※この作品はR-18です。

気持ちが通じ合った公爵令嬢と田舎貴族は契りを交わすそうです   作:品☆美

12 / 25
Another Lesson:獅子の懊悩

俺が壊れていく音が聞こえる。

いや、既に機能停止している筈の物が動き続けるならそれは何かが狂っているんだ。

あの戦場で俺は死んだ。

死んで生きる意味を失った。

漸く気楽な余生を送れると思っても壊れた心と体を抱えて生きるのは拷問以外の何物でもない。

半端に小賢しいからこそ半端に自分の末路を薄々と察せる。

死ぬのは怖くない。

ただ誰にも看取られず孤独に死ぬのは嫌だった。

叙爵されてから多くの人間が俺の元を訪れた。

その大部分が甘い汁を啜ろうという思惑を隠し善人ぶった仮面を着けて俺に近づく。

生憎とそんな思惑を見逃すほど俺は馬鹿じゃない。

馬鹿にされ続けた奴ほど他人の見下す視線に敏感だ。

むしろ傷を負った俺を見て嫌悪感を隠そうともしない高慢な貴族令嬢の方が信用できるから笑える。

誰も信用できない、誰も頼れない。

恐怖と痛みを薬で誤魔化し孤独を耐える。

せめて何かを遺したかった、俺という存在が確かに生きた証が欲しかった。

慣れない領地の経営に悪戦苦闘の日々を送る。

自分の至らなさを痛感しながらそれでも足を止める事が出来なかった。

そんな世界に絶望している俺の前に幸運の女神が舞い降りた。

黄金より輝く髪、紅玉より赤い瞳、彫像より麗しい貌。

存在その物が美しく他の存在を圧倒していた。

生まれついての貴族という存在は文字通り格が違う。

美しさも賢さも政治力も何もかもが違った。

俺が必死で悩み続けた問題をいとも簡単に解決する。

その鮮やかな手並みには嫉妬する暇すら無い。

きっと俺を憐れんだ神が与えてくれたのが彼女だと半ば信じてる。

だから、俺はコイツを幸せにする。

せめてコイツが泣かずにいられる場所を創ろう。

それが俺が生き残った理由だと察した。

俺は物語の端役(モブ)に過ぎない。

重要人物だった彼女と端から釣り合いが取れていないのは自覚している。

それでも、死ぬ時に俺の傍に彼女が居てくれる事だけが望みだった。

 

※

 

気が付いたらアンジェを抱き締めていた。

自分でも抱きしめた記憶が無いのにいつの間にか俺の腕の中にアンジェがいる。

服越しでも分かる柔らかい感触と香水とアンジェの体臭が入り混じった匂いが鼻をくすぐる。

このままキスをしたい衝動に駆られたが紅い瞳が俺を鋭く見つめていた。

最高級の紅玉にみたいな赤い瞳が血に染まったように暗さを増す。

怖い、本当に怖い。

ただでさえアンジェは釣り目がちなのに絶対零度の視線で見つめられると体を切り刻まれるような錯覚を覚える。

助けて、俺の嫁さん超怖い。

ゆっくりと首を回して家族に救いを求める。

兄貴は頭を抱えてる。

姉貴とフィンリーは呆れた顔で俺を見る。

コリンは視線を逸らし何も見てない素振りをする。

母さんは事情を知らないから微笑ましく眺めてる。

父さんは親指を立てガッツポーズをしてる。

ダメだ、バルトファルト家の奴らは頼りにならない。

こうなったら最終手段。

ライオネル!アリエル!パパのピンチだ、ママを止めてくれ!

縋るように我が子を探すとライオネルは此方を見向きもせずに寝ているアリエルをつついている。

うん、分かってた。俺を助けてくれる奴は何処にもいない。

二の腕を掴まれゆっくりとアンジェを抱き締めている腕を開かされる。

力は大して込められていないが気迫で圧し負け、敢え無く俺とアンジェの体が離される。

沈黙が重い、この場の雰囲気を支配してるのは間違いなくアンジェだ。

 

「義父上、義母上」

 

声色は優雅に、しかし有無を言わせない威厳を放ちながらアンジェが両親に声を掛けた。

 

「しばらくライオネルとアリエルを預かっていただけないでしょうか?」

 

父さん達にそう告げた後、アンジェは扉に顔を向け首を動かす。

どうやら俺は逃がしてくれないらしい。

溜め息をつきたいが下手に刺激して怒らせるほど俺も察しは悪くない。

エントラスをゆっくりと出るアンジェを追うように歩き出す。

手入れの行き届いた廊下は綺麗に磨き上げられ窓から入る陽光を反射している。

この屋敷の女主人たるアンジェの指揮能力の高さが窺い知れる。

盗み見るようにアンジェの後ろ姿を見つめる。

結った髪とドレスの隙間から覗くうなじ、女性らしい体格が見て取れるなだらか肩、出産後に肉付きがよくなりスカートの上からでも柔らかそうな臀部。

まだ腕に残る抱き締めた時の感触が思い出されて体の一部に熱が籠る。

我ながらどうしようのないなと苦笑してしまうが数ヶ月ぶりに触れあった愛妻にクラッとするのは仕方ない、仕方のない事なんです。

バカな思考をしているうちにアンジェの足が止まる。

目の前には執務室の扉、どうやら説教は此処で行われるらしい。

屋敷の主が腰を据える場所なだけに執務室は安全を考慮した設計だ。

窓は外からの攻撃を防ぐ防弾ガラス、扉も軽量化された硬質成型素材、鍵は外から空けるのが困難な特殊設計。

誰だよ、こんな設計したの。外からの攻撃を防ぐけど中から逃げられないだろ。

そう心の中で毒づくがこんな改修を提案したのはアンジェで許可を出したのは俺だ、過去の俺の馬鹿野郎。

執務室に入るとアンジェは丁寧に施錠し始めた、これでもう俺は逃げられない。

長めの説教は勘弁願いたい、久々に会った嫁にガチ説教されたら心が死ぬ。

そう身構えるがいつまで経っても何も起きなかった。

かと言って振り返ってアンジェの姿を見れるほどの度胸を俺は持ち合わせていない。

身構えてると背中に柔らかい物が触れた、さっき触れたアンジェの肢体と同じ感触だった。

やがて背中が伝わってくる震えと嗚咽からアンジェが今どんな状態か分かる。

振り返る事は出来ない、何を言えば良いか見当がつかない。

元々俺は女の扱いが上手くない、悲しい事にアンジェと結婚するまで正式に付き合った女は一人も居ない。

こんな時に気の利いた台詞を素面で囁けないからダメな奴だと言われるのも自覚はしている。

覚悟を決めて口から言葉は紡いでいく。

 

「アンジェ、ただいま」

 

変哲のないただの挨拶、思えば従軍する朝に挨拶すらしていなかった。

 

「…………おかえりなさい」

 

腕が回されてさっきまでとは逆に俺がアンジェに抱き締められる。

より密着するとアンジェの豊かな胸が背中に押し当てられた。

こういう時に素直な反応を示す体の一部分が羨ましくなる。

父さんが言ったように抱き返してキスして愛してると言える素直さが俺に在ればマシなんだが、生憎と俺の性根はひん曲がってる。

泣かないでくれよアンジェ、誰かに泣かれるのが俺は一番堪える。

 

「あ~~、その、なんだ、無事に帰ったぞ」

「うん」

「もしかして怒ってるか?」

 

間の抜けた質問だが俺にはわざとおどける位しか会話を進める事しか出来ない。

 

「凄く怒っている、よくも私に挨拶も無く出陣したな」

 

声は優しいが恨みがましいアンジェの反応が帰ってくる。

うん、その方が何も言われないまま泣かれるよりずっとマシだ。

 

「気持ち良さそうに眠っていたから起こすのも気が引けたんだよ」

「目が覚めたらリオンが居なくて焦った。もう二度と会えないかと思った」

「アンジェが起きてたら決心が鈍るじゃん」

「むしろ鈍って欲しかった、私達を護ってもらうより私の隣に居て欲しかった」

「そうなるから声をかけなかったんじゃん」

「毎日祈っていた、お前が無事に帰って来るように心の底から神に縋った」

 

そう言ってアンジェはさらに力を込めた。

 

「ごめん、二度としないから許してくれ」

「嘘だな、リオンは同じ事が起きたら次も自分一人で解決しようとする」

 

信用無いなぁ俺、まぁ家族を守る為ならまたやるつもりなんだけど。

漸く落ち着いたアンジェが腕を緩めてくれた。

振り返ると泣き腫らした顔のアンジェがさっきとは違い優しさを湛えた瞳で俺を睨んでいた。

美女ってのは泣いたり怒ったりしても絵になるから羨ましい。

 

「おかえりなさいリオン」

 

気品に満ちた所作で恭しくアンジェがお辞儀をする。

 

「ただいまアンジェ」

 

優しくアンジェを抱き締め頬にキスをする。

こうして俺はバルトファルト領への帰還を果たした。

 

【挿絵表示】

 

※

 

シャンデリアに灯る光がホールを照らす。

着飾った貴族が和気藹々と会話している光景をホールの端から眺める。

王城で行われる祝勝会に招かれるのはいずれも名のある貴族か戦功を上げた軍人だ。

和やかな雰囲気の裏で腹の探り合いが行われている。

口調と振る舞いは優雅だが瞳の奥に獲物を狙う獣のような欲望を少しは潜めようとは思わないのかね。

こんな催しに参加したくなかった、さっさと帰って嫁と子供達に会いたくて仕方ない。

俺を強引に参加させたレッドグレイブ公爵と嫡子であるギルバート義兄さんが取り巻きの応対に明け暮れる隙に退散させてもらいたい。

公爵としては娘婿の俺を王都の連中に引き合わせて顔を繋ぎたいらしいがありがた迷惑だ。

ワイングラスに注がれた酒を舐めるように呑む。

おそらく高級品なんだろうが、普段飲んでる酒との違いが分かるほど俺の舌は肥えていない。

この場に居ても場違いなだけだ、早く帰りたい。

何やら歓声が起きてそちらを向くと一際目立つ集団が視界に飛び込んで来る。

集団の中央にいる青髪の男には心当たりがあった。

アンジェの元婚約者であるユリウス・ラファ・ホルファート殿下だ。

にこやかに応対するその姿はなるほど、一国の王子として申し分ない振る舞いだろう。

俺にとっちゃ嫁であるアンジェの元婚約者というだけで近づきたくない男だが。

気配を殺しゆっくりと移動する。

今まで誰も俺に気を留めないのだからホールの隅へ移動しても問題ない筈だ。

公爵と義兄が視界に入るギリギリの距離を保ちつつ時間が過ぎ去るのを願う。

誰も俺に注目しないのが逆にありがたい。

俺に話しかけてくる連中は成り上がり者と蔑むか、利用しようと媚びへつらうか、偶然で出世したと妬むかのいずれかだ。

わざわざ不快な思いをしてまで応対なんてしたくない。

そうして壁の染みに徹してると王子の一団が此方に向かって来た。

傍の奴らに絡まれても嫌だから離れるように移動する。

すると俺が動いた分だけ王子達も移動してくる。

何だよお前ら?俺みたいな奴に用はないだろ。

敢えて気付かない振りをして会場を移動してるのに追って来る。

隅の方に一人で居たのが仇になり完全に逃げ道を塞がれた。

観念して身形を整える、公爵家が用意した急拵えの礼服だが無礼にはならないだろう。

面倒臭くて出そうになる溜め息を何とか噛み殺し背筋を伸ばした。

 

「リオン・フォウ・バルトファルト子爵だな」

「はい、殿下」

 

俺が首を垂れて返答するのと同時に会場の視線が一斉に突き刺さる。

正直相手をしたくないが不敬と言われて問題を起こすのも嫌だ。

頭を下げていれば嫌そうな俺の顔を見られずに済む、後は地獄のような時間が過ぎるのを待とう。

 

「顔を上げて楽にして良い」

「はっ」

 

どうやら俺の目論見は達成されないようだ、ゆっくりと顔を上げ王子を見据える。

視界に飛び込んで来たのは今まで見た事も無いような美男だった。

上流階級でも顔の美しさは大いに価値を持つ。

血を重ねると共に美しさを取り込んでいく上流階級は時代が下るほど美しくなるという俗説は本当らしい。

ふと領地に残っているアンジェを思い出す、アイツも俺には勿体ないぐらい極上の美女だ。

 

「卿の活躍は私も耳にしている、先の戦と此度の戦に於ける活躍は見事であった」

「ありがたき幸せ」

 

別に今回は大して活躍してないけどな。

俺の指揮下になった部下の多くは俺の噂を聞きつけた奴らが多かった。

家柄の良い貴族子弟ばっかだったので恨みを買いたくないから損耗を出さないように配慮した。

とにかく堅実に、味方の犠牲者を出さないようにして無茶をしなかった。

前の戦争で俺に司令官を討ち取られた公国軍は逆に俺が奇策を使うと思い込んで過剰な追撃を控えた。

その結果が戦況の硬直を招き、未熟な兵を纏め上げ前線を維持する若き戦術家なんて評価をされる羽目になる。

大声で否定したいがそんな事が出来る訳もない、ただ黙って会話が終わる事だけを願う。

気まずい沈黙が流れるが俺から声を掛けるのは不敬だ、さっさと切り上げて別の所へ行ってくれ。

 

「おやおや、何やら面白い光景ですな」

 

そう言って会話に割り込むのはレッドグレイブ公爵だった。

こっちの会話に入って来ないでください、ますます状況がややこしくなるじゃないっすか。

 

「殿下、あまり当家の婿殿を揶揄わないでいただきたい。このような催しに未だ不慣れな無作法者ですので」

「緊張を解してやろうと思っただけだ、他意は無い」

「殿下の不興を買っては一大事です。咎無く裁かれるような事になれば取り返しがつきません」

「そんな事はしない」

「老臣からの諫言として受け取っていただきたい、良薬は苦き物です」

 

何とも優雅で和やかな会話ですな、嬉しくて舌打ちが出そうだよ。

二言三言で会話を打ち切った王子はそのまま引き揚げる、流石に公爵と張り合うには年季が足りない。

 

「私の居ない所で他の者と接触するのはいただけないなバルトファルト卿」

 

公爵の説教は俺にまで飛び火しそうだ。

 

「同じ歳だからといって絆されてはならん。王家に関わると要らぬ誤解を招く」

「おれ…、私から声を掛けた訳じゃありませんよ。公爵が私を同行させなければこんな茶番は起きません」

「敵情視察は戦に不可欠だ。片時も油断してはならぬ」

 

よりにもよって敵ですか。

王家と公爵家の関係がこれほど関係悪化してるとは思わなかった。

本当に勘弁してくれ、俺はただ穏やかに暮らしたいだけだ。

グラスに注がれた酒を一気に飲み干す。

喉と胃に燃えるような感覚が襲って来るが酔える気配は一向に訪れなかった。

 

※

 

嫌な光景を見て目が覚める、最悪の寝起きだ。

あれが夢なら良かったが生憎と現実で起きた変えられない事実。

せっかく家に帰って来たのにあの光景を夢に見るなんて。

記憶から消去する方法が切実に欲しい。

夫婦共用ベッドを見渡すがいつも俺の隣で寝ているアンジェの姿は其処に無い。

既に起きたのか、それとも別室で寝る子供達と一緒なのか。

昨日は食事を済ませ風呂に入りベッドに横たわっただけで眠りに落ちた。

疲労が蓄積していたらしい。

数ヶ月ぶりにアンジェの柔らかい体を抱き枕にして寝ようと思ったのに。

頭に残る眠気を振り払うように首を動かしてベッドから下りようと体を動かす。

 

「……あれ?」

 

体が重い。四肢に力が入らない。頭がクラクラする。

休息は取った筈なのに疲労が体に残っている、むしろ寝る前より体力を消耗している。

ゆっくりと体を起こそうとするがそれも面倒くさい。

呼び鈴を鳴らせば待機した家人が来るがその為に動く事が億劫だ。

ダメだ、眠気と倦怠感が同時押し寄せて来やがる。

そのまま思考を放棄して目を閉じた。

 

額に冷たさを感じて目を開く。

いつの間にか二度寝してしまったらしい。

窓から入る陽の光から昼近くだとは分かる。

思考が覚束ない、こうなったのはアンジェとの結婚前以来だ。

 

「起きたか」

 

顔を横に向けるとアンジェが心配そうに俺を見ている。

何か言わないと。

そう思うのに俺の口からは出るのは苦し気な呼吸音だけだ。

 

「無理をするな」

 

そう言ってアンジェに手を握られると伝わる体温が温かくて気持ちいい。

 

「苦し気に魘されていたから医者を呼んだ。無理して従軍していたが領地に戻って緊張の糸が切れたのだろう。過労という診断だ」

 

そうか、思いの外疲れていたらしい。

戦闘は昼夜問わず行わていた上に王都であんな光景を見たんだ、そりゃ魘されもするだろうな。

アンジェが優しく頬を撫でてくれる。そのまま寝てしまいたいが熱の籠った体のせいですっかり目が覚めてしまった。

 

「ほら、薬を飲め」

 

医者が処方したと思わしき錠剤を手渡された。

ただでさえ戦時中は睡眠薬や眠気覚ましの世話になったのに此処へ来てさらに薬の数が増えた。

口の中へ放り込み噛み砕いて水で強引に流し込む。

 

「不味い」

「良薬は口に苦い物だ」

 

そういうアンジェの口振りから王都での出来事が思い返される。

思えばアンジェはあんな宮廷を見ながら成長してきた筈だ、俺とは度胸も教養も桁が違う。

 

「……どうした?」

「何でもねぇ」

 

訝し気に見つめて来るアンジェから顔を逸らす。

アンジェの美しさが王都の華やかさと同じ物に見えてしまった。

どうやら心が相当まいってる状態らしい。

 

「子供達は?」

「元気に遊んでいる。そろそろ教育係を選ぼうと考えているがどう思う?」

「まだ一歳だぞ」

「もう一歳だ。なるべく早い方が慣れるのも楽だ」

 

おそらくアンジェ自身もそんな風に育てられたんだろう。

平民同然の俺とは生きてる世界が違い過ぎた。

 

「その話題は後にしよう、領地で何か起きなかったか?」

「緊急性の高い問題は無い。幾つか決済が必要な案件もあるが体を治す方が先決だ」

 

アンジェが再び俺の世話を始めるが妙に厭わしく感じてしまう。

おかしい、アンジェは俺を心配しているだけなのに。

 

「俺は平気だからさ、アンジェは仕事に戻りなよ」

 

優しく声を掛けるが実際は他人が傍にいるだけで心が騒めく。

とにかく一人になりたかった。

 

「何かあったらすぐ呼べ」

 

俺を不安そうに見つめながらアンジェは部屋を出て行く。

姿を消えるのを確認して天井を仰ぎ見る。

アンジェは俺に勿体ない位いい女だ、本来は王妃になっていたのも頷ける。

そんな女に愛されるなら男としてこれ以上の幸せは無い筈だ。

なのに不安が拭えない、心の奥に何かがつっかえる。

薬が効き始めたのか瞼を重く感じ始めた。

もう何もかもが面倒くさい、いっそこのまま消え失せたい。

捨て鉢な心を抱いたまま俺は意識を手放した。

 

※

 

俺とアンジェの寝室には洗面所と風呂とトイレが備え付けられている。

食事さえ確保できれば部屋から出ずに生活するのも可能だ。

アンジェが人払いを命じたんだろう、俺を訪ねる奴は家族を除いて居なかった。

家族が見舞いに来ても生返事を繰り返してしまう。

とにかく気力が出ない。何かしなくちゃと足に力を込めようとしても手足が萎えたように動かない。

アンジェは甲斐甲斐しくそんな俺の世話を焼いてくれた。

戦争で離れていた期間を埋めるように楽しげに俺の世話をする。

自分の仕事もあるだろうに暇を見つけて俺が眠る寝室を訪ねて来た。

そこまでアンジェにされているのに惰眠を貪る俺自身が嫌になる。

薬を飲み、食事を摂って、眠りに落ちるのを繰り返す日々を送った。

徐々に体力は回復していくのに気力はいつまでも衰えたままだ。

精力的に仕事を熟すアンジェを見ていると自分の価値が分からなくなっていった。

ふと怪物について記した教本で知った獅子の生態を思い出す。

獅子の雄は外敵からの防衛を担うが普段は何もしない。

群れの維持を担当するのは雌で狩り・子育てを担当する。

雄は単に防衛機構であり子孫を遺す為に道具に過ぎず、群れを実質支配しているのは雌という訳だ。

まるで今の俺と同じじゃないかと苦笑いが込み上げてくる。

このバルトファルト領にとってアンジェは必要不可欠な存在だが俺は代替可能な領主に過ぎない。

それが俺の能力の限界であり王国の政治の一部分を担えるような才能なんか持ち合わせない。

王家も公爵家も俺に何を期待しているのか分からない。

或いは手放したアンジェの才能が今になって惜しくなったのか。

そんな自問自答を繰り返す日々が暫く続いた。

領地に帰還して六日の夜に漸く体力は元通りになったが、心の方は相変わらず落ち込んだままだ。

さっさと復帰しなければ領地の経営に支障をきたす。

何よりアンジェに見限られるのが怖い。

ゆっくりと体を解して立ち上がり風呂を目指す。

着ている寝間着を乱暴に脱いで蛇口を捻ると温かい湯が少しずつ小さな浴槽を満たしていく。

その光景を眺めながらふと視線を感じた。

周囲を見渡すと顔に傷を負った男が俺を睨んでいる。

それは鏡に映った俺自身だ。

 

「何者なんだよ、お前は?」

 

疑問が口から漏れ出すが鏡に映った俺は何も答えてくれない。

リオン・フォウ・バルトファルト。

凡人より少しだけ要領が良く幸運としぶとさが取り柄の成り上がり者。

それが俺と言う男の本質だ。

どう足掻いても国の政局を動かすには力不足で半端な存在。

そんな男をどうして公爵令嬢だったアンジェが愛してくれるのか分からない。

出会いは最悪だった、見た目が良い訳でも能力が優れてる訳でもなく性格も悪い。

正直言えば惚れる要素が皆無だ。

王都の祝勝会で見た王子の姿を思い出す。

物語に登場する王子様ってのはああいう存在なんだろう。

そんな存在に自分がなれない事など先刻承知だ。

アンジェと、ライオネルと、アリエルが幸せならそれで良い筈だ。

なのにアイツらを幸せに出来る自信が無い。

公爵は俺を中央に呼び寄せて自分が執り仕切る政務の一部を俺に任せる腹積もりだ。

俺にそんな力量は無い。

だが王都で育ったアンジェにとって公爵家は懐かしい実家だ。

ライオネルとアリエルの将来を考えたら公爵家を頼るのは悪くない選択だろう。

だが、それは紛れもなく家族が中央の政局に巻き込まれる。

そんなのは御免だ、なのにどう足掻いても逃げられない。

寝込んでいる間ずっと自問自答をしているが結局答えは出なかった。

馬鹿な俺の頭では結論は出ないが、安易にアンジェを頼るのも気が引ける。

水音が鼓膜を揺らしたので浴槽を見ると湯が溢れていたから慌てて止めた。

湯に浸かって力を抜くと汚れや汗が湯に流され乾いた肌が少しずつ潤っていく。

敢えて何もしないでボーっと天井を見る。

俺はいつからこうなった?

この間まで世界は至極単純で目の前の問題を解決すれば良かった筈だ。

なのに今じゃ何をしてもあちらを立てればこちらが立たない。

やたらバランス感覚を要求され自分の意思で何も出来ない。

いっそ逃げ出した方が楽なのに家族がいるからそれも不可能だ。

心を擦り減らして生きるだけの意味が分からない。

ゆっくりと息を吸い肺に空気が溜まったら湯に顔を沈める。

 

『アァ~~~~~ッ!!!!』

 

誰にも聞かれないように叫んだ悲鳴は湯に融けて排水口へ流れていった。

 

風呂から上がると多少は心が落ち着くから現金なもんだ。

明日の朝はアンジェに声をかけて仕事を始めよう。

少なくても悶々と悩みながら寝てるより遥かにマシになるはずだ。

そう思って寝室に戻るとベッドの上で何かが動いている。

夜のこの時間帯に寝室を訪れるのはアンジェしかいない。

俺が寝込んでから子供達の部屋で眠るようになってたけど俺が心配になって見に来たんだろう。

流石は如才ない出来た嫁さんた。

だがベッドに近づくと異様な光景が目に入る。

布団に被ったアンジェが頭すら出さずそのまま動く、ベッドの上を丸い塊が転がるように移動していく。

というか俺が近づくと逆方向に逃げる。かと言って部屋から出ようとはしない。

いい加減焦れてきたからゆっくり接近し徐々に逃げ場を塞ぐ。

次の瞬間、素早く動いて布団と端を掴んだ。

そのまま布団を引き剥がそうとするが強い力で抵抗される。

何だよこの状況?何で布団を綱引きしてんだ俺達?

一気に力を込めて布団を引っ張った。

宙を舞う布団が床に落ちるとアンジェの姿が露わになる。

猫耳紐ビキニを着た俺の嫁がベッドの上に横たわっていた。

 

【挿絵表示】

 




成り上がり貴族リオンの苦悩編。
チートを持たないリオンが政治に関わったら伏魔殿な宮廷で苦労するでしょう。
あと物語の重要人物とモブの超えられない壁に苦悩するリオンをどうしても書きたかったんです。
どうも私がリオンを書くとついつい苦難に会わせてしまうので加減が難しい。

追記:依頼主さんによってsoba様、祐稀桜様、あめば様が挿絵イラストを描いてくださいました、ありがとうございます。
soba様 https://skeb.jp/@SAZ_LaughMaker/works/49
祐稀桜様 https://www.pixiv.net/artworks/109617882
あめば様 https://www.pixiv.net/artworks/112993106
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。