3年後──……
インテレオンは深く暗い地の奥底に在った。
両肩をすくめ、瞳を閉じて深呼吸を繰り返す彼女ではあるがその表情はどこまでも落ち着いてはむしろ、今この瞬間この場所にいることの実感を噛みしめている感すらある。
同時、周囲には豪雨の如き喧騒が遠く頭上から鳴り響いては今彼女のいる空間を途切れることなく包み込んでいる。
現在インテレオンは『奈落』に居た。
そこはステージの地下部分に当たる場所であり、此処において彼女は自身の登場を待ち構えていたのである。
『2分前よ、インテレオン。──心の準備はいいかしら?』
暗がりで忙しなく他のスタッフ達が駆け回る中、傍らに着けたエスナが声を掛けるとインテレオンは精神集中に閉じていた目蓋をゆっくりと開いた。
まるで今、眠りから目覚めたかのよう自身の体をインテレオンは見降ろす。
薔薇の茎のような痩躯にもしかし、その肉体の所々に柔軟かつ強靭な筋肉の陰影を宿したインテレオンの肉体はまさに、この時最高の仕上がりを見せていたと言って良い。
2年前までのあの、悲しみと絶望を肉体に蓄積させたかのような肥満が嘘のようにインテレオンは華麗な変身を遂げていた。
それもこれも全てはパーソナルトレーナーとして自分を導いてくれたケットの尽力に他ならない。
インテレオンがメンバーとの邂逅を果たして、復活の兆しを見せたその前から既に──ケットによる『Operation:diet call』(インテレオン再生計画)は始まっていた。
共に引き籠りながら何をするともなく数日を過ごし、そして性的なマッサージにおいてインテレオンを慰めていた一連の行為も全ては、彼女の肉体の傾向を調べる為の診断であったのだ。
食事を見守ることによって後の摂取と消費のカロリー調整を算当し、マッサージにおいては彼女の筋肉の質や虚弱化の著しい部位の見極めを行っていた。
それらインテレオンの体調を見極める行為は過去のライブビデオをただ共に観ていた時にも発揮されており、過去のインテレオンの動きから今後彼女に貸すべき筋力トレーニングの段取りもケットは綿密にシミュレーションしていたのだった。
そしてインテレオンが全ての精算を果たし、いよいよ以て再生活動を開始するや──ケットはそれまでに集めたそれら情報を加味しては、実に効果的なダイエットとトレーニングメニューの提供指導を実践したのだった。
規格外の肥満体を今の状態にまで絞り、そして磨き上げ直す作業はけっして容易いものではなかったが、それでもインテレオンはこの偉業ともいうべき成果を2年で成し遂げた。
ひとえにそれは彼女による努力と執念も然ることながら、やはり一番の心の支えとなったのはケットの存在に他ならない。
そして共に苦楽を分かち合い共に乗り越えた一連の経験は、インテレオンにケットへの恋心を芽生えさせてもいた。
ケットもまたそんなインテレオンの気持ちにも気付いていたし、彼自身も彼女のことは憎からず思っていた節も見受けられたが……それでもしかし、ケットがその想いに応えることはなかった。
インテレオンの肉体が完全に元通りの、それどころか前にも増して充実した仕上がりで完成するのを見届けるや──ケットは後のトレーニングや食事における注意それらを事務所専属のジムへと引き継ぎし、あっけないほどあっさりと彼女の担当を降りてしまった。
その別れに際し、改めてパートナー契約を懇願するインテレオンに対し……
「立ち上がる術はもう教えた筈だよ?」
どこかおどけるようにケットはそう言い諭した。
それを言われてインテレオンもまた彼の謂わんとすべきことを察する。
過去の失敗に捕らわれて自分を見失ったインテレオンはいま再び、ケットを失うことでそれを繰り返そうとしていた。
しかしあの時と決定的に違う点は、今のケットはちゃんとこの別れを告げてくれて納得のいくよう話し合いを設けてくれていた事にある。
そしてインテレオンもまた、過去の弱い自分ではなかった。
今となっては別れへの割り切りと、そこから立ち直る為の心構えも知っている──全てはケットが教えてくれたことだ。
「君が歌い続ける限り、僕は必ず君を見てるよ。それこそが僕達の繋がりだ」
かくして一夜を心ゆくまで語り合い──二人はその袂を分かった。
そして今、インテレオンはステージに居る。
復帰後の一年間、彼女は精力的に活動をした。
活動の比重を『歌唱』へと振り、どんなイベントのどんな観客達の前であろうインテレオンは臆することなく自身の歌声を響かせた。
元より声量には定評のあったインテレオンの歌声は最初、ポケモン愛好家達による一部好事家(マニア)からの好評を得て世間一般へと知れ渡った。
しかしながら確かな実力を帯びた彼女の歌唱力は徐々に世間へと浸透していき、遂にその確固たる実力を認められるや、人やポケモンを問わぬ一シンガーとしての評価を受けてその名声を高めていくこととなる。
そして今日──インテレオンは都市でも有数の大型ホールにて単独によるコンサートを開催している。
収容5万人クラスの会場は大満員となり、それでも納まりきらぬ観客は場外におけるパブリックビューイングと更には大手配信会社によるライブ配信によってその姿と歌声を全世界に届けられる運びとなっていた。
『──本番よ。インテレオン、がんばって!』
いつにないエスナの力強い声に、今一度インテレオンは我に返る。
既に頭上には遠く、ライブバーションに編曲された代表曲のイントロが流れ始めている。
そしてその段取りに合わせ、インテレオンを中央に置いたステージはゆっくりと地上への上昇を始めた。
暗闇の底から、頭上を照らしてくれるスポットライトへのステージへと浮き上がっていく感覚はまさに、今日までの自分の人生そのものだ。
そうして完全にインテレオンの舞台が上がり切るや──全身の皮膚やヒレを振動させるほどの大歓声が突風のごとく体へと打ち付けられては彼女を迎えた。
見渡す暗がりの視界一杯には星屑のようなネオンライトの瞬きが明滅しては、そこに無数の人やポケモン達の存在を示してくれている。
ここに集まった全ての者達がインテレオンを愛し、その歌を求めては集まってくれたのだ。
そしてその無数の中のひとつに、ケットがいることをインテレオンは不思議と確信した。
途端に勇気が湧く。
それどころかこの大観衆の前で歌うことの恐怖などは微塵も無く、どこまでも彼女の心を高揚させてさえいた。
そうして視線を真っすぐに観客達へと据え、小さく吸い込んだ息を胸に貯めた次の瞬間──インテレオンは心の限りの聲を上げた。
単音の静かな伴奏に乗った彼女の第一声はたちどころに会場の──そして世界の隅々へと響き渡る。
それはいま自分の声に耳を欹(そばだ)てる世界中のファン達へ、許し受け入れてくれた親友達へ、誰よりも信愛するエスナへ、そして──今も何処かでこの歌を聞いてくれているケットへと、
インテレオンは在らん限りの感謝と愛を、この歌声へ込めるのだった。
【 Operation:ダイエット・コール・完 】