本作で影の薄い夕立が出てきます
高いウイスキーってどんな味がするんだろ……
数日が経った。
相変わらず叢雲との立場関係は変わらない。僕は彼女に見下され、彼女の指示にただ従う。怒鳴りや暴力は回数が減ってきたとはいえ未だに残っているし、一時的に落ち込むこともある。
だけど、彼女が僕を見る目は少しだけ変わったと思う。言葉に上手く表せないけどゴミを見るような目で見られているのを感じる事は無くなった気がする。
何が良かったのか分からないけど叢雲が少し僕を見直してくれるような事があったのかもしれない。
もっとも、彼女にどう見られているかは今となってはどうでもいいことなのだが……
ー--------------------
「今日はこれで終わりね」
「お疲れ」
今日は、仕事が早めに終わった。照月と行為をする日じゃないし、夕食にまではまだ時間がある。今日は何をしようか。
「忘れる前に渡しておくわ」
考えを遮るように叢雲に1、2mmぐらいの厚さの封筒を渡された。
「何だこれ?」
「給料よ。受け取れて良かったわね。ピンハネとかはしてないから安心しなさい」
給料と聞いて心が踊るのを感じた。
「ありがとう……」
彼女は返事を返さず無言で執務室から廊下へと出ていった。
ー--------------------
封筒の中の1万円札の数を数えると丁度20枚あった。
「20万か……」
提督の給与の額としては決して多くない金額。だけど、自分で稼いだという実感にズシリとした重みを感じる。
何に使おうか?
単純にゲームや酒類のような娯楽に使うのもいいと思う。
いつもの貧相な食事をすこしでもマシにするために嗜好品の類を何か買いこんでおくのもいいかもしれない。
ホコリまみれの鎮守府を掃除するための道具を自腹で仕入れるのもいい。買い出しのための自転車も欲しいだろう。
それに……できる事なら、照月との関係に使いたい。
僕は、まだ彼女が深海棲艦を玩具にする事と性行為以外の好きな物を知らない。彼女の事をもっと知りたいし、できることなら彼女が新しい好きな事を見つける手助けをしたい。彼女がそれを望んでいるかは分からないけど……
コンコン
考えていたらドアをノックする音がした。
「提督さん、入っていですか……?」
夕立の声だ。
彼女が執務室に来るのは珍しい。来ても叢雲から呼ばれたのが理由だった事だけだが、生憎今は叢雲がいない。
「夕立か。叢雲はいないぞ」
「違う……提督さんとお話したいっぽい……」
「僕と? いいぞ」
「失礼します……」
ドアが開いた。
「どうしたんだ?」
「これ……響が提督さんに渡してこいって言われたから……」
夕立は一万円札を右手に二枚握りしめていた。
「どういうことだ?」
「実は……響と賭けをしていて……」
話によると響と一緒に僕が提督を辞める期間で賭けをしていたという話だった。結果的に二人とも賭けに負けたのだから配当金は僕が受け取るということになったらしい。
何もしていない自分が2万円を受け取ることに悪い気がしないわけでは無いけど、2万円という額は大きいし、2人が賭け事で決めた事となるとそれに従うのも悪くない気がする。素直に受け取ることにした。
「そういう事ならありがたく受け取っておくよ」
「提督さん……その……」
僕に二万円を渡した夕立がなにか言いたそうにモジモジとしている。
「どうした? 何か話したいことでもあるのか?」
「ごめんなさい!」
到達な謝罪の言葉と頭を下げる夕立に首を傾げた。
「突然どうしたんだ?」
「実は、提督さんを殴ったことや大切な写真を破った事をずっと謝りたくて……」
「そんな事か。気にするな。悪いのは、目の前のことに夢中で提督の証を失うことによって起きることを想定していなかった馬鹿な自分だからな。無能だし、卑屈だし、仕事は遅い。夕立もそんな僕が嫌いだっただけだろ?」
あえて自虐気味に言ってみた。僕は間違いなく叢雲と夕立の2人に嫌われている。そうでなければ日常的に暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたりしない。
この関係は、僕が叢雲に弱味を取られている(破られた写真には複製があると叢雲が言っていた)限り、続くだろう。
今更なんだと言うんだ。僕には照月さえいればいい。彼女さえいればこれまで通りにゴミ扱いされてもいいし、殴ってもらって構わない。むしろ、何の役にも立たない自分がストレス解消の道具になれただけ良かったと考えるべきではないだろうか?
「違うの! 夕立は臆病で……叢雲が殴れって言ってそれで……」
「ん? どういうことだ?」
話を聞いてみると夕立はとても臆病な性格で叢雲の指示には逆らえないらしい。殴れと言われて仕方なく殴ったという話だった。
嘘をついていないと思うけど引っ掛かるものがある。あの時の夕立は、初めの方こそ怯えを感じた気がしたけどそれ以降は楽しくてやっているという感じがした。事実として僕をゴミ捨て場に捨てようと提案したのも彼女だった。
「その割には楽しそうにしてなかったか?」
「うっ……それは……」
戸惑う夕立を見て響が夕立を日和見主義者と言い捨てたことを思い出した。
普段は大人しくしているけど他人が虐められているとそれに加わるタイプの人間なのかもしれない。
人それぞれだし悪いと言うつもりは無いけどコウモリとして振る舞うのは、敵を多く作ることになる。余計かもしれないけど夕立のために一言だけ言うことにした。
「叢雲が相手だし、殴られるのが自分だからしょうがないとは思うが程々にしておけよ。何かあった時に困るぞ」
「うん……本当にごめんなさい」
「もしかしてこの鎮守府に送られたのもそれが理由か?」
「夕立は臆病で戦闘の役には立てないから……提督に嫌われてそれで……」
「なるほどな……」
話を聞いてて叢雲に虐められていないか不安になってきた。彼女なら夕立が臆病な性格である事は直ぐに見抜くだろうし、仕事が出来ない人間は叢雲の嫌う対象だ。大丈夫だろうか?
「この鎮守府ではどうなんだ?」
「照月は怖いし、叢雲には逆らえないし、響は冷たいし、ご飯はあまり美味しくないけど……それなりに楽しくやってる……ぽい。執務みたいな面倒なことは叢雲が殆どやってくれるし、普段の叢雲は夕立には優しいし、指示もちゃんと出してくれるし、任務以外の時間は自由だから……」
「あの叢雲が優しい? 意外だな」
「提督さんにはきつく当たっているけど皆には優しいっぽい。仕事は真面目にやれと言うけど悩みごとの相談に乗ってくれるし、任務でミスしても次に生かせばいいと言ってくれるし……」
叢雲の意外な一面を見た気がした。僕の見る彼女はプライドが高く常に機嫌悪そうにしていて、何かあると必ず暴言を吐いてくるそんな人間だった。秘書艦としても艦娘としても実力は確かだったけど性格のキツさを苦手に思っていた。
他の人間や艦娘に対してもそんなものだろうと思っていたけど嫌悪の対象は、今のところ鎮守府内では僕だけのようだ。
一度理由を聞いたときに僕の欠点が全て嫌いと言わんばかりに散々に言われた事を思い出した。嘘はついてなかったと思うけど本当にそれだけの理由で嫌いになるのだろうか? 少し疑問に思う。
「提督さん大丈夫?」
黙っている僕を不思議に思ったのか、夕立が僕に声をかけた。
「すまん。少しボーっとしてたな」
叢雲は何故、僕を激しく嫌うのだろうか?
「夕立。なんで叢雲が俺を嫌っているのか何か知ってないか?」
「うーん……見ててムカつくとかイライラするとかそんなことを言っていた気がするかなぁ……なんで提督さんが嫌いなのかは何もわからないっぽい」
夕立から聞いた話からは僕への悪口は生理的な嫌悪感に近い呟きに感じた。
叢雲は潔癖症でただ単に生理的に受け付けないだけなのか。それとも、過去に何かあったのだろうか?
そういえば僕は叢雲の過去について何も知らない。
現在の横須賀の提督の初期艦であり秘書艦を長年勤めていたという華々しい実績(未確認情報だが)があり、実力も確かなのにも関わらずなんでこんな僻地にいるのだろうか? 他の鎮守府の事情を知っているわけではないが彼女なら、引く手あまたの人材だろう。
そして、明石は提督を半殺しにしたと言っていたけど何故そんなことをしたのだろう? また、それほどの事をしたのに何故、僻地に送られる程度の物ですんでいるのだろうか?
考えてみると疑問が次々と浮かぶ。
「叢雲の過去について何か知ってないか?」
「夕立は何も知らないっぽい。夕立よりも前からいる響や照月なら何か知ってるんじゃないかな?」
響と照月。たしかに意図的にこの鎮守府に残っているあの二人なら知っていそうな気がする。話してくれるかは分からないが聞いてみよう。
「そうだな……ありがとう。聞いてみるよ」
「提督さんは叢雲の事をどう思っているっぽい?」
「正直に言えば苦手だと思っているよ。でも、凄いとも思っている」
「そうなの?」
「何でもできるし、弱音一つ吐かないからな。料理だけは苦手らしいが……」
「たしかに、叢雲はなんでもできるけど料理は絶望的に下手っぽい……」
「前に湯せんで温めるだけのサバの味噌煮を焦がしてたな」
「逆にどうしたらそうなるのか聞いてみたいっぽい」
夕立の一言が面白くて思わず笑みがこぼれた。
「料理は照月の方が上手いと思うんだが、照月はあまりやらないのか?」
「照月は本当に気が向いた時だけやるっぽい。後は誰かに薬を盛る時とか……」
「なるほどな……」
言われてみると照月が料理を作ってくれたのは睡眠薬を盛られた時の1度だけだ。もしかしたらだけど、照月は料理をするのはあまり好きじゃないのかもしれない。
「でも、いつもの食事や叢雲の料理よりはずっといいから、照月が作ってくれたら当たりだと思うっぽい」
「それもそうだな。味気の無い栄養食や塩と砂糖を間違えた食事に比べれば高級料理みたいなものだしな」
「提督さんの場合、照月の作ってくれた料理なら焦げてても不味くてもなんでもいいんじゃないっぽい?」
「否定できないな……」
「提督さんは照月に甘すぎるっぽい」
ー--------------------
「まったく……好き放題言ってくれるわね」
外で一連の話を聞いてきた叢雲が呟いた。
ー--------------------
上司が部下を無理矢理付き合わせているみたいで本当に下らないし、みっともないと思ったけど、照月を夜飲みに誘う事にした。酒を飲めば気を抜いて話せるし、色々聞けるかもしれないと思ったのが理由だ。
初任給を貰ったその日のうちにどうにかして照月を夜飲みに誘う事に成功した。
ただ、今日はどうしても無理そうで次の日に繰り越す事になった。照月は叢雲の許可なしで外出禁止らしく、買いに行くとしても最寄りのスーパーまで距離が長いから時間的にも無理がある。明日の買い出しの時ついでにアルコール類や惣菜等を買ってくる事になった。
次の日、早めに仕事を終わらせて、読書をしていると執務室のドアが開いた。
「提督、ちょっといいかいかな?」
響だ。いつもの彼女だったけど手には琥珀色の液体の入った外国の文字が書かれた瓶を持っている。酒だろうか?
「どうした?」
「提督ってアルコールはいけるかい?」
「飲む事はできるが……付き合って欲しいのか?」
「そうだね。いいウイスキーが手に入ったんだけど一緒に飲まないか?」
「悪くない話しだが僕でいいのか?」
「かまわない。提督だからこそ飲んで欲しいんだ」
「僕だからこそ……?」
「とにかく大丈夫なら付き合って欲しい」
よく分からないけど、タダ酒が飲めるとなると悪い気はしないし、約束の時間まではまだ時間がある。素直に付き合う事にした。
「分かった。付き合うよ」
食堂に向かうとどこからともなく響が透明なグラスと水の入った容器を持ってきて、僕の対面になる形でテーブル席に腰を掛けた。
「水割りでいい?」
「いいぞ」
乾杯の合図で響の持つコップを打ち合わせるとカチンと小さくて高い音がした。
ウイスキーを飲むのは初めてだ。だけど、響の持ってきた物は、フルーツのように甘い匂いと焦げたような風味が非常に美味しく感じた。高級な物なのだろうか?
「美味いな」
「そうだね」
「この鎮守府に酒を飲む相手はいないのか?」
「居ないね。叢雲と夕立は飲まないし、明石は性格が悪いから一緒に飲みたくない。照月は嗜む程度には飲むみたいだけど酔ったのは見たことが無いかな。誘ったこともないけど」
「照月は誘いにくいか?」
「そこまで仲がいいわけじゃないし、照月は遊びにや他の事夢中になってる事の方が多いから」
「なるほどな……」
言われてみると照月と響はそこまで仲が良いわけではない。そもそもの話として鎮守府の艦娘全員は照月から、一定の距離を置いている。全面的に彼女を受け入れて近づこうとする僕が例外的なだけだ。
「今から照月と飲む予定だったんだが一緒に飲んでいくか?」
「提督の奢りならいいよ」
「それじゃあ先に始めているか」
冷蔵庫から買ってきたビールやサワー等の酒類や惣菜やつまみ等を取り出してテーブルの上に置いた。
「アルコール度数の低い酒が多いね」
「強い方が好きか?」
「私はそうだね。まぁビールはビールで好きだからいいけど」
準備をして話していたら食堂のドアが開いた。
「提督。お待たせしました。あれ? 響ちゃん?」
予想外の照月(赤い目のもう1人の方だった)の来訪に咄嗟に時計を見た。約束の時間の30分前だ。
「早いな……響がいいウイスキーが手に入ったって言って持ってきたんだ。せっかくだからと思って飲むのに誘ったんだが……迷惑だったか?」
「30分前行動は当たり前ですから。飲み相手は多い方が楽しいですし、いいですよ」
照月が僕の横の席に腰を掛けるのと同時に響が持ってきたウイスキーに目をつけた。
「響ちゃん、このウイスキーの味をみたいんだけと飲んでもいい?」
「嫌」
「えー」
照月が駄々をこねた。味の良いウイスキーだっただけに味だけでも見させてあげたい。
「響、すまん。1杯だけ飲ませてやってくれないか?」
僕からの懇願に響が少しバツの悪そうな顔をした。
「提督がお願いするならしょうがないか……1杯だけだよ。水割りでいいよね?」
「うん。大丈夫だよ」
響が手慣れた手つきで水割りを作ると照月がそれを受け取った。
「美味しいね。もっと飲んでもいい?」
「嫌。一口だけって言ったよね?」
響が嫌悪感を隠さない顔をした。やはり高い物なのだろうか?
「こんな美味しいお酒早めに飲まないと勿体ないよ」
「私はゆっくり飲みたい。それに、照月に飲ませてあげる理由にはならない。それにこれ結構高いんだよ」
「幾らしたの?」
「10万」
響が口にした値段に思わず吹き出しそうになった。照月も同じらしく、驚愕の表情を浮かべている。
「えっ? そんなにしたの!?」
「たしかに、高いな……」
価値を知らずに照月に飲ませてやってくれないか? と発言した事を申し訳なく感じた。
だけど、美味しい酒だった事は事実だし照月にもっと飲ませてあげたいし僕自身も飲みたい。
「半分払うから一緒に飲まないか?」
「半分じゃ嫌。この場で7万払ってくれる上で今の量から半分残してくれるなら考えるけど」
ぼったくりのような値段だ。だけど、それだけ響も飲ませたくないという事なのだろう。だけど、僕が払えば出してくれるのだろうか?
「分かった……払う」
僕の一言に響が吹き出した。
「えっ、いいんですか?」
「私は断ると思って言ったんだけど」
「払えば照月に飲ませてやれるんだろ? それに自分も一緒に飲みたいからな」
「そこまで言われると聞くしかないね……」
ため息混じりに響が呟いた。響がグラスを1つ用意するとそれに瓶の半分のウイスキーの原液を注いだ。
「これだけだよ」
「提督。ありがとうございます」
照月の嬉しそうな顔を見れて良かったと思った。
ー--------------------
飲み会が始まった。残っても朝食になると思って、多めに買ってきたけど容器が次々と空になっていくのを見るとそれで良かったと思う。
照月の顔は早めに赤くなったのに対し、響は酒に強いやしか顔色が一向に変わらない。次に響と飲む時は強めの物を買ってきた方が良いのかもしれない。
話す話題は日常生活や趣味の事、それか愚痴話がメインだった。響は酔っても余り変わらないのに対し、照月は酔うといつも以上によく笑う。僕も照月と似たようなものだ。
話が盛り上がってくる中でふと叢雲の過去を2人に聞こうとしていた事を思い出した。
「そういえば響。叢雲の過去について何か知らないか?」
「知ってるよ。でも悪いね。それは教えられない。教えたら私が叢雲に殺される」
「僕が嫌われていることに関係あるのか?」
「さぁね。悪いけど自分で考えて」
冷たく呟く響に彼女から聞くのは無理だと判断した。
「照月は何か知らないか?」
照月の表情から笑みが消えた。
「すみません提督。照月も知ってはいますけど叢雲ちゃんの過去の事は教えられないです」
「口止めされているのか?」
「そうですね。それと本来の私も私自身も面倒事に関わるのは嫌いなので」
これ以上、深入りしない方がいい。もう1人の照月にそう言われた気がした。
「叢雲ちゃんの事はいいですから別の話をしましょうよ」
「そうだな」
叢雲本人に聞くわけにもいかず結局、叢雲の過去についての進展は何一つ無かった。