第1話・キルリアとキルリア
千変万化する人間の世界において、ポケモンは時代や場所によりその存在意義を変えながら歩みを共にしてきた。
この時代におけるポケモンは家畜や愛玩動物といった『物』に捉えられては、おおよそ平等ではない悲しき関係を人との間に構築していた。
そんな時代において、時の歩みを同じくして生きたサーナイト二人がこの話の主となる。
そもそもの二人の出会いはキルリアの時代にまで遡る。
一人は時の執政官のもと不自由なく寵愛されたキルリアで名は『アリア』──そして方や対照的に、商家の奴隷として使役されていたキルリアがその名を『ドネ』といった。
同じキルリアであってもその二人の扱いは対照的であったと言える。
アリアは人間の子供同様に執政官夫婦の愛情によって育まれた傍ら、一方のドネはと言えばラクダの如くに昼夜を問わず労働に使役されては、日々不条理な仕打ちに耐える生を余儀なくされた。
そんな二人の対比はその名においても現れており、『アリア』が愛や希望の意味合いを持つ花言葉へ由来するのに対し、一方の『ドネ』は数字の『4』を表す言葉だった。
これはドネがここへ売られてきた時に同様の処遇の者が4人いた事から番号で管理され、以降それが彼女の固有名詞となっていたのだ。
子供心にも世の不条理をドネは……否、多感な子供であったからこそ敏感に、ドネは自身と他者の在り方に疑問と不満とを募らせていった。
そんな感情の最たる対象こそが、まさにアリアに他ならなかったのである。
件の執政官はドネが居る商家の隣に居を構えており、事あるごとに彼ら夫妻がアリアを連れだして出掛ける様をドネは目の当たりとしていた。
季節ごとに粧し込まれてはいつもその胸にぬいぐるみや本などを抱いているアリアに比べ、今の自分が持つものはと言えば能力を抑制する為に右足へ嵌められた特殊な足枷だけだった。
同じキルリアでありながら、何故に自分とアリアは違うのか──……
答えなど出せようはずもない疑問はやがて憎悪へと変わり、いつしかドネは隣家のアリアを確認するたびに、そこへ悪意の籠った視線など投げかけては密かに威嚇するようになった。
こんな事をしたからといって自身の境遇が変わるわけなどは無い。それどころかこれが主人や彼女の保護者たる執政官にでも見咎められれば、むしろ無体な罰を受けるのは自分なのである。
それでもドネは内から生じる負の感情をアリアへぶつけずにはいられなかった。
もはやそれは、何も持たないドネにとっては唯一無二の権利のように思えた。
斯様にして、人知れずそんな愚行を嗜んでいたドネにもしかし、そんな彼女の行為に気付く者がいた。
それこそは──誰でもない、その矛先であるアリア本人であった。
ある時一人で庭先に出たアリアは、そこにおいて生垣越しに何かの作業に従事していたドネと遭遇を果たす。
互い周囲には誰もいない状況であり、なおかつ建物の裏側に面した庭とあっては外部からこの二人の邂逅を確認できる者もいなかった。
ドネがそれに気付いた時、既にアリアはこちらを穴が開くほどに見つめていた。
そんな彼女と目が会った瞬間こそドネもまた惚けた表情を浮かべたものの、すぐにアリアを視認するや猫科獣のよう顔面の中央へ皺を寄せ、食いしばった歯頚が見えるほどに口角を吊り上げた。
今までも時折り目が合うことはあった。
その都度ドネがこうして威嚇をすると、いつもアリアは執政官の足に隠れては遠巻きにその視線を見返してくるばかりだったのである。
しかしながら今は自分達以外には誰もいない二人きりの状況であった。
ならばここぞとばかりに怯えさせてやろうと、今日は喉の奥から唸り声なども漏らして威嚇をしたドネではあったが──いつにない状況でのそれは同時、いつにない結果もまたそこに生み出すこととなる。
こともあろうこの日のアリアは生け垣を越え、他家の中庭に侵入しては臆することなくこちらへと向かってきたのである。
これに度肝を抜かれたのは誰でもないドネであった。
本来ならばこれはありえようもない展開であったからだ。
図らずも公衆の場におけるドネは、『奴隷』という他人からは憚れる立場として確立していた。
それは謂わば、『商家の所有物』という意味合いもまた兼ねており、故にそんな自分へと主以外の他者が干渉してくることも無かった。
そしてその立場を理解するからこそ、ドネもまた商家の威光を笠にアリアへの威嚇を行っていたのである。
そんなアリアが今は自分へと向かってきている。
強い恐怖を感じた──。
いつしか自然と威嚇の表情は消え去り、中腰に立ち上がっては逃げ出さんと背を引いて身を反らせるドネではあっても、なぜかまっすぐに結ばれたアリアの視線に手繰られているかのようそれ以上ここから身を離すことは叶わなかった。
先にも述べたよう、人権が認められてないとはいえ奴隷と愛玩物とでは後者のアリアの方が遥かに立場は上位であるのだ。
一連の威嚇行動も、バレずにいるからこそ成立しているわけであり、それが第三者の介入の下でアリアと対比されようものならば、たとえ一切の非が己になくとも責任を問われ罰を負うのは自分であるのだった。
加えて能力を制御する足枷を嵌められた自分は一切の技が使えず、一方のアリアは未知のそれらを存分に、そして一方的に振るうことが出来る。
その構図は普段のドネとそして商家の主との関係まさにそれだ──不条理な暴力に晒され、その痛みと恐怖に対しただ身を縮こまらせては嵐が過ぎ去るのを耐えるしかない状況とまるで同じであった。
──なぜに自分はあんな愚かな真似をしてしまったんだろう……
今になって先立つことの無かった後悔に苛まれては、ついに硬く目を瞑りアリアが到着する衝撃に備えたドネであったが……彼女の足音が止まっても、そこから自分へと何か暴力が振るわれる様子は伺えなかった。
しばし訪れた静寂に訝しみ、やがては恐る恐る目蓋を開いたドネは──まさに鼻先が触れ合わんばかりにまで接近していたアリアを眼前に確認しては、驚きのあまりに腰を抜かした。
盛大に尻もちをついてもしかし、その痛みすら意に介さず眼球が飛び出しそうなほどに上目を剥いてアリアを見上げる。
怯懦と成り下がったそんなドネを表情一つ変えずに見下ろし続けるアリアはしかし──次の瞬間には大きく笑った。
その表情、しいては明るい感情を向けられた瞬間、ドネは己の中にあった全ての感情が沈静化するのを感じた。。
それこそは今日までの生において、まったく享受したことの無いものであった。
物心ついたときはもう暴力と蔑みの中において生きてきたドネは、文字通りに笑顔やそれに由来する感状と言うものを知らなかったのだ。
以前として嗜好停止状態のまま見上げ続けるドネへと、アリアもまた両膝に手をついては身を屈ませると、名を聞いてきた。
春風のような優しい声音を掛けられ、半ば催眠術にでも掛けられたかのよう無表情に自身の名を応えるドネに対し再びアリアは微笑む。
そうしてこの日、ドネはこれまでの生涯で聞いたこともないような美しい響きの単語を二つ知ることとなる。
ひとつは『アリア』という彼女の名前──そしてもうひとつは、
『ともだち』という、その言葉と概念であった。