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最初の違和感は長引く風邪だった。
ことあるごとに体調を崩しては寝込み、そして一度そうなってしまうとなかなかそれも治らない……。
それこそ最初は悪性の風邪やインフルエンザ、あるいは肝臓が疲れているのかと思い込んでは自分を誤魔化しても来たが……体中に発疹が浮き上がるに至り、俺はそれまであえて目を逸らし続けていた現実を直視せずにはいられなくなった。
検査の結果は【陽性】──俺は悪性のウィルスに感染していたのだ。
しかも現実から逃げ続けていたツケはこの期に及んで俺に後戻りはおろか、もはや立ち止まることすら許さない領域にまでこの体を蝕んでいた。
自分の特性が特性だけに、いつかこうなる覚悟は出来ていた。
しかしながらここにおいて心配するべきは自身の体などではなく、むしろパートナーのことだった。
この時の俺にはすでに愛してやまない人がいた。
その人にこんな自分の醜い業までも背負わせるわけにはいかない。
まずは彼にもまた、件のウィルスの検査を受けさせた。
結果は陰性であったが、このウィルスには数年にも渡る潜伏期間がある。一概にこれだけで安心はできないが、それでも俺には今後とも彼が発症してしまわないことを祈り続けるしかない。
ともあれ彼の陰性が判明してから以降は、俺は彼との距離を取るべく……そして彼から嫌われるべくに行動を徹底した。
当然ながら接触は必要最低限に抑えた。
キスやセックスはおろか、会話や日常生活での直接間接を問わぬ接触にもまた俺は気を遣った。
洗濯物は分けて行い食事も別、トイレは俺の使用後には必ず清掃をし、そして一切の会話を絶った。
思えば、この時期こそが闘病生活などよりもよほどに辛く苦しい期間だった。
ならば早々にこの家を出て彼と別れてしまえばいいと思うかもしれないが、そうは分かりつつも離れたくないと考えてしまったのが俺の弱さでもあり、そして残酷性だった。
幾度となく自分の病を打ち明けて理解を求めようかとも悩んだが、それを知って彼の心が俺より離れてしまうことこそが俺は怖かったのだ。
嫌われていても構わない……どんな形であれギリギリの瞬間まで彼と過ごせることを俺は望んだ。
──しかし、最後の時は来てしまった。
いよいよ以て体は融通が利かなくなり、そして表面上の症状を隠しているのにも限界が訪れた。
ついに俺は……彼との別れを決意する。
別れのキスも挨拶も無く、俺は一切彼に知らせることなく人知れずに家を出たのだった。
心の支えを失くしてからは、病の進行もまた早かった。
数日後には身動きを取ることすら出来なくなり、俺はただ朽ちるのを待つばかりとなった。
死の足音が聞こえるどころか、死神は既に枕元に立っては俺を見下ろしているような状態だ。
その段に至ってはもう身動きすらとれなくなっていたから俺はただ脳内で一人、これまでの人生を振り返るばかりの毎日を送った。
ゲイの身上では後悔や悲しみばかりが思い起こされたが、それでもそんな全てをかき消して余りある喜びは、あの最後の期間に彼と出会いそして共に過ごせたことだった。
何気なく一緒に生活していたが、そのなんて事の無い瞬間がどれだけ大切でそして尊いものであったかが今になって分かるのだ。
故にいま望むものは、『彼』だたそれだけだった──……
また一緒にキッチンに立って夕食の準備をしたい……何気ない会話で笑いあったり、そして体を重ねたり……ただ何も言わずに一緒に座っているだけでもいいんだ……
また彼と一緒に……その時には今度こそ、死が二人を分かつまで共に………
ささやかなる願いを胸に………俺は旅立つのだった。
涙で目覚めた──
あの夢の一部始終は彼の最後に依るものだった。
どれだけの寂しさの中で亡くなったのだろう……そしてなぜ打ち明けてくれなかったのか?
しかしながらそれを思う時、もし同じ立場であったのならばやはり俺もまた彼の元を離れたであろうことにも気付いてなおさらにため息を深くさせた。
同時にふと思い出したことがある。
それは、いま俺の腕の中で眠るゲンガーのことだ。
ゲンガーに纏わるゴシップに、無念を残してて死亡した魂が道連れを求めて変化した姿──というのを聞いたことがある。
思うに『無念』とはけっして憎しみや恨みといった負の感情だけに依るものではないだろう。
強い愛情もまた、死に際しての強い心残りとして『無念』を生み出すことだってある……その証拠こそが、今この腕の中に戻ってきてくれたゲンガーではないだろうか。
このゲンガーからは生前の彼の記憶はほとんどといっていいほど失われていた。
それでもしかし、俺への愛だけは忘れていなかった。それだけは覚えていてくれていた。そして、帰ってきてくれたのだ。
寝返りを打ってゲンガーに向き直ると、俺は改めて彼を抱きなおした。
それを受けて、眠るゲンガーもまた俺の胸板に顔を押し付けては身を寄せた。
ようやく、帰ってきてくれた。
ならばもう離れることは無いだろう。
もしいつか俺が死に迎えられた時には、今度は俺がゲンガーになろう。
そうすればもう永久に離れることもない……。
人の世のしがらみに傷つけられることもなく、俺達は数あるポケモンのつがいとして生きていけるのだ。
そんな未来がとてつもなく尊くて愛しいものに思えた。
その安堵と、そして今日までの疲れを癒すかのよう俺達は眠り続ける。
これからはもう時間なんて気にすることはない──何時いつまでだって、俺達は共に在れるのだから。
【 元カレのゲンガー・完 】