『待ちなさい!』
その声へ機敏に反応したゾロアークは、瞬時に身を起こし発生源を望む。
私もまた遅れて声の方向を向くが──その時にはすべてが終わっていた。
声の方向にいたのは先輩だった。
しかしながらこのとき既に、ゾロアークの反応は一拍子遅れたものとなっていたのだ。
前方を注視していたゾロアークの視線が突如足元へと飛ぶ。
私もまた、さらに遅れて足元の異変に気付いた。
そこにて感じたものは稲光を思わせるかのような白い閃光──さながらコマ送りでも見ているかのような緩慢さでその瞬間は私の目には焼き付いた。
私達の足元で屈みこんでいたのは、先輩のエースバーンだった。
先輩の声掛けから始まった一連の動作は、その全てが完成されたものであったのだ。
思わぬ声掛けに私達が顔を上げる……すなわちはゾロアークの喉笛に突き立てられていた凶器がその動作によって外される。
その間隙を縫って、エースバーンは電光石火に私達へと接近をした。
私達の足元で身を屈め、足腰のバネに力を充満させた状態のエースバーンは次の瞬間──突風の如くに跳ね上がるや、突き上げた右膝において私のナイフの柄尻を打ち上げた。
その威力に弾き飛ばされたナイフはすさまじい勢いで宙を切り裂いては、天井に深く突き立っては振動をする。
斯様にして身を起こしたエースバーンは同時、左ひじの一撃もまたゾロアークのみぞおちへと入れていた。
拳にもう片手の掌を被せ、ヒットバックの反動でダメージが分散せぬようピンポイントで急所を打ち抜いた一撃に──ゾロアークは呻きもおろか、その驚愕の表情すら変えぬままに気絶した。
おそらくは攻撃を受けたこと自体も理解してはいまい。……リーグ覇者のポケモンとは、これほどまでの実力かと思い知らされるシーンでもあった。
しかし──目に映るそれら一連の出来事も、私にはどこか遠い他人事のように思えていた。
現実感の希薄な出来事にただ茫然自失と戸惑うばかりの私へと、
『アイネ! 大丈夫!? しっかりして!』
声を掛けて駆け寄るや、先輩は私の両肩に手を掛けてはまっすぐに瞳を覗き込んできた。
先輩の瞳の光彩いっぱいに反射する自分の顔を確認して、私は瞬時に自我を取り戻す。
そうして脳にはここまでの出来事すべての情報が洪水のように流れ込み、そしてその中で再び目の前に先輩の顔を確認した瞬間──
私は恥ずかしいぐらいに取り乱しては、そして泣きだしてしまうのだった。
そんな私を先輩は落ち着くまで抱きしめてくれた……いつまでも抱きしめてくれたのだった。
私への愛がゾロアークを、そしてすべての事態を狂わせた──そう先輩は結論付けた。
それを聞く私も小さく頷く。異論はなかった。
問題であったのは、その中でゾロアークの『新たな能力』が発現してしまったことに他ならない。
「新たな能力……ですか?」
『えぇ……『呪い』とでもいうのかしらね』
これまた物騒なキーワードが出てきた。
ベッドに腰かける私は、自分の膝の上に鼻先を横たわらせるゾロアークの額を撫でた。
『前々からゾロアークにその力があることは確認されていたの。そしてその子の場合は、あなたにまつわる激しい嫉妬が募った時に発動されるもののようね』
先輩の言葉に私は過去の事件を思い出していた。
エースバーンにイタズラをした時も、その前後で私は彼と親密な触れ合いをしていた。そして先輩がゾロアークに襲われた時も、その直前には私の相談相手として彼女は親身になってくれていたのだ。
その『呪い』が発動すると、対象者は一切の精神的・肉体的な抵抗が出来なくなる。さらには発現者であるゾロアークの意のままに操られてしまうのだという。
エースバーンが周囲の目など意に介さずにゾロアークと交尾を行ったことや、そしてレイプされた先輩が茫然自失としては為されるがままだったのもそれが理由だ。
『でも、結局はそれだけこの子の愛が深かったってことなのよね』
深刻になる私を気遣ってか、あえて先輩は笑ってくれた。
『原因が分かったからこそ、今後はその付き合い方だって考えていかなきゃならないわ。それってけっこう大変なことよ?』
「……私に、出来るでしょうか? もしまた、この子が暴走して他の誰かを傷つけるようなことになったら……」
不安と罪悪感からゾロアークを撫でた手を見つめたまま項垂れる私に、
『そのために私だっているんだから、もっと頼りなさいな』
そんな私の不安を吹き飛ばしてしまうかのように先輩は笑った。
場違いなほどのその明るさに、思わず私も顔を上げては見入ってしまう。
つい数時間前にはこの人だってレイプの被害者であったのだ……それなのに、自分を悲観するのではなく他人を思い遣れるその強さに私は感銘を受けると同時に、ひどく居た堪れなくもなるのだった。
「私は……先輩に何もしてあげられません。それに私自身にもそうまでしてもらえる価値は無いと思います……それなのに、なんで先輩はこんなに優しくしてくれるんですか?」
『あなたのことが好きだからよ』
あっけにとられるほど、先輩の答えは明朗快活だった。
『みんな同じよ。あなたを好きすぎて『呪い』なんかを発動しちゃったゾロアークと、そのゾロアークを好きだからこそ責任を取ろうとしたあなたと、そして今の私……誰も間違ってないのに、一人だけが不幸な思いしちゃうなんてばかばかしいと思わない?』
あぁ……この人は、いつだって私の太陽だ。
ついには今の心の重荷すら先輩に解放されて、私は強くゾロアークを抱きしめると子供のように泣き出してしまった。
そんな私を先輩もまた立ち上がってきては再び抱きなおしてくれる。
私達はいつまでも、大切な物を抱きしめ続けるのだった。
その後ゾロアークへの接し方を見直し、私達の生活もようやく穏やかさを取り戻した。
私はなるべくゾロアークとの時間を大切にしながら、再び彼女に人の道徳や倫理について語って聞かせた。
ゾロアークとて元は賢くていい子だ。私の意識がちゃんと自分に向けられていることと、そして自分がしてしまった過ちにもまた気付くと、彼女の中からあの『呪い』の力は失われて行った。
そうして今──
「いい、ゾロアーク? 本番と一緒だからねー」
私は先輩のエースバーンと一緒に再びゾロアークと対峙していた。
あの日やろうとしていたバトルの練習の続きを、私達は再び行おうとしている。
後日先輩は、ポケモンとそのトレーナー専門のカウンセラーになる旨を私に告げた。
実際のところポケモンとの無理心中を図る事例は世に多く、その大半が片一方の感情を押し通したが故の結果と片付けられてしまっているが……今回当事者となった私には、それがけっしてそんな単純なものではないことが分かっていた。
そしてそれは先輩もまた感じたらしく、そんな不幸な事故を繰り返さない為と、そして今回の私達のように救い出せることが出来ればとその道に歩むことを決めたようだった。
自分のことで精いっぱいの私には、そんな先輩の行動力には頭が下がる思いだ。
とはいえ、人には分というものもある。
いかにちっぽけであろうと、私は私で頑張らねばと思うのだった。
「ゾロアーク。準備はいいー?」
再び尋ねる私に対し、うつむき加減のゾロアークは上目遣いにこちらの様子を窺っている。
それに気付いて、私はエースバーンに待ってくれるよう声掛けをするとゾロアークの元へと走り寄った。
「また不安になっちゃったの? 大丈夫だいじょうぶ。私はいつだってあなたを見てるから」
そう言って口先にキスをしてやると、不安げだったゾロアークの表情がたちどころに明るくなった。
その表情の中にはもう、あの暗く歪んだ哂い顔などは微塵として見られない。
「いつまでも一緒に居るから……あなたも私のそばを離れないでね」
そう語り掛けて私達は再びキスをした。今度は互いが引き寄せ合うかのような抱擁だった。
そうして元の位置に駆け戻ると、私はエースバーンに詫びて再び彼の指揮へと意識を集中させる。
目の前でもゾロアークが上体を前傾姿勢に倒しすっかり臨戦態勢だ。
「思いっきり行くよ、ゾロアーク!」
もはや私には何の迷いもない。
そしてゾロアークも同じくに躍動しては──その想いの全てを、今度はまっすぐにぶつけてくれるのだった。
【 寝取りゾロアーク・完 】