ケットとインテレオンによる生活が始まって一ヶ月が経った頃──その日ケットは彼女を車椅子へ移しては外出を促した。
思わぬケットからの申し出にインテレオンは信じられぬといった顔で目を丸くさせる。
この部屋に引き籠り始めてからもう数年を過ごしていた。
もはや自分はここで生涯を終えるのだと諦観を得ていたし、過去の罪悪感に囚われ続けるインテレオンはそれすらもやぶさかではなく思っていたのだ。
ゆえに当初、外出それに対して難色を示したインテレオンではあったが、結局はケットに押し切られる形となった。
ここ一ヶ月の付き合いにより、もはやインテレオンはケットへと絶対に近い信頼とそして依存を寄せていた。
それは日々の身の回りの世話を始め、さらにはストレス解消にもつながるマッサージの施術等に絆されてしまったということも然ることながら、心のどこかでは外部から来た変化(ケット)に対して、現状からの救いを求める期待があったのかもしれない。
ともあれ最終的にインテレオンはケットが申し出るままに車椅子へ身を沈めると彼の誘導の元、数年ぶりに外界へと出たのであった。
建物内とはいえ空調によって大気の流動する新鮮な空気の匂いと、それらが肌に寒暖の感覚を生じさせる刺激はただそれだけでインテレオンの心を解きほぐしてくれる心地がした。
一ポケモンとして、一室に閉じこもって生き続けることの歪さを思い知らされる思いと共にしかし、自分のような存在がこうして陽の下に出てきてしまって良いものかという羞恥の念もまたインテレオンの心(なか)において鎌首をもたげる。
そうしてついには居たたまれなくなり、やはり帰りたい旨を背後のケットへ訴えようかとしたその時、風を切って進んでいた車椅子が止まった。
目の前には両開きによる巨大な扉があり、それを見上げながらインテレオンは不穏な胸騒ぎが身の内に生じるのを感じた。
これより先には進みたくない──脳内には自分の思考とは思えぬほどに強い警戒がインテレオンを戦慄させるばかりでもあったがしかし、同時にこの扉の彼方に強い懐旧の念が生じていたことも確かであった。
それは数年来自分の中で止まっていた時が再び動き出したかのような感覚であり、地下アイドルとしてがむしゃらに活動をしていた過ぎ去りし日を思いこさせてくれるような感覚……──そんな中、インテレオン自身もまだ答えを見つけ出せないうちに、ケットは目の前の扉を開いてはその中へと彼女を進めさせてしまうのだった。
室内は広く開けた運動施設であった。
彼方の壁面が小さく見えるほどに広大で、首を折って見上げるほどに天井の高いそこには、左右の壁一面に設けられた窓々からの木漏れ日が差し込んでは、この空間を柔らかい光量に満たしてくれている。
そうして見上げていた視線を下ろした時、インテレオンは前方の彼方に何者かがいることに気付いて瞳を凝らした。
真っ先に目に着いたのはその巨大な陰影だ。
この広大な空間においてでさえそれは見る者の目を引くような威容を誇っている。
最初は何かの造形物かと思っていたそれが歴としたポケモンによるものであり、そしてその足元にさらに数匹のポケモン達がいるのを確認して──インテレオンは目を剥いた。
そして背後に立つケットは、そんなインテレオンの気付きに合わせるようゆっくりと前進を始める。
徐々に近づきつつあるそのポケモン達を前に、インテレオンは強い恐怖に駆られては顔を背け、拒否と救いを懇願するか細い声を上げた。
しかしその視線だけは前方のそれらから離すこと叶わず、同時にこのまま自分の意思など無視してはあのポケモン達の元へと到着して欲しいという相反した思いもまたインテレオンの中には渦巻いていた。
そんなインテレオン達の接近に先方も気付いたようで、かのポケモン達もまた上背を屈めてはこちらを判別せんとする視線を凝らしているようだった。
やがてその内の一人が甲高い声を上げる。
それこそは強い驚きを伴わせたそれであり、インテレオンもまたその聞き覚えのある声を鼓膜に響かせるや、その顔に複雑な表情をあふれさせた。
眉元をしかめたその表情は強い困惑を宿しつつもしかし、口元は自ずとほころんではその再開に対し目頭へ熱いものを生じさせる。
遂には一同が互いの表情を確認できる距離にまで接近を果たす。
そうして対峙したポケモン達はその一時、動きを忘れては互いを凝視し合った。
今インテレオンの前に居るのは3匹のポケモン達である。
3メートル以上はくだらないかという巨大なリザードンを背後に、その前にはアマージョとアローラ・ライチュウが立ち尽くしていた。
そうしてしばし見つめ合った次の瞬間──一同は弾けるかのよう身を前のめらせると、歓喜の声を上げては互いを抱きしめ合った。
以降は言葉もなく、ただ声を高くして互いを呼び合いそして顔の形が変わるほどに頬を押し付け合う。
今日この場に集められた一同とは──……過去にインテレオンが所属したユニットの元メンバー達であったのだ。
互いに掛けられ合う声には次第に涙声が混じり始めていた。
その中で一際それを繰り返していたのはインテレオンであり、他のメンバーもまたそれを慰めるよう、あるいは励ますように声を返してはより一層に身を寄せ合って深く抱き合う。
その光景を少し離れた場所から見守るケットへと……
『これが、正しい選択だったのね………』
呟くよう声を掛けてきたのはエスナであった。
そうして隣立ってはかつてのグループを見守るケットは、
「インテレオンに必要なものはまず、区切りをつけることだったんです」
感慨深げにもしかし、どこか寂し気に応えて小さくため息をつく。
過去にインテレオンの失敗を契機に解散を余儀なくされたグループ──周囲はそれに落ち込む彼女を気遣っては、その原因の一切からインテレオンを遠ざけてしまった。
しかしながらその気遣いこそが、今日に至るまで彼女を苦しめる結果となったのだ。
もしあの時、いま目の前で繰り広げられているようなメンバー同士のディスカッションが行われたのならば、インテレオンもあの事件は単なる失敗の一事と割り切って次なるステージに進めたことだろう。
しかしながら事務所側は他メンバーとの顔合わせはおろか事故に関連される一切の情報からインテレオンを遠ざけてしまったことによって、彼女の『時間』をあの瞬間から止めてしまったのだった。
以降は知る通りである……彼女はあの部屋の中で、事件直後の戦慄と罪悪感に苛まれ続ける残酷な数年間を過ごす羽目となった。
そしてその時の歩みは今、ようやく事件直後のあの瞬間へと繋がってはインテレオンや他のメンバー達の時間を元通り一つの流れの中へと合流させるに至ったのである。
「エスナさんもありがとうございました。みんなを探し出すのは大変だったでしょう?」
『……そうね。リザードンとアマージョは事務所に残っていてくれてたからスケジュールの調整だけで済んだけど、ライチュウに関しては完全に芸能活動から離れていたから捜索に時間を取ったわ』
ケットの語り掛けに対し憮然とはしつつもまた、エスナも大きくため息をついては初めて人間らしいリラックスした表情を見せる。
言葉では一言で済んでしまう今回の招集案は、初めてケットをインテレオンに合わせたその日、既に彼から提案されたものであった。
インテレオンの現状と境遇を知ったケットはあの時にはもう、この解決には当時のメンバーと語り合わせる以外にないと直感していた。
それを提案されたエスナはしかし、当初難色を示しては素直にその案へ頷けずにいた。
今日に至るまでインテレオンを気遣っていた側にしてみればその行為は、余計に彼女を傷つけて苦しめる結果になるのではないかと危ぶんでいたからである。
だからこそ過去においてインテレオンをあの事件の全てから遠ざけた措置を取ったのもエスナではあったがしかし……
『間違って、いたのね………』
今ようやくにそのことに気付いては、寒さに耐えるかのようエスナは自身の両肘を抱いた。
しかしそんな独り言ちるかのような彼女の悔悟に対し、
「まだ答えは出てませんよ」
きっぱりとケットは応えていた。
「だってそうでしょう? インテレオンはこれからまた仕事を再開して、そしてこの一件だって糧にして成長していくんですから。ここで結果を決めてしまうのはまだ早すぎる」
『ケットさん、あなた………』
「これから忙しくなりますよ? ようやく僕も本来のパーソナルトレーナーの仕事が出来るという訳です」
部外者であるにもかかわらず──否、外部の人間であるからこそ底抜けに明るい表情を見せてくれるケットの言葉を、エスナは彼なりの励ましと捉えた。
彼はインテレオンを救っただけではなく、今に至ってはエスナの心の重荷すら解き放とうとしてくれている。
そんなケットの気遣いに自嘲のひとつも浮かべると、エスナは背を伸ばしては毅然として鼻を鳴らした。
『──当然よ。私がプロデュースするのだから、あの子はこれからの音楽シーンを変える存在になるわ。ケットさんもそのことを踏まえてお仕事をお願いします』
もはや出会った当初の強きプロデューサーに戻ったエスナを隣にケットもまた満面の笑顔で頷いた。
そうして再び視線を投じる前方では、あのポケモン達が声を揃えて何かを謳っていた。
音程もバラバラならば、久しく歌うことを忘れていた者達とあってそれはひどい不協和音ではあったが……
ケット達の耳にはその歌声が何よりも楽し気で、そして美しいものとして響き渡るのだった。