第1話・巨大娘
ポケモンウォッシュが生業の俺に『その依頼』があったのは、夏前になろうかという頃だった。
依頼内容は『大型のポケモンを洗ってほしい』とのことだったから気軽に引き受けたのだが、契約の段階において秘密保持誓約書なんてものにサインをさせられた。
……そもそもこの仕事で、契約書なんて交わすこと自体が異例だ。頼まれたら洗う程度のノリだというのに。
ともあれ報酬額の大きさにも釣られて引き受けてしまった俺とカメールさんは今、目隠しの上にBGM付きのイヤホンなど付けられてはその場所へと運ばれていた。
ちなみにここで言う『カメールさん』とはメスの『カメール』に他ならず、俺の仕事を手伝ってくれる重要なパートナーだ。敬意を払うべき一個人であり、けっして『手持ちのポケモン』などという関係ではない。
そうして車に揺られること半日……ようやくに俺達は現場となるその場所へと到着した。
目隠しを外されると、そこはもうどこか施設の内部であった。
モルタル打ちっぱなしのそっけない壁面と、ダクトの露出した高い天井のそこは倉庫や工場といった趣だ。
そうしてさらにその施設内を進みながら、俺達の担当である『エスナさん』と名乗るその女性(ひと)はさらに念押しをした。
『世間一般では非常に名の知れたポケモンなんです……くれぐれも他言無用でお願いします』
「はあ……しかしながらそんなにド偉い方ってんなら、俺じゃなくてももっと頼むべき会社があったでしょうに」
俺の疑問はそこだった。
ポケモンウォッシュを取り扱ってるのは俺だけに限らない。それこそさらに専門的で、多くのスタッフや機材を取りそろえている企業団体なんて五万といる。
それにも拘らず個人である俺が選ばれた理由こそは、
『秘密保持の観点からです』
エスナさん曰くこうだ。
企業との契約においては、その『ポケモン』と接する人間の分母が多くなる。そんな企業から秘密が漏洩した場合、それの後処理には多くの労力が割かれることとなる。
しかしながら俺個人であれば、万が一の場合にもそれが楽だ。
たとえ俺がそれを喧伝して回ったとしても所詮は一個人のたわ言である。信頼ある企業から漏洩した場合と比べて、情報の信憑性が格段に違うのだ。
そしてなによりこれだけの厳戒態勢なのだ……万が一に処分するに際しても個人の方が手間がかからない、そういう利点もあるのだろう。
とはいえ、これらはすべて俺の妄想だ。始まる前から一人で勝手に盛り上がっていても仕方がない。
いつも通りに仕事して、そして割高の報酬に喜べばいいだけの話でもある。
そうして気分を切り替え、仕事への意欲も新たにした俺達であったが──ふいに鼻を突いたその臭気に俺とカメールさんは顔をしかめた。
いま行く通路を進むたびにそれは強くなっていく……どうやらこの匂いの主こそが今回の相手となるポケモンなのだろうが、それにしてもすごい匂いだ。
匂いの種類としては皮脂汚れからくる甘みを含んだ発酵臭──大型と聞いて当初、機械系や鉱物系を予想していた俺達ではあったが、有機型となると少々厄介だ。
そんな匂いが最大限まで高まると、俺達はついに両開きの大きなドアに辿り着いた。
『この先にそのポケモンが居ます……彼女のウォッシュをお願いします』
そう告げるエスナさんからして、鼻からの呼吸を控えているのか鼻声だ。
そしてその扉を押し開き俺達の目に映ったものは……──
「ッッ……こいつは、手ごわそうだ」
その体長4メートルを越えようかという巨大なリザードンであった。
たった一目で斯様に巨大なポケモンの全容を知れたのには、この部屋の巨大さも由来している。
先のリザードンを悠々に収容できるそこは見上げるには体を反らせるほどに天井が高く、そして見渡すには目を凝らすほどに広大だった。
その中央にリザードンが一匹、所在なげに尻もちをつくようにして座っていた。
そしてそんなリザードンを改めて確認しながら俺は、あることに気づいては思わずそんな『彼女』の名前を口にしてしまう。
それこそは……
「えぇッ? これって、『ルナフレア』ちゃんかッ!?」
そう驚く俺を傍らに、エスナさんは依然として視軸を前方に固定したまま小さく鼻を鳴らした。
目の前にいるリザードンの『ルナフレア』は、いま売り出し中である新進気鋭のアイドルポケモンだ。
歌にダンスにと大活躍で、リザードンの種族らしからぬ愛くるしい目元や鼻筋の面相は昨今、テレビで観ない日は無いかというほどの人気者だった。
しかしながら唯一そんな俺の認識と違っていた点は──やはりその大きさだった。
様々な映像媒体で観る彼女は従来のリザードンよりもやや小柄な印象で映し出されてはいたが、実際の彼女たるやダイマックス張りの迫力だ。しかもこっちこそが正真正銘のサイズであるというのだから驚きである。
『これが本来の彼女の大きさなの……』
そんな俺の考えを読んだかのようエスナさんが説明をしてくれる。
今までは画像加工を経ての登場だっただけに、その大きさは自由に発信側で加工が可能だった。しかしこの度、なんと彼女のコンサートが決定したのである。
それと同時にこの巨大サイズであることの発表も行おうというのがプロダクション側の意向ではあったが──それにしては彼女は汚れ過ぎていた。
映像の中だけならばそんな汚れもCG等を駆使して誤魔化せるが、いざ人前に出るとなるとそういう訳にもいかない。加えてこの匂いとあってはイメージダウンも必至だ。
「それで俺達の登場って訳か……」
『なんとか24時間で彼女の洗体とスキンケアまでお願いしたいのです。……出来ますね?』
この時になって初めてエスナさんは俺達へと流し目の視線を向けた。切れ長目尻のいかにも仕事が出来そうなキャリアウーマンといった面相だ。
そしてそうまで言われてはプロの返事もまた決まっている。
「任せとけ。明日の今頃には心身ともに生まれ変わらせてやる!」
俺とカメールさんは決意も新たにそう応えリザードンを見上げた。
そんな俺達の視線を受け、リザードンその体にはらしからぬ怯えた様子で両肩を縮こまらせる。
法外な報酬で舞い込んできた仕事は巨大娘の洗体……俺にとって生涯初の大仕事が始まろうとしていた。