第1話・リオルとユウキ
その幼いリオルは、自身をこの地域最強の存在であると自負していた。
しかしながら、そもそもここにはリオルと意志疎通の図れるポケモンがまったくと言っていいほどいなかった。森は緑深く、河川の水も清らかなここは棲むには申し分ないが、いささか刺激には物足りない。
そんな場所のポケモンといえば鳥や虫や植物といった種類の者達ばかりで、話しかけたところでどうにもその反応は芳しくなかった。
ゆえにリオルがここで誇る『最強』とは、実質的な『独りぼっち』の意味と同義で、そしてその寂しさを誤魔化すための方便でもあったのだ。
そんな最強リオルがユウキ・トールの姿を初めて目にした時の衝撃は計り知れない。
ユウキは人間の子供で、歳も10歳に届くかという頃合いであった。
ポロシャツに短パン姿のユウキと森で遭遇したリオルはその瞬間、衝撃のあまりに硬直した。
遭遇とはいえ、森の中で虫取りをしていたユウキを一方的に発見しただけだから、先方はリオルの存在になど気付いてもいない。
とはいえしかし、リオルにとっては大事件だ。
ようやくにこの森で自分の覇権を揺るがすかもしれない手合いが現れたのだから。
以降リオルはユウキの存在を森の中で探すようになった。
ある時は河、ある時は岩場、そしてある時は樹上──と、ユウキは実に能動的だった。
そのあまりの活発さは時に危険な行動もまた伴い、それを見守るリオルを実にハラハラさせたりもした。
当初は森への侵入者や自分の存在を脅かすものとして危惧していたリオルであったが、そんなユウキの一挙手一投足へ注目するにつれ、やがてはその存在に夢中になっていった。
どうにかして触れ合いたい……いつしかそんな葛藤に苦しみながらユウキを見守るリオルであったが、ある時その願いが叶えられる出来事が起きる。
ユウキが雑木林の中にあったリオルの住処を発見したのだ。
住処とはいえそこは、倒れて重なった丸太の隙間を苔で埋めた程度の空間ではあったが、リオルには大切な生活の拠点だ。
これを子供の冒険ついでに犯されてはたまらない。
今こそユウキの前に出ていって、この場所を守るべくに対峙する権利をついにリオルは得たのであった。
草むらから、依然として洞の前で興味深げに中を覗き込むユウキを遠目に確認しながら、何度もリオルは咳払いをしては喉を整え、そして臆せず向かって行けるようにその場で何度も足踏みをした。
それでもここから先へ踏み出していく勇気にはまだ少し足りない。
見ればユウキの視線は洞から別の場所へと移り、既に自分の住処には興味を失いつつある。リオルの焦りも強くなる。
このままではユウキの前に出ていく大義名分を失ってしまう。両足の震える自分に泣き出したい気持ちになる。
そして見守る先で、完全にユウキの視軸が自分の住処から外された瞬間──リオルは幼い声を吼え猛らせながら草むらを飛び出した。
その声に驚いてユウキがこちらを向く。そしてユウキまで数歩の距離まで近づいて……リオルは完全に動きを止めた。
勢いに任せて飛び出して言ったはいいがその後が何も思いつかない。
当初は自分の縄張りを荒らすユウキを一喝してやろうと思ってはいたが、いざ遠く憧れていた存在を前にしてはリオルも緊張のあまりに硬直してしまうのだった。
一方で最初はそんなリオルの登場に警戒しては身をこわばらせたユウキも、目の前の彼の、固まったまま一向にアプローチを仕掛けてこない様子に気付いては徐々に緊張を解いていく。
「キミ、だれ?」
ついには尋ねながら近づいてくるユウキに、リオルもきつく目を閉じては現実逃避を測る。
さらに接近しては自分の匂いを嗅いだり、ぐるりとその周囲を回っては観察をしてくるユウキと対比してはどっちが野生のポケモンだか分からない。
リオルにはもはやどう取り繕ったらいいものなのか完全に分からなくなっていた。
このまま直立を続け、ユウキが自然に自分の目の前から消えてくれることすら祈ったその時──不意に芳しい香りが鼻先をくすぐった。
嗅覚の刺激へ反射的に目を開けるリオルの鼻先には──サンドイッチが一つ差し出されていた。
白いパンにレタスの緑が眩しいサンドイッチだ。
今までに嗅いだこともないようなその香りに瞬時に食欲が刺激されては唾液腺が崩壊する。
そんな口角からヨダレを溢れさせるリオルに対し、
「キミ、これ食べられる? いっしょに食べよう!」
目の前のユウキは自分のサンドイッチもまた頬張ると、笑顔で訊ねて来るのだった。
おずおずとそれを受け取り一口齧ると──今までに食べたこともないような味の情報に翻弄されては、さながら時間と記憶でも切り取られたかのようリオルの手からはサンドイッチが消えていた。
どこに行ったかと探すも、鼻腔に満ちるマヨネーズの残り香に自分がそれを瞬く間に食べてしまったことにも気が付いた。
見れば目の前のユウキもまた最後の一口を頬張ったところだ。
しばしそんなユウキの食事する様子を観察した。ただサンドイッチを食べているだけだというのに、そんなユウキの姿はいつまでも見ていられるような気がした。
やがて食事を終えるとユウキは改めてこちらへと向き直る。
「ねえ、これ知ってる? この穴ってなんだろう?」
改めて向き直ったユウキは目の前にあるリオルの住処について訊ねる。
煩雑な前置きなどは飛ばしていきなり友人になってしまうのは子供の利点だ。そしてリオルもまたそんなユウキのフレンドリーさに緊張を解かれては、無言でユウキの手を引いて洞へと歩み出した。
洞の内部は大人でも優に行住できるほどの広さと空間とがあった。
幾重にも倒木が重なった天井の隙間から、苔に透かされた陽の光が青く差し込んでは淡い光量で室内を満たしてくれている。
その様子にまるでテーマパークを歩くかの如くに感嘆の声を上げるユウキを自分の寝床まで案内するリオル。
若芽の枝葉を敷き重ねたそこに二人は座ると、そこから何時間も一緒に過ごした。
とはいえしていたことといえば、リオルが集めた綺麗な石を見せたり、はたまたユウキの持ち物を説明してもらうなどといった他愛もないもので、最後の数時間は一方的なユウキの話を訳も分からずに聞いているというだけではあったが──リオルにとってのその時間は掛け替えのないものとなった。
いつしか陽も沈み、辺りが夕闇に満たされ始めるとユウキは立ち上がった。
きっと自分の家へと帰るのだろう……そのことをリオルも理解し、そして別れを惜しんだ。
未練がましく森の出口まで付いていって別れる。
その別れ際、ユウキがリオルに向かって何か言った。そうして走り去る姿を見送りながら──リオルは強い喪失感を覚えては落胆するのだった。
重い足取りで住処へと戻り、つい先ほどまでユウキが座っていた寝床に横たわる。
そこにほのかにユウキの匂いが感じ取れると、より一層に切なさが募りリオルはそこへと深く鼻先を押し付ける。
頭の中はユウキで一杯だった──空腹も、楽しみにしていた星の観察も今日は一切頭に入ってこない。
そうして去り際にユウキの残した言葉を思い出す。
『マタ アシタネ』──不器用にその発音を真似て呟いたりもしてみた。
次はいつ会えるのだろう? もし叶うなら明日また会いたいとリオルは思う。
そしてそんな想いを見えない何かに願っていると、いつしかリオルもまた眠りへ落ちていくのだった。