第1話・囚われのサドラ
地下組織・秘密結社・シンジケートカルテル……世にいう反社会組織に複数の名称がある通り、これら団体は互いの理念や思想、或いは単純な利権等を巡り、日々人知れずに抗争を繰り返している。
この日、そんな敵対組織のひとつに囚われてしまったサドラ・ウェル少年も、自身へと行われる拷問や……或いは処刑の瞬間を待っていた。
幹部の捕縛と違いサドラのような一構成員の捕縛とあっては、味方からしても進んで助け出そうなどということはない。
敵対組織側もそれを理解しているから、こうして捉えた捕虜のほとんどは生かされることもなく秘密裏に処分されて終わる。
事実サドラ自身も捉えた捕虜が拷問の末に衰弱死した場面に遭遇した経験から、自分もまた遠からずに同じ運命を辿ることを覚悟したのであった。
しかしながら問題はその殺され方だ。
大抵の場合、こうした捕虜には思い付く限りの拷問が与えられる。
一概に『処刑』や『制裁』などとは言ってもそれは結果にしか過ぎない。他の構成員達の娯楽ついでに拷問された挙句に死んでしまい、結果『処刑』という形に落ち着くのである。
その瞬間を10代の逞しい想像力をフルに活用しては、思いつく限り残酷な拷問に合わせられる自分を想像してサドラは眠れぬ日々を送っていた。
すでに捉えられてから三日が過ぎようとしていた。
両手両足は拘束されているものの、それでも日に一度のパンが提供されるところから見るに、自分の命運は拷問による処刑なのだということが分かった。
即座に殺すでもなく、はたまた丁重に保護するでもない、あくまで最低限の食料を与える理由こそは……拷問のその瞬間まで、とりあえず生かせておこうという相手側の意思だ。
下部構成員に一任された捕虜の処置は、彼らにしてみればちょっとした娯楽なのである。
今日までの三日間という期間も、サドラでどのように楽しむかを考えていたに他ならない。
いっそのこと毒薬でも差し入れてくれれば自分は喜んでそれを飲むのに……しまいにはいかにして『楽に死ねるか』を想像しだしてはその時を待つサドラであったが──ついにその瞬間は訪れてしまった。
その日、不意に房の鋼製扉が開いた。
その音に怯えては後ずさり、自身で押しつぶさんばかりに背後の壁面に身を寄せては怯えるサドラの目の前に、巨大な影が歩み出てくる。
明らかに人ではないその気配に、サドラも『このパターンか』と固唾を飲んだ。
それこそは、狂暴なポケモンを囚人へとけしかけるというものである。
こういった組織では言うまでも無く倫理や一般常識などと言うものは存在しない。
人間の構成員もそうならば、その元に控えるポケモン達ですらもそれは然りだ。
常日頃は人間達と友好的に付き合うよう教育されている彼らも、ことアンダーグラウンドにおいては道具でしかない。
あらゆる能力は犯罪や敵対組織との戦闘に活用され、そしてその暴力は人間を傷つけては、殺すことすらも厭わない。
もはやここにいるポケモンとは、最低最悪の獣でしかないのだ。
そんな狂獣と空間を同じくすることの恐怖と悲劇をサドルは良く知っていた。
人型の者は無惨に対象を殴り殺し、獣型とあれば食いちぎり、そして鉱物型ともあれば原型も留めぬほどに圧殺する──そのどれをもサドラは目撃したことがあった。
ならば自分が辿る運命とは……?
やがて裸天球の頼りない光の元に、ついにそのポケモンが姿を現した。
目の前にいたものは──巨大なヌメルゴンであった。
その登場にサドラの思考が停止する。
いったいコイツはその巨体に任せてどのような仕打ちを施してくるのだろう?
怪力に任せて手足を引きちぎるのか、それとももっと特殊な方法で苦しみをあたえてくるものか──いずれにせよ、願わくば一瞬で殺されることを祈った。
身を縮めては、恐怖に表情を引き攣らせるあまりに無表情と化しているサドラの白い顔をヌメルゴンは見下ろす。
その瞳は円らで、表情にもどういった意図かは分からずとも、その口元は微笑みを思わせるよう口角が上がっていた。
身を屈め、幾度となく小首をかしげてはサドラを見下ろしてその様子を観察するヌメルゴン。
しばしそんな見つめ合いが続くと、サドラにはこのヌメルゴンは人畜無害の存在なのではないかという希望的願望が生まれていた。
事実、目の前のそれは疑わしいまでにあどけなく、こういった場所で見かけるポケモンの荒んだ気配がこのヌメルゴンからは微塵も感じられないのだった。
もしかしたら助かるのかもしれない……そんな希望を僅かに抱いてはその緊張を僅かに緩めたサドラの鼻孔に──その瞬間、痛烈な衝撃が襲った。
目頭が一瞬にして焼けつくようなその衝撃に、サドラは何らかの外的な攻撃が顔面へと炸裂したのかと疑った。
ヌメルゴンの拳足や、或いは尻尾の一撃が鼻先に見舞われたかと思いきや……そこに流血や表面上の変形等は感じられない。
しかしながら、涙腺と鼻腔を崩壊させるような衝撃は依然として続いては、サドルから洟と涙とを滝のように溢れさせていた。
しばしして依然衝撃にさらされつつも肉体がこの状況に慣れてくると、一連のショックの正体はとある『匂い』によるものだとサドラは悟る。
それこそは──目の前にいるヌメルゴンの体臭に他ならなかった。
おそらくはサドラと目を合わせることでヌメルゴンの内部に、心情に起因する何らかの化学反応が起きたのだろう。
その興奮が作用しては、この腐臭に似た刺激臭をヌメルゴンから発散させるに至ったのである。
徐々にヌメルゴンが歩を進めてくるとその臭いは一層に激しさを増した。
もはやこの段に至っては、『臭い』などという気体的なものではなく、刺激物の液体を直接に顔面へ散布されているに等しい感覚がサドラには感じられた。
必死に身を仰け反らせ、顔を背けては背後の壁面に身を寄せて耐えるサドラのすぐ前へとヌメルゴンは迫った。
臭いに加えてそれの息遣いや体温までもがそこに加わると、サドラは無駄な抵抗と分かりつつも呼吸を止めてはヌメルゴンの接近に耐える。
しばしそんなサドラを興味深げに見つめていたヌメルゴンではあったが、突如としてその顔が満面の笑顔に咲き綻ぶや次の瞬間──ヌメルゴンは全身を使ってはサドラを抱きしめて、己の頬をすり寄せた。
臭気の発生源ともいうべき体液の直撃を受けて、皮膚の表面が幾重にも皺を寄せては収縮するのが感じられた。
そして呼吸を止めているのにも限界を感じて遂には大きく息を吐き出す。さらに肉体は当然の反射として、新たな呼吸を体内へと取り込んだ瞬間──サドラの意識は暗転した。
苦しみは一瞬だった。
その一吸いで完全に肉体と脳はその機能を停止させた。
意識が完全に途切れるまでのその数瞬、肉体の表面上にはなおもヌメルゴンがぬらつく自身の肉体を擦り付けている感触が伝わっていた。
粘膜特有の冷感を帯びたその感触は、さながらに巨大なナメクジやカタツムリに覆い被さられているような不快感をサドラに感じさせた。
もはや助からないことは疑いようもない。
ならば、それならば──……
願わくば、このまま死ねることをサドルは祈るのだった。