かくして──少年を復讐者として、そして半ば一方的な恋人として向け入れたウーラオスではあったが、だからと言って彼女が少年を手元に囲うなどということはなかった。
数日に一度その元を訪れては手合わせすること、そしてその後には激しく愛撫してやることをルーチンとして繰り返すばかりであったが、それでも少年には十分な成果があった。
何よりも少年は死に物狂いだった。
その体格差と実力差の前では毎回難無く叩き伏せられてしまう訳ではあるが、都度何故にそうなったのかを少年も対戦後には幾度となく反芻した。
そうして数日の内にはその課題を己の中で消化し、次回にはその対策をしっかりと為しては挑んだ。
拳に生きるウーラオスにとってそうした少年からのフィードバックはもはや、何よりも親密でかつ信頼のおける対話に等しい。
彼こそは自分を憎んでいるのやも知れないが、この時のウーラオスにとって少年はもはや、誰よりも愛しい存在へと変わり始めていた。
一方で少年もまた斯様なウーラオスの世話焼きの真意に気付き始めてもいた。
毎回気絶するほどに叩き伏せられる訳ではあったが、それでも深刻な負傷は負わせないよう彼女が手心を加えてくれていることは理解できたし、そうした稽古の後で施される度を越えた愛撫にもしかし少年は順応し始めていた。
皮肉にも仇であるウーラオスに師事している事と変わらない状況に半ば少年自身も気付き、そして受け入れ始めてもいたのだ。
そうして5年が経過し、もはや師と共に過ごした期間よりも今のウーラオスとの付き合いが長くなりだしたその頃、二人の関係は更なる発展を見せる。
その最初の気づきは、少年の攻撃がウーラオスへ届くようになったことから始まる。
今までは触れることも叶わなかった拳足が、ダメージこそは無いものの急所の的を捉えるようになった。
当然これにはウーラオスも驚愕を禁じ得ない。
一連の稽古においては威力を抑える手心は加えても、わざと攻撃を受けるなどという妥協は一切許していなかったからだ。
謂わば防御においては常に本気であったウーラオスを、少年の攻撃は確実に捉え始めたのである。
さらにその変化は少年側の受けにおいても発揮される。
こちらにおいては明確にウーラオスの技を見切っては回避を、あるいは効果的に防御などして受けては、一撃の元に失心させられるという事が無くなった。
これにより、始めた当初は一方的に叩き伏せられて終わっていた数分足らずの稽古も、後に一時間・数時間と伸びるようになり、最近に至っては半日近くを打ち合うというほどにまで二人の稽古は発展を見せた。
拳を交える時間が増えるという事は、いわばそれを通じた二人の語らいの時間が増えることも同義である。
元よりポケモンと人とでは言葉も通じ合わぬし、ましてや特殊な性質を持つ『ウーラオス』種とあってはなおさらに意思の疎通など難しいはずだ。
しかしながら稽古を通じて語り合う時、彼女は実に雄弁に己のことを騙ってくれるかのようであった。
肌艶や筋肉の隆起といった肉体の仕上がりは常日頃彼女が何を食べ、どのような鍛錬を課して日常を過ごしているのかを教えてくれたし、彼女から放たれる数々の技の理合はそれを習得するまでにどのような理解や葛藤をそこへ募らせたのかを伝えてくるかのようであった。
そんな技々の中には幼き頃に眺めていた師の技や稽古の様子を思い起こさせてくれるものも多々あり、それに触れることは彼女の口から師への敬意や彼の人となり──そして、あの日の悲劇がけっして一方的な悪意の元に行われたことではないことを、いつしか少年に教えるのだった。
斯様にして彼女のことを知り、そして受け入れることによって、少年の攻撃もまたウーラオスへと届くこととなったのは皮肉と言うより他無い。
そもそもが『武』の本質とは、コミュニケーションの一形態という点に尽きる。
そこへ過剰な敬意や人間性といった余計な精神論を追加してしまう人の武は、ともすれば偽善とも取られかねない性質を帯びて今日に至ってしまっているが、ことポケモンのそれは違う。
目の前のウーラオスから放たれる拳や蹴りの全ては、純粋な言葉でありそして感情だ。
それに対し少年もまた真摯にそれに応えようと、そして何よりも自身から彼女へ触れたいと思ったその時、自然と少年の攻撃はウーラオスへと届くに至っていた。
そして遂にその対話を交わす数年を経て──少年の拳は完成を見る。
少年は14歳となり、既に鍛え抜かれた肉体と技の理合とを理解した拳足は、芯を捉えればウーラオスの肉体へも致命的なダメージを与えられるまでに完成されていた。
一方のウーラオスとても肉体は今が最盛期だ。
強靭かつしなやかな体躯は、女体と言うことも相成っては艶かしくすらもある。
もはやウーラオスにしても、数年前に宿敵と決着を果たした頃よりも心技体ともに完成された状態であった。
そんな二人による此度の決戦はもはや、ここに至る二人の人生の集大成とも言うべき決着の時を迎えつつあった。
一撃型の彼女に対し、師の型を継承する少年のそれは連撃型である。
戦いも自然、少年の手数が多くなり、ウーラオスはその猛攻に対処をしながら技の間隙を狙う展開となった。
そしてその戦いの最中、不意にウーラオスの脳裏をよぎったのは──あの日の宿敵との一戦であった。
図らずも彼の遺した一つ種とこの時を迎え、なおかつその戦いのレベルたるや、あの時以上の緊張感をそこに漲らせている。
本能はその事を幸福に思うと同時、一抹の寂しさもまた彼女の胸中へと生じさせた。
究極といっても過言ではないこの戦いにおいてはもはや、ウーラオスに一切の手加減はできない。
そして自身から放たれる渾身の一撃が決まる時、人たる身の少年がそれに耐えうることは不可能であることもまた理解していた。
戦いにおける彼の癖は知り尽くしている。
連撃の、本当に僅かな間隙に少年が息継ぎの為に拳一撃分、僅かな空白をそこに挟むタイミングをウーラオスは知り尽くしていた。
皮肉にもそれは彼の師もまた持ち得た癖であり、しいては『連撃型ウーラオス』全般における種の急所とも言うべき瞬間であった。
少年からの斯様な猛攻に耐えつつもその瞬間をウーラオスは待つ──そして数度目の打ち込みの後、体勢を整えるべくに彼が僅かに身を引いた瞬間、
──ここだ!
ウーラオスの肉体は発火した。
この時に至るまで体の真に溜め込んでいた力を解放し、ウーラオスは乾坤一擲となる肘打ちを少年の胸元へと敢行した。
スピード・タイミング、そしてそこに込められる膂力の全てが乗った完璧な一撃──この一打に至っては、誇張無しにこの世のあらゆるものを打ち砕くことの出来る最高最強の一撃がまさに放たれたのであった。
そしてそれを前にして少年もまた息を飲む。
斯様に絶体絶命に追い込まれた脳は瞬時にこの状況に対応すべき術を探し出そうとニューロンを活性化させる。
その速度と集中の中において少年を取り囲む時の流れは凍りついたが如くに緩慢となった。
そしてそんな世界の中の現状が重なるようにして思い起こされたのは──過去の、師が討ち取られる瞬間であった。
あの時の師もまたこれとまったく同じ状況で仕留められたのだ。
避けるには間に合わず、そして受け止めるには強力に過ぎるその一撃──しかしこの時、少年の胸中に満ちていたものは恐怖でもましてや憎悪でもない、これをこのタイミングで打ち放ってきたウーラオスへの敬意であった。
同時に気付く──今のこの想いは師もまた同じであったことを。
死に逝く瞬間に際しては彼もまた一切の後悔などなかった。
そして今の自分同様にこれを成し遂げたウーラオスを愛しくすら思ったことだろう。
自分達にとって戦いはコミュニケーションだ……そして最高の気持ちを伝えてくれたウーラオスを前に、少年は半ば本能的にその体を動かしていた。
避けるでも拒絶するでもなく──少年は自ら攻撃へと身を呈した。
そしてこの行動こそが、まさにこの時においては正解の選択肢となる。
一撃必殺の性質上、ウーラオスの標準はミクロ単位にまで及ぶ精密性が要求される。
それはこの時においても然りで、ウーラオスはその場に留まり続ける少年に標準を定めていたのだ。
それがしかし、こともあろうか少年は自ずからウーラオスの攻撃へと身を呈した──前のめりに前進してきたのである。
その僅かに生じた誤差がこの時、必殺の標準を外した。
渾身の一撃は僅かにズレ、顔面の皮膚の一部を吹き飛ばしては空振りに終わる。
そして今、攻撃移行後の完全無防備な状態を今度はウーラオスが晒す状態となった。
そんなウーラオスを、踏み込んできた少年は正面から強く抱き締める。
その抱擁はもはや戦いのそれではない。
それこそは愛し、慈しむ想いをそこに込めた強く優しげなものであった。
『……今日までありがとう。愛してるよ……ウーラオス』
言葉か心か、その瞬間ウーラオスは確かに少年の声を聞いた。
そして次の瞬間には最高の相棒へと返される、少年による最高の連撃が始まる。
右のストレートを起点として、肉体のあらゆる鋭角を駆使した嵐のごとき打撃が一切の回避や防御を許すこと無くウーラオスへと打ち込まれる。
その速力たるや、少年の師でありそしてかつての宿敵であった連撃型ウーラオスのそれと遜色見劣りしない速さと重さを誇っていた。
しかし少年の拳はそこに留まらない──そんな連撃が更なる速度を見せ始めることにウーラオスは刮目する。
まだ先があるのかと驚愕するその中、少年の拳は遂に音を置き去りにし、ヒット後に肉体を打ち据える衝撃が耳へ届くまでに到達する。
息継ぐことなく繰り出される拳足はやがて残像を帯び、遂には光の線となってウーラオスの目には写っていた。
拳を繰り出す衝撃は風の音となって耳に届き、蹴りが地を離れる際に巻き起こす地擦りは大海原のさざ波や小川のせせらぎを思わせた。
今や少年の肉体からは接せられるそれら音が自然のものと融合してはウーオラスの視界を眩く照らした次の瞬間──……彼女は大自然の中にいた。
先ほどまで自分が身を置いていた森よりも遥かに雄大なそこはそう……まだ幼きダクマ時代に感じていた森の姿であった。
そしてそんな懐かしき場所において、ウーオラスは思わぬ者との遭遇を果たす。
ふと投げた視線の先に居た者は──かつて自分が屠った宿敵であった。
腰に両手を当て、どこか得意げな微笑みを向けているその視線についウーオラスも笑ってしまう。
不思議な話、こんなに近くにいたのかと今さらになって気付く。
そんなウーラオスに頷いてみせるや宿敵は、俺の息子は大したものだろ? ──と問い訊ねてきた。
それに対してウーラオスも素直に頷く。
あの少年は武において自分を勝ったことも然ることながら、こんな場所にまで連れて来てくれたのだから。
それを思うままに伝えると、かつての宿敵は──友は、眩しいほどの笑みで破顔した。
太陽を背負うように立つその逆光に眩さを感じ、ウーオラスは目を細める。
光の中へと消えゆく友へと、いつかまた会うことをウーラオスは願わずにはいられない。
そうして一陣の風が吹きつけては瞼をしかめ、再びにそれを開いた時……ウーラオスは再び現世へと戻ってきていた。
目の前にあの少年の姿はない。
疾風の如くに仕上げとなる一撃を見舞ってはその勢いのままに駈け抜け、今は自分の背後遠くにいた。
振り向かずとも、そこにおいて少年がまだ残心を解いていない様子が手に取るように分かる。今や自分もまた、全てを包みこむ自然の一部で在るのだ。
そしてそれを叶えてくれた武こそが、少年の拳であった。
直後、少年の速力にようやく追いついたダメージが一挙にウーラオスの肉体へと押しよせる。
それら衝撃を体内において爆発させると、ウーラオスは瞬間的に身を仰け反らせては咳き込むようにして吐血を宙へと吐き散らす。
やがて両膝を折り頽れると──そのままうつ伏せにウーラオスは撃沈した。
もはや指一本として動かせなくなった肉体には苦しみも、そして痛みすらも無かった。
ただ心には少年彼に出会えたことと、そして友との再会を喜ぶ暖かさとで満ちている……それを思った時、このまま力尽きんとしている最中であっても恐怖はまるで感じなかった。
そうして気付く。
この境地こそ、あの日死に逝く友が浮かべた微笑みの理由であったことを知ると──
ウーラオスもまた失われつつある意識と命の狭間に込み上がる喜びを、そして微笑みを抑えることが出来なかった。