見せたそれの、正しき型となる構えだ。
そして依然ふらついたままの少年目掛け──ウーラオスは正拳を一撃見舞った。
腹部へのインパクトに際し少年は後方へ吹き飛ばされるどころか、その場で微動だにもしなければ、果たして拳が当たったかのかも定かではないといった体で立ち尽くした。
しかしながら次の瞬間、激しく少年は吐血する。
同時に鼻腔からも出血が弾け、その様たるや体内に仕掛けられた爆薬が破裂したかの如き様相であった。
その後は大きき弧を描いては前のめりに倒れ込み──やがては師の隣に突っ伏すと、もはや少年は微動だにしなくなった。
手心こそは加えたものの、それでも一介の武人(ポケモン)による一撃である。
肉体が耐えられなければそのまま死に果てることだろう。
しばしウーラオスは己が討ち果たした二人を見下ろす。
それを見つめる瞳にもはや何の感情なども無い。
ただ無感動にそれらを眺めやった後、遂にはそこへ背を向けては歩み出す。
既に過去のものとなった二人を背に、去り行くウーラオスが振り返ることはもう無かった。