夢見がちなアリアとは対照的に、ドネは生粋の現実主義者であった。
性格的なものというよりはむしろ、今日まで身を置いてきた環境に由来するところが大きい。昼夜を問わず奴隷として使役されるドネにとっては、空想や妄想の類に浸る暇すら無かったからだ。
それ故に彼女の物の見方は常に直進的であった。
何事にはすぐさま疑問と答えを求めたし、そこに至る事件や人物の背景に想いを馳せるなどということも無い。
したところで、少なくとも自分の人生においては何の得にもなりはしなかった。
とはいえそれは対象的なアリアを非難している訳ではない。
むしろ斯様な現実をよく知るからこそ、いずれアリアが真実に辿り着いた時に傷ついてしまわないかを危惧するのだ。
今しがた提案したキスの実践などは、いつかアリアが受け入れるであろうその現実にワンクッションを置いてやろうというドネなりの気遣いでもあった。
というのもドネ自身、既にキス──言うなれば口唇を用いての奉仕は経験済みなのである。
物や道具然として酷使される彼女の務めは、性の捌け口にまで及んだ。
身を寄せる商家の主は、時に無体な奉仕をドネへ強要した。
それこそは口唇を使っての性的な行為であり、物心つく前よりドネは主のペニスや肉体へと舌をわせることを強いられていた。
醜く肥え汚れた主の肉体を隅々まで舌先で舐め刮ぎ、そこから排泄される精液や尿といった汚物を命令されるがままに嚥下したりもした。
この奉仕に従事する時は、日常の業務よりも遥かに肉体的疲労は少なくもあったが、それでもそこに覚える嫌悪は生半なものではない。
それら奉仕の際において口唇同士による接触──所謂はアリアの言う『キス』を経験していたドネは、現実のそれがけっして心地良いものではないことを知っていたのだ。
相手の舌先が蛇の如くに口中へ侵入してくる異物感と、さらには自身の物とは粘度の違う唾液の感触、そしてそこから醸される雑多な味わいを思い出した時、ドネはそれに吐き気すら覚える。
その腐った唾液を纏った厚い舌が自分の顔を舐めまわし、さらには鼻腔にまでその先端を侵入させると、脳には主の腐臭然とした口臭が擦り付いて離れず、しばらくドネを苦しめるのだ。
全てに対して諦観を受け入れた筈であるドネをしても辟易とさせるこの体験を、果たしてアリアが耐えられるかが疑問であった。
ならば彼女がそれを体験する前に、前もって現実の接吻がどういうものであるのかを教えてやることは、後の覚悟を覚えさせる為の一助にもなることだろう。
そんな老婆心ゆえの提案にもしかし、『キスを体験できる』ことを理解した目の前のアリアたるや、好奇心旺盛な仔犬のよう眼を輝かせては鼻息を荒くさせていた。
再三繰り返すよう、彼女は未だこの行為を素晴らしいものであると勘違いしている……それに対して現実を突きつけることは酷にも思えたが、全ては彼女の為だ。
そう自分に言い聞かせると、ドネはアリアの膝の上で体を反転させ、改めて向き合ってはそこから彼女を見上げた。
さしあたってはまず唇の形をレクチャーする。
唇の内側を外へ出すイメージを伝え口唇を僅かに開くように伝えると、加減を知らないアリアはタコのように窄めさせた口唇全体を外へめくり出してきては思わずドネを噴出させる。
おおよそ、これより甘美な瞬間を迎えようかという雰囲気ではない。
それでもその加減を指摘しては調整していくと、やがてアリアは僅かに口唇を開き上唇の角を僅かに立てる自然な形となった。
それを確認すると、ドネも小さく頷いては彼女の両頬に手の平を添えその顔を固定する。
やがては自分も同様に唇を形作り、小さく息を吸い込んでそれを胸に止めると──静かに顔を寄せては、そっとアリアの唇に自分のそれも重ねた。
彼女の上唇を浅く咥え込むようについばむと、神経の集中した唇はそんなアリアの唇が持つ柔らかさと体温をドネに伝えた。
キスをよく知るはずのドネではあったが……否、むしろ今までに散々それを繰り返したからこそ、斯様なアリアの繊細さには驚きを禁じ得ない。
主の口唇それはもっと弾力に硬さがあって、その表皮ですらもざらついていた。
しかしながら今感じ取れるアリアの唇たるや、ゼラチンを思わせるかのよう柔らかで儚く、そこには得も言えぬ甘みすら感じるかのようである。
咥え込むよう僅かに上唇を包みこんで吸い付けると、それを習うようアリアもまたドネの下唇を吸い付けた。
以降、幾度となく舌鼓など打って互いの唇を吸いつけ合っていると、いつしかアリアから伸びてきた舌先がこちらの口唇を塞いでくる感触に驚いてドネも眼を見開く。
それでもしかし抵抗する気は起きなかった。
むしろドネからも舌先を伸ばすと、口中においてアリアのそれと先端を触れ合わせる。
互いの舌先同士が今までに感じたことも無いぬめりを帯びて摩擦し合うその感触に、もはやドネは当初のレクチャーも忘れてアリアのそれに感じ入っていた。
口唇を吸い付けさせる動きを強めれば、二人のキスはより深く濃厚さを増し、互いの唾液が口中を行き来してもなお、二人は意に介さずキスを続けた。
いつしか握り合っていた二人の手は、そんなキスの強弱に合わせては互いの指先や掌を握りしめる力に不規則なリズムを持たせる。
やがて一際アリアからの握りしめが強くなったその刹那──依然として唇を塞がれたままアリアは強く呻き声を漏らし、身を硬直させては全身を痙攣させた。
言わずもがなそれは性的絶頂であり、この時アリアは初めてそれを体験したと言えた。
一方でその反応に我へ返ったドネは、ようやくに咥え込んでいたアリアの上唇を解放すると、おずおず身を引いて上目遣いに彼女の様子を窺った。
いつの間にやら行為に夢中になっていた。
リードする自分こそがこの行為に没頭していたこと気恥ずかしく思う反面、ドネの小さな胸もまた依然として大きく高鳴り続けている。
そんなドネを前に、すっかり涙目のまま放心していたアリアは──そこに愛しい友人の姿を見定めるや、場違いなほど穏やかに笑った。
そうして無言のまま彼女の両頬へ手を添えると……再びアリアはドネの唇を奪い、以降は幼いキスを繰り返すばかりだった。
かくして一線を越えてしまった二人の関係はこの日を境に、より濃厚な変節を果たしては友人関係の垣根を溶かしていく。
いつしかキスは二人の挨拶として常態化し、貪欲なまでに好奇心旺盛なアリアは──次なる関係への発展をドネへ求めていくようになるのだった。