第1話・盛り場
念願のアローラに降り立ったのは、既に陽が沈み夜の帳が下り始めた頃であった。
それでもしかし視界のパノラマいっぱいに広がる蒼穹の夜空と、そして南国特有の潮風に草花の密な空気を乗せた風は植物学者・リットの心を弾ませてやまない。
ふと『これで女性と同伴なら最高だったのに』となどと浮ついたことを考えて、すぐにリットも頭を振った。
そもそもが植物とそれに類するポケモンを愛するリットは、異性にはわき目もふらずに今日まで生きてきた。
幼少時より動植物やポケモンを見るとリットの集中力はたちどころに高まり、他の雑事煩悩は一切が消えてなくなる性質だった。
それゆえに行きついた先が学者というのは本人も望むべきところではあるが、20代も半ばを過ぎた今になると、それでも恋愛のひとつでもしておくべきであったかとも焦りに近い感情が湧き上がることも多くなった。
そんな時はなおさらに自身の研究に打ち込んだ。
一度集中すると内外のあらゆる凡念は振り払われたし、それを学業へ注ぐことにより年齢に見合わぬ異例の教授へと出世したのも確かだ。
ともあれ、明日以降もこの地にてポケモンのフィールドワークに勤しもうと気持ちを新たにする。
そうすれば、今のこの切ない気持ちもまた慰められることだろうとリットは思うのだった。
そんな空港前のロータリーで決意を新たにしているリットへと、
「おぉーい、旦那ァ! リット・リッケルさんってぇのはアンタかーい?」
ふいに自分の名を呼んでくるその陽気な大声にリットは我に返る。
それに振り返れば、数メートル先のタクシー待機場にて手を振る青年の姿が見えた。
年の頃はリットと変わらないように見える。
ファッションかそれとも天然か、強(こわ)く縮んだ短髪に薄い唇と切れ長の目、加えてやせ型の鋭利な輪郭は一見強面にも見えたがしかし、気さくな笑顔はすぐにリットの緊張をほぐしてくれた。
「そうだけど……もしかして予約してたタクシー会社の人?」
「そのもしかしてさ。そしてそのタクシー会社の社長にして唯一の社員だ。──エルベルってんだ、エルって呼んでくれ」
改めて握手を交わした二人は互いに微笑みあった。
今回一週間の滞在をするにあたり、各種移動の手配をしてくれる現地マネージャーを探していたところ、この彼・エルの名前が候補に挙がった。
恩師でもある教授からの推薦ということもあって素性は確かではあったが、まさかこんなにも若い人物とは思わなかった。
「その教授さんってのと付き合いがあったのは親父の方だろうな。残念ながら親父は腰がイカれて引退しちまった」
「それじゃあ船の方は?」
尋ねるリットの真意は、今回の調査においては島々を巡る調査船の手配もまたこのエルの会社が引き受けていたからにあった。
その元経営者が業務を離れているとあって、船は誰が運転するものかという不安に駆られての質問であったが、
「心配するなァ、船舶免許は俺も持ってる。陸も海も運転には自身があるぜ。オマケにセスナだって操縦できるんだ。……もっともこっちの方は無免だけどな」
そういって快活に笑うエルに、まだ初対面の緊張が解けないリットはどうにも愛想笑いがぎこちない。そもそもが人付き合いからして得意ではない方だ。
この時エルもまたそんなリットの他人行儀な空気を察していた。
顧客(ビジネス)の付き合いなどはドライであるべきなのだろうが、どうにもリットは同年代ということもあり何かと世話を焼いてやりたい気持ちにエルは駆られた。
そんな想いもあり、リットの荷物をタクシーのトランクに詰め込んで出発するや、
「腹減ってないかリット? いっしょに晩飯でもどうだ?」
そんな誘いをエルはリットへとした。
それを受け、当のリットもまた面食らったようではあったが、これからの一週間を共にするパートナーとの親睦を深めたいという思いはリットにもあったのだろう。エルの誘いに小さく頷くと、
「夕食は機内で済ませたから、少し吞みたいかな。良かったらそれに付き合ってもらえると嬉しいんだけど」
「決まりだな! それならいい店知ってるぜ。知る人ぞ知るアローラ最高の場所へと連れてってやるよ」
リットの返事に気を良くしたのかエルは運転の速度を上げた。
この時リットはてっきり居酒屋やあるいはレストランのような場所へと向かうものだと思っていた。
しかしながら車は郊外へと出て数分──街の明かりから遠ざかり、辺り一面暗闇のハイウェイを走り続けるに至りリットは疑問を持ち始めた。
手間を考えたのならばホテルもある街中で店を探した方がずっと種類も豊富で気楽であろう。
それをわざわざ街から離れ、数分を費やして移動するエルの意図をリットは測りかねていた。
そんな折、まだ出会って数分とも経っていない人物を手放しに信頼しても良かったのだろうかという疑心暗鬼にすら捕らわれかけたその時、
「見えてきたぜぇ……この世の楽園がよ」
不意なエルの台詞に視線を上げれば、前方には暗闇の道路の丘陵からせり上がってくる何色ものネオンライトが見え始めていた。
近づくほどにそれは巨大となり、やがてその足元に辿り着く頃には──昼間にも劣らぬ眩さのそれをリットは茫然と見上げていた。
鮮やか……というよりはドぎついネオンライトのそこには、エンニュートをあしらったであろう電光看板がウィンクをするような明滅をアニメーションさせていた。
そしてそんなエンニュートの隣には、それに負けないほどの極彩色で煌めく巨大な店名──
「シアター……アロー、ラ?」
そう読み上げて茫然とするリットの肩へもたれかかるようにエルは肘を置いた。
「そう、『シアター・アローラ』。この地域で……いや、世界で最高峰のストリップ劇場さ」