次に目覚めた時、ウーラオスは視界に入るその光景に安堵と温もりを覚えた。
見上げるそこは変わらぬ寝座の洞穴内であり、そしてそんなウーラオスを緊張した面持ちで見下ろしていたのは誰でもないあの少年であった。
何処か不安げにも見えるその気遣わしげな表情には、昨日まで自分を仇と定めては挑んできていた鬼気迫る気配など微塵もない。
この表情こそが誰でもないこの少年の本来の姿なのかと思うと、ウーラオスは無意識に右手を掲げてはその頬に触れてしまった。
一方の少年とてもそれを否定するような真似はしない。
頬に被せられるウーラオスの大きな掌を包みこむよう自身の手も重ねると、後は穏やかに瞳を閉じてはその手の平に身を委ねるのだった。
斯様な少年の仕草を愛らしく感じていると途端──肉体には電流さながらの鋭い痛みが走ってはウーラオスに無意識の呻きを上げさせる。
言わずもがなそれは、先の少年との対決において負った負傷であり、この一事からもいかに少年の連撃が凄まじかったが窺い知れるようであった。
そんなウーラオスを再び労わってはその負傷のひとつ撫ぜながら、少年は独り言つるよう己のことを騙ってくれた。
人の言葉など皆目見当もつかないはずのウーラオスであっても不思議と少年の声は胸に染み込んで、言葉だけでは名状しがたい心情や過去の情景をまるで映像に映すかのよう伝えてくれるのだった。
それは短いながらも今日までを生きてきた少年の半生を綴るものだ。
親代わりであった師をウーラオスによって殺されたことの衝撃と、平和であった日常が崩壊することの恐怖……その多大な喪失感で壊れそうになる幼い精神を支える術は、その仇たるウーラオスを憎むことでしか補えなかった。
されど非力な自分に歯噛みしながら敗戦を重ね、その都度に肉体を弄ばれることを居た堪れなく思う反面──一方でウーラオスからの施しに心を絆されている自分にも気付いては強い困惑を覚えた。
そしていつしか少年は彼女のことしか考えられなくなる。
それは彼女との対戦の反復であり、それを繰り返し脳内で反芻することにより少年は自身の欠点を克服していく訳ではあるが……その実、ウーラオスとの触れ合いは少年にとっても大切な時間へと変わり始めていたのである。
彼女の声、仕草、戦いでの立ち居振る舞い……そして勝負後に施されるペニスや全身への愛撫の様を思い起こした時、幼い体は身の置き場も無いほどにウーラオスを愛しく思い、少年の胸を苦しくさせた。
仇であるはずのウーラオスに対し、事もあろう少年は恋心を抱いてしまった訳である。
当所はその事を恥じた。
復讐を忘れ、敵に絆されるとはなんたる侮辱かと……。
しかしながら、後に『ウーラオス』という種の有り様を理解するにつれ、そんな凝り固まった少年の考えもまたほぐされていく。
そうしていつしか少年の中から──歪んだ復讐心は消えていた。
日々の鍛練の中でこれ程までに肉体を磨きあげ、そして立ち会いの術理を極めたウーラオスへと半ば尊敬に近い念を抱くようになる。
その頃には彼女はもはや『討ち果たすべき対象』などではない、『越えるべき存在』として少年の中では確立されていった。
そして今日──その本懐は果たされたのである。
それらを打ち明けられ、ウーラオスもまたこれが別れの言葉であることを理解する。
友もそうであったが、去り逝くものを繋ぎ止めておくことが出来ぬことはポケモンである自分とて理解はしている。
出会いとは、何らかしらの役割をもって遣わされること……そして別れとは、その使命を終えたことを意味する。
今この瞬間、二人は互いの使命を終えたのだ。
思えば長いようでなんとも短い数年であったように思う。
立つこともままならなかった子供が今、自分を越えてここより旅立とうとしているのだから。
ならば最後の瞬間は笑って送り出してやろうと、今一度ウーラオスは少年と視線を合わせた。
しかしながら運命は、思わぬ方向へと彼女を導くこととなる。
少年はまっすぐにウーラオスを見つめたまま、
『ウーラオス、一緒にこの森を出て俺達よりも強い奴らを見つけに行こう』
少年の出発点とは謂わば、自分よりも強いウーラオスへと挑むことから始まった。
そしてそれを目標に日々の鍛錬を重ねる生き様はやがて、少年の人生における基本的な信念へと昇華するに至る。
この人生の始まりが闘い挑むことによって始まったのならば、これを歩むうちは常に挑戦し続けていたい──それこそが今の少年の生きる道であり、そしてそのパートナーにウーラオスは選ばれたのだ。
それこそは思いもよらぬ提案であった。
ウーラオスにしてみれば今日までの生において微塵も考えたことも無かった発想である。
今日までの彼女にとって、戦うことはただ自分の存在意義を維持するだけの手段でしかなくそれ以降も以下もなけれなば、それこそは過去も未来も無くただ現状にしがみ付くばかりの行為であった。
しかしながら目の前の小さな勇者はそこへ『明日』を見出していた。
戦うことによって進むというこの発想は、今日までウーラオスに挑戦し続けてきた少年だからこそのものであるのだろう。
そをウーラオスにも持ち掛ける少年に対し、最初は何を馬鹿なことをと思ったウーラオスではあったが……徐々に彼と共にまだ見ぬ強豪達へと挑戦する自分を思い描いた時、様々な感情が彼女の中に渦巻いた。
それは恐怖や不安であり、途方に暮れるような漠然とした逡巡ではあったがしかし──同時にそこへ飛び込んでいくことへの期待と希望もまた沸々とウーラオスの胸中には湧き上がってきていた。
そんな心境の変化の理由には、元より試練に身を晒しては強さを獲得していくポケモンであることの性質も大きく影響していたが、何よりもそれを誘ってくれたのがこの少年であることも大きかった。
彼とならどこにでも行ける──どこまでも強くなれる──そんな確信がウーラオスの中にはある。
事実二人は、今日のこの瞬間を分かち合えるまでに成長したではないか。
既に答えは決まっていた。それどころかまだ傷の痛み体であってももう、ウーラオスはいてもたってもいられなくなっている。
やがて跳ね上がるようにして体を起き上がらせるや、ウーラオスは傍らの少年を抱きかかえた。
そしてそのまま寝座を飛び出るやそのまま走り出す。
駆けだしながら少年を肩車に担ぎ上げると、少年もまた頬を薙ぐ風に向かって雄叫びを上げた。
これよりは二人の新しい物語の始まりである。
まさに今ここに、二人の格闘家による伝説が幕を開けたことをしかし──……
伝説の当人達はまだ、微塵も知る由は無かった。
【 森羅万象の拳・完 】