『エクセレント……!』
喜びよりも、むしろ強い驚愕を表情に湛えたエスナさんの賛辞はそれゆえに本心の響きを帯びていた。
前方にルナフレアを凝視しまま歩み寄ったエスナさんは、感無量と言った面持ちで彼女の胸元に手を置いた。
目の前のルナフレアはまさに輝くがばかりであった。
表皮を覆っていた垢の被膜はすべて取り除かれ、さらには洗体とスキンケアの施された体は色艶も良く室内に満ちる太陽光を反射している。
艶やかで透明感のある爪に、眩しいほどの白い牙──そして何よりも輝いていたのはルナフレアの笑顔に他ならなかった。
身を覆っていた穢れのベールを脱ぎ去り、さらには一連のフェロモン騒動で欲求不満のストレスもまた解消されたもルナフレアは、まさに心身共に生まれ変わるに等しい変化を果たしていた。
『ここまでしてくれるだなんて思わなかった……ありがとう貴方達、本当に感謝するわ』
振り返りそう微笑んでくるエスナさん……彼女と目をわせたのも初めてならば、こんなにも感情的な表情を見せてくれたのも初めてだった。
こうした顧客の笑顔は数百円の爪磨きを依頼してくる子供も、そして今のエスナさんも変わらない──この笑顔に癒されては充実感を得られる瞬間こそ、この仕事をしていて嬉しいと思うことはない。
そしてそれは傍らにいるカメールさんもまた同じらしく満足げに一度頷く。
『イベントの開始までにまた汚れてしまうということはないかしら?』
「リザードンは毛皮も無いし体温も高いポケモンだ。そうそう前みたいな状態にはならないだろう。表面的な汚れならばタオルで拭いてやれば十分さ」
一方でカメールさんもまた、ルナフレアのイベント開催日を訊ねる。
やはり自分が手掛けた顧客の今後……というかアイドルともなれば、その晴れ舞台は気になるのが人情というものだ。
『コンサートはこれから一週間後よ。これから彼女にはリハーサルやレッスンがある訳だけど……この調子なら大丈夫そうね』
語り掛けながら見やるエスナさんの視線に気付いてはルナフレアも両拳を胸の前で掲げるようなガッツポーズもひとつ。
俺達の決死の洗体で、彼女の性格そのものにも変化が現れていたようであった。
その後俺達は再度、一連の仕事とルナフレアに関する『秘密保持契約』の確認をされ、そして連れて来られた時同様の厳重さで帰宅を果たす。そうして車から降ろされた先で多分にチップの弾まれた報酬を受け取ると──晴れて俺達はお役御免となるのだった。
改めて我が家のリビングに落ち着くと、俺とカメールさんは深いため息をハモらせた。
あんな形で送迎をされたこともあり、なにやら長い夢を見ていたような気分だった。
しばし黙したまま過ごす俺達ではあったが、心地良い仕事の疲れもあってかこの沈黙に雰囲気が悪くなってしまうこともない。
それどころか……俺達の間にはまたもあの親密な気配が漂い始めていた。
永らくカメールさんとパートナーを組んできた俺には、彼女が今、俺からの誘いを待ち望んでいる気配が手に取るように分かった。ならば同様に、俺がカメールさんを誘いたがっていることもまた彼女には伝わっているはずだ。
繰り返しになるが、俺は一女性としてカメールさんが好きだ。
だからこそ今度は、あんなフェロモンまみれのどさくさじゃなく真っすぐに互いの気持ちを確かめ合いたいと思っていた。
「えっと……なんだかんだ言って、丸一日ぶっ通しだったから疲れたなあ」
自分でも芝居がかっているようなその切り出し方はどうかとも思ったが、俺は意を決してカメールさんへと語り掛ける。
「せっかくだし、このまま泊って行かないかカメールさん? 体も汚れてるから風呂も入らなきゃならないし……」
我ながら遠回しな言い方だと思った。
そしてそれに対する彼女の反応を見るべくに、俺も上目遣いでカメールさんに一瞥を送る。
テーブルをはさみ椅子の前方にちょこんと座っていたカメールさんの顔には──どこかイタズラっぽい微笑みが咲いていた。
『だったら洗ってあげる』──そんなカメールさんの返事は、俺に負け字劣らずの遠回しな『OK』の返事であった。
「ならばこっちこそプロのテクニックを見せてやるぞ?」
期せずして同時に立ち上がると俺達は並んで自宅の風呂場へと歩んでいく。
まだフェロモンが残っていたのか、それともこの後のことを想像してしまってか、俺の愚息は再びスラックスの下で大きくなり始めていた。
それに気まずさを覚えるよりも先に、カメールさんはそんな俺の股間を愛おし気に撫でまわしては、その上に顔を置いて深く息を吸う。
その日、再び俺達は結ばれた──ルナフレアのフェロモンなんかで昂らせられていた時よりも遥かに激しく、そして情熱的に俺達は愛し合った。
一週間後──俺とカメールさんは、自宅にてルナフレアのコンサート開幕を今かと待ち望んでいた。
テレビの前に置いたソファに並んで体を沈め、飲み物や軽食といった類をふんだんに用意してはその時を待つ。
もとより国民的アイドルであったルナフレアのコンサートは、地上波でのリアルタイム放映もまた決定していた。
そこに加えて『重大発表』ともなれば皆の関心も集まらない訳もない。
特設チャンネルにてルナフレアの経歴とアイドルになるまでの軌跡を紹介する特番が流れた後……ついにそれは始まる。
登場と共に彼女の『巨体』の事実が知らされるや会場からは戸惑いの声も上がるものの、そこへ畳み掛けるようルナフレアの代表曲とそして生のダンスとが披露されるとそれはたちどころに観客の心を掴んだ。
同時に地上波放送側の画面には、下部にSNSのコメントが反映されるような構成がされていて、そこに寄せられる意見もおおよそ好意的なものであった。
ルナフレアのカミングアウトは上々の結果を以て、ファンには受け入れられたようだった。
それを証明するようにコンサートは盛り上がっていく。
馴染みの楽曲が流れた際には俺とカメールさんも一緒に口ずさんだものだ。
しかし……その伝説的な『事件』が起きたのはイベントも終了間際という時であった。
イベントは完全密閉の屋内会場にて行われ、そしてこの日イベント会場に訪れていたファンも500人未満というルナフレアにしては小規模な物であった。
これは元より地上波での放映をメインに据え、もしこのカミングアウトでトラブルが生じた際には直ちに対応できるようにと考えられての構成ではあったのだが……これが裏と出た。
この日ルナフレアが3度目の衣装替えをして、オーディエンスの熱気に晒されて大量に発汗をしながらダンスを披露していたその時──女性客の一人が上着を脱ぎ捨ててはカメラの前に乳房を露とさせた。
こういったハプニングも生放送ゆえ、そしてライブ会場ゆえのものであるからカメラマンも慌てることなくカメラを移動させるも……その先に待っていたものもまた全裸の女性達であった。
そしてそれは女性客だけに留まらない。男性客もまた呼応するように服を脱ぎ始めたかと思うと観客達衆人は──一斉に性交渉を開始した。
男と女、同性同士、果てはその場にいたポケモン達ともまぐわい始めた会場の絵面は、サイケな照明と舞台装置の効果も手伝ってヒエロニムス・ボスの絵のような混沌と騒乱の模様を画面に映し出していた。
そしてSNSから寄せられるコメントも混乱の極みに達したその時──画面は『しばらくお待ちください』のテロップとみがわり人形を映した静止画像に切り替わり、場には静寂が訪れた。
一連の狂乱劇において、この真相を知っている者達はおそらく俺とカメールさんだけであったろう。
言うまでも無くその原因は、彼女ルナフレアのフェロモンに他ならなかった。
密閉された小規模な会場のあの中、数時間を掛けて発汗と共に醸成された彼女のフェロモンは会場の熱気により濃縮されていったことだろう。
それを知らずに吸引し続けていた観客はある時点で肉体の許容量を超えると同時に発情し……あとはご覧の有り様という訳であった。
『そう言えば報告してなかったね』……俺もカメールさんも同じことを考えていたに違いない。
得も言えぬ気まずさを覚えては沈黙を続けていた俺達ではあったが、俺はその場でわざとらしく伸びをしてみせると、
「ふわあぁ……じゃあカメールさん、もう寝ようか?」
何事もなかったかのように俺は言う。
それに対してカメールさんもまた何事も無かったかのように頷くと、俺達は揃って立ち上がった。
そうしてその去り際、カメールさんはリモコンを手にするとテレビの電源をオフにする。
はたして明日にまたこのテレビをつけた時……画面にはどんなニュースが写されるものなのだろうか?
その恐ろしすぎる結末を、俺達はあえて考えないようにするのだった。
【 巨大娘のお風呂事情・完 】