※この作品はR-18です。

彼女には向かない業(月光照明4)   作:氷菓くん

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01 彼女には向かない業 一

 旅行から帰ってきた日の夜、食後にりんごを切って出してくれたルカトゥがおもむろに言った。

「ところで先生ぇ、ミミの真似はいつするんですかぁ」

「えー、……早くやりたい?」

「ん〜」

 ミミとはルカトゥの考えた架空のキャラクターで、ほぼ彼女自身のことである。わたしが日々描き進めているエッセイ漫画「ゆめ魔にっき」にはいずれミミの件も載せることになるので、その後の展開として「ミミの真似をするルカトゥ」を「用意」しよう……という話を、ゆめ魔にっきの執筆開始当初からルカトゥにはとりつけていた。

 あれからふた月近く経った現在、私はまだその話を実行に移していない。なんというか、その話を実行に移す必要性はまだ差し迫った物ではないし、内容が内容だから、実行に適切なタイミングという物を見つけ損ねていたのだ。

 「ミミの真似を用意する」が意味することは、平たく言って「私がルカトゥに暴力を振るうこと」である。その暴力をもって私は、「ミミは無敵」と同じような悲劇はもう私たちの間には起こらないことを証明し、ルカトゥの無敵性に対しての信頼も表そうとしている。……だけどそれはもちろん気軽に出来たことではなく、心構えが要る。

 一方でルカトゥはシャクシャクとりんごを食べながら、自分が負担を強いられようという話について、ものすごく軽く捉えているように見えた。彼女は何気ないことのように言う。

「やってみたい、興味津々、っていうのもありますけど〜。そろそろ協力してくれる人たちが、その話のことを忘れかけてるような気がするんですよねぇ」

「協力……? ……あぁ、男の人たちか」

「そうそう〜。一応、その時が来たらよろしくです〜とは言ってあるので〜」

「そっか、それは確かに待たせると悪いね」

 ミミの真似は、そもそもまずルカトゥがレイプ(という体のシチュエーション作り)をされるところから始まる。それには当然男性の協力者が必要となる。「食事」としてルカトゥはしょっちゅう知人男性とセックスしているらしいから感覚が麻痺していたけれど、確かに協力者たちにとって「友達の友達が企てる謎の乱交計画に協力する時がいつか来る」という状況は精神的な負担になってしまうような気もする。もし私が逆の立場だったら「ところであの話はどうなったの?」とルカトゥに聞いているだろうし、実際そのように聞かれたから、今こうして計画者のもとにまでその声が届いているのかもしれない。

 寝かせたからといって話が面白い方向へ動くというわけでもないし、ここが腹の括りどころだと感じる。ルカトゥの無敵性に対する信頼を日頃から雑に上げていくことも我ながら順調に出来ているように思うし、いよいよもって機は訪れたのだろう。

「じゃあ、もうすぐにやっちゃう? 協力してくれる人たちの予定がつく日に」

「やっちゃいましょ〜? ちなみに最速だと明日ですけど、どうですかぁ」

「はやい。いいよ」

 おそらくルカトゥが何らかの話を持ち出す時、それは「即決断すなわち即実行」を実現させられるようにお膳立てされた状態で持ち出されているのだろうな……と今になって思う。入れ替わりの件の時からついさっき終えた魔界旅行の時までそうだ、いつもそういう風に話が組まれている。ルカトゥばかりが根回しの苦労を背負い、私はいつも楽をさせてもらっているわけだ。……そのように甘えとは、目に見えるところでばかり成立しているものではない。ことルカトゥ相手では、それを今さら特別ありがたがるのも白々しいけれど。

 そういうわけでその次の日の夕方、私は「食事」に出かけたというルカトゥからの連絡を待っていた。彼女とは昨晩のうちに計画の詳細を綿密に詰めてある。やろうとしていることの内容が内容なので、万が一にも事故が起こらないように台本も用意した。おかげで「事故」とは「台本にないこと」だと明確に定義できる。

 また、私とルカトゥが話し合ったことのうち、特に重要なのは「カット」についてだった。

「私が「カット」って言ったら、演技はやめてもらうってことでいい?」

「はい、了解ですぅ」

「逆にルカトゥ側のセーフティワードも「カット」ってことでいいよね」

「いいですよ〜」

 セーフティワードとは、主にSMプレイなどの際に使われる「本気のNG」を伝えるキーワードのことである。「やめて」とか「嫌だ」という言葉をプレイを盛り上げる演出として使いたいけれど、それはそれとして本気でやめてほしい時のサインも決めておかなければ困る……という事情からそういう概念が存在していて、今回は「カット」の一言がそれを担うわけだ。

 また単なるSMプレイとは違い、ルカトゥという女優を相手取るに当たってこちら側の抱える懸念に「演技の切れ目を見失う可能性」がある。セーフティワードによってNGとそれ以外の区別はつくけれど、役に入り込んだルカトゥが一向に素面に戻ってくれなくて困る……ということが起こらないように、「はい、おしまい」の意味でこちらも「カット」という言葉を使う。……つまりはとにかくお互いが「一言で全てを止める権利」を持つことにしたのだ。それだけ念をおしておけばどんな事故もきっと……少なくとも紙一重のところでなら避けられるだろう。

 それらの取り決めに加えて台本も用意して、万全の状態でルカトゥからの連絡を待つ。……するといよいよスマホに通知があった。この時のために作ったルカトゥと私だけが所属する新規のグループLINEにメッセージが入る。

 

「たすけて」

 

 できるだけ近場のラブボを示す住所と共に送られてきたその一言は、一字一句違わずきちんと台本通りだった。急遽マジのトラブルが起こっているなんて可能性は万に一つもない。私はそれを確認してから家を出た。……着替えはルカトゥがあらかじめ持参して行ったので持っていく必要がない。

 小走りで現地に到着する。指定された部屋に行くと手筈通り鍵が開いていた。

 扉を開き中に入ると、若干の異臭が鼻をつく。汗の臭いだろうか……? いったい何時から何人の協力者を呼んでいたのだろう……と、彼女の本気具合に妙な感心をさせられる。

 そんな部屋の中、シーツの乱れたベッドの上に、息も絶え絶えといった様子でうつろな目をしたルカトゥが裸に剥かれ放置されていた。その体にはあちこちに痛々しい痣が浮かび、顔や胸や脚を手当り次第に精液らしき物で汚されている……。

 AV作品の中で同じような光景は何度か見たことがあるけれど、いま目の前の出来事としてそれを見ると、AVの健全性は「同意」にあるのではなく「事後のケア」の方にあるのだということを実感する。

 いくら同意の上のことであっても、暴力に限りなく近いプレイを受けた相手のことを放置して帰ってしまったら、それはレイプとほとんど変わりないことなのだ。私が足を踏み入れた現場には、そういった「事件性」が正しく作り出されていた。

「ルカトゥ……?」

 声をかけると、ルカトゥはそこで初めて目だけで私の方を見た。涙と汗と乾いた精液でぐちゃぐちゃに汚れた顔の彼女が、よろめくようにその身を起こす……。

 台本通り、彼女はそのまますすり泣き始めた。

「せんせぇ……。うぅ……せんせぇ…………」

「どうしたの?」

「わたし……こんなにつらいと思ってなくて……。こわかった……、こわかったです…………」

「そっかぁ……。無敵なのに怖かったの?」

「うぅ、ごめんなさいぃ…………」

 ぼろぼろとこぼれる涙を手のひらで拭いながら、ルカトゥは私にただ謝る。……もちろん全て台本通りに。

 さて、私はこのあと、彼女の腹を蹴飛ばさなければならない。蹴飛ばして「無敵なんだから平気でしょ?」と言う。ルカトゥはうずくまって苦痛に悶えるけれど、そこで私が「カット」の一声をかけると、演技をやめた彼女がピンピンした様子で素に戻る……という段取りだ。その段取りの完遂をもって、私はルカトゥの無敵性への信頼とミミの件の杞憂を表し、ルカトゥは自身の無敵性をさらに強く証明する。

 ……けれど私はそこで怖気付いてしまった。出来心でのイタズラならできたのに、彼女の無敵性を信じておんぶにだっこで生きてやるのだと……その練習をするのだと決めたはずの私は、その上でなお「これは出来ない」と直感してしまった。

 私はいざ現場に立ってみるまで、あることを完全に失念していたのだ。それは、たとえサキュバスが物理的に不死身で、なおかつルカトゥは精神的に不死身なのだとしても……従って全てが無問題なのだとしても、それでもなお「友達に怪我をさせること」を好ましく思わないという非常にノーマルな感覚が、自分の中にもあったのだということ。

 ロクに人に暴力を振るったことのない私が適当なことをすれば、うっかり当たりどころが悪かったり力加減を間違えたりして、ルカトゥに「すぐに治るし本人は一切気にしない怪我」をさせてしまうかもしれない。問題の有り無しに関わらず、それが本能的にものすごく嫌なのだということに、私は今になって初めて気がついた。

 泣きはらした瞳のルカトゥが、棒立ちになった私のことを不思議そうに見つめてくる。それは台本が飛んだ共演者を心配する仕草であるようにも見える一方で、次の瞬間に暴力を振るわれるとは夢にも思っていない少女の無防備さであるようにも見えた。

 私は、彼女の両肩を掴んでベッドに押し倒す。「きゃっ」と普段では聞かない短い声が上がった。

 ベッドの上に立ち、無防備に仰向けとなった彼女の腹の上に足を乗せる。靴下越しに彼女の体温を感じながら、体重をかけないように注意しつつ、見下ろしたその瞳に「行くよ……?」とアイコンタクトを送る。

 ……ルカトゥは、これから何が起こるのか分からないといった不安そうな目をして、けれど確かに、頷くような長めのまばたきをしたように思う。

 私は、呼吸に合わせて上下するそのか弱そうな腹を、足元にまだ燻っているタバコの吸殻を見つけた時みたいに踏みつけにした。

 ……体重を乗せた瞬間、腹筋の固さというものはおよそ感じられなかった。

「うぐっ……」

 ルカトゥが顔を青ざめさせて背中を丸める。

 嘔吐こそしなかったけれど、うずくまったその体の震えが苦痛をありありと訴えていた。痛い……苦しい……という声が聞こえてきそうなほどに。

 涙声で……この世の全てに絶望したかのようなか細い声で、彼女は絞り出す。

「せ……先生ぇ……。うぅ…………な……なんでぇ…………」

「……か、カット! カットカット!」

 頭の上で手をクロスさせバツ印を作りながら思わずそう叫ぶ。するとルカトゥはその場でスクッと立ち上がった。

「あれ〜先生ぇ? 台本と違いましたよぉ?」

 意地の悪そうな調子でそう言う彼女の顔には、さっきまでの悲壮感が一切なくなっている。汗は引き、目元口元には余裕の笑みが浮かぶ。涙と体液の跡だけは未だ残っていたけれど、それが表す意味を見る者に想像させるだけの余地が、そこにはなかった。血糊をつけた俳優が談笑しているような雰囲気ばかりがそこにあった。

「いや、よく考えたらキックはいろいろ危ないかなって」

「びびっちゃったんですか〜?」

「そうだけど……。なんでそんな煽るの」

「イラッと来たら勢いでパンチくらい出来るかなぁって」

「しません」

「あははっ、しませんかぁ〜」

 笑いながら、ルカトゥはシャワーを浴びに浴室へと消えていった。水の音がひびくラブホの一室で、一人壁にもたれかかった私はこんなことを思う。

 自分はいったい何をしているんだろう……? 今日の日の計画を思いついた当初はそれを面白いと感じていたはずなのに、いざ実行に移してみるとそこにはこれといった感慨もなく、見ての通りあっけなく完結してしまうものだった。しかしそれも今思えば、当たり前といえば当たり前のことだったのかもしれない。殴りあったヤンキーの間に友情が生まれるようなことが、台本まみれのこの部屋の中で起こるはずもなかったのだと。

 さっぱりして出てきたルカトゥは、クローゼットの中のハンガーにかけてあった着替えに袖を通した。鼻歌交じりに尊厳を取り戻していく彼女に私は聞く。

「ねぇ、お腹大丈夫……?」

「え? はい、大丈夫ですよぉ?」

「いや、さっき思ったよりなんかこう、内臓をやっちゃったような気がして」

「全然ですよ〜」

「ならよかった」

 着替えが終わり次第、私たちは用の済んだその部屋を去る。エレベーターでロビーまで降りて、いくらか人目を気にしながら外に出た。

 家までへの帰り道はゆっくり歩く。その中で、まだイタズラな調子を完全には拭い去っていないルカトゥが、私の顔をにやにやと覗き込んできた。

「先生ぇ、どうでした〜?」

「どうって?」

「わたしのお腹踏んでみて、どんな感じでした〜?」

「どんな感じって言われてもなぁ……。……まぁ、なんかなんとなく、分かってたのかもなって思った」

「わかってた……?」

「このくらいだったらルカトゥは全然大丈夫なんだろうな、みたいなことが」

「え〜、全然そんな風に見えませんでしたけど〜? おっかなびっくりだったじゃないですか〜」

「それは演技が迫真すぎるせいでしょ」

 リアクションが演技だと分かっていても、私が彼女に暴力を振るったことは事実であるわけで。その事実ありきの目の前であの演技を見るのは、それだけでなかなかメンタルに来るところがあった。……けれどやっぱり、私はそれを致命的な物としては捉えていなかったように思う。

 もしも「これは演技ではないかもしれない」という思考が少しでも本気で脳裏によぎっていたら、その時の動揺の深さは、今日のような物では済んでいなかったはずだ。そういった意味でなら私は、ルカトゥのことをちゃんと信頼できていたように思う。

 だからある程度の自信をもって、私の方からも彼女に同じことを聞き返せる。

「ルカトゥはどうだったの? 実際にやってみて」

「う〜ん、そうですねぇ……。……ちょっと興奮したかもですぅ」

「えっ、なんで」

「だって、暴力なんかとは無縁そうな先生が、やるぞやるぞ〜って顔をしてわたしのこと踏みつけにしたんですよ〜? 期待してたのとは違いましたけどぉ、あれはあれで…………ねぇ?」

「……ルカトゥってだいぶマゾなの?」

「ん〜どうなんでしょう〜? わりとどっちでもいけると自分では思ってるんですけど〜、次は逆でやってみますか〜?」

「いや勘弁して……」

 自分はひどいことをしておいて、逆の立場に立つのは御免だと主張する。ルカトゥはそれを一言たりとも咎めずに「冗談ですよぉ」と笑った。……一方的に頼る、という根本的なところだけを抜き取ってみれば、それはいつも通りの私たちのやり取りと何ら変わりなかった。

 サドでもマゾでもどちらでもいける。そう表現されるとただの性豪のように聞こえるけれど、それはどちらか片方しか担当できないよりもずっと誠実なことなのかもしれない。一方的に暴力を振るったあとだからかそんな風に思う。これも罪悪感の一種なのだろうか……?

「なーんか、やっぱり暴力ってよくないな」

「気が滅入っちゃいました〜……?」

「うん、そんな感じする。加害者の方がなに言ってんだって話だけど」

「加害者だなんて……。わたし、興奮したって言ったじゃないですかぁ。ノーダメージですよぉ」

「だったとしても加害は加害だよ」

「む〜。そんなに暗くなるならぁ、もう先生は暴力禁止ですぅ! これじゃ先生の方が被害者ですよぉ!」

「言われなくてももうしないって。ラブアンドピースで行こう」

 そんな話をしているうちに家に着いた。手を洗ったりして落ち着いてから、私はスマホ片手にコタツで寝転がり、ルカトゥは夕飯の準備を始める。……さっき自分たちで起こした一瞬の非日常のことは、あっという間に浅い夢だったかのように思えてきた。まるで何事もなかったかのように、私たちはもう日常に戻ってきている。

 ルカトゥに関してはさすがの一言に尽きるけれど、私自身も難なくその日常感の中に溶け込めてしまっていることに、どこか漠然とした危機感を覚えないでもなかった。……あの時思い切り蹴り飛ばしていれば、今もまだモヤモヤとした気持ちが残っていたのかもしれない……と考えれば、それが言い訳にはなったけれど。

 いずれ、もしも心の底からルカトゥの無敵性を盲信出来るようになったら、その時の私は彼女を平気で蹴り飛ばして、その後何事もなかったかのように日常へ戻って来られるようになっているのだろうか? ……本当にそれでいいのだろうか? 彼女の無敵を信頼するにしても、もう少し良いやり方があるのではないか……?

 常識などという実体のない物を優先して、目の前のルカトゥの心を蔑ろにすることはもう辞めよう……と決めたはずなのに。暴力を振るう経験を得た今日の私は、どうしてもそのようなことを考えてしまう。迷いが生じてしまう。この道の先には、いったい何が待ち構えているのだろうかと……。

 ルカトゥの無敵性を信頼するにあたっては、非暴力の精神が想像以上に大事なものなのかもしれない。一方的に頼ると決めている立場だからこそ、それに気づけたことが今日の収穫だったように思う。ルカトゥだって決して踏まれ損ではなかったはずだ……。そう思いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近頃は、興味のあるアニメの録画は毎週かかさないでしつつも、その上でなお自分の曜日感覚が鈍ってきていることを感じる。ニートの生活をしていることで、学生時代ほど土日にありがたみを感じることもなければ、平日にしんどさを感じることもないからだろう。漫画家だった頃にも曜日感覚の狂いは多少感じていたけれど、今ある鈍りにはそれ以上のものがある。

 同居人が一般的な勤め人だったなら話は違っていたのかもしれない。しかし実際のところルカトゥの休日は不定期な物だから、なおさらこの家の中における曜日の感覚は衰えていく一方になる。……だから私はその日がいつ頃のことだったのかを正確には覚えていなかった。旅行から一週間は経った日だったようにも、二週間が経った日だったようにも思える。

 ある日の昼間、執筆作業をキリのいいところで切り上げて休憩に入った私は、その日休みだったルカトゥがぼーっと見ていた情報バラエティ番組を一緒に視た。そこではどういう流れでそうなったのやら、お笑い芸人とその奥さん、それから子どもの計三人が自宅に和気あいあいと集まって、餃子を手作りしていた。子どもはまだ小学校低学年くらいの歳頃に見える。

 その芸人はどうやらそれ系の作業が苦手なようで、ちょっと上手くできる娘から「パパ下手すぎ!」と煽られていた。……うちの父はこういうのは得意だったなぁ、と昔のことを思い出す。

「私もこれやったなぁ、子どもの頃。一つも上手くできなかった」

「あ〜。先生の、絵は描けるのに手先の作業は苦手なところ、結構謎ですよねぇ」

「いや餃子は根本的に三次元だから、あの波波の部分が一生意味不明で……。絵なら描けるのに波波も」

「大人になってからやってみたら、出来るようになってるかもですよ〜?」

「……やっぱりこの話もツイートにしてた?」

 ルカトゥは少し気まずそうに笑ってうなずいた。きっと昔の私はその話についてここまで書いていたのだろう。「中学生になったあたりから、楽しさより面倒くささが圧倒的に上回るようになって、我が家から手作り餃子は消滅した」。……それを書いた当時の私に、将来それが原因で友達に遠慮させてしまうことを想像しろというのも、さすがに無茶ぶりだけれども。

 その日の夕方、私たちは二人で餃子を作った。皮を買って餡をこしらえて、黙々と自分たちの手で今日の夕飯の主役を形作っていく。大人になった私は一つだけ賢くなっていて、「自分の感覚にとっては少なすぎる気がするくらい慎ましい量の具」を包むことが良い形に向かう方法だと知っていた。それは中学生になって以降の私が「手巻き寿司のコツ」としてたどり着いたライフハックの応用である。

 けれどそのライフハックをもってしても、やはりあの餃子特有の波打つようなひだは上手く作れなかった。刃文とかと同じで、そういうのは特別な訓練が必要な職人技なのではないかと思えてくる。いくら蛇腹に折ってくっ付けようとしてみても、私の作ったそれは頑なに平らな状態に戻っていくのだ。丸い生八ツ橋のような形になったそれには、努力の痕跡としてシワばかりが残る。

 一方でルカトゥは、ひだを作ることに関しては上手いものの、全体の形としてはシュウマイや小籠包を彷彿とさせる球形に近づいていた。ルカトゥだってなんでも完璧にできるわけではないのだなぁ……と、当たり前のはずのことをなんだか意外に思う。

「なんか、思ったよりむずかしいですねぇ……。テレビでは子どもがあんなに簡単そうにやってたのに〜」

「昔の私が心折れたのも分かるでしょ」

「たしかにぃ、リベンジならずですねぇ……。でも、一緒に出来て嬉しいですよ〜。先生が作る餃子、聞いたことはありましたけど、見たのは初めてなので〜」

「当時から一切成長してないクオリティでございますよ。化石クオリティ餃子」

「じゃあわたしのは隕石餃子で〜」

「あぁ、たしかに降ってきそうなフォルム」

 餡の入った底面が最も大きく、波打つひだに近づくほど細くなっていく丸い餃子が、宇宙から大気圏に突入するところを想像する。なんかそういうノリのCMとかならそのままおいしく焼けそうだと思った。

 本人たちとしては試行錯誤しているつもりなのだけれど、皿の上には一向に成長しないユニークな餃子たちが量産されていく。私は次第にクオリティよりも生産速度を優先するようになり、そうすると早く全ての仕事を終わらせたい気持ちが出てきて、だんだんと一度に使う餡の量が増えていった。

 球形問題を解決しようと、一度成形しきった皮を横に引っ張り伸ばしていたルカトゥが、無茶ぶりをされた皮がぷちっとちぎれたのを見て「あ」と小さく呟く。

 ……あまりにも平和すぎて、もしかしたら天国にはお花畑や天使のラッパではなく、この家の中のような光景が続いているのかもしれないと思った。

「ずっと餃子作りたいなーって思ってたの?」

「え?」

 作業に夢中になっていたルカトゥが顔を上げる。さすがに、そういうアピールのためにあの番組を見ていたのかもだとかは思わないけれど。

「家族としかやってないことに何があるのか、全然パッとは思い出せないんだよね。ルカトゥがいろいろ覚えてくれてるなら、このくらいのことなら片っ端から言ってくれれば、いくらでも出来るんだけど」

「あ、わたしも、今日のテレビで思い出したんです。……べつにチェックリストが頭の中にあるわけじゃないんですよ〜?」

「そうなの? 意外」

「へへ、漫画家さんにはかないませんよぉ」

「なんで急に漫画家」

「漫画家さんは、いつもアイデアが頭にたくさん入ってるじゃないですか〜。わたし、そういう風になれないんですよねぇ。なんかこう、「暖めておく」みたいなぁ、そういうのは苦手で〜……。いつも突発的になっちゃうんですよねぇ」

「へぇ〜。それも意外」

 本人の口からそれを聞いてみて初めて、今までルカトゥがしてきた印象深いアクションの数々を「そういう視点」で振り返ってみる。入れ替わり、家庭菜園、漫画原作、魔界旅行……。……あれらは全て「パッと思いついてやったこと」だったのだろうか。

 たしかに、いくら彼女が私のことを好きだといっても、体を入れ替えてみたいと常日頃から念願していたとは考えづらい。たまたまそういう魔法が使える人と知り合って、それから実行を考えた……と言われればそちらの方がしっくり来る。家庭菜園は今日のようにテレビを見たこと、旅行は母親から魔界での仕事を紹介されたこと、漫画原作は…………もしかして同人エロゲの脚本を一緒に考えたことがきっかけ?

 そう考えてみるとたしかに、ルカトゥはライブ感で動いているタイプなのかもしれない。過去のツイートを死ぬほど掘り返してくることとそれが矛盾せずに有ることが、直感的にはどうにも不可解だけれども。しかし理屈で考えてみれば何もおかしなことはない。彼女はいつも「思い出して」いるだけで、べつに片時も余さず執着しているわけではないということだ。

 そんなルカトゥが、今はそのライブ感によって餃子を量産している。……いつの間にか徐々に徐々に、彼女の作る餃子は正しい形へと近づいていた。

「先生ぇ、ところで、聞きたいことがあるんですけど〜……」

「なんだろ?」

「先生って、昔やった入れ替わりの件のことは、あんまり思い出したくなかったりしますか……?」

「え? いやべつに。漫画にもしたくらいだし、普通に思い出になってるけど。なんで……?」

「その、ちょっと相談……みたいな、聞いてみてほしい話がありまして〜。よかったらでいいんですけどぉ……」

「ふむ……?」

 いつになくかなり歯切れの悪い物言いに、こちらも自然と警戒してしまう。このタイミングでどこからそんなに言いづらい話が出てくるというのだろう……? 入れ替わりの件に関係があると言われてもまったく見当がつかない。……もしかして「再度」のお誘いだろうか?

 彼女の方が手を止めたから、私も餃子作りを一時中断する。残りの皮の枚数と餡の量を見比べてみると、後者の方が少し余りそうな予感がした。

「もし先生がああいう、体に影響が出る系のことに悪い印象を持ってなければ、ちょっと面白そうな話があるんですぅ……」

「ふむふむ」

「興味あったりしますか〜……?」

「いや、全然話が見えてこないから分かんないけど、なんでそんな急に歯切れ悪いの……?」

「それは……なんというか……。…………余計なことをして、もしまたギスギスしちゃったら嫌だなぁって、思うので……」

「ギスギスしそうなことなの……?」

「ないとは言いきれないかもです……」

「へぇー……。…………で、ルカトゥはそれに興味があるんだ?」

「……ですね」

 気まずそうに頷くルカトゥ。一向に話は見えてこない。

 入れ替わりのように体に(おそらく常識的にはあり得ないレベルの)影響が表れ、なおかつ下手するとギスギスしかねないことで、ルカトゥが興味を持つようなこと……。それはいったいなんだろう? たとえば洗脳魔法の一種で、私を同性愛に目覚めさせるとかだろうか……? 歯切れが悪くなるような、実行を伴わなくても口にするだけでギスギスしかねない話題というと、それくらいしか思いつかない。

 だからそのくらいの想定で、私は言う。

「とりあえず、ルカトゥが何に興味を持ってるのかには、私も興味あるな〜。聞かせてほしい」

「……不愉快だったらごめんなさいですけど、いいですか……?」

「大丈夫だって。どんなことしたいの?」

「…………実はつい先日、女の子におちんちんを生やす魔法が使えるサキュバスを見つけまして〜……」

「わーお」

 当たらずとも遠からず。変えるのは性的趣向ではなく、生物学的な性別の方だった。

 ルカトゥは、並べられた生の餃子の方ばかりを見て伏し目がちに話す。

「その、先生は、今の体で女の子としてセックスをすると、痛かったりしてなかなか楽しめないじゃないですか……? そこで、いっそ男の子になってみるのはどうかな〜って考えて、その……」

「……え、もしかして、それでわざわざ探してくれたってこと? そういう魔法が使える人を」

「あ、えっと、はい……。ごめんなさい……」

「なんで謝るのよ。むしろありがとうだよ」

「えっ……?」

「めっちゃ面白そうじゃん、その話」

「えっ、えっ、そう思いますか〜……?」

「思いまくる」

 男女共通で、性的なことに興味のある者は誰しも一度は考えることじゃないだろうか? 異性の感覚っていったいどんなものなのだろう、自分の生まれ持った性別とどちらが気持ち良いのだろう……? 特に童貞や処女を卒業して、「気持ちよさそうにしている異性」を生の現実として目撃済みの者はなおさらそう考えるはず。少なくとも私は考えた。

 AVの中で喘ぐサキュバスを見て「セックスが気持ちいいとはどんな感覚だろう」と思うことと同じで、気持ちよさそうにしている男性を見てもやはりそういう興味と、それから羨ましさは感じるものなのだ。だから異性の感覚を体験できる機会があるなら、それはもうぜひ体験してみたい。

「えっ、じゃあ、やってみるって方向で話を進めても……?」

「ぜひ。……と言いたいところだけど、ルカトゥ的にはどうなの?」

「なにがですか……?」

「ギスギスって要するにあれでしょ? そういう話ってことは、こう、生やしてみたちんちんがどんな物なのかを試す必要があるわけで、そうするとなんかこう…………ねぇ?」

「あ、はい。もし先生がよければ、わたしがお相手できたらな〜って……」

「んー、ルカトゥ的にはそれでいいの?」

「えっと、いいっていうか、その、白状するとそれが本命っていうか……」

「後悔しない?」

「逆にする要素ありますかぁ……?」

「だって私にちんちんが付いて、それの具合を試すってことは……」

 一瞬、言い方を考える。まどろこっしくても正確な言葉で、予測される未来を伝えるべきか、それとももっと直感的な伝え方にするべきか。

 ……私は、後者を選ぶことにした。直感的な部分こそが事の本題だと信じて。

「性的対象として見れない相手でそれを試すってことは、つまりルカトゥのことをオナホにするってことだよ? プレイとかじゃなくて、マジの意味で」

「全然いいですよ〜? 先生ぇ、わたしが無敵ってこと忘れてませんか〜……?」

「あー、うん。そうだ、がっつり忘れてた」

 そうだった、ルカトゥは自ら持ち込んだ企画で「こんなにつらいとは思わなかった……」なんて自爆するようなか弱い存在ではないのだった。入れ替わりをするにせよ彼女の好意を踏みつけにするにせよミミの真似をするにせよ、いつも勝手にびびって勝手に傷ついて、ギスギスする要因を作っているのは私の方なのだった。

 つまり今持ち上がっているこの話は、私の何度目ともしれないリベンジの機会なのだとも捉えられる。ルカトゥに甘える覚悟を決められていなかった頃とは違うし、シンプルに怪我をさせるような心配もない。手に入れた男性器でただ普通にノーマルなセックスをするだけの、言わば自身も被検体として加わる「実験」が行えること。……それはつまり、私がもっとふてぶてしくなるチャンスだ。ギスギスする要因を、自分の中から根本的に取り除けるチャンスがあるということだ。

「じゃあ、ルカトゥの心が折れない限り、やってみるってことで」

「は、はいっ! じゃあ話進めておきますね……! わぁ〜、楽しみだなぁ〜……! ふふふっ……!」

「そんなに私にちんちん生えてるところ見たいの……?」

「見たいです〜!」

 ふたなりとか性転換とか、あまりそういう分野に対する造詣がないので、ルカトゥのわくわくはよく分からないけれど……。まさか男の感覚を味わえる日が来るとは思っていなかったので、それに関しては私にもわくわくが湧いてくる。

「……まぁ私も、見てみたいかも」

「えへへ、楽しみですねぇ。たくさん気持ちよくしますからね〜?」

「なれたらいいなぁ〜」

 すでに数々の「実験」を時には自分の手で行ってきた私は、ルカトゥと形ばかりのセックスをすることについても、同じように難なくできる物だと思っていた。これまで彼女とのセックスをしてこなかったのは、ただ自分にちんちんが付いていなかったためであると言わんばかりに。

 その後、お手製餃子の数々をホットプレートで焼いて食べながら、私はルカトゥからいくつかの詳しい説明を受けた。

「例の魔法を使えるサキュバスはオルディア・トロウレスという名前なんですけど、ちょっと気難しい人なんです」

「ふむ、その人に会うの?」

「そうですね。目の前の相手にしか魔法を使えないらしいので」

「なるほど。まぁ、遠隔でちんちんを生やされても困るもんね」

 ここが実家だったら、食事中にこんな話をしていたら怒られるだろうな……と思いながら、悠々と餃子を食べ進める。形が明らかに素人レベルでも、味にはまったく問題がなかった。そこが餃子作りの敷居の低さであり、努力の甲斐の無さなのだとも思う。

 ルカトゥは自分の作った方には手を出さず、延々と私が作った平たい餃子ばかりに箸を伸ばしていた。

「それで、その魔法について、いくつか注意点があるんです。もし引っかかることがあったら、この話はなかったことにしましょう」

「そんなに重いリスクがあるの……?」

「そこは考え方次第かもですね〜……。……リスクは大きく三つあります」

「三つも」

「はい。まず一つ目は、生やすのも元に戻すのも、どちらもオルディアの手を借りる必要があるという点です。そしてそのオルディアは魔界在住かつ多忙なため、呼んでもすぐに来られるとは限りません」

「ははぁ、なるほど。つまりあれだ、辞めるなら一ヶ月前には連絡くれないと困るよーみたいなやつだ」

「あ〜まさにそれですぅ。仕事を辞めることと同じくらい、一度生やしたおちんちんを消すのは煩わしいことになっちゃうと思います」

「そっかぁ。……まぁ、そこはやむ無しか」

 三日経てば自動で解除された入れ替わりの魔法と比べると、確かにリスクが高い気もする。けれどそれは逆に、入れ替わりの時のように何かを急いだりする必要はないのだとも言える。一長一短だ。けれどそれがそこまで悪い話には聞こえないのは、ルカトゥの魔法のおかげで、そのオルディアという人が信用できるのかどうかは気にせずに済む点が大きい。

「二つ目は?」

「二つ目は、これはオルディアの趣味によるものなんですけど……。おちんちんが生えている間、おまんこは無くなるっていう仕様なんです」

「え、そうなの……? ふたなりとは違うんだ」

「そうみたいなんです。なので排泄とかの勝手が、普段とはちょっと違っちゃうかもしれません。……まぁもしアレだったらわたしがお手伝いしますから、大丈夫だとは思うんですけど〜……」

「いやさすがにそれは自分でなんとかするよ」

 実際に目の前で排泄を見たことがあるわけじゃないから根拠には乏しいけど、しかしどう考えたってそんなに制御が難しい器官であるわけもないし、トイレなんか座ってしまえば男も女も同じだろう。生まれ持った物が消えることの方に関しても、魔法の効果中はそうなる物なのだとあらかじめ分かってさえいれば、いちいちそんなに騒いだりすることではない……はず。消えたことがないのでこれも根拠には乏しいけれど、直感的にはそんな気がする。

 結論としては、その二つ目のリスクとやらは、女の体にちんちんを生やそうなんて突拍子もないことをやろうとしている者にとっては、ほぼほぼ無いに等しいリスクであるように聞こえた。けれどもまぁ、何も聞かされないままいきなりそれが起こっていたらさすがにびびっていただろうから、事前に知っておくことにこそ意味があったのだと言える。

「で、三つ目は?」

「三つ目は、……これが最重要なリスクなんですけど」

「うん」

「オルディアの魔法でおちんちんが生えている人は、性欲が激増するんです」

「激増」

「そして強制的に、女性が性愛の対象になります」

「強制的に」

 前二つとは打って変わって、なるほどそれは物騒な響きのする内容だった。……そしてそれを聞いたことで、そのオルディアという人の魔法の「意図」が分かった。

 ルカトゥの通知の魔法は、セックス中に相手が自分の中で果てたことを感知するために編み出された物らしい。それを鑑みればオルディアの魔法にも「〜のため」という意図があると考えられるし、その意図はおそらく「人類のより多くを食料にするため」だろうと推測できる。私のような「異性愛者の女性」に魔法をかけることで、サキュバスとして食せる性欲を新たに生み出そうという魂胆があるわけだ。

 そしてその魂胆が、ルカトゥの願いと噛み合ったことになる。私は初めにこの話が持ち上がった時、心ではなく体の方にアプローチをかけてくるのかと思ったけれども、それは違った。アプローチは両方から来ていたのだ。

 ついさっき、性愛がないままセックスの相手をさせられても構わないなんてルカトゥは言っていたけれど、あれは茶番だったのだろうか……? 三つ目のリスクの話が本当なら、それはもう前提からして話が違っている。

「なるほどね、それで私を虜にしようっていう魂胆だったんだ? 童貞を狩るみたいに」

「うっ……魂胆ってぇ……。説明するのが遅れたのは謝りますぅ……。でもべつにそんな、それはたまたま魔法がそういう風になってるだけで、虜にしようだなんてつもりじゃないですよ〜」

「本当かな〜」

「本当ですよぉ。わたしは自分の性欲が満たせて、先生は好奇心と漫画のネタと、それからその他諸々いろいろな物を〜……。…………とにかく! お互い得るものを得られる、ウィンウィンの関係になれるんですぅ。それがわたしの望んでいることですよぉ」

「わかったわかった。じゃあしばらくそれで遊んだら、また今みたいに元通りの関係に戻るってことでいいんだね?」

「もちろんですぅ」

「……本当に? そのまま一生魔法を解除させないつもりとかじゃない?」

「じゃないですよぉ! ……先生がどうしても不安なら、やっぱりやめておきますけど……」

「いや、わかったって。信用するよ」

 信用。その言葉を口にすると、ルカトゥは照れるようにはにかんだ。……はたしてその時の私の「信用」に、好奇心に負ける気持ちがどの程度混じっていたのかは分からないけれども。

 それに、私にはもう一つ自信のないことがあった。それはもしもルカトゥが一世一代の嘘をついていて、魔法で男のようになった私をサキュバスの魅力で虜にしてしまおうと本気で企んでいた場合のこと。……もし本当にそんな企みが実在していれば、私はその餌食になってしまった方が、もしかして今より幸せに暮らせるのではないか……と、そう思ってしまう自分が、心の片隅にいないわけではなかった。

 入れ替わりの魔法と違う点はそこなのかもしれない。他人の体を乗っ取るわけでもあるまいし、魔法が解除されないならされないで、どうにでもなってしまえばいいのではないか……。そんな気持ちが湧かないとは言いきれなかった。おかしなことだ、ついさっき話を聞いた当初には好奇心しか持っていなかったのに、心まで書き換えられると聞いた途端に、私はものすごいスピードでそんなことを考えだしてしまっていた。

 慢性的に眠ったり目覚めたりを繰り返している私の心の暗澹たる部分は、ルカトゥに暴力を振るってみたあとでも結局のところ健在だということになる。私も彼女もお互いに、どうにも報われない……。

 ミミは無敵を読んだ時に、「私にもルカトゥに対する性欲があれば……」と思ったことを、まだ覚えている。曜日感覚すらまともに覚えられない脳みそが、そういうことに限って忘れてくれないものだった。

「それじゃあ、オルディアに出来るだけ早く来てもらえるように、言っておきますね」

 ルカトゥがそう宣言してから、たしか一週間くらいが経った頃だったと思う。オルディア・トロウレスというサキュバスは、難なくこの家にやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の見当違いでなければ、彼女が着ているのは男性用の黒い軍服であったように思う。

 髪で片目を隠した、ケレン味の強すぎる美人。それがオルディア・トロウレスの第一印象だった。……コスプレイヤーが玄関に上がってきたのかと思った。

「君か、ウズラ・メルガルスというのは」

「あ、はい」

「先に断っておくが、私は敬語を使わない。そちらも自由にしてくれ」

「あ、はい」

 オルディアの後ろで、ルカトゥが「こういう人なんです……」という苦笑を浮かべていた。表情でのコミュニケーションがさすがに上手い。

 お茶を出そうとするも、すぐに帰るからいらないと断られる。というか勧めても座りすらしてくれなかった。気難しい人だという前評判は聞いていたけれど、なるほど、この人が素直にウチへ来てくれたこと自体がそこそこの奇跡なように思えてくる。オルディアは気難しいというよりも、どちらかというと変人の部類であるように見えた。 

 コタツの脇に立った彼女が、ちょいちょいと私に手招きをする。それに従って彼女の正面に立つと、脈絡なく、ハイタッチを求められるかのように両の手のひらを見せられた。

「握って。指を絡めるように」

「こうですか?」

 いわゆる恋人繋ぎのような形でオルディアの手を握る。いくら恋人でも正面から向かい合ってそれをすることはないだろうから、その不自然さからいかにも儀式っぽい感じがした。

 私はリスクとは別に、様々な注意点や段取りをルカトゥから事前に聞いていた。ちんちんを生やすための儀式としてこういう物があるのだということを、ちゃんと事前に知らされていたのだ。おかげで今もうろたえずに済んでいる。

 儀式がただ手を繋ぐだけでは終わらないことも、私はきちんと知っていた。

「よし、ではそのまま私の目を見ろ。終わるまで逸らすなよ」

「はい」

「……この状態で、君にはある台詞を十回復唱してもらう。多少恥ずかしいだろうが、それが終われば魔法は発動するから、我慢するように」

「分かりました。……で、その台詞というのは?」

「「お願いします、おちんちんください」だ」

「…………ん?」

「覚えきれなかったか? 「お願いします、おちんちんください」だ」

 目を合わせたまま、真顔で二回言われた。この人すごいな、と思った。

 台詞が毎度同じ物である確証がないからと、私に事前のレクチャーをしてくれたルカトゥは、この台詞パートの内容だけは教えてくれなかった。「ちょっと恥ずかしい台詞なんですよね〜……」とは聞いていたけれど……。

 これはもはや四つ目のリスクなのでは? と思いつつ、目を逸らすなと言われているので、今ルカトゥが視界の外でどんな顔をしているのかも確認できない。……ここは自分の家で、傍には友達もいるのに、なんだか密室で一人詰められているような気分になる。

「あの、先生ぇ。嫌だったら言ってくれたら……」

「いやいや、大丈夫」

 背後から聞こえるルカトゥの声に応じる。まばたきすらせずにずっとこちらを見据えているオルディアの目を、私も気持ちだけ睨むつもりで見つめ返す。

 ルカトゥは自分を無敵だというけれど、私だって、ある特定の事柄に対してだけなら、彼女に匹敵できる心を持っているはず。子どもの頃からずっと、淫猥な妄想をイラストや漫画にして世に公表したり、かつてはそれを実家で行っていたり、最近に関してはついに私生活を漫画にし始めた女……それがウズラ・メルガルスこと卯月雛子という人物なのだ。友人のルカトゥが出演するAVを見漁っているエロ絵描きとは私のことなのだ。それが何を今さら、たかだか一行に収まるような淫語を十回読まされるくらいで、ためらうものか……! 魔法の力にあやかるためならそれくらいしてやる、そんな台詞、こっちは漫画に幾度となく書いてきたんだ……!

 大きく息を吸い込んで、好みの曲の歌い出しをマイクに向かって披露するみたいに、私はそれをきっちり十回言ってやった。

 …………凍るような静寂の中で、オルディアが私の手を離した。

「おめでとう。これで君も生まれ変わった」

「え」

 光に包まれるとか、体が熱くなるとか、そういう演出は一切なかった。……しかし服の上からとりあえず触ってみると、それは確かにそこにあった。これまでの二十数年の人生を過ごす間ずっとそこにはなかったはずの感触が、物が、きっちり生えてきていた。

「それじゃあ私はこれで」

 それきりこちらを一瞥もすることなく、オルディアは玄関を出ていった。ルカトゥが「ありがとでした〜」とその背中を外の廊下まで見送る。

 私はとりあえずその隙にトイレに入って鍵をかけて、下を脱いでこの目で確認してみた。……するとずっと昔、十代の頃に気の迷いで見たようなそれが、今は間違いなく自分の下半身についていた。

 全ては聞いていた話の通りだった。これまで女性器があった箇所には、プラスチック人形と人肌を足して割ったようなツルツルした平面が広がるばかりで、元々の面影すら残していない。それからいわゆる睾丸も付いてきてはいなかった。それじゃあ射精もできないのかというと、ルカトゥいわくそういうわけではないらしい。全てはオルディアの趣味であり、セックスに必要な機能は魔法的な力できちんと備えられているのだとか。……あとついでに綺麗なパイパンにもされていた。事前に聞いていたので驚きはしないけれど。

 肝心の陰茎についてだけれども、今のところそれはふにゃふにゃの状態にある。女性が性愛の対象になると聞いていたけれど、自分に対して興奮することはないということだろうか? 試しに少し触ってみるけれど、ただ体の一部に触れているなぁという感覚があるだけで、気持ちいいとかそういうことはなかった。

 ただ、フィードバックがあることの影響は大きいと感じた。学生当時の私は彼氏のそれにさわる時、大きさや硬さの状態に関わらず常におっかなびっくりな気持ちでいたけれど、あれは「今、相手がどのように感じているか分からないから怖い」という感覚だったのだと、いま唐突に理解できた。自分の物として触れるちんちんには、まったく何の緊張感も不安もない。結構ぶんぶん振り回しても大丈夫なものなんだ……と絵面がアホくさくなるようなことも確認しておく。

 ……さて、このままではこれ以上大した収穫は得られそうにない。脱いだものを履き直して私はトイレを出た。

 ルカトゥはコタツに入って私を待っていた。

「どうでした〜?」

「うん、生えてた」

「それでそれで〜……?」

「んー……。今のところは、よく分かんないかな」

 めでたく無事に生えたちんちんは、ルカトゥの顔を見ても声を聞いても、特に反応を示さなかった。気持ちとしても同じだ。急に彼女のことを押し倒したくなるだとか、そういったことはなかった。

 むしろ、精神に対する作用の方は本当に効いているんだろうか? と疑わしくなってくる。性愛の対象どころか、そもそも性欲自体が増幅しているという気もしない。激増……つまり明らかに自覚できるほどに増すという話ではなかったのか?

 コタツから出て立ち上がったルカトゥが、コマ送りのようにゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

「エッチな気分には、なりません……?」

「どうだろう……」

「わたしの顔見て、どう思います〜……?」

「えー。かわいい」

「わっ、効果出てますよぉ」

「いや、かわいいはいつも思ってるよ」

「えっ! そんな口説かなくても、エッチくらいしてあげますよぉ……?」

「口説いてない口説いてない。…………ん?」

 そうやっていつも通りの軽口を交わしあっていた時だった。……「効果」は、その片鱗を現し始める。

 べつに勃起したわけではなかった。エッチがしたくなったわけでもない。ただ何か妙な感覚……違和感が、私の中をよぎったように感じる。ほんの少しの違和感だった。曇りの日に外を歩いていたら、頭にぽつりと雨粒が落ちてきたような気がした時のような、そのくらいの僅かな感覚……。

「どうしました〜……?」

「いや、……なんか今ちょっと、変な感じがした気がして」

「へんな感じ〜……?」

「なんだろう……? ちょっと待ってね」

 試しに、ルカトゥのことをつま先から頭のてっぺんまで、品定めするようにじろじろと見回してみる。軽口を交わしている間に偶然目についたどこかしらが琴線にヒットして、性欲を開花しかけたのではないかと思ってのことだ。

 そうしてみると、やはりどうしてもその巨乳は目につく……けれど、それは魔法を受ける前からそうだ。またそれを言うなら、見るからにさらさらで艶のある黒髪も、なんでも受け入れてくれそうな優しさを見出してしまいそうになる可愛らしいタレ目も、触れたらもちもちと心地良い感触がしそうな白い肌も、まぁとてつもなく魅力的だとは思う。……思うけど、でもやっぱりそういうことは、あながち今に始まったわけでもない感覚だとしか思えなかった。ルカトゥの容姿が性的な意味も含んで非常に魅力的なことは、客観的な視点に限って言うならば、出会った当初から分かっていたことなのだ。

 じゃあいったいなんだ……? 何が違和感に繋がったんだ……? ルカトゥのことをいくら疑り深く見回してみても、その原因は一向に見つからない。……そこで私は次に、原因は視覚には無いのではないかと考えた。

「ねぇルカトゥ、さっき私になんて言ったんだっけ」

「えっ?」

「なんかエロ漫画みたいな台詞言ってなかった?」

「あ、エッチくらいしてあげますよ〜、ですかね……?」

「あっ!」

「えっ!?」

「それだ!」

 ドンピシャ、という感じがした。今その台詞をリピートされた瞬間に、確かに何か引っかかるようなものを感じたのだ。

 ……が、それでもまだ解せないことがある。それはその台詞を聞いた私が「え、ま、マジで……? じゃあさっそくいい……?」みたいな気分にはなっていないこと。むしろルカトゥの体をじろじろ見回して、その上で至極冷静でいられるような余裕があるくらいだったこと。

 ……つまり男性の性欲とは、せいぜいその程度の物なのだろうか? と反語的に考える。もちろんそれだけは絶対にあり得ないだろう。これが男性の標準なら、たぶん世の中の仕組みは今とは違っているだろうし、サキュバスなんか餓死してしまいかねない。なのに私が今置かれている状態は「標準」どころか「激増」だというのだから、確実にまだ何かを掴み損ねているのだ。

「うーん、謎だ……。今たしかに、ルカトゥの台詞を聞いてピンと来た気がしたんだけど、それでべつに自分が発情してるような感じはしないし、よく分からない」

「あらら〜。先生は元々が淡白な感じですから、魔法を受けてもそんなにって感じなんですかね〜……?」

「淡白かなぁ、私」

 そんなエロ漫画家がいるだろうか……? 想像できなければ漫画は描けず、エロい物を頻繁かつ詳細に想像するということは、それすなわち性欲が旺盛ということなのでは……? というか、そうでなくてもオナニーは常習的にしているし……。

 またトイレに戻ってお気に入りの作品でも見れば何か変わるかな……? ひとまずは「勃起する」という感覚を味わってみないことには魔法を受けた意味を果たせないし、ダメ元でそれを試してみようかな……と、私はすでに目の前のルカトゥの体から、やや興味を失い始めていた。

 その時突然、ぼーっと突っ立っていた私の手がルカトゥに取られる。手首を引かれいざなわれたその手のひらは、彼女の豊満な胸に思いきり押し当てられた。

 服の布越しに、数度だけ触れたことのある……知っている感触が伝わる。それは重さと温もりを得たマシュマロのような……、……いやちょっと待っていつの間にブラを外したんだこの子?

「これでも、なにも感じないですか〜……?」

 手は放さないままこちらを気遣うような表情を浮かべて、ルカトゥがそんなことを言った。……やわらかな感触を手中に収めたまま、私の頭の中にはその言葉が何度もぐるぐるぐると回り始める。ルカトゥのふわふわした声が、反響するかのように何度も何度も脳内でリピートされる……。

 ……私の世界に流れる時間が、数百倍にも数千倍にも圧縮されていくことを感じた。

「……………………分かった」

「え?」

 我に返り、私はあわててその柔らかさから手を引く。さっきまで彼女の胸に押し当てられていた自分の手のひらを見て確認する。……べつにそこには何の変哲もない。当たり前だ。それは当たり前なのだけど……。

 その時すでに私は、一秒前の自分とはもう完全に違ってしまっていた。私はあっという間に、性欲の何たるかを理解してしまったのだ。少なくとも「自分にとっての性欲」の何たるか……つまり「性癖」を、完全に理解してしまった。

 押し当てた手に逃げられたせいか、なんだか寂しそうな顔をしているルカトゥを見ながら、私は報告する。

「やばい、これは良くない、ルカトゥ」

「え、ご、ごめんなさい……?」

「違う、そうじゃなくて……」

 ……言葉を探す間に、私はさっそく勃起していた。見てもいなければ触れてもいないけど、さすが自分の体から生えているだけあってそれが分かる。下着の中が、未だかつてないほどに窮屈に感じた。

「ルカトゥ、私は、自分の性癖が分かった」

「おお〜? どんななんですか気になりますぅ」

「たぶん許容だ」

「へ?」

「許容だよ許容、精神的な。いま、キミに手を引かれて胸にさわった時にわかった。たぶん「それ」なんだ」

「ほぇ、それとは……?」

「「見る」とか「さわる」ってことその物じゃなくて、「それをしてもいい」ってところが、なんかやばいっぽい。すごい……なんかこう……、…………すごく興奮する」

「お〜? つまり、こういうことですか〜?」

 ルカトゥが私の耳元に顔をよせる。そして二人きりの部屋の中で、わざわざ囁くように言った。

「……わたしなら先生のしたいこと、ぜ〜んぶ受けとめられますよ……?」

 ささやきと共に、密着した状態でふたたび私の手は彼女に取られて、今度は下の方へと引き寄せられていく。女同士であっても冗談ですら触れないような下の方へ……。

「ちょ、わっ、ちょっ待って待って……!」

 思わず後ずさった。ものすごく良くない感じがした。……良くない感じというのはつまり、比喩的に言えば、理性が蒸発していくような音を聞いたということだ。

 感覚的には、それは頭に血が上るようなことに近かった。針の穴に糸を通そうとして中々上手くいかない時に、腹の底からじわじわと沸き上がるような苛立ちに似た物を感じる。……ただし今私の中で煮えたぎるそれは、なぜか氷のように冷たいままで沸騰していた。

 私は彼女に何をしてもいいんだ……何をしてもきっとルカトゥは許してくれる……どんなことをしてもいいんだ……。そんなのぼせ上がったような思考が、確かな冷静さを伴いながら沸き立って来る。矛盾するようだけれどそういう物だった。初めての感覚だった。……そしてものすごく直感的に、それが「全てを台無しにするもの」だということを私は確信していた。

 今、自分はどんな顔をしているのだろう……? 分からないけれど、ルカトゥが私の目を見てからくすくすと笑う。

「先生ぇ、なんだか本当に童貞さんみたいですねぇ……?」

「は、はぁ……? いや、違うんだって、性欲がどういう物か分かったんだよ私は。で、これはやばい、よくない」

「どういう風によくないんですか〜……?」

「どういう風って……」

 さっき彼女の体を見回した時には何も感じなかったのに、「いくら見ても許される」ということを意識した瞬間に、目の前にいる彼女の全てがエロティックに見えてきて仕方がない。触れてみたい……そんな衝動が湧く。すでに彼女の体の感触はかなり知っているのに、どこに触れたってルカトゥはそれを快く受け入れてくれるんだ……と思うと、それを実践してみたくなってしまう。そしてそれは、触れる以上のことについてもそうだ。

 なんだろう、この気持ちは。意味が分からない。ルカトゥからの許容は全て、昨日までもあった物のはずなのに。私は昨日までもずっと、ルカトゥに何をしてもよかったはずなのに。無防備な腹を踏みつけてもいいくらいそうだったのに。それが許されるのだからきっと、たとえば暇つぶし感覚で彼女の髪を指に絡めてみたって、胸を弄んでみたってべつによかったはずだ。いつ何時それをしても私は許されたはず。……けれど私はそれをほとんどしてこなかった。昨日までの私にはそれが許されていなかったからではない。ただ興味がなかったからだ。彼女の体にも、その体を求めることを許されることにも、昨日までは興味がなかったから何もしなかった。

 それがなぜ今になって突然に、一転してそこへこの上ない興味を抱いているのか。よく分からない。だけどそれがつまり性欲の激増ということなのだろう。そういう風に魔法の影響を受けた結果として、「ルカトゥから全てを許されている」という自覚を得た瞬間に、私の目に見える世界は一変してしまった。

 だって、すごいことじゃないか……? 私は今から唐突に、彼女の唇を奪ってもいいのだ。きっとそれが許される、ルカトゥなら受け入れてくれる。……逆にどうして今までそんな状況の中で、私はほとんど何もせずにいられたのだろう? 「普通ならダメなこと」が許されていたら、やってみたくなるものじゃないか……? 子どもがあちこちに落書きをするみたいに……。

「どういう風って……。ルカトゥなら、サキュバスなら、分かるんじゃないの……?」

「……ふふっ、確かにそうですねぇ」

 性欲を感知する力を持つというサキュバスに……ルカトゥに、今の私はどのように見えているのだろうか? ……正しく私のことが見えているなら、その上で彼女が余裕の笑みを浮かべていることが、それが今の私にはどうしようもなく嬉しかった。

「先生ぇ、わたしになら、どんなことしてもいいんですよぉ……? 先生が今したいことしちゃいましょ〜……?」

「……本当に? いいの……?」

「もちろんです♡」

「……でも、でもさルカトゥ。私、本当にこれでいいのかな……?」

 蒸発しきる手前の薄く張った理性から、最後の警告が鳴っていることを感じる。この衝動に本当に従ってしまっていいのか? それに従ってしまって……私は本当に戻って来られるのか?

 たった数分前までの自分に二度と戻れなくなること。それについての漠然とした恐怖だけが、未知の興奮の中で溶け残っていた。

「いいに決まってるじゃないですかぁ♡」

 そしてそこに踏ん切りがつく前に、悪魔が私の手を引いた。

 ルカトゥが私にキスをする。肩から手を回して、抱き寄せるように熱烈なキスを。

「んぅっ……!?」

「ごめんなさい先生ぇ……♡ わたしの方が……ちょっと……もう我慢できなくてぇ……♡」

 一度唇を離してそう言った彼女が、またさらに激しく私のことを求めてくる。

 にゅるりと入ってきた舌に驚く暇もなかった。

「ん……♡ はぁ♡ れる……♡ せんせぇ……♡」

「んっ……ぇあ……♡」

 何かを探し求めるかのように暴れる彼女の舌が、されるがままの私を貪っていく。……サキュバスの舌は甘かった。花の蜜みたいな香りがして、にゅるっとした感触に舐め回されることが不思議なくらいに心地良く感じる……。

 ……けれど私は、その中で思いのほか冷静だった。今感じている興奮が本物の性欲だというなら、私が今まで持っていた性欲は偽物だったのだと思う。そう思うのだけれど…………しかし頭がまっしろになるだとか、そういうことは案外まったく起こらないものだった。

 立ったままルカトゥに口内を貪られていると、ただそれだけで、気持ちいい……気持ちいい……ととろけていくような、心地良さに溺れるようなところはある。それは勝手にまぶたが閉じていく程緩やかに支配的な物だった……。……だけどそれに溺れながらでも私は、なぜか意外なほどはっきりと思考が出来てしまうものだった。むしろ、キスをする前よりもいくらか冷静になれているような気さえする。

 あぁ、本当のキスというのはこういうものなのか。昔の私が大して好きでもない男と交わしたあれも、入れ替わった体で見知らぬ男と行ったそれも、興奮もしないままルカトゥの心を踏みにじったあの実験も、どれもまったく真実にはたどり着いていない物だったのか。……そんな風に走馬灯のように、僅かにストックされていた「キスにまつわる記憶」を振り返っていく。どこか冷めた気持ちでそれを見返す自分がいる。

 もしこれがファーストキスだったら、人生が変わっていたのかもしれない。そう思うくらい気持ちのいいキスだったけれど、それは結局のところ私にとって、比較対象のうちの最も優れた一つでしかなかったのだ。

「先生ぇ……。今だけわたしの好きにしていいですかぁ……」

 長い長いキスを終えて久しぶりに見たルカトゥの目には、比喩的なハートマークが浮かんでいるかのような淫靡な雰囲気があった。

「好きにって……?」

「先生ぇのこと……気持ちよくしたいですぅ……♡」

「……うん、いいよ?」

 まるで、仕方なく譲歩でもしてやったかのようにしか、私は頷くことができなかった。……どうしてだろう? 何をしても許されると思うと興奮するのに、ルカトゥにそういう態度で来られると、私にはされるがままになることしか選べないような気がした。

 いつかされたことがあったように、ルカトゥは私の体をいとも簡単にひょいとお姫様抱っこで持ち上げる。そして自分の体が羽にでもなったのかと感じてしまうくらい軽やかに、私はベッドの上に寝かせられた。

「先生ぇ〜、ちょっと腰浮かせられます〜?」

「ん……」

「えへへ、いい子〜♡」

 しゅるりと彼女が私の下を脱がせていく。……するとそこに生えていたモノを見て、我ながら少し引いてしまった。女性用の下着にはとても似合わないおどろおどろしい肉棒が、硬さのあまりにその身を持ち上げては、ドクンドクンと脈を打ち跳ねていたのだ。

 こんなに大きい物なんだっけ……? 遥か数年ぶりに生のそれを見て、自分の物であるはずなのに若干の恐怖を覚える。一方でルカトゥの表情はそれと対照的に、なんだか嬉しそうだった。

「ふふ……♡ もうカチカチですねぇ……♡ かわいい♡」

「う……、な、なんかごめん……」

「え〜? なんで謝るんですか〜?♡」

「あっ」

 ルカトゥが指先でぺニスの先端をつつく。小さい状態の物にならさっき自分でも触れたはずなのに、今はその時のことが何の参考にもならないほど、彼女の指との接触をそれが敏感に感じ取る。

「痛いですか……?」

「い、痛くはない……。ただちょっと……」

「ちょっと……?」

「……は、初めてだから」

「……せんせぇ♡」

 ベッドの上でルカトゥが私を見下ろしながら、すーはー……と深呼吸をする。サキュバスが性行為のたびに覚悟を決めるわけもないしなんだろうと思っていたら、

「はぁ……♡ わたし、我ながらよく今まで我慢してましたね……」

「な、なにが……?」

「ふふっ……♡ 先生が可愛いすぎてぇ、ちょっと油断したらレイプしちゃいそうなんです……♡」

「レイプ……?」

 その言葉の意味するところが、私には上手く想像できなかった。仮にルカトゥが次の瞬間に私の手を押さえつけてそのままセックスを始めたのだとしても、私はそれをレイプだとは感じないだろうから。

 ルカトゥがぺニスの裏筋につーっと指を這わせる。そうされたことで少し肩に力は入ったけど、さすがにいちいち声を出すほどの衝撃が走るわけではなかった。

「痛かったりしたら、言ってくださいねぇ……」

 そう言う彼女の声が、心なしか下の方へと遠ざかっていく。……私は、思考は鮮明なはずなのに、さっきのキスからずっと頭がぼーっとする感じがしていて、呼吸が深くなっていて、なんとなく夜眠る時と同じように天井の方を見上げていた。

「あっ……!?♡」

 突然、ぺニスの先に痺れるような感覚が走る。くすぐったさと快感の間くらいの感覚だ……。

 驚いて下半身を見下ろすと、ルカトゥが亀頭を舌先でちろちろと舐めていた。

 痛い……? という目でルカトゥが私の顔色をうかがってくる。……キスよりもそっちの方が頭がぐちゃぐちゃになりそうなくらい、今の私の目にはその表情がエロい物として映った。

「あ、その、大丈夫……」

「むりはダメですよ〜……?」

「ん、無理してない。大丈夫」

「……じゃあ、もっとしてほしい〜?♡」

「うっ……」

 なんだか屈辱的だったけれど、私は素直にうなずいた。……恍惚の笑みを浮かべたルカトゥが再び肉棒へ舌を伸ばす。

 その舌から次に与えられたものは、来ると分かっていても無視できない快楽だった。

「あ……やっ……んっ……んんっ♡」

「んへへ……♡ せんせぇ〜敏感なんですねぇ♡」

「うぅっ……。これが普通じゃないの……?」

「先っぽ舐めるだけで喘ぐ人は、あんまり見ないかもですよ〜? ……はむっ♡」

「あぁっ!?♡♡」

 不意に亀頭全部が生暖かい空気に包まれる。そしてその温もりの中をぬるぬるした物が蠢いてゆく。

「じゅるるっ♡ んっれろっ♡」

「あぁっ!♡ まっ、まって……♡ ルカトゥそれ待って……!♡」

「んぇ〜? 先っぽ咥えただけですよ〜?」

「わ、分かってるけど……。ちょっとやばいって……」

 恥ずかしいことに、咥えられた瞬間、意思によらず思いきり腰が跳ねてしまった。そんなこと生まれて初めてだった……。

 どんなに趣味にドンピシャなオカズを手に入れてオナニーをしても、今みたいな快感に見舞われたことはない。サキュバスの体を借りてセックスを体験した時も、待ったをかけるほどの快感には出会わなかった。あの時あった快感は、じわじわ痺れてとろけるような、体の内側から多幸感が湧いてくるセックスだった。……だから、いま私が体験しているものは全く未知の物だ。

 乱れた自分の息遣いが聞こえる。気づけば肩が上下している。……ルカトゥがそんな私の顔を見て愛おしそうに微笑む。けれどその微笑みに反して、彼女から発される声と言葉は挑発的だった。

「どうします〜? このまま先っぽちろちろだけしますか〜? 咥えたら待ってって言われちゃいますし〜」

「ん……だって……」

「焦らされてもつらいだけだと思いますけどねぇ……?」

 言いながら、ルカトゥはその細い指で竿の部分をしごいてくる。彼女の手のひらと滾ったモノが、互いに熱を交換しあってるような感覚があって、それがさらなる興奮を私の中に呼びこむ。……それはすでにそうされているだけで、目を閉じて快感に集中してしまいたくなる程のことだった。

 なんだか馬鹿みたいだけれど、私はその時はっきりと「幸せ」を感じていたように思う。

「うぅ……もうそれだけで気持ちいい……。手でされるの……」

「へぇ〜そうですか〜……? …………れろぉ〜♡」

「あぁっ♡ うぅ……っ♡」

「ふふっ……♡ 先っぽ舐めるだけで喘いじゃうの可愛いすぎますねぇ……♡」

 ソフトクリームでも舐めるみたいに、何度も何度もゆっくりと先端に舌を這わされる。わざと単調に、ずっと同じ線をなぞるように、ルカトゥはそれを繰り返した。

 ……そうするうちに、初めは喘がずにはいられなかった私も、そのうち快感に慣れてきてしまう。深く息を吐いたり吸ったりしながら、周期的に私のことを試してくるその舌に、ほとばしる快感に、お腹にぐっと力をこめて耐える……。……それでいつしかその波はやりすごせる物になってしまった。

 快感をやりすごせるようになると、さっきまで無限と見紛うほど深くあった幸福感が、ザルの目を抜けていくみたいにあっという間にどこかへ行ってしまう。呼吸も段々と落ち着いてきて、与えられ続けるものにやがて物足りなさを感じるようになる。

 ……ルカトゥは狙ってそうしているに違いなかった。

「あれ〜? せんせぇ、もう喘いでくれないんですか〜?」

「……も、もう慣れちゃったから……かも」

「わ、すごいですねぇ♡ ……それで〜? このままずっと先っぽ舐めてほしいです〜?♡」

「え……」

「それとも、咥えてほしい〜……?♡」

「……な、なに? 言わせたいの……?」

「言ってほしいです〜♡」

「……もう、なんでルカトゥにまで……」

 今、自分に未知の快感を伝えてきている物を生やしてくれた、あの軍服のサキュバスのことを思い出す。オルディア・トロウレス、私を地味に辱めた変人……。その何を考えているのか分からない片方だけの瞳が記憶に新しい。

 あの時、私の視界の外にいたルカトゥは、私の読み上げる台詞に聞き耳を立てて興奮でもしていたのだろうか? ……何にせよ、今日じゃなくてもいいから、いつか彼女にも同じような辱めに遭ってもらおうと思った。

 今ルカトゥから迫られた小さな決意を物にするためには、そうしたささやかな復讐心が必要だったのだ。

「……お、おちんちん咥えてもらって、気持ちよくしてほしいです……。…………これでいい?」

「わ……、せ、せんせぇ♡ そこまでエッチな言い方してなんて言ってないのに〜♡ ふへへ……たくさんサービスしますねぇ〜……!♡」

「な、なにそれ、私が勝手にしたみたいな……うっ♡ あっ♡ くっ……♡ くっうぅ……♡」

 咥えこまれた先っぽに、肉厚な舌がぺろぺろとせわしなく這いまわる。その全部がぬるぬるして、せわしなくまとわりついてくる感じが最高に気持ちいい……♡ さっき確保したと思った余裕はあっという間に消え去って、私はまた喘ぎながら肩で息をすることしかできなくなっていく……。

 声が押さえられないくらい強い気持ちよさの中で、さっきも味わったあの幸福感が帰ってきた。目を閉じて、下半身から伝わってくる不規則な快感に身悶えていると、それがどうしようもなく幸せだった。本当にどうしようもなく、脳みそがとろけていくみたいに感じるのだ……。サキュバスの体とは感じ方が全く違うのに、行き着く先は似ていることがとても不思議だった。

 ルカトゥは献身的に私のモノを咥えたまま、余った部分をゆっくりと手でしごいてくれた。そうされると私は、余計な感情がその手と口にしぼりとられて、かわりに幸せが詰め込まれていくような感覚を受ける。そうしていよいよ思考もおぼつかなくなっていく。

「あっ♡ あっ♡ あぁっ……♡ すごい……きもちいい……♡」

「んっ♡ じゅるっ♡ れろれろ……♡ じゅぽ♡」

「あ……ルカトゥ……♡ イくっ、イきそうっ……♡」

 腰のあたりがビリビリと痺れるような感覚。その感覚は、私が魔法に関係なく元々知っていた「絶頂の直前」と同じ物だった。もうすぐ一番強い快感が来るというその合図に、思わず腰が引いてしまう。

 ……なのにその途端、ルカトゥはずっと快楽を送り続けてくれていた手をぺニスからパッと離した。それと同時に舌の動きもピタリと止んでしまう。……その急停止はまるで、次の瞬間には口の中にあるモノを吐き出して「はい、おしまい」とでも言い出しそうなくらいに酷な物だった。

 私は咄嗟に「なんで……?」と思ってしまう。まさか寸止めでもして、私にもっと恥ずかしい何かをさせるつもりなのか? たとえば「イかせてください」と懇願させるだとか、そういうことを……。

 エッチの時になると、ルカトゥって結構性格が悪いんだな……。ぼーっとする頭の中で、私はそんな風に考えていた。

 ……次の瞬間、視界に白い光がバチバチッと弾けた。

「あぁっっ!?!?♡♡ かはっ……!?♡」

 一瞬、何が起こったのか分からなくなる。

 さっきまで先端にだけあったぬるぬる感が、今まで手にしごかれていた竿の部分を全部一瞬で覆い尽くしていた。一方で、蠢く舌にもてあそばれていた亀頭はもっと狭い場所に飲み込まれて、ずるっとどこかに抜け出すような感触を体験している。……そこから伝わってくるあらゆるものが艶めかしくて、温かかった。

 根元まで余さず突如訪れた未知の快感に、私は咄嗟に、ペニスが溶けてなくなってしまったのではないかと思った。……けれどしばらくした後、ずるずる……と股間のものが粘膜の中から引き抜かれるような感覚を受けて、あの少したじろいでしまうようなサイズの肉棒が、全てルカトゥの口の中に……喉の奥にまで飲み込まれていたのだということを理解する。

 どろどろの唾液まみれになった肉棒を解放したルカトゥが、その途端に一瞬えずくような反応を見せた。背中を丸めて肩を震わせて……。

「あ……」

 惚けてしまって、私は「大丈夫……?」の一言すら言うことが出来なかった。

 ルカトゥは口を閉じたままそんな私の方を見て、に〜っと笑みを浮かべる。彼女はそのまま一度ベッドから降りて、床に膝をつき縁から覗き込むような格好で私と目線の高さを合わせた。

「あ〜ん♡」

 開かれたその口の中で、ルカトゥの小さな舌が白濁の液体の中に沈んでいた。……ひとしきりそれを私に見せつけた彼女は口を閉じ、恍惚の表情を浮かべる。

 ごくん、と音が鳴る。ルカトゥは私に喉を見せつけるように上を向いて、それを飲み込んだ。そして僅かにだけ、気持ちよさそうに余韻の吐息を吐く。

 それから彼女は、いわゆる作法通りにもう一度口を開いて、そこに何も残っていないことを証明した。

「ごちそうさまでしたぁ♡」

「……あ、うん……」

「あれぇ、なんか反応薄い〜……。疲れちゃいました〜……?」

「いや、あー、まぁそれもあるんだけど……」

 下半身を脱がされた状態のままベッドの上でぼーっとして、そこから降りたルカトゥに顔を覗き込まれていると、まるで飼育されている動物にでもなったかのような気分になる。……それが今は、妙に抵抗なく受け入れられるものだったのだけれど……。今はそのあたりのことについてはどうでもよかった。

 重要なのは、見たり触れたりしなくても分かること。自分に生えている魔法の棒が、すっかりふにゃふにゃの状態に戻っていることの方にある。

「……私、射精したんだ……? わかんなかった……」

「あら、刺激が強すぎました〜……?」

「かも……。気持ちよすぎて、何がなんだか分かんなかった……」

「……あ〜♡ せんせぇ〜♡ もう〜可愛いよぉ〜♡」 

 身を乗り出したルカトゥが唇を重ねようとする……けど、寸前で彼女は思い出したかのように身を引いた。

「あ……、フェラしたあとの口でキスとか、嫌だったりします……?」

「え? あー、いや、べつに気にしないけど」

「舌入れても……?」

「いいけど」

 何も考えず、ただ頭が思った通りの答えを筒抜けに舌が綴る。……その中で私は、過去のことをぼんやり思い出していた。

 高校の頃、彼氏のモノを舐めた時はどうだったんだっけ……? 私はルカトゥのように手馴れた技術は持っていないけれど、向こうも童貞だったから、幸い射精させることは出来たと記憶している。それで私はその精液を飲んでみた。情欲を煽るようなパフォーマンスをする余裕はなかったけれど……。

 ……で、その後はどうしたんだっけ? 二度と精液は飲まないと心に誓って、それから……確かキスはしなかったはずだ。

 あの時はそもそも自分がキスをしたいと思わなかったから、しようという流れにすらならなかったから、ルカトゥが言うようなことを私は考えたことすらなかった。けれど確かに、漫画の中でならそんな話題も見たことがあったような……。

 ……そんな風に過去のことばかり振り返って、心ここに在らずとなった私の舌を、襲いかかるように激しいキスをするルカトゥが、健気にちゅうちゅうと吸っていた。

「ん……♡ ちゅ……♡ はぁ……♡ せんせ……可愛い……♡」

「んぅ……あ……ふぅ……♡」

 相変わらず彼女の舌は甘い。比喩でもなんでもなく「おいしい」と感じる。前に一度試した時は、そんなことはなかったのに……。

 その舌が私の口の中に触れまわるたび、これが私のことを気持ちよくしてくれたんだ……と考えてしまう。今日、ルカトゥから初めてキスを迫られた時には、キスというのはこんなに気持ちの良いものだったんだっけ……と感動したものだけれど、今となってはその感想も少し違っていた。キスは確かに気持ちいい……けど、それ以上の行為がもたらす快感とはまるで比べ物にならない物なのだ……と、私はそれを知ってしまった。

 サキュバスの力が察知するまでもなく、下半身にあるモノがアンテナとして、私の欲深さを再び表し始める。……キスに熱中しているように見えたルカトゥは、しかしそれを決して見逃さなかった。

「……せんせぇ?」

 目は私と合わせたまま、彼女の手のひらが優しくそれを握る。

「うっ……♡ ご、ごめん……」

「謝らなくていいんですよ〜?♡ えへへ〜、もう一回していいですか〜?」

 首を縦に振る時、思わず彼女から目をそらしてしまう。……けれどそんな恥じらいとは関係なく、あの抗い難い快感はすぐに帰ってきた。

 私はまた、夢見心地の惚けた世界に連れ込まれてしまう。そこから抜け出したいだなんて、これっぽっちも思うことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二回目の最初から最後に至るまで、ルカトゥが先端以外を口に含むことはなかった。そうすることで彼女は私に、射精の感覚と自覚を教えてくれたのだ。

 びゅっ、びゅっ、……と、その白濁液は断続的に発射される。それ自体はAVで他人事として見ながら想像していた感覚とほとんど同じだったけれど、射精の最中には、あの絶頂の直前に訪れるような腰の痺れがずっと継続しているものだった。それだって単体で見れば、女としての絶頂に悶えている時と大差がないとも言えるけれど……。

 違うのは、その感覚の中で射精という「排泄」が行われているということだった。私は快感のあまりに失禁するなんて経験はしたことがないけれど、射精は気分的にはそれに近いように感じる。自分には制御できない快感が形をもって体外に流れ出てしまうような感覚があるのだ。……しかもそれは今のやり方のままだと、全てルカトゥの口の中へ出てしまう。

 私は精液を口に含むことについて、二通りの感想を知っている。人間としての、味、臭い、舌触り……全てが不愉快なそれと、サキュバスとしての、飲めと言われれば平気でそれが出来てしまうような楽な感覚。どちらも知っているからこそ複雑な気持ちになる。ルカトゥが平気なことは分かっていても、射精というのは結局のところ排泄なのであって、それを人の口の中に行うということの意味を意識してしまう。AVや漫画を見たり、あるいは描いたりする時には、そんなことは深く考えずに良しとすることが出来るのに。

 ルカトゥはまた口の中を見せつけてから、出された物を全て胃の中に落としこんだ。そして今度はそのあとさらに、硬さを失ったペニスに再び口をつけて、先端をちゅうちゅうと吸い始める。そうすることで尿道の中にわずかに残った精液すら飲んでみせてくれた。

「ごちそうさまですぅ♡」

 そう言って微笑む彼女の頭を、私は無意識のうちに撫でていた。そしてこれもまた意識せずに、舌がほとんど勝手に動いて言葉を綴る。

「ありがとう、ルカトゥ。きもちよかった……」

「えへへ〜♡ よかったぁ♡ わたしも幸せでしたぁ♡」

 大袈裟に、彼女はそう言ってくれる。フェラをして精液を飲んで幸せだなんて、いかにもエロ漫画みたいな台詞だと思う。……だけどエロさを抜きにしても、私はその時純粋に、多幸感に浸った頭でだけれど、それでも確かにルカトゥのことを「愛おしい」と感じたのだった。

 けれど次の瞬間、私の脳みそは多幸感の海から瞬時に抜け出してしまう。……にこにこ満足そうな微笑みを浮かべたルカトゥが、そのままポロポロと涙を流し始めたからだ。

 目を疑うあまり、夢から覚めたような心地がした。

「えっ……!? えっ、どうしたの……? 大丈夫……?」

 私が突然不安そうな素振りを見せたせいか、ルカトゥはキョトンとした顔で目を丸くした。そして一瞬後に自分の頬に流れる涙に気がついたようで、「あれ?」と言いながらそれを拭う。

「あ……、なんか、幸せすぎて泣けてきちゃったみたいです〜……。あはは、ごめんなさい、変ですねぇ」

「変ではないけど………。つらいとかじゃなくて……?」

「違いますよぉ、全然。だってわたし、いま本当に幸せで、幸せで、すっごく幸せなんですぅ。せんせぇとエッチできて、ほんとうに……なんか……あははっ、感極まっちゃって〜」

「ルカトゥ……」

 彼女は確かに言葉の通り、涙を流しながらもずっと嬉しそうに笑っていた。受験に受かるとか、権威のある賞に選ばれるとか、そういう念願を果たした人が見せるものと同じような笑顔と涙が、彼女の今浮かべている物であったように思う。

 ……けれど私は、そこに責任を感じざるを得なかった。「先生とエッチをする」というルカトゥの念願に、泣くほどの意味を持たせてしまったのは、他でもない私だから。今まで彼女を泣くほど追い込んで、我慢させてきたのは私だから。

 それになお心苦しいのは、今彼女が私にしてくれたことはセックスではなく、ただのキスとフェラだったということ。セックスをして泣くならまだしも……、私がさっき知ったように、キスの気持ちよさというものは結局のところたかが知れているもので、フェラに至っては、私だけが気持ちよくなっているものでしかない。いくらサキュバスでも口の中で性感を覚えることはできないだろう。それは体を入れ替えたことのある私がよく知るところだ。

 なのに、今ルカトゥは目の前で、先生とエッチが出来た、嬉しい……と泣き笑いをしている。それはまるで質素な食事をご馳走だと言って喜ぶような、やつれた子どもを見ているようで……。

 じゃあこのままセックスもしてしまえばいいのでは? とは私も思ったけれど、二度も立て続けに満足させてもらった私のソレは今、肝心な時にうなだれて眠るただの役立たずでしかなかった。……そしてそれを自覚した瞬間に、重要なことに気がつく。

「あ、ルカトゥ、ちょっといい……?」

「ふぇ……?」

 ベッドに寝転がったまま手を伸ばし、彼女の頬に触れてみる。すると期待した通りもちっとした感触が熱と共に伝わってきた。さらにそのままさすってみると、すべすべと心地よい触り心地がする。

 ルカトゥは不思議そうな顔をして首を傾げる。そんな彼女に私は、なんでもないことのようにこう言えてしまった。

「おっぱいも触っていい?」

「あ、はい。どうぞ」

 膝を立てたルカトゥが胸を私にさしだす。彼女は服の裾に手をかけてそれをまくり上げようとしたけれど、それはさすがに私が止めた。

 服の上から胸に触れる。数分前に押し当てられた時と同じように、生っぽい柔らかさの中に指が沈み込む。……私はいよいよもって確信を得る。

「性欲が消えてる……」

 より実感に近い表現で言えば「自分の頭が正気に戻っている」。魔法を受ける以前までの半生と同じように、ルカトゥに何をしても、何を許されても、特に何も感じなくなっていた。まさか……と下半身を見たけれど、小さくなった陰茎はまだそこにある。解除は自動ではないという話だったのだから、それはそうだ。

 とりあえずは下を履き直す。そして私はようやく体を起こして、ベッドの縁に腰かけた。

「満足して、賢者タイムに入ったのかもですねぇ」

 言いながら、ルカトゥも私の隣に腰かける。彼女の涙はもうとっくに止まっていた。

 今はその至近距離の彼女に何を思うこともない。ついさっきまで深いキスをしたり、口で気持ちよくしてくれた相手がそこにいるんだ……と意識してみても、ドキドキすることもなければ勃起することもなかった。なるほどこれが賢者タイムなのだと言われればしっくり来る。

 けれど、そうであるならばなおさら、私には確信できることがあった。またその確信は内容の性質上、出来るだけ早くルカトゥにも伝えておかなければならないことだった。

「賢者でいられるうちに言っておきたいことがあるんだけど」

「なんでしょう?」

「……たぶん、ほぼ間違いなく、性欲は近いうちに再燃すると思う」

 それを聞いて、ルカトゥは目を細め口角を上げた。

「楽しみです♡」

「そう……? それなら何よりだけど……。けど、問題はその頻度だよ」

「ふむ〜?」

「どうする? もしさっきみたいな性欲が一時間に一回くらいのペースで戻ってくる物だったら、まともに生活できない気がするんだけど……」

 たとえば露出した肌を見るとか、スキンシップをするとか、エロい台詞を聞くとか、そういうことを条件に性欲が発生してしまうなら、それは心がけ次第でいくらかコントロールできるように思う。世の同棲カップルたちが皆そうしているように、一日一回か多くて二回かのエッチを挟んでいけば、今まで通りの生活が問題なく送れることだろう。

 けれど、許容されることが性欲のトリガーになると、それはまずい。それは完全に慢性的な物だ。ルカトゥが私に性行為を許容しないタイミングなんて物はおよそ存在しないだろうことが、先程の彼女の涙によって証明されているように思うし、その上彼女が私に許容を示してくれている事柄は性行為だけにとどまらず、ありとあらゆる分野にまで広がっている。私は毎日おはようからおやすみまで、ルカトゥから常に数多の何かしらを許され続けながら生きているのだ。……そのことにいちいち興奮していたらどうなる? まともな生活を送ることが出来るのだろうか……?

 もしかすると、私の性欲はインターバルがすごく長い物で、賢者タイムはこのまま半日くらい続くのかもしれない。それならさほど問題はないけれど……。実際にはそうならないだろうということが、漠然とした直感で、しかし強く確信できてしまうものだった。

 なんだかそういう話がどこかのエロ漫画にあったな……と思い出す。短いスパンで射精させ続けないと死んでしまう病気の主人公に、ヒロインたちが段々と辟易していくような物語が……。

「わたしはそれでもいいですよ〜? エッチに次ぐエッチな生活なんて、最高じゃないですかぁ」

「いや、度合いによらない……? なんか勘だけどさ、この賢者タイムは全然長く続かない気がするんだよね……」

「先生がムラムラするたびに、わたしがちゃんと性欲処理しますから〜。心配しなくても大丈夫ですよ〜?」

「そういう問題じゃ……。いや、でも、うーん……そっか……。……とりあえずしばらく暮らしてみないと分からないか」

「そうですそうです! な〜んにも心配ないですからね〜?」

「……もしかしてそれ、許容が性癖だって聞いたから言ってる?」

「えっ?」

 ぎくっ、と図星が顔に出ていた。

 本当に、身構えた時はあんなに完璧な名女優なのに、不意打ちにはなんて弱い子なのだろう……。おこがましいことに、なんだかその無邪気さが心配になってきてしまう。

 ……それからは予感に反して、しばらくの間私の性欲が再燃することはなかった。性欲が湧かないことには魔法のちんちんにまつわる何を試すことも出来ないので、私は漫画の執筆に、ルカトゥは家事と趣味の日常に戻ることにする。漫画を描いているうちは余計なことを忘れられるとは前々から思っていたけれど、私はそれから数時間のあいだ完全に、下半身に生えているモノの存在を忘れていたように思う。……尿意を催した時ばかりは強制的に思い出すことになったけれども。

 そんな平和を取り戻した日常に、変化が訪れたのは日が暮れてからのことだった。夕食を作るために台所に立っているルカトゥの後ろ姿を見た時に、私はふとこんなことを考えてしまったのだ。

 今、彼女に手を出したら怒られるかな? 火や包丁を使っていて危ないからあとにしてくださいって……。

 ……そう考えたことで私は異常に気づいてしまった。「手を出したら」なんて以前ではあり得なかった前提を持ち出している自分に気がついたその瞬間に、時を経てよみがえってきた衝動にも自覚が行き届く。しばらく存在感の薄れていた下半身の物も、その途端に猛々しさを取り戻してしまった。

 ……私はまな板の前に立つルカトゥに忍び寄り、わざとらしくその尻を撫でてみた。

「ひゃっ……!?」

 悲鳴のような声が上がる。……けれどそのリアクションと同時に、彼女はあまりにも手際の良すぎる速度で、すでに包丁をまな板の上に置いていた。偶然そういうタイミングだったのだろうか? それとも私の接近が通知の魔法で伝わっていた……?

 まぁ、そんなことはもはやどうでもよかった。というのも私は、決して本気で彼女を驚かせたいわけではなかったから。……ただ「驚かせようとした」ということを、許容してみせてほしかっただけなのだ。

 ルカトゥは、そういった欲求にこの上なく完璧に答えてくれる天才だった。

「もう、先生ぇ。我慢できなくなっちゃいました〜……?」

 そう言って振り返る彼女の表情には、明らかに喜びが……あるいは期待の色が浮かんでいる。そこで私も「あぁそうか」と気がついた。通知の魔法以前に、私の性欲が再燃したこと自体を、彼女はサキュバスの力で察知していたのだ。

 ルカトゥは味噌汁を作るための小さな鍋にかけていた火を止める。それはまるで、後ろ手に部屋の鍵を閉めるような手つきだった。

「お料理中なので、おくちでいいですか……?」

「ん……私はいいけど、ルカトゥはそれでいいの……?」

「はい♡ その……セックスだとたぶん、しばらく動けなくなっちゃうので……」

「え、なんで……?」

「だって、口だけでも気持ちよくなっちゃって……。わたし、今日も先生にした時イッちゃったんですよぉ……?」

「そうなの……?」

 それは初耳だった……というか、確かにその時の私はロクに関心も払えないほど朦朧としていたかもしれないけど、それでもルカトゥが絶頂しているようには全く見えなかった。

 そういうリップサービスだろうか……? それとも本当に……? と、なかなか釈然とはしなかったけれど、そうして半ばフリーズしかかる私の足元にルカトゥは跪いて、慣れた手つきで下着まで一気に下ろし脱がせてくる。

 ベッドの上ならまだしも、料理途中の台所という日常風景にはとても馴染めない異様なそれが、彼女の顔の前に晒された。

「へへ〜……♡ おっきぃ……♡ ……はぁ♡」

 すんすんと音をたてて、ルカトゥはいきり勃ったそれのにおいを嗅ぎだす。するとその表情はあっという間に期待を通り越して、恍惚に染まっていった。

 咥えこむ前に、彼女は亀頭の先にちゅっと短いキスをする。

「あむっ……♡ んっ♡ んっ……♡ れろれろ♡」

「うっ……♡ あっ……くっ……♡ はぁっ……♡」

 昼間と同じように、ルカトゥは先端だけを咥えて舐めまわす。それと同時に手の方では、快感に身を委ねることを勧めるようなゆったりとしたペースで竿をしごいてくれる。……それは相変わらず、ものの数秒で多幸感をもたらすような快感だった……。

 ……しかもそのフェラチオには、昼間とは違う魅力がさらに追加されていた。それは立ったままの私がルカトゥを見下ろせることで、視覚的にもこの上ない興奮が得られるということ。……私はもしかすると結構支配欲が強い方なのかもしれない。跪いてペニスに奉仕しているルカトゥを見下ろすと、なぜだかどうしようもなく昂るものを感じて、そう思った。

 得体のしれない昂りとの付き合い方に困って、全身が力んでしまうような快感の中で、私はとりあえずルカトゥの頭をなでてみる。

「んっ……?♡ ふふっ……♡」

 上目遣いでこちらを見上げた彼女が、心底幸せそうに目を細めてみせる。そこから「ありがとう」とか「大好き」という気持ちが伝わってきたような気がした。

 物理的な快楽とは別に、私はそこに何かものすごく抗い難いものを感じて、思わず声を上げそうになる。……けれどその衝動の正体が分からなかった。湧き上がる感情を言葉にしようとしたものの上手くいかず、結局は音にすらなれなかったそれが、喉につっかえては消えていく。

 そして、それについてあれこれと考えるような暇や余裕も、私には残されていなかった。手のひらにルカトゥの髪のさわり心地を感じながら、私は体の奥から絶頂が込み上げてくることを察知する。

「あ……ルカトゥ……、出そう……」

「んぅ♡ んっんっんっ♡」

 そう伝えた途端、送り込まれてくる快感のペースが上がる。包み込むようにねぶっていた舌はのたうち始め、しごく手は精液をしぼりとるように、最初とは打って変わった強制的なニュアンスで快感を与えてくるようになった。

 反射的に引きそうになった腰を、彼女の空いていた方の手が抱きつくように制止してくる。まるで逃げる獲物を捕らえるみたいに。

「あぁっ、でるっ……でるっ♡」

「ん〜♡ んっ……ふぅ……♡ ごくっ♡」

 ……私はまた、ルカトゥの口の中に惜しげもなく射精してしまった。昼間尿意を催した際に、やっぱりこの陰茎という物は排泄器官なんだ……ということを実感したはずなのに、そこから出てくる白くて不味い液体をルカトゥの口の中にぶちまけてしまう。彼女ならそれをされても平気だということをなまじ知っているから、逃れられない快感の大波の中では、あまり多くのことは考えられなくなってしまうものだった……。

 出されたものをそのまま飲み込んだルカトゥが、中に残った分をちゅう……と吸い出しながら、口をはなす。そして私の方を見上げながら手は膝について、

「飲んじゃいました〜♡ ごちそうさまぁ♡」

 あーん♡ と空っぽの口の中を見せつけてくる。

 ……私はそれを見ながら、快楽にのぼせた頭でなおどこか冷静に、もしかして自分の初めの見立ては間違っていたのでは……と感じ始めていた。初めて本物の性欲というものを体験した時に、それは「許容」に反応している物だと私は直感したけれど、もしかするとあれは勘違いだったのではないかと。

 そんなことを考えながら、股間のモノはまったく硬さを失っていなかった。それによって私は、献身的に奉仕してくれた彼女の眼前に「まだ足りない」と言葉より明確なメッセージを突き立ててしまっている。……ルカトゥはそれを愛おしそうに撫でながら、

「えへへ……♡ 一回じゃ満足してもらえないみたいですねぇ……♡」

 と、にやけた笑みを浮かべた。そしてそれと同時に私の目に向かって流れてきた視線が、「再度」の許可を乞っているようにも見えた。

 ……私は恐る恐る、ボーダーラインを探るような心持ちで彼女の頭を押さえて、その唇にペニスの先を押しつけてみる。

「んっ♡ はむっ♡」

 嫌な顔一つせず……というか、むしろ待ってましたという調子で、彼女はそれを再び咥えてくれた。

 その舌も手も、また最初の頃のような、ゆったりじっくりと快感を与えてくれる動きに戻る。あ〜……と気持ちよさを声に出しながら、私は「頼めば一日中でもこれをしてくれそうだな……」なんてことを考えたりした。

 ……けれどそれはつまり、一日中されても平気でいられる程度の、「抗い難い」とまでは言えないような快感だったという意味にもなる。段々と喘ぎ声は抑えられるようになっていって、私はルカトゥの頭を偉そうによしよしと撫でながら、どこか物足りなさを感じ始めていった。

 一瞬前までアンアン喘いですぐに射精していた奴が生意気な……と自分でも思う。けれどやはりというか、人間の欲は底なしで、すぐに今ある幸せには慣れてしまって、「もっともっと」と先を求めてしまうものらしい。それは決して飽きではない。飽きではないけれど……。

 まだ私が何も知らない子どもであれば、こんなことを思うことはなかったのかもしれない。けれど私は知識としてはもちろん、経験としても「先」の存在を知ってしまっているからダメだった。……ルカトゥの手がしごいている竿の部分が、唾液に濡れることなく乾いているその部分が、まだ残されている「快感の余白」のように見えてしまう。

 彼女の頭を撫でながら、これをこのまま押さえつけて腰に引き寄せたら、さすがに怒られるかな……? だなんて、そんなことを考えてしまっている自分がいた。

 きっと自分は今正気を欠いているのだろうな……と、他人事のように思う。

「はぁ……はぁ……」

「……んぅ〜?♡」

 私の良からぬ考えを殺気のように察知したのか、ルカトゥは口は離さないまま奉仕の手を止めて、こちらを見上げてくる。

「うっ……」

 その澄んだ瞳を見た途端、罪悪感に駆られた。

 料理中に性欲を向けられて、嫌な顔一つせずそれに応じてくれたルカトゥ。ひたすら私のことを気持ちよくするためだけに、二度にも及んで健気な奉仕を続けてくれているルカトゥ。……そんないい子に私は、無理やりこの硬い棒を押し付けようというのか? それで喉を突かれればどれだけ苦しいか、生娘でもあるまいし、決して知らないわけではないのに。

 悪い考えから少しでも距離を置くために、私はルカトゥをなでることをやめた。手はだらんと脱力しておき、与えられる快感に集中することにする。

 ……そう決め込んだ瞬間、ペニスの半分近くがグッと一気に飲み込まれた。

「あっ……!?♡」

「んぐ……♡ ぐぽっ♡ んふ……♡」

 亀頭まで唇を戻した彼女が、得意げな目をしてこちらを見上げる。「こっちの方が気持ちいい?」と言われている気がした。

 ……実際、少し深く飲み込まれただけで気持ちよさは段違いだった。温かい息に包まれる部分が増えれば増えるほどより心地よく感じるし、先の方が何やらやわらかい箇所に当たる感じがして、その箇所が舌よりもさらに熱くて……こう……なんというかすごい。……けれどそれはたぶん、彼女の喉の奥の脆い部分に触れてしまったということなのだろう。

 苦しくないの……? ……私がそう言葉にする前に、ルカトゥは再び同じくらいの深さでそれを咥えこむ。

「あっ……♡ ルカトゥ……それ……っ♡ うぁ……♡」

「んぐ♡ んっんっ♡ んっぐ♡」

 熱い喉に何度も亀頭が押しつけられる。少しくぐもったような声はするけれど、ルカトゥがこれといってえづいたり苦しんだりするような素振りはなかった。

 ……もしかしてサキュバスの体は特別だから、これくらいの無茶なら平気なものなのかな? 気持ちよさの中にそんな思考が浮かぶ。もし平気なら、もっとしてもらってもいいんじゃないか……とか。

 身に余る欲だと感じる。今のままでも十分気持ちよくて、このままそれを続けてもらえれば、そう長引くこともなくまた射精感が込み上げてくることが容易に想像できた。……けれどまだもう数センチほど、「彼女の口の中に入っていない部分」が見える。「余白」が目に映ってしまう……。

 ……私の彼氏は、口で射精する時には頭を押さえつけてくる人だった。私はそれが苦しくて嫌だったのだけれど、彼にはっきり「嫌だ」と伝えることは一度もできなかった。それは私の精神的な弱さゆえのことでもあるのだけれど、何よりその身体的苦痛が我慢できる程度の物であったことが大きかったように思う。……あの彼は高校生相応にあまり気の利くタイプではなかったけれど、それでも硬く勃ったモノを女の喉に根元まで押し込もうとするだとか、そんな鬼のような真似をする男ではなかった。

「……んぅ?」

 両手で頭を掴まれたルカトゥが、異変に気づいてか口淫を中断する。それはもう不可解に思うだろう。彼女の頭をなでて労うためなら、両手を使う必要なんてどこにもないのだから。

 経験豊富なルカトゥなら、きっとそれだけで私の言いたいことを察してくれるだろうと期待した。そして表情だけで演技ができるルカトゥなら、口が塞がっている状態でも、嫌なことには嫌という意思表示をやってのけてくれるだろうと期待した。彼女が首を横に振ったり、うーうーと拒否の声を上げたら、私はまたこの両手から力を抜けばいいだけだと思っていた。

 ……けれど彼女は、首も振らなければ、うめき声すら出さなかった。そのかわりに、彼女は私の欲望を半ばまで咥え込んだまま、大きく口を開けて「んべーっ」と舌を伸ばして見せた……。

 私は一瞬戸惑う。自分にとっての常識と、目の前のリアクションから受ける印象が噛み合わなかったから。……まさかとは思うけれど、ルカトゥは「余裕ですよ」とでも言っているのだろうか? 私の思い違いではなく……?

 こんなことなら、彼女と体を入れ替えたあの時に、イラマチオもきちんと体験しておけばよかった。…………そんな風なことを考えながら、両手で捉えた彼女の頭を、そのままぐいと腰に引き寄せてみる。

「んくっ♡」

「あっ……♡」

 手のひらほどある長さの物が、おどろくほどすんなりと根元まで入ってしまった。そしてルカトゥは、苦しそうな声は少しも上げなかった。

 引き寄せた時、つっかえるような感覚はなかったけれど、最後の数センチが押し込まれた瞬間には確かに、亀頭がずるっと狭い場所に入り込むような感覚があった。そこは熱くぬめった肉の筒のような場所で、入れているだけで最高に気持ちいいのだけれど、何よりそこに入り込む時の刺激が一番の快楽をもたらす物だった。

 ……そこに抜いてねじ込んでを繰り返したい。そんな欲望が思考を侵食して、腕に力が入る。

「……ルカトゥ、ごめんっ」

 私はそのあたりでついに、苦しむ素振りのない相手を気遣うことに嫌気がさしてしまった。

 一番気持ちのいい部分へ向かって……彼女の喉奥に向かって、ただ自分が快楽を得るためだけに、一心不乱に腰を振る。思い切り彼女の頭を引き寄せる。……腕に伝わる重量感だけがギリギリのところで私に「相手は自分と同じように心を持つ、尊い命である」ということを忘れさせずにいたように思う。

 ……その上でなお腰が止まらなかったのだから、タチが悪い。

「んっぐっ♡ んっんっんっ♡ んぅっんっぐ♡」

「イ……でるっ、イクっ……うぅっ……♡」

「んぇ……♡ んっ……♡ ふっ……♡」

 彼女の鼻が自分の腰に当たるくらい思い切りねじ込んだ状態で、私はひとりよがりな射精をした。その快感の中で、頭では「早く抜いてあげなきゃ」と思うのに、脈打つように出ていくそれはなかなか途切れが見えず、いつまでもしつこく彼女の喉を汚し続けた……。

 ……あまりにも気持ちがよすぎて、ほんの少しだけ、「これがずっと続けばいいのに」という恐ろしい考えが脳裏をよぎった。

 射精が終わると、惚けた中でどこか冷静さを取り戻しつつある脳みそが、私にある光景を思い出させる。昼間、今と同じようにおそらく根元まで陰茎を飲み込んでくれていたルカトゥがそれを引き抜く時、一瞬だけえづくような素振りを見せていたことを。

 早く彼女を苦痛から解放してあげなければという気持ちと、雑に扱うと余計に苦しませてしまうかもしれないという考えが合わさって、罪悪感の中でジレンマになる。私は慎重に慎重に……けれど出来るだけもたつかないように、彼女の喉から自分のモノを抜こうとした。

 ……その過程の最後の方で、私は、ルカトゥが自分からそこに吸いついていることに気がついた。糸を引くほど濃い唾液に濡れたモノの先端が彼女の口から抜け出る時、ちゅぽっという水音が鳴る。

 恍惚に目を細めたルカトゥが、私のことを見上げて言った。

「きもちよかったですかぁ……♡ せんせぇ……♡」

「……うん、すっごく、よかった……」

 思考することは出来ているはずなのに、依然、頭は朦朧としている感じがする。ほとんど反射のような感覚で、私はルカトゥの頭をなでた。彼女は「えへへ〜♡」と、まるで子どものように屈託ない笑みを浮かべてくれる。

 ……今起こっていることが何なのか、何が本当で何が勘違いなのか、私には分からなくなった。今も私の前に跪いたままでいるこの愛おしい女の子は、彼女のことを愛おしいと感じるこの心は、本当だろうか……? 愛おしいと思うなら、どうして私は彼女を、まるで物のように扱えてしまったのだろうか……?

 勝手に満足して垂れ下がった肉の棒に、ルカトゥが名残惜しそうに口をつける。ちろちろと舌先でその先端を舐める。

「んへへぇ……♡ 先生ぇ、はげしくて……すごかったですぅ……♡ ちゅっちゅっ……♡ えへへぇ……♡」

 ……そう言って興奮からか息を荒らげるルカトゥが、その目からまた涙を流していた。本当は苦しくて仕方がなかったからだろうか……? ひどい扱いをされて悲しかったからだろうか……? ……そうではないのだと、私も頭では分かっているのだけれど。

 私はその場にしゃがみこんで、彼女のことを抱きしめる。合わせる顔がないからそうしたのかもしれない。

「ごめんね……。ひどいことしてごめん……」

「え、えっ? 先生ぇ……?」

 ルカトゥは途端に不安そうな声を出す。ミミのことを思い出しているのかもしれない。私もそれを思い出していたから、そこだけはちゃんと否定する。

「ルカトゥが大丈夫なのは、分かってるよ。無敵なんだから、これくらいどうってことないんだろうなって、ちゃんと分かってるよ。……でも、それでもごめんね」

「えっ……、先生ぇ、どうしたんですかぁ……。分かってくれてるなら、謝らなくていいのにぃ」

「うん、そうだよね……。そうなんだけど……」

 ルカトゥが平気なことは分かってる。私たち二人の間に罪悪感は不要な物だということも分かっている。けれどそれでも、性欲が抜けて冷えた頭で考えると、自分のしたことがとても恐ろしいことであったように思えて仕方がなかった。……数秒前の私は生まれて初めて、僅かな間とはいえ本当に心の底から「相手が平気なら何をしてもいい」と考えていたように思う。

 それは私の目指すべきものであったはずだ。ルカトゥが求めているものでもあったはずだ。……なのになんだろう、この違和感は……? ついに念願の境地を垣間見たのだという感慨はこれっぽっちもなく、レイヤーを間違えた時のような違和感ばかりが付きまとう。

 そしてその違和感の中で、私はあることを思い出したのだ。レイプとそれ以外の区別は同意の有無によってではなく、事後の対応によって付けられる物なのだということを。

 けれど、十代にも劣るガサツで気遣いのできないダメ人間である私には、ただ抱きしめること以外にはロクなケアを発想することもできなかった。……それでもせめて、ルカトゥの喜びもしない言葉ばかりが口をついて出てしまうことくらいは、どうにかしたい。そう思った私は、努めて「正直な感想」を口にする。

「……あのね、ルカトゥ」

「はい」

「こんなこと言ったら、ひとりよがりかもしれないけどね……。本当に、すっごくすっごく気持ちよかった。ちんちんも脳みそも溶けちゃいそうだった。……ありがとね?」

「……ふふっ、どういたしましてぇ♡」

 それまでされるがままに抱きしめられていたルカトゥが、そこで私のことを優しく抱擁し返して、それから頭をなでてくれる。怖い夢を見たんだと泣く子どもをあやすみたいに、その手つきはひどく優しいものだった。

「先生は、性欲を思いっきり発散することが初めてだから、ちょっとドキドキしちゃったんですよね。大丈夫ですからね……」

「……うん、ごめん、ありがとう」

「よしよし〜、どういたしまして〜。……かわいい先生ぇ、本当にぜんぶ大丈夫ですからね。先生の好きなようにしたら、ぜ〜んぶ、なんにも問題ないですからね」

「……またそうやって、誘惑してるんでしょ」

「えへ、さすがにバレちゃいますか」

 お互い抱きしめあったまま、ルカトゥがくすくすと笑う。私もつられて笑った。

 抱擁を解いて、お互い持ち場に戻る。私は下を履いてその場を離れ、ルカトゥは「ご飯もうすぐですからね〜。テレビでも見ていてください〜」と料理に戻る。……彼女のエプロンはこぼれた唾液に濡れていた。

 私はその後、言われた通りにテレビの前で料理の終わりを待った。録画していたアニメを見る。再放送の物ではないけれど半ば惰性で見ていて、いっそ視聴を打ち切ってしまおうかと思案している物を、本当に時間を潰すためだけに見た。……頭の中を整理するにはそれがちょうどよかった。

 断言するけれど、もし私が今のこの自分の体のままで、さっきルカトゥが私からされたようなイラマチオを体験したら、五秒ともたずに嘔吐する自信がある。私が彼女に強いた行為は本来そういったもの……端的に言えばただの暴力だった。腹を蹴ったり踏んだりすることと、本質的にはそう変わらないことのように思う。

 サキュバスは性欲を食べて生きており、それ以外の食物は本来必要としていない。つまり彼女が作ってくれる食事は全て私だけのためにある物であり、彼女の行う料理という行為自体も私だけのためにある物ということになる。もちろんそれは彼女らサキュバスが性欲を食べる段階に至るための布石、処世術のうちの一つなのだろうけど、しかし本質的には全て……ルカトゥが私にしてくれるエッチ以外の全ては、お互いのためではなく私だけのためにある物なのだと言えてしまう。

 私だけのために尽くしてくれている彼女をつかまえて、暴力に晒し、満足したらまた尽くさせる。……そんな暴挙の後で私は、のんきにテレビなんか見ているわけだ。これが異常事態でなくて何なんだろう? そう思うのだけれど……。

 しかしそれはよく考えてみれば、仕事に疲れて帰ってきた彼女が初めに目にするものは遊び呆けている私の姿で、それを横目に、その私のためだけに料理をしたり掃除をしたり、家事の全てをこなしてくれる。……そんな日常風景と何がそんなに違うのだろう? とも言えてしまうことだった。そして私は明確に決定したはずだ。それについての罪悪感や良識は、少なくともこの家の中では捨ててみせると。

 これでいい、これこそがいい。そう自分に言い聞かせる。現にルカトゥは喜んでいる。つらそうになんかこれっぽっちもしていない。それとも、それらはすべて名女優たる彼女の演技か? いや、あり得ない。それらが全て演技なのだとしたら、彼女にはわざわざそんな演技をする理由がないから。…………本当にそうだろうか? 改めて考えてみる。たとえばそう、ルカトゥはもしかして、私に嫌われないために無理をしているのでは……?

 ……そう考えてみても、その見方にはやはり若干の無理がある。というのは、今私の下着の中でなりを潜めている魔法の陰茎は、ルカトゥが自ら提案してここへ持ち込んだ物だから。しかも彼女はその魔法の性質にある程度詳しかった。だからきっと今さっきあったようなことを自分が体験する想定だってしていたはずで、その上で魔法を提案したはず。……それを「先生に好かれたくて仕方なく」だと考えるのは無理がないか? それに彼女は家庭菜園や初詣の時のように、私の気が進まないことを知っていてなお提案を進めてくることがある。仕方なく説ではそこに説明がつかない。

 そのような理由から、やはりルカトゥの行動原理はいつも単純に「本人がそれをしたいから」であるように思う。だから今も全くこれで良いのだ、問題なんか何もないのだ。……私はそう自分に言い聞かせ続ける。良識という物は、土壇場では簡単に捨てられてしまうくせに、呪いの人形のようにやけにしぶとく戻ってくる物だった。

 性欲が今も生きていれば、この歪な状況が問題なく成立してしまっているという事実自体に「許容」を感じて興奮していたのだろうか? そんな風にも思うけれど、そればかりは永遠に分からない。なぜならその歪な状況という物は今の通り、私の性欲が搾り尽くされることをもって完成する物だから。

「お待たせしました〜」

 ルカトゥが出来上がった料理を配膳し始める。私はそれを一切手伝わない、手伝うと怒られるから。ルカトゥは私の全てをやってあげたい人なのだ。

 お茶を注ぐところまで彼女が担当し終えたところで、二人で「いただきます」と手を合わせ食べ始める。甘辛く味付けされた肉野菜炒めを、肉と野菜が大体均等になるように箸で口まで運ぶ。

 一方でルカトゥは、自分が口に入れる分ではなく、皿に残る物の方の割合が均等になるように選り好んで箸を伸ばしているように見えた。

「それで先生ぇ、どうですか〜? 感想の方は」

「うん? おいしいよ」

「あ、じゃなくて。今日一日の感想みたいなぁ」

「……あー」

 行為のあとにサキュバスらしい顔で「きもちよかった?」と聞くような彼女が、今こうして改めて感想を聞いてくるということは、その意図もなんとなく察することが出来る。要するにそれはレビューの催促だろう。新しいアプリをインストールした時なんかに出てきがちなアレと文脈が同じだ。

 ……そうするとルカトゥはやっぱり、「最高! 明日からもずっとエッチしたい! ちんちん生やす魔法を受けてよかったー!」……的な感想を期待しているのだろうか? あるいは「実に興味深い、面白い漫画がいくらでも描けそうだ!」みたいな感想を?

 何にしても、だから正直なところを伝えることは心苦しかった。かといって上記のような星五レビューをしてしまうと、それは「嘘」を見張る彼女の魔法のアンテナに引っかかってしまう。そして彼女はそういう「遠慮」を何より嫌うものだ。

 コップの茶を半分ほど飲んで、私は正直者になる覚悟を決める。

「一言で言うと、すごく危機感がある」

「危機感……? ですか〜……?」

 言葉の意味を測りかねたルカトゥが、目だけで話の続きを促してくる。……その顔を見ても、今はまだこれといった劣情を催さない。

「うん。……無責任に聞こえるかもしれないけど、私はこれでも反省しているわけですよ」

「え、先生が反省するようなことないですよぉ……?」

「いや、私も、悪いことをしたとまでは思ってないよ? ちょっと自分の快楽以外の全部を無視して動いたりはしちゃったけど、べつにそれで誰が傷ついたわけでもないし、ルカトゥはむしろ喜んでるし」

 こくこくこく、とルカトゥが熱心にうなずく。実にその通りだ、という彼女の強い気持ちが伝わってくる。

「でもさ、昼間は私、なんていうかその……少しされるだけでてんやわんやだったでしょ? でもそれがたった一日の間に、あっという間にさっきみたいな感じになったわけですよ。……ってなると嫌な予感がしない?」

「う〜ん……? 嫌なって、たとえばどんな〜……?」

「たとえば、この調子で私が性欲に染まっていったら、来週あたりのルカトゥはどんなことをされちゃってるんだろう……とか。そういうこと」

「あ〜、なるほどぉ」

 味噌汁を一口すすってから、ルカトゥが言う。

「つまり、罪悪感ですか」

「……まぁそうなるね」

 私がそう答えると、ルカトゥは少しだけ寂しそうにはにかんだ。……分かってはいたけれど自分が不甲斐ない。

 彼女の今考えていることは私にも大体分かる。そもそもの話、この魔法を受けるための事前説明を受けていた段階で、すでに私は彼女に確認をとっていたのだ。冗談抜きにプレイとかではなく、オナホ扱いされるかもしれないのに大丈夫なの? と。そしてそれについてルカトゥは平気だと即答した。

 性愛の対象が強制的に女性にされると聞いた時には「あのやり取りはなんだったんだ」と思ったものだけれど、蓋を開けてみればこの通り、それが大きな意味を持ってくることになる。来週の私がルカトゥをどのように扱っていたところで、それは彼女の無敵性の範疇に収まる話でしかない。だから「ルカトゥには問題ない」ということになる。言い方を変えれば、問題があるのだとすれば、それは必ず私の側にあるということになる。

 それは、まったくその通りのことだった。私は「反省」をしてしまっているのだ。誰も傷つけず、むしろルカトゥのことは喜ばせられ、さらには自分の欲望まで満たしているというのに、そこに反省が付きまとってくるのである。「来週あたりどうなっているか分からない」という言葉がかかってくるのは、ルカトゥの安否ではなく、この部分なのだ。

 来週あたりのルカトゥがどんな目に遭っているのかは定かではない。そしてそれを踏まえての私がその時どんなことを思っているのかも、また定かではない。しかし何にせよ、そこに良い意味が含まれているとは到底思えないのだ。

 が、じゃあこの魔法はもう辞めようという話になるのかというと、それではあまりにも不甲斐ない。

「ルカトゥ、私は、有言実行を信念にしてるわけじゃないけど、でも出来るだけそうしたいとは思ってる。良心とかいう余計なしがらみを、ちょっとくらい忘れられるようにするとかさ、そういう風にしたいの」

「先生ぇ……。そう思ってくれるのはすごく嬉しいですけど、そのために無理をするのだけはやめてくださいね……?」

「分かってるよ、もちろん。……だからそこで提案があるんだけど」

「なんでしょう……?」

「……まずはセックスをしてみない? 私たち」

「え」

 ルカトゥが虚をつかれたような顔をする。親しい間柄の、それもちんちんが付いた人間からセックスを迫られたサキュバスの表情として、それはなかなかレアなものである気がした。

 食事中にこんな話をするのは実家だったら……と、デジャヴ感のある思考が脳裏をよぎる。そんなピュアなことを気にしていられるような次元は、とうに超えてしまっているはずなのだけれど。

「口でしてもらうのはすっごく気持ちいいし、正直最高なんだけど……。それでこれは、すごく人間的な価値観なのかもしれないけど、……でもやっぱりフェラだとこう……ウィンウィンな感じ? みたいなのが、やっぱりないんだよね、私としては。一方的にしてもらってるって感じでさ」

「あ〜、まぁ、そういう感覚があるっていうのは、わたしにもなんとなく分かりますぅ」

「ん、分かってもらえるなら話は早い。……で、もしかしたらセックスならその点が解決できて、罪悪感も薄まるんじゃないかな〜と思ったわけですよ」

「なるほどですぅ」

 そう相槌を打ってくれるルカトゥが、実際どの程度納得してくれたのかというところは分からない。そもそも私には彼女の行為中の淫靡な振る舞いのどこまでが演技で、どこまでが本音のリアクションなのかも分かっていないから。

 けれど、セックスなら罪悪感が薄まるのではというこの考えには根拠があった。それはまだ私が彼女のことを同性愛者であるとは知らなかった頃、軽い気持ちで彼女の体に触れ、弄び、いたずらに性感を与えてしまった時のことを今改めて振り返っても、なんて軽率で残酷で失礼なことをしてしまったんだ……と悔やむようなことは、さほどせずに済んでいることに由来している。

 もちろんその時のことを悪いとは思っている。善か悪かで言えば十割が悪だったと思う。けれど良心から解脱するということは、善悪から解脱するということにもかなり似ていて、あの一件は数々の良心にまつわる事件の中では、比較的簡単に「ルカトゥが許してくれてるから良し!」と出来る物であるように思う。なぜならあれは、日常に潜む労働の全てを押しつけることや、自分の快楽のために(本来なら)耐え難い苦痛を強いることとは違って、普通の恋人たちが同意の上でするのであれば「尊い行い」だとされる物だから。

 おそらくそういう理屈で、私は自分の行いに納得することが出来る。従ってセックスでルカトゥにも気持ちよくなってもらえれば、それが自分の性欲を解消するための行為だったとしても、いくらか罪悪感を薄められるのではと考えたわけだ。

 ……けれど意外なことに、ルカトゥはその提案にしぶい顔をした。いくらなんでもこんな魔法の話を持ち込んだ張本人が、セックスはしたくないだなんてことはないだろうに。

「セックスをするってなると、わたしの方にちょっとだけ、不安なことがあるんですよね〜……」

「百戦錬磨のルカトゥに……?」

「そうなんですけどねぇ……。……先生は、初めてわたしの裸にさわった時のことを覚えてますか……?」

「まだキミのことを同性愛者だと確信してなかった頃の話?」

「そうですそうです。……あの時のわたし、胸だけですぐイッちゃったじゃないですかぁ」

「演技じゃなければそう見えたね」

「あんなところで演技するわけないですよぉ。……それで不安っていうのは、胸だけであんなだったのに、セックスなんてしたら……その……どうなっちゃうんだろうって……」

「こわい……?」

「感じちゃうことは怖くないですけど、先生に引かれそうなことがこわいです〜……」

「いや、そこは大丈夫でしょ。私も結構キミのアレな内容の作品を見てきたからさ。今さらちょっとやそっとじゃ、ねぇ……?」

 私が触れた時のルカトゥの反応は、あれが本当の本当に演技ではないというなら、確かにかなり異常なところがあった。仕事として様々なプレイをこなしながら作ったリアクションを取れる余裕まであるような猛者が、素人の拙い手つきであっという間に絶頂させられてしまうだなんて、普通に考えればあり得ないことだ。けれどルカトゥには精神的な作用によって、その普通ではないことが起こってしまうらしい。……いわゆる脳イキとやらに近いことなのだろうか? よく分からないけれど。

 私がたった一日のうちに深まっていく性欲に危機感を覚えたように、ルカトゥもたかだか胸を愛撫されただけで受けた快感に危機感を覚えているのだろう。その理屈は分かる、分かるのだけれども。

 しかし私だって、毎日顔を合わせるような友人が素っ裸のまま白目を剥きかけたアヘ顔で「おチンポだいしゅぎぃ゙〜!!♡♡ ぎもぢい゙ぃ〜!!♡♡」と叫ぶ様を見てきたような、ある意味での猛者である。少なくともセックス中のルカトゥがそうなったくらいではうろたえない自信があった。

 ほんの数ヶ月前に「無敵」と「遠慮」が衝突しあった時のように、今またお互いの「自信」と「危機感」が衝突しあっているような感がある。今回は私も受け止める側で参戦できているところがちょっと嬉しかった。

「……まぁ、引かれないなら、わたしもやっぱりセックスはしてみたいですけど」

「じゃあ決まりだね。明日また私が正気を失ったら、その時はセックスをしよう」

「えへへ……。楽しみにしてますね……?」

「こちらこそ」

 そうして話はまとまった。

 夕食を綺麗に平らげて、交代で風呂に入る。僅かに漏れてくるシャワーの音を聞いても、その後皿を洗っている彼女の後ろ姿を見ても、今日のところは性欲が戻ってくることはなかった。湧いた際の衝動性は強烈すぎるけれど、頻度的にはこのくらいなら問題ない範囲だなぁ……と我ながら少し安心する。

 そしてその安心は、ベッドの上で布団にくるまって、意識を夢の中に落とすその時までずっと続いた。ベッドに寝そべったらルカトゥにしてもらったことを思い出して性欲が戻ってきてしまうかもしれない……と危惧したけれど、意外にもそんなことは全く起こらなかった。

 危機感というものは、そのように案外すべて杞憂で済むものなのかもしれない。

 

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