世の常として時代の転換点はある時突然に、そしてカードを裏返すかのよう急変として世界を一新させる。
この時代においては軍事クーデターによる政権交代がそれと言えた。
この夜に始まった陸将の謀反はわずか数時間のうちに時の統治者を討ち、新たな時代の支配者へとその席を移行させてしまう。
そしてそんな一夜の事件は、ドネとアリアの物語においてもまた大きな変節の節目となった。
その夜──いつにない喧噪な街の気配にドネは焦燥を募らせていた。
予てより計画していた出奔計画はまさにこの夜に行われようとしていた訳だが、よりにもよってこの騒ぎである。
綿密に打ち立てられたドネの計画はそのどれか一つの要素でも欠けてしまえば、全てが水泡と帰す危ういバランスの下で成り立っている。
その一つでもある逃走方法においては、とある交易船への密航をドネは計画していた。
遠方より様々な国や島を経由するそれは、一度出港してしまえば後は主の影響が及ばぬ遠方へとドネを運んでくれる恰好の足といえた。
『最後の仕上げ』を果たし夜明け前に出立するそれへ潜り込めれば、もはやドネの計画は完璧なものとして遂行される。……はずであった。
それにもかかわらずこの騒ぎとあっては、肝心要である船の出航時刻が読めない。
騒乱に反応して早い出立をされても、はたまた予定を大幅に遅らされてもそれらはいずれもドネにとって好ましくはなかった。
早まれば乗り逃がす羽目となるし、遅い場合には主の目を盗んでの密航が難しくなる。
かといってこのチャンスを逃せば、以降に再び同様の好機が訪れるのかも定かではない。
昨今の不安定な情勢に翻弄され、以降来航しなくなった船など万とあるのだ。この政情下ではこの船とても例外ではないだろう。
小屋の外からは往来を行き来する兵達の足音と甲冑の鳴る音とが忙しなく響き続けていた。
クーデターの真相など知りようはずもないドネは、遂に居ても居られなくなり、状況を確認しようと小屋から顔を覗かせて──絶句した。
そこから望む隣家が激しく燃え上がっていたからである。
その異様は隣家だけに留まらない。
見れば周囲の空もまた、方々から上がる火の手の陽炎に煽られては宵闇を禍々しくも焼き焦がしていた。
そして斯様にして燃え上がる隣家の庭先に──ドネは茫然自失して立ち尽くすアリアを発見しては息を飲む。
言わずもがなそれが異常事態であることは説明を受けるまでもなく察せられた。
半ば叫ぶようにしてアリアへ声を掛けるも、依然として燃え上がる我が家を見つめたままの彼女には何の反応も見られない。
状況は分からずとも、このままでは彼女に好ましくない事態が起こることを予期したドネは、単身隣家の庭へ飛び込んでいくと半ば強引にアリアを引きずっては自身の小屋の中へと匿った。
戸口を閉め、いつもの狭い室内の寝藁の上──ようやくに正気を取り戻したのか、アリアは大粒の涙を流してはさめざめと泣いた。
訳も分からずそんな彼女を慰めていると、アリアは訥々と一連の事件における真相を話し出す。
それはドネへの状況説明というよりはむしろ、混乱と悲しみの極みにある自身を落ち着かせようとする防衛機能が働いて口を衝いた感があった。
予てより、今回のクーデターを扇動した陸将と時の王の不調は宮中においても囁かれていた。
そもそもが王とは腹違いの兄弟であった陸将にとっては、兄の一家臣と扱われる境遇に強い不満があったのだろう。
そして陸将は独自の派閥を形成し、更には兵達の人心もまた掌握すると──この夜、遂にその計画を果断するに至ったのであった。
余談とはなるがこの時、陸将のクーデターを影ながらに支えた人物こそドネの主であったりもする。
旧幕臣達が一掃され、混乱に乗じては彼らの家屋に火が放たれる中、この商家だけが無事で済んでいるのにはそういった理由もあった。
そしてその理不尽な粛清対象の一人であったのが、誰でもないアリアの保護者である執政官だったのである。
そしてアリアは物影より……父母にも等しい執政官夫婦が殺される瞬間を目撃してしまう。
以降の記憶は無い。気付けば、おそらくは刺客の兵が起こしたであろう放火によって燃える我が家を、アリアは中庭から見つめていた。
そこまでを淡々と話したアリアではあったが、ようやくにそこへ悲しみが追い付いたのか、以降はたださめざめと泣いた。
とはいえ思いのほか取り乱す様子もないのは、皮肉にも普段アリアが愛読する戯曲の中にこうした腹心の謀反や他勢力の侵略によって旧権力が転覆させられるものが多かったからだ。
そしてそれが現実のものとして我が身に火の粉を降りかからせるに至り、聡明であったアリアは現状とそして職務上から得ていた王宮内の情報とを併せるに、おおよその正解に近い憶測をここへ導きだしていた。
いっそのこと何も分からずに取り乱せたのならば、疲れ果てるまで泣きわめいて眠ることも出来たのであろう。
が、なまじ聡明なアリアは皮肉にも冷静にならざるを得なかったのである。
そしてそんな彼女を前に途方に暮れたのはドネであった。
今の情報を得たからと言って一奴隷である自分には何をしてやれるわけでもない。
むしろアリアとは対照的に、内情を知ってしまったドネこそが激しく感情をかき乱されては取り乱すばかりであった。
そんな折り、外部から鋭い兵士の声が響き渡った。
その声に反応した二人は小屋の中において両肩をすくめ息を殺す。
距離的にそれは執政官宅の中庭から聞こえてきているようであった。
そしてその言葉の内容に二人は心底から凍り付くこととなる。
それこそは──誰でもないアリアの居場所を問うものであったからだ。
おそらくは複数人の兵士がこの捜索に当たっているのであろう、互いに捜索の結果を報告し合っては情報の交換を行っていた。
その内容から知れたのは、一連のクーデターの首謀者である陸将こそがアリアを探しているというものであった。
今の二人には知る由もないが、予てより陸将は知的なポケモンであるところのアリアに強い興味を抱いていた。
もっともそれは紳士的な交友関係を持ちたいという健全なものではなく、人同然の雌ポケモンとはどのようなセックスが興じられるのかという凡そ最低の欲望からくる興味ではある訳だが。
それ故にアリアの生け捕りを命じられた兵達はことさら血眼となって彼女の捜索を続けていた訳である。
幸いであったのは、クーデターの協力者である商家の敷地内にアリアが匿われていたことで兵士達からの捜索からは免れていた事ではあるが……それとても実情を知らないドネとアリアにとっては何時ここに捜索の手が及ぶとも分からない恐怖に苛まれた。
そうして息をひそめていると、やがて兵達もまた他所の捜索へとこの場を去っていった。
後に訪れた静寂を数刻確認し、ようやくに他者の気配が消えたことを確認すると二人は大きく息をつく。
もはや状況はここに至り、完全に行き詰った感があった。
いつまでもこの場所にアリアを匿っていられる訳もなく、彼女の発見も時間の問題と思われた。
ならば一刻も早くこの場からの逃避を図るしかない訳ではあるが──ならば何処へ逃げようというものか?
この街に限らず、もはや国中にアリアの捜査網は広げられていくことだろう。
そんな中において数日間を逃げおおせたからと言ってそれは何の解決にもならない。
当然ながらアリア当人もまたそれに気付いているからこそ、もはやこの期に及んでは見苦しく取り乱すような真似もしなかった。
あるいは……もはやこのとき既に、彼女は自身の運命を受け入れつつあったのかもしれない。
しかしながら斯様な覚悟はアリアの胸の内だけに起きていたわけではない。
いつの間にか握り合っていた互いの手元そこへ、感情の無い視線を落とすアリアの表情を目の当たりにした時──ドネもまた、ひとつの決意をする。
立ち上がりアリアから離れると、当然の動きに驚くアリアをよそに、ドネは自身の足元に嵌められた足枷に両手を添わせる。
それこそはポケモンの技や能力を抑え、その膂力を著しく低下さえる拘束具ではあるのだが、半環を蝶番で噛み合わせた造りであるそれの結合部に手を掛けると──ドネはそこに差し込まれた芯棒の頭を二度三度とねじった後、難無くそれを抜き取った。
それにより結束が解かれ円環の端に僅かな隙間が生じると、ドネはそこから難無く自身の足を抜き出してしまう。
かくしてドネは、いとも容易く足枷の拘束から解かれてしまった。
数年前よりドネはこれの着脱を可能としていた。
主に対し、この足枷のせいで身動きが取れないという先入観を抱かせ続けることで有事の際にはその裏をかくことを予てより計画の一部としていたのである。
これこそが常々ドネが今回の脱走において準備していた『最後の仕上げ』ではあったがしかし、斯様な彼女の仕上げには最後にもうひとつだけ細工があった。
一呼吸を置いて精神を集中させると次の瞬間──ドネの体は眩く発光した。
突如として目の前で起きるそれに瞼を細めるアリアはしかし、その輝きが何を意味するものかを知っている。
それこそは過去に自信もまた経験してきたものであるからだ。
見守り続けるなか、光は拡散していたその輝きを凝縮し始めるとそこに明らかな別人のシルエットを浮かび上がらせる。
やがては弾けるようその輝きが飛散し、まばゆさに閉じていた瞳を開くアリアの前にいた者は──……見目麗しい、一人のサーナイトであった。
これこそがドネの考える『最後の仕上げ』である。
逃げるに際し、『キルリア』から『別種のポケモン』に成り代わることこそが、最大の目眩ましになると考えていた。
この場合不幸中の幸いであったのは、常日頃自分を捉え続けていたあの足枷に進化を抑制する作用が含まれていたことにある。
これによりドネは最終系へと至るその直前で故意に進化を止め続けることが出来た。
またこの発想は誰でもないアリアから得たものでもある。
ほぼ同世代でありながら、順当に進化していくアリアをよそに訝んだ結果、この足枷の特質に気付き、さらにはそこから今日の脱走計画までをドネは着想するに至っていたのである。
かくして真珠のごとき純白を纏ったドネを前に……場違いにもアリアはそれを美しいと思った。
それこそは今日にまて至るドネの、艱難辛苦の人生から磨き上げられたが故の美しさが反映されたように見え、それを思ったとき期せずしてアリアは胸が熱くなるのすら感じた。
しかしながら一方のドネはといえば、そんな美しき自身の転身には目もくれず、改めて緊迫した様子でアリアへと向き直る。
そうしてアリアの顔へ両手を添わせ、そこから鼻筋に掛けられていた彼女の眼鏡(グラス)を外すと、ドネは驚くべき作戦をアリアへと告げた。
それこそは自分と代わりアリアをここから──この国から逃がすというものであった。
要はドネがアリアに扮してこの場に残り、自分が行おうとしていた出奔計画を代わりにアリアへと遂行させようというものである。
今この瞬間、此処にサーナイトが二人いるという事実はまさにドネとアリアしか知り得ない。
ここで二人が入れ替わったとしてそれに気付く者などいやしないし、もしそれが明白とされた場合にもその時にはアリアは既に遠くこの国を離れている。
駆け足ではあるが事細かに計画の概要を説明してくるドネに対し、一方のアリアは場違いなほど朗らかに微笑んだ。
それを前に、ドネは修羅場の現状も忘れてはそれに見入る。
瞬間、全ての時間が消えた。
忘れようもないその顔は、二人が初めて『ともだち』となった時にアリアが向けてくれたものであったからだ。
そしてその顔のままアリアはドネの両手を取ると、そっと身を寄せては互いの額同士を触れ合わせた。
互いの体温がその一点を介して通じ合う様子に、ドネはこの瞬間が生涯忘れられないものになることを確信した。……そしてそれはおそらくアリアもまた然りであろう。
そこから窺うように視線を向ければ、既にアリアもこちらを見つめていた。
いつの時だって変わらないその美しい瞳に吸い寄せられるよう、二人は最後のキスをする。
浅く一瞬だけで離れてしまう唇に一抹の名残惜しさを感じていると、アリアはそんなドネに向かい『ありがとう』と感謝を伝えた。
これこそが二人における今生最後の言葉となる。
この夜交わされたそんな最後のキスと言葉とを、二人は生涯忘れることは無かった──……
そのサーナイトを船内で発見したのは、出航三日目のことであった。
貨物室の隅に隠れていたであろう彼女は、あるとき自ら船員達の前へ現れるや亡命の意思を告げる。
おそらくは直前に就航していた港から乗り込んだのであろう。
規約に照らすならばこのまま引き返し、その国の当局へと引き渡すのが筋ではあるが……その判断を船長は躊躇した。
それというのもかの港がある国そのものが、直前に起きたクーデターによって混乱の極みにあったからである。
かくいうこの船とても、そこから逃げ出すよう出航へと漕ぎ着けたのだ。またあの争乱の中に戻ることはけっして賢い選択とは言えなかった。
斯様に複雑な状況が入り組んだことからも、半ばなし崩し的に彼女は船の労働力として迎えられる事となった。
件のサーナイトの特徴として、当時は人にしても珍しかった眼鏡(グラス)をその鼻にかけていたことが上げられる。
近視を主張する彼女はその矯正としてそれを用いていた訳ではあるが、表情が確認できぬほどにレンズの厚いそれを掛けたサーナイトは見た目の印象通りに鈍重で、周囲との距離感を見誤っては常に家具や什器に衝突をしていた。
加えてメスであることも知った船長以下乗組員達は、皆がこのサーナイトによる労働力は期待できぬと思ったのも束の間、そこから彼女は頭角を現していくこととなる。
貨物の仕分けを請け負った彼女は瞬く間に仕事内容を理解するや、効率的にそれの管理を行った。
加えてポケモンには希となる文字の読み書きにも長けていた彼女は仕分けした貨物のリストも独自に作成しては、以降の商船における『帳簿』の叩き台ともなる物を作成し、格段に船内での貨物管理と作業能率の向上を果たした。
その仕事ぶりたるやもはや人間の乗組員と比肩しても並ぶ者はなく、彼女がこの船で働きはじめて二ヶ月後には、実質的な船長の補佐役としてその辣腕を振るうに至る。
斯様にして有能な彼女は皆からも一目を置かれる存在となり、やがては船の一員として認められていくわけではあるが、どんなに親しくなろうとも彼女が自分のことを語ることは無かった。
ただひとつ、船員の一人がその過去の一端を垣間見るような彼女の仕草を目撃する。
それはある夜明け前のこと──艫(とも)の甲板に立ち、過ぎ去りゆく水平線を飽くなく見つめ続けるサーナイトを船員は発見した。
おそらくは逃げ出してきた港の方角を望んでいたであろう彼女は、いつも目元を覆っていたあの眼鏡をはずしてそれを見つめていた訳ではあるが、その素顔はこの世のどんな芸術作品よりも美しく端正であったのだという。
いつもの朗らかな気配からは想像も出来ぬ険しさで口元を強く結ぶ彼女の表情には、得も言えぬ深い悲哀が湛えられていた。
いつしか彼女の見守る水平からは朝日が昇り始め、まだ多分に藍の深い淡い光でその面を照らしていくと、瞬きも忘れてそれを見つめる彼女の目尻から涙が一筋、頬を伝った。
拭うことも無く溢れるに任せたままの涙はその頬をつたい、遂には潮風に攫われて夜空へと散る。
暁に照らされるサーナイトの涙は、明星の如くに煌めいては海へと消える。
やがて生まれ出流(いずる)陽光に包み込まれては──雄々しき新世界からの風に彼女はその身を委ねるばかりであった。
【 暁のアリア 明星のドネ ・ 完 】